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書き下ろし短編:『白濁を耳に』

 

「う、ゥウッ……グッ……アッ……!」

 

 その少年の放った声は、講義室の静寂にいとも簡単に飲み込まれてしまった。おれはすぐさま言葉を添えることはせず、肌を刺すようなこの沈黙をもって、彼自身に感じてもらうことにする。少年はひどい猫背姿で立ち尽くしたまま、浅い呼吸を繰り返しているが……。

「うん、ありがとう。みんなはどうだったかな? いまの彼の演技を聞いて、どう感じた?」

 いくつも並ぶ白の長机には、大勢の生徒が敷き詰めるように座っている。みながみな、自らの中にある感想を咀嚼するように口をつぐんだり、俯いたりしていた。中にはまじまじとおれの顔を見つめる者もいる。いい顔だ。おれはさりげない微笑みでもって応える。

「そこの君」

 鳴らした指でそのまま指し示すと、その女生徒は小さな声で「ふぇ……」と漏らし、横断歩道を渡る前のように、左右を確認してみせる。

「そう、そこの君です。ポニーテールでメガネの君。お名前は?」

「ひゃ、ひゃい、あのう……渡辺美莉亜と言います。あ! わ、わたし宮崎先生の大ファンで! 大宮ソニックシティのライブにも行って……」

 先程までとは打って変わって、生徒たちからはあたたかな笑い声が沸き起こった。少女は饒舌になっている自分から、はたと我に返り、頬を赤らめ俯いてしまった。

「ありがとう美莉亜ちゃん。とても光栄です。そんな美莉亜ちゃんに質問をひとついいかな。緊張しないでね? いまの彼の演技を聞いて、どんな状況が頭に浮かんだかな?」

「うう……じょうきょう……ですか?」

「うん。なんでもいいんだ。自由に、感じたままを答えてほしいんです」

 彼女はあごの先に指を当て、天井を仰ぐ。伸びた前髪の隙間から覗く眼鏡のレンズが、鈍い光を放った。

「ええっと……えー、なんだろ……戦場?」

 再びあたたかな笑いが起こる。どうやら美莉亜ちゃんは、このクラスの人気者のようだ。おれはついつい、この空間にいるかつての自分を想像してみた。

「なるほど! いいですよいいですよ。戦場?」

「は、はい……若い兵士がいて……そこは戦場で……お腹を怪我してる? そんな姿が浮かびました……」

「あ~。なるほどなるほど。彼は若い兵士で、お腹を負傷している。それで漏れた声がさっきの田中くんの演技、ということだね?」

「は、はい……!」

 おれは手に持っていたメモ【勝気なヒロインに論破され、たじろぐ主人公】を教卓の上にそっと伏せる。

「いいですね~美莉亜ちゃん。まずね、想像力が豊か! これはとっても大切なことでね、豊かな想像力というものは演技にも活きてきます。いいですよ、ありがとう! じゃあ他には? 他にこんな情景が浮かんできたよ~というひと、いたら挙手をお願いします!」

 互いに顔を見合わせ、はにかむ生徒たち。その中の数名が遠慮がちに手を挙げる。素晴らしい。おれは長机の間を縫って歩きながら、「いいですね~いいですよ~、先生とてもやりがいがあります」と笑いを誘った。「じゃあそこの君! お名前と、浮かんだ情景!」

 

「えーと、花村拓人です。浮かんだ情景は……学園ですね。高校というか、そういう感じの。それで制服はブレザーで……あ、これも浮かんで……そのキャラの髪は黒でツンツンしていて、たぶんヒロインからはウニとかそんな感じのあだ名で呼ばれているキャラで――」

 

「石田輝留と申します。わたしも学園が浮かんできました。あとはそうですね、わたしの場合この主人公にはドSな親友がいてたぶん小学校のときからの関係で、あ、関係っていっても変な意味じゃなくいや変な意味でもいいんですけど――」

 

「リドル昌也っす~。あ、そうっす、一応ハーフっす~。自分の場合はアレっすね~。一応最初は学園ものなんすけど、一応ヒロインをかばって事故で死んで異世界に転生したばかりの一応主人公なんすけど、実は意外と一応適応力のあるキャラで――」

 

 気がつくと浮かんだ情景ではなくキャラ設定の妄想を発表する時間となっていた。おそらく一人目の渡辺美莉亜を褒める際に「想像力」というワードを意識して使用したがために、その言葉がみんなの頭の中でひとり歩きしてしまったのだろう。

 未だ教卓の横で猫背のまま立ち尽くし、自分の演技への感想はおろか、各々の勝手な妄想を聞かされている田中くんの気持ちを思うと、不憫で仕方がない。ここで一旦空気をリセットしなければ。特別講師としての腕が試されるときだと思った。

「はい! みんなありがとう! 今年の新入生は想像力が豊かな人ばかりなんだね。はっきり言って先生、驚いてます。先生が通っていた時よりもすごいです。はい。それはそうと! 先ほど田中くんに演じてもらった演技のお題なんですが、ここで改めてね、答えを発表しようと思います。じゃあここは田中くん本人の口から、与えられていたお題の発表、お願いできるかな?」

「え……あ、はい! お題? は、はい!」

「じゃあ……お願いします!」

「う、ゥウッ……グッ……アッ……?」

 再び静まり返る講義室の中心で、おれはかつて監督に何度もリテイクを求められた在りし日を思い出していた。

 

 

 

『劣悪少女隊ぱぴぷ@ぺぽ』の主人公・道明寺タカシ役での大ブレイクをきっかけに業界のメインストリームに躍り出たおれは、その後も勢いを落とすことなく若手声優界を牽引した。声優雑誌の表紙を飾り、メインパーソナリティーを務めたラジオ番組も大好評。デビュー当時からお世話になっていた先輩声優、冨樫桃華に気に入られていたこともあって、声優同士の交流を深める飲みの席にもよく呼んでもらっていた。

「ほんと、優翔くん、大物になったよねえ」

 ピクサー映画のメインキャラクターを演じることが決まった冨樫桃華が銀座のバーで開いた祝いの席にて、おれは彼女からそう言われた。周りにいる誰もが彼女の言葉に賛同し、おれの謙遜は瞬く間にかき消される。

「そんなことないですよ桃華さん。桃華さんの足元にも及びません」

「また~。前もそんなこと言ってたけど、すごいんでしょう? 若手男性声優と言ったら、いまや誰もが優翔くんの名前を口にする時代だもんねえ」

「いやいやいやいや。そうは言いますけどね桃華さん。今度のピクサーだって、メインどころはどうせ芸能人枠だからって誰もが思っていたところの大抜擢じゃないですか。天下のピクサーですよ。ぼく大好きですもん。『シュレック』とか」

「あはは~ほら~! すっかり口も上手くなってるし~! そりゃラジオも人気でるよね、わたしも大好きだもん」

「え! 桃華さん、ラジオ聴いてくださってるんですか?」

「実はヘビーリスナーなんです。うふふ。ラジオネーム【処女膜からやまびこ】。あれはわたしなんだよ」

「ま、マジで……え! うっわ、ちょ、待ってくださいよ、本当ですか桃華さん! まいったなあ……今後メール読むとき緊張しちゃいますよ~ははは」

「ねえ」

「あ、はい」

「桃華って呼んでよ」

「え?」

「桃華」

「…………桃華」

 その晩、おれと桃華はキスをした。

 だがそれっきりだった。

 その数日後、彼女のニャンニャン写真が流出したのだ。相手は、どっかのバンドのベーシストだった。

 

 おれは何日も酒に溺れた。あのキスは一体なんだったんだ。

 女とは。

 頭の中で渦巻く疑問の答えがそれであるかのように酒を煽り、店のトイレを汚し、ほかの客から顰蹙を買った。己の傷を見つめれば見つめるほど、自分がどれだけ冨樫桃華を尊敬していたのかを痛感した。たった一度のキス……その先に待っていたはずの……。おれは彼女相手なら、喉を生業道具とする声優にとって禁忌であるはずのオーラル・セックスだってしたはずだった。喜んでしたに違いない。いまだってしたい。したくてたまらない。オーラル・セックスがしたい。オーラル・セックスをすると、きっと楽しい。オーラル・セックスという救い。オーラル・セックスという秩序。オーラル・セックスという倫理。オーラル・セックスという茫漠。オーラル・セックスというなにがし。オーラル・セックスという……オーラル・セックスとは? スマホで調べてみる。「性器接吻」。オーラル・セックスとは性器接吻。オーラル・セックスこそ性器接吻。オーラル・セックスという性器接吻。

 性器オーラル・接吻セックス……。

 死すら覚悟していた。そんなおれを支えてくれたのは、同じラジオ番組でパーソナリティを務める新垣大輔だった。おれより五年ほど後輩だが、歳は三つしか違わず、人当たりのいい好青年。一人っ子のおれは、彼のことをまるで弟のように思い、接した。彼もまたこんなおれを慕ってくれた。

「宮崎さん、元気出してくださいよ」

 まだ出禁を食らっていない新宿のバーで彼と飲む。こんな場末で、ふたりの人気声優が酒を飲んでいるとは誰も思うまい。思う存分語らった。

「写真が流出……おれはね、大輔くん。この件に関してひとつ思うところがあるんだ」

「なんです?」

「なんでそんなものを撮るのだろう?」

「わかりますよ。ああいう人らは結局見てほしいんすよ。普通出て困るもの撮らないっすもん」

「やっぱり? まさか新垣くんも、撮ったりしてないよな?」

「撮るわけないです」

「彼女はいるの?」

「彼女はいます。これですけど」

 口の前で両手の人差し指を交差させる新垣大輔。なにはともあれ、人と会話をするだけでも、心の風通しは良くなった。

「大輔くん、ありがとう。乱暴に酒を飲むのも、今日で最後にする」

 しかしそうはならなかった。

 おれがやけ酒に溺れている間にも、着実に仕事をこなし、きちんと成果を出していた新垣大輔の人気は、瞬く間に手の届かない高みへとのぼってしまっていたのだ。

 

 

 

「みんな、実は先生、今日のために用意してきたものがあります」

 田中くんを席に戻したおれは一枚のCDをカバンから取り出す。

 みんながおれを見ている。

 おれも生徒ひとりひとりの顔を見つめ返した。

 呼吸は浅い。緊張している? この宮崎優翔が? 

 面白い。

 おれのすべてをかけたプロジェクト。

 その狼煙は、今日この場所で上がるのだ。

 

 

 

 新垣大輔の人気に疑問はない。甘いルックス。芯のある声。表現力豊かな演技。軽妙なトークに、時折出る地元関西の訛り。実際会って接していても、清潔感があり、いつもいい香りがする。肌だって綺麗だ。ヒゲなんて月に数回剃る程度なのだろう。ラジオの収録中に、トークのノリに乗じて抱きついたことがあるが……おっ勃った。男のおれでそうなのだ。彼と絡んだ女性声優に、女性ファンからの殺害予告が届くのも仕方がないと思えよう。それくらい、新垣大輔の人気に疑問はない。でも不満はある。おれだって人間なのだ。並べられた事実を、常に飲み下せるわけではない。そんな不満はラジオ番組中の態度に露骨に現れてしまった。ネットやSNSではおれの不機嫌そうな声色への批判が溢れ、大して年齢も離れていないというのに「老害」とまで言われる始末。

「おれが……老害……?」

 再び酒に溺れた。もうなにもかもをかなぐり捨てたくなった。

 そんなときだった。

 

「君、このまえもここで飲んでいたよね。オーラルセックスがどうのってずっとぶつぶつと言っていたから覚えているよ。悪い酒の飲み方をしている若者がいるな。そう思ったもんでね。いやなに、怪しい者じゃない。いまから名刺を渡すよ、ちょっとまってね、あれどこにやったかな、あったあった、ははは、しまった場所を忘れるとは……私はこういう者だ。話を聞いておいても損はないと思うよ」

 

 その初老の男は、栗原哲哉といった。プロデュースをしている、と言った。ぜひ仕事の話がしたい。栗原は微笑んだ。

「どうだい、宮崎くん。興味はあるかい」

 おれはバーボンを一気に飲み下し、グラスをカウンターに叩きつけるのと寸分違わぬ動きで首肯した。

 

 数ヶ月ぶりに、実家の両親へ電話。

「優翔? 元気かい? すごく活躍してるそうじゃない。母さん、もう年寄りだからさあ、あなたが出てる漫画とか……あ、ごめんなさい、アニメって言うのよね。ほんとうに疎くてねえ。でも頑張ってるんだってねえ。お隣のけっちゃん、もう高校生なんだけどね? あなたの活躍知ってるって。すごい人だって言ってたわよも~泣いちゃって私。あんたが定期預金を勝手に解約したときから母さん思ってたわよ。この子は大物になるって」

 母さん……。

「ほら、お父さんもちょっとは話しなさい。せっかく優翔が忙しい中電話くれてるんだから」

「ああ、はいはい。もしもし……優翔か? 母さんはああ言ってるけどな、父さんはあの日、お前のことぶん殴ってやろうかとも思ったんだ。ははは。でも父さんあまりにもショックでな、動けなくなったんだぞ。ははは。しかしそれがいまや……ああ、そうそう。この前のハワイな……良かったよ。ありゃいい場所だ」

 親父……。

 

 久しぶりに声優専門学校時代の友人、出川との食事。

「おれらの中じゃ、優翔が一番の出世頭だな。アニメも吹き替えも全部チェックしているぜ」

 出川は現在、製薬会社の営業をしているという。

「ところで覚えてるか、優翔。島崎純恋。いたろ、あのヤリマンだよ。あいつ結婚したらしいぜ。相手は戸塚だよ。講師の戸塚。子供が出来たんだってさ」

 おれは言葉を失った。

 今度、そこで特別講師をするよ。力なくそう伝えると、出川は自分のことのように喜んだ。

 

 真夜中にふと目を覚ますと、傍らには愛犬のアチャモがいた。

「あちゃもたん、パパですよ~。パパにちゅーは? ちゅー」

 普段からハウスキーパーに世話を任せっぱなしだったためか、顔のすぐ近くで激しく吠えられてしまう。なんて畜生だ。小型犬の鳴き声は、神経に障る。

「おまえだけは味方でいてくれよ!」

 ウィスキーグラスをフローリングの上に叩きつける。意外と頑丈なもので、割れやしない。ベッドから抜け出したおれは再びウィスキーグラスを手に取ると、改めてフローリングの上に叩きつける。ウィスキーグラスは甲高い音を立てながらフローリングの上を滑り、部屋の隅にそっと盛られてあった、出したてと思しきアチャモの柔らかな糞便にめり込んで音もなく止まった。おれはトランクス姿のままその場に崩れ落ちた。冷たいフローリング。言葉がない。漏れる嗚咽。

「ウッ……グウウ、クッ……ハッ……、ヌッ、グググ……ギイ……アッ、ンンッ……スウウウウウ、ヌハァ……アッ、ヌウウオッ、カッ……ハッ……ウッ……グウウ、クッ……ハッ……、ヌッ、グググ……ギイ……アッ、ンンッ……スウウウウウ、ヌハァ……アッ、ヌウウオッ、カッ……ハッ……ウッ……グウウ、クッ……ハッ……、ヌッ、グググ……ギイ……アッ、ンンッ……スウウウウウ、ヌハァ……アッ、ヌウウオッ、カッ……ハッ……ウッ……グウウ、クッ……ハッ……、ヌッ、グググ……ギイ……アッ、ンンッ……スウウウウウ、ヌハァ……アッ、ヌウウオッ、カッ……ハッ……ウッ……グウウ、クッ……ハッ……、ヌッ、グググ……ギイ……アッ、ンンッ……スウウウウウ、ヌハァ……アッ、ヌウウオッ、カッ……ハッ……ウッ……グウウ、クッ……ハッ……、ヌッ、グググ……ギイ……アッ、ンンッ……スウウウウウ、ヌハァ……アッ、ヌウウオッ、カッ……ハッ……ウッ……グウウ、クッ……ハッ……、ヌッ、グググ……ギイ……アッ、ンンッ……スウウウウウ、ヌハァ……アッ、ヌウウオッ、カッ……ハッ……ウッ……グウウ、クッ……ハッ……、ヌッ、グググ……ギイ……アッ、ンンッ……スウウウウウ、ヌハァ……アッ、ヌウウオッ、カッ……ハッ……ウッ……グウウ、クッ……ハッ……、ヌッ、グググ……ギイ……アッ、ンンッ……スウウウウウ、ヌハァ……アッ、ヌウウオッ、カッ……ハッ……」

 ふと、自らの嗚咽がある一定のリズムでもって繰り返されていることに気がついた。これも職業病というやつだろうか。悲しむことさえ演じてしまっているとでもいうのか。おれは自らの首を両手で掴むと、渾身の力で握り締めた。やめろ。やめてくれ。おれの本当の悲しみを返してくれ。おれはおれの悲しみを悲しみたいだけなんだ。

 気がつくと、ハウスキーパーのジョイさんがすぐそばにしゃがみこみ、その豊満な肉体で小さくなったおれの身体を包み込んでいた。

「Easy……easy……」

 耳元で囁かれる聖母のアンセムにおれは声を上げて泣き、やがて気を失った。

 気がつくと、閉め忘れていたカーテンの隙間から朝日が入り込み、泣き濡れた顔を照らしていた。

 おれはすぐさま栗原プロデューサーに電話をかける。

 

「ひとつ、企画案があるんですが」

 

 おれの反撃が始まる。

 

 

 

 

 

 

 学務担当者が用意してくれたラジカセに焼きたてのCDをセットする。

「これ、実はまだどこでもかけてないやつなんです。本邦初公開、ってやつですね」

 講義室内にどよめきが起こった。生徒たちは隣同士で顔を見合わせ、その興奮を共有している。

「といってもですね、これは曲――というわけではありません。みなさんがこれから学んでいく、プロの声優としての演技。その参考になるいわば教材というか、力になれるようなものを真剣に考えて作られたものなんです。ぼく自身、この専門学校であらゆることを学びました。当時の講師に言われたことは、今でもはっきりと覚えています。そんなぼくから、当時の自分に伝えたいこと。それを念頭において作りました」

 おれは再生ボタンに指をのせる。

 この音源の制作は難航した。自分にウソをつかない。それがなによりも譲れないルールだった。栗原プロデューサーとは何度も話し合った。時には衝突することもあったが、おれのこの熱意でもって納得させた。

「顔つきが変わったよ」

 徹夜続きの栗原プロデューサーは、濃いブラックコーヒーを飲みながらそう言った。

 過去の自分に戻れるうちは、人は変われない。

 

 そう信じてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 宮崎優翔の! 

『かんたんな感嘆』! 

 みなさんこんにちは。声優の、宮崎優翔です。今日は私宮崎が、声優を志す皆さんのために、様々な感情表現、いわゆる感嘆――の技術を、かんたんに紹介していきたいと思います(笑)。キャラクターに命を吹き込むのがぼくたち声優の、なによりの役割です。様々な感情を理解して、それを表現する術を身につけることで、アニメや映画、ナレーションなど、声優としてのお仕事で活躍することができるようになる……のかも(笑)?

 明日の主人公はテメエ自身!(©『劣悪少女隊ぱぴぷ@ぺぽ』)

  ってなわけで(笑)

 早速いってみましょう!

 

 

 生徒たちからは、自然と拍手が沸き起こった。

 

 

レッスン1 《基礎編》

 【驚き】

  「ンッなァ……?」

 【悲しみ】

  「グッ、うう、つうう……!」

 【喜び】

  「ンッフッ……」

 【怒り】

  「ックゥ……!」

 【後悔】

  「アッ……」

 

 

 みな、息を呑むように音声に聴き入っていた。おれは腕を組み、いまの地位に身を置いてもなお学びに貪欲であるかのような体で、音声が流れるラジカセを細めた目で見つめ続ける。

 

 

レッスン2 《応用編》

 【ヒロインが急に着替え出したとき】

  「なッ……!」

 【屋上から望む街並みが燃え盛っていたとき】

  「な……ッ!」

 【父親が黒幕だったとき】

  「ナッ……!」

 【通学途中に見かけた美少女が転校生として教室に現れたとき】

  「ンッ……ぁ……?」

 【背後の写真立てが突然倒れたとき】

  「ンッ……?」

 【犬の糞を踏んだとき】

  「ヌぅッ……?」

 【腹を殴られたとき】

  「カッ……アハァッ、ハァ……!」

 【顔を蹴られたとき】

  「ヌハアッ! ッカァ……!」

 【腹部への攻撃で吐血したとき】

  「ッ……ポゥあ……カァッ!」

 【惨劇を目の当たりにして嘔吐するとき】

  「んグゥッ……ボロロロロロロロロロロ!」

 【拷問されているとき(我慢編)】

  「グッ……ウウウウッ! ヌウゥウッ!」

 【拷問されているとき(絶叫編)】

  「グァ、がああああああああああああああああああああああああああ!」

 【そのまま覚醒したとき】

  「あああああああああぁぁぁァァァアアアアアアアアアアアアアアア!」

 

 

 誰かが唾を飲み下す音が聞こえた気がした。いや、幻聴などではない。おれのプロとしての技術――そのレパートリーの豊富さや繊細な表現力に、誰もが荒肝を抜かれたような顔をしていた。

 そして内容はいよいよ、おれが最後まで決して譲らなかった、執念の賜物とでも言うべき領域へと突入しようとしていた。

 

 

レッスン3 《成人向け編》

 

 

 ざわめきが起こった。

「すげえ」

 誰かの漏らす声が聞こえる。

 

 

 【乳首を責められているとき】

  「ハッ……なアァ……!」

 【局部を触れられたとき】

  「クゥッ……!」

 【オーラル・セックスをされているとき】

  「アァッ……! アア! ハアッ……!」

 【オーラル・セックスをしているとき】

  「じゅるるるるるるるるるるるる!」

 【オーラル・セックスをしぶられたとき】

  「ンッ! ンーッ!」

 【初めての挿入】

  「アッ……ハァ……ァッタ……カイ……!」

 【ピストン中】

  「んはァ! んはァ! んはあッ……ウウウギモチィッ!」

 【絶頂

  「あ、やばい! やばいやばいやばい!」

 【絶頂

  「ゴメンナサッ……ッッッ……!」

 【絶頂③】

  「スッ、スゴィうわっ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ」

 

 収録した内容とは異なる音声に、おれは我が耳を疑った。たいへんだ。CDにキズが入っている? あるいはこのラジカセが古いのか。おれは平静を装いながら、しかし迅速にラジカセを小突いた。

 

「ワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッ」

 

 音の細かな反復はさらなる加速を見せる。今更ながら、なぜ用意できるものがラジカセだったのか、データファイルではなくCDなのかという疑問が噴出する。しかしここで焦りを見せれば、この状況が招かれざるものであることが生徒たちに周知されてしまう。彼らの神聖な学びの場において、その熱意に水を差す真似は許されるはずもない。

 再度、小突いた。

 

「ワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワア、ア、ア、ア、ア、ア、ウワウワウワウワウワウワウワウワウワウワウワウワWOWOWWOWOWWOWOWWOWOWWOWOWWOWOWWOWOWWOWOWワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワウワウワウワウワウワウワウワウワウワウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ、ウ、ウ、ウ、ウ、ウワウワウワワワウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウワウワ…………

 

 

 講義室は、幾重もの声に包まれた。

 椅子から転げ落ちる男子。出口に向かって走っていた女生徒が彼にぶつかって転倒した。耳を押さえ悲鳴を上げる女生徒もいる。かばうようにして抱きしめる男子の姿も。絶頂時に漏れる声の断片が木霊するこの空間において、もはや平静を保てる者などだれもいなかった。まるで永遠に続くかのような……煉獄。そのリズムは限界まで加速していく。

 だが不思議なことに、おれの心は落ち着いていた。

 平穏、そのものだった。

 混沌に喘ぐ生徒たちのなか、自らの席に着いたまま、力強い眼差しでおれの顔を見つめている生徒がいた。その目には、うっすらと涙が浮かんでいるようにも見える。おれも彼の目を、その魂を見つめ返す。

 田中くんだった。

 おれは鳴らした指でそのまま彼を指し示す。

 彼は喉を隆起させたあと、迷いなく口を開いた。

  

 始めよう。

 おれたちの反撃を。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自宅鑑賞映画(2017年1月編)

 

『続・男はつらいよ』(1/1)

 

仁義なき戦い』(1/1)

 

進撃の巨人 ATTACK ON TITAN』(1/1)

 

進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンド オブ ザ ワールド』(1/1)

 

スカイライン‐征服‐』(1/2)

 

イコライザー』(1/3)

 

ミスター・ノーバディ』(1/10)

 

『葛城事件』(1/11)

 

『白鯨との戦い』(1/14)

 

宇宙戦争』(1/14)

 

『ハイヒールの男』(1/15)

 

『スノーピアサー』(1/17)

 

江ノ島プリズム』(1/20)

 

ちはやふる 上の句』(1/21)

 

ちはやふる 下の句』(1/21)

 

県警対組織暴力』(1/31)

 

 

 計16本!

側臥位Netflix鑑賞期(森田療法)

 

 

2017年となってはや1ヶ月が過ぎようとしています。むしゃくしゃはおさまるところを知りません。報われない努力。水泡に帰す時間。回らない頭。膨張する憂鬱。噛み合わない会話。潤わない財布。上がらないうだつ。殴りたいあいつ。殴れないあいつ。蓄積する殺意。いかない納得。半端な勃起。生半可な射精。無駄な責任。空回る正義。読めない文章。知らない制度。納める税金。バカの花金。わかない欲求。もたない集中。寄り添うスマホ。途切れるWi-Fi。床の陰毛。変わらぬ景色。無視せよ幸福。後悔は共有。下手くそ営業。似合わぬカラコンバカリズムの真顔。アイドルのリスカ。大学生。狂ったリーマン。朝井リョウ。生乾きのタオル。合わないシャンプー。生臭いリンス。濡れた靴下。顎関節の歪み。慢性的倦怠。無限のささくれ。動かぬ身体。聞き取れない台詞。不必要な考証。穴の空いた靴。したくない努力。水泡にキス。空っぽな頭。寄り添い型の鬱。すれ違う未来像。潤わない肌。増えない貯蓄。殴るべきあいつ。殴られるべきあいつ。ちょい漏れ殺意。いらない納得。軟派な勃起。断続的射精。無視しろ責任。下卑た正当性。下手くそ文章。ウザい制度。ほっとけ税金。バカのタマキン。くたばれ欲求。さよなら集中。ベタつくスマホ。途切れるやる気。国家の陰謀。体調の悪化。無視こそ幸せ。箱入り後悔。もういい営業。若さの前借り。バカリズムの笑顔。色白アイドル、虚弱商法。梅毒学生。頑張れリーマン。朝井の悪ノリ。捨てるべきタオル。新しいシャンプー。甘いリンス。臭わない靴下。歯列矯正。枯れない性欲。春の訪れ。軽い身体。胸打つ台詞。正確かつ物語を停滞させない考証。新しいスニーカー。2017の幸先。

 

 

 

 

 

 

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阿ッッッ!

 

 

 

 

 

 

ベストノーマライゼーションムービー/『ザ・コンサルタント』

 

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あらすじ

天才的頭脳を持つ会計士のクリスチャン・ウルフは、依頼を受けた大企業の会計監査で重大な不正を発見するが、直後、仕事を打ち切られ、命を狙われる。だが、クリスチャン・ウルフは最強の殺人マシンでもあった(ので安心)。

 

 

自閉症スペクトラム障害とは

主人公のクリスチャン・ウルフは自閉症スペクトラム障害アスペルガー症候群であったり、高機能自閉症などと呼ばれているものなどを統合した概念として「自閉症スペクトラム障害」というものがあるのだと思ってください。簡単に言うと「知的発達の遅れを伴わない自閉症」といったところでしょうか。「高機能」な自閉症ということなので、その言葉のニュアンスに関しては色々な議論がなされていますが、本来、自閉症知的障害を伴う確率が高いものとされているため、便宜上そう呼ばれているのだと思います。主な特徴として、コミュニケーションにおいて相手の気持ちを想像することが苦手だったり、同一性や反復する行動への強いこだわりなどが挙げられます。 程度の差はあれ、僕らの身の回りにも割といます。僕自身、自分がそうじゃないとも言い切れない、くらいのありふれたものだと思っています。

 

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そんなクリスチャン・ウルフは、ジグソーパズルを絵柄のない背面だけを見て完成させたり、大きな数字の暗算を一瞬で行ったりと、天才的な頭脳を持つ反面、コミュニケーション能力に大きな問題を抱えていました。一度始めたことを完遂できないとパニックに陥り、パニックに陥ると周囲のものを破壊。彼を理由とした夫婦間の不和から母は家を出ていき、軍人である厳格な父からは「厳しい環境でも生きていけるように」と、虐待レベルの教育を受けて育つこととなります。ここのところは『キック・アス』のヒット・ガールですね。顎の割れた巨漢のヒット・ガールです。

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今年の暫定ベスト1!

劇場鑑賞はじめとして選んだ今作ですが、結論としてとても面白かったです。まだこれしか観てないんですけど、すでに今年ベストな気持ちですらいます。ものすごく完成度の高い映画、とは別に思っていませんが、胸中に明かりが灯るような、そんな優しさにあふれた映画だったように感じました。

 

合わせられない目線、指先に息を吹きかける癖、3つずつで構成された食事、噛み合わなくなると「冗談だ」で誤魔化す会話術、ぎこちないつくり笑い、「挙手」での挨拶。目の前に転がる生きづらさへの対処法を丸暗記して乗り越えようとしている主人公の描写の数々は、観ていてたまらないものがあります。そんな彼が毎晩振り返るのは幼少期の思い出。主人公の声紋を調査したFBIの分析官が「トラウマのある子供に見られる特徴」みたいなことを言うシーンがありましたけど、自閉症スペクトラム障害の子供は周囲とのズレから生じるストレスの影響からトラウマを抱えることがとても多いと言われています。これはそんな男の物語なのです。

 

幼少期に叩き込まれた武術がシラットというところも良かったと思います。監督のギャヴィン・オコナーのインタビューによれば、「効率的であり華やかでもある」ことが主人公のキャラクターに合うと思ったそうで、なるほど。ああいう父親が息子を連れてアジアに向かう感じも、なかなかリアルな気がしました。ヨーロッパ圏よりも、断然アジアに行きそうですよね。偏見ですけどね。

 

ガンアクションも良かったです。テキパキした正確な動きで確実に息の根を止めていくスタイル。数字に強い男らしくスライドストップ前にマガジンをこまめにチェンジするなど、キャラクターらしい戦い方の演出もされていたと思います。これ見よがしには描いていませんでしたが、相手が撃っている最中などにも残弾をカウントしているような「待ち」を見せていたように思います。心憎い。

 

 

 

着地点について

なかなか目まぐるしい展開の物語ではありますが、その着地点に関しては意見が分かれるだろうなという気配は感じました。僕はあの意表を突かれる感じがかなり好きです。物語的にシビアに落とすことだってできただろうし、それを望む声だってわからいじゃない一方で、あの展開には強く胸を打たれました。「ありがとう」という気持ちでいっぱいです。さらに最後の最後にも、この物語がどれくらいの「規模」で進んでいたのかが判明するある展開が待ち受けているのですが、そこでまた「ありがとうございます」という気持ちがこみ上げてきました。なんてノーマライゼーション精神溢れる映画なのでしょうか。また、ギャヴィン・オコナー監督の前作でも描かれていたような、「母の不在」を前提とした「父との関係」も顕著に現れていたと思います。本筋には大きく関わってはきませんが、障害者自立支援施設のあの人もまた「父」であると同時に、その奥さんの姿は最後まで現れません。鑑賞後に振り返ってみると、あの人の過去に関しても想像が膨らみます。

 

僕は物語における温度の高い部分に共鳴できたとき、その作品が愛おしいものになると思っています。『ザ・コンサルタント』は作り手が見せた登場人物たちへの眼差しに打ち震えたという点でも大好きな作品です。

 

彼はなぜ世界の不正と戦うのか。主人公は一度始めたことを中断できない性格なのです。そんな彼の「道の途中」を描いた今作、僕は断然支持したいと思います。そもそもアクションがかっこいいし、ベルト使うとこなんて最高〜。

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 ↓ 監督へのインタビューです。

www.gizmodo.jp

 

↓ アメコミになったそうです。翻訳版がこちらで読めます

www.gizmodo.jp

 

 ↓ 日本プンチャック・シラット協会会長のコメントがあります。トレーニングって脛ゴリゴリのことかな

wwws.warnerbros.co.jp

 

 

 

 

書き下ろし短編:『蓬ヶ丘殺人事件』【後編】

 

 蓬ヶ丘近辺で立て続けに三人の児童が行方不明となり、街が一気に騒がしくなる。各小学校では集団下校が実施され、いたるところで張り紙を見かけるようになるが誰ひとりとして見つからない。噂によると身代金の要求もないらしい。
 じゃあみんななんで消えたんだ。
 渡辺大地くんに続いていなくなったのは五十嵐輝介くん八歳で、自宅の庭で遊んでいたはずが忽然と姿を消してしまった。三人目の松本來未ちゃん七歳は、通っていた水泳教室の帰りにいなくなっている。貼り紙の種類が増えるたびに報道も加熱していき、ぼくたちはこのニュースの続報を待つようになるけど大きな進展は見られない。たぶん次もあるんだろうなと、なんとなく思う。
 いや、それってかなりやばいけど。
 亜矢子は立てた膝に口を押し付けながらニュースを眺め
「こんなんばっかりだね」
 そんなことを言ったりする。
 もしかして晴空くんのことを言っているのかなと思うぼくは「うん」としか言えない。別に同意しているわけじゃないけど、それ以外なにも浮かばない、というよりも、意味のあることを口にするのがちょっと怖い。
「わたしの親のこともそうだけど」と言う彼女は訥々と、しかししっかりと言葉を選んでいる。
「晴空のこととか、中学でのこととか、話したよね」
「うん」
「小六のときも……これは初めて人に言うのかな」
 あ、マジか。ぼくは伸ばしていた脚を折り曲げて抱いた。
「学校からの帰り道、声かけられたの。高校生だと思う」
「男?」
「うん。抱きつかれてさ」
「やばいね」
「うん。でも逃げられたんだ。声は出なかったけど暴れたら大丈夫で」
「そいつはどうなったの」
「しばらく走って振り返ったら、まだ同じところにいるの。ただ立ってこっちを見てるんだけど、わたしがまた走り出したらそいつも反対側に走ってった」
 ぼくはついどうでもいいことを口走ってしまう。
「死んでたらいいね」
「え?」
「そいつ」
 亜矢子はちょっとだけ黙ったあと首をかしげてはは、と笑う。
「で、ほかにも色々あるんだよね、こういうことって。なんかわたし、そういう経験多いの。だからなんか、またかって思う」
 ふたりして黙る。
 日が暮れてぼくは彼女の家からお暇する。玄関先まで出てきてくれる亜矢子は、「明日体育あったっけ」と言う。
「あさってじゃない?」
「そうだった」
「うん、また明日」
 亜矢子は明かりの中へ消えていく。ぼくは彼女の話を思い出しながら、ちょっとだけ薄ら寒くなり、小走りで帰ることにした。呪われた呪われた言っているぼくだったが、本当に呪われているのは彼女の方なのかもしれない、なんて勝手なことを思うぼくは高校一年生で、頭の回転が死ぬほど悪く、どうしようもなく無知だった。
 ちょっと死にたい。

 翌日の学校で藤田から隣町で中学生が逮捕されたという話を聞く。公園でホームレスを襲い、意識不明の重体にまで追い込んだのだ。なんでまたそんな物騒な真似を! と思うぼくに藤田は続ける。
「そいつ中学の後輩なんだよね。そいつも野球部なの」
「知ってる人ってこと?」
「うん。そういうやつじゃないんだけど、ただちょっと心当たりもあるっちゃある」
「なに」
「五十嵐輝介って知ってるだろ?」と当たり前のように言われてぼくは困る。
「いや……」
 藤田が溜息をついたその瞬間ぼくはあ、と思う。
「いなくなった子?」
 逮捕された中学生の名前は五十嵐竜輝で、輝介くんのお兄ちゃんだった。五十嵐竜輝は弟を誘拐した犯人を捜し、弟がよく遊んでいた公園で休むホームレスを金属バットで襲ったのだ。
 嫌な流れが生まれている気がした。でも、そう考えること自体不吉な感じもあって、一刻も早くすべてを忘れたい気分にもなる。
 その日亜矢子は学校を休んだ。
 期末テストが近いということもあり、ぼくは藤田と一緒に図書館で勉強をする。図書館の表にある掲示板にも、行方不明になった三人の貼り紙が貼ってある。やっぱり誘拐なのだろうか? 街にはもう夏の匂いが充満していて、ぼくは久々に詰め込んだ知識を漏らさないよう足取りを慎重に家まで歩くことにする。帰る方向が反対の藤田は「誘拐されんなよ!」と言って手を振った。
「笑えねえよ」
「笑ってるじゃん」
「うるせえ、また明日」
 亜矢子はまた休む。
 送ったメールにも返事がない。
 唐突に人から嫌われるってことも、これからの人生で何度か経験することなのかも知れない、みたいな感じでまあ気にならない。といえば嘘にはなるけど、気にするのもなんだか癪で、ぼくはまた藤田を誘って図書館で勉強する。ほかのことを考えるよう専念するにはテスト期間もちょうどいい。とはいえ、なにか亜矢子に余計なこと言ったっけなあと考えてみるに、ぼくは基本余計なことしか言っていない気もするし、溜まりに溜まった不満が決壊でもしたのかもしれない。いや、違うかもしれない。もうわからん。ぼくはそもそも亜矢子の考えていることを上手に察せたことが、いままであったのかって話だ。
 で、噂をすればほにゃらららといった感じで、その夜彼女から返事が来る。
 ぼくは吐きそうになる。

 ああ、しまったと思った。なんでもっと一連のあれこれにムキにならなかったのか。心の距離を保ったのか。そしてぼくがそんなこと思ったところでなんの意味もないことも同時に思う。晴空くんがいなくなったその日、亜矢子は一日中晴空くんを捜して街中を回った。その翌日も。晴空くんが行きそうな場所、蓬ヶ丘の公園や、一度連れて行っただけのバッティングセンター、住宅街の暗渠をどこまでも進んで、とうとう亜矢子は晴空くんを見つけることができなかった。そしてぼくのメールに返事をし、事の経緯を大まかに教えてくれる。彼女のおばあちゃんは強いショックを受けていて、まともに動ける状態じゃないっぽいし、ぼくは学校が終わると速攻で彼女の家へと向かう。短パンにTシャツ姿の亜矢子が出てくる。
「ちょっと待ってね」
 ぼくはどうしてすぐに教えてくれなかったんだということを、どういうわけか聞けずにいる。その時間さえもったいないという気持ちがあるからかもしれない。
 これは誘拐だろうか?
 たぶんそうなんだろう。近い年齢の子供ばかり立て続けにいなくなっている。とはいえ身代金の要求は亜矢子たちの元へも一切ないらしいので、目的はもっと別なところにある。
 とにもかくにも早く見つけなきゃならない。
 二人で手分けして街を回る。なにか見つけたら携帯で連絡する。ずっと一緒に過ごしてきた亜矢子が手当たり次第捜索して見つけられないので、ぼくはもう心当たりゼロのまま直感に従って捜して回る。
 途方もない。
 ふと思いついたぼくは蓬ヶ丘団地に向かい、いつかのフェンス越しに双眼鏡を覗きこむ。ここからなら亜矢子の家周辺を一望することができる。無数の家、無数の家庭、無数の人。子供。
 亜矢子から電話が来る。
「いまどこ?」
「蓬ヶ丘団地にいるけど」
「そっか。もう遅くなるから、宮本くんは帰ってもいいよ」
「え、大丈夫だよ」
「ううん。警察も捜してくれているし、本当にありがとう」
 有無を言わせない感じの謝辞だった。ぼくはそのまましばらくベンチに腰掛けたまま夜に染まる街並を見つめ、家まで歩いた。長い坂道を下りながらふと後ろを振り返り、そびえ並ぶ蓬ヶ丘団地を見る。転々と灯る明かりのどれかから、誰かがこちらを見ているような気がして、ぼくはとにかく睨み返す。

 晴空くんは見つからない。

 大橋亜矢子の弟がいなくなったという話が学校でも広まり出し、藤田がぼくのところにくる。
「大橋のこと、おまえ知ってたか」
「おととい知った」
 藤田は「ああ」と言ってぼくの机に指先をのせながら目を伏せている。
「おまえも一緒に捜したりしてんの?」
「え?」
「大橋の弟のこと」
「なんでおれが」
「大橋は捜してるのかな」
「わからないけど、たぶん」
 藤田は指先で机をトントン叩き、「見つかるといいな」と言った。
「うん」
 亜矢子はまだ休んでいる。
 その日の放課後もぼくは晴空くんの捜索を行うが、行動もワンパターン化していき、空回っていることに自覚的になるのでつらい。どうすればいい? 改めてぼくは、もし仮に自分が犯人だとして、子供を誘拐するなら? と考えてみる。人目につかないところでサッと誘拐するなら、車があったほうがいい。誘拐するにあたってクロロホルムとかを使う場面を漫画なんかでよく目にするけど、実際どれくらいの効果があるのかわからないし、そういう薬品って手に入れるのもそれなりの手続きがいるんだろうし、犯人が仮にそういった記録の残る方法を選んでいたとしたら、それこそ警察がとっくに調べて犯人の目星をつけているはずだ。ぼくらには伝わってこないだけで、もう何人かに絞られているのかもしれない。それをただじっと待つのは苦しいから動いているわけで、本当に誘拐された子供たちとか犯人を見つけられるという気は正直あまりしない。いや、ほとんどしない。でもなにもしないでいるのも怖い。ぼくは晴空くんの声や動き、誰にどれだけ愛されているかを知っている。
 ぼくは今日も今日とて蓬ヶ丘団地を訪れる。長い坂を登ってたどり着くそこはすべてを俯瞰するにはうってつけの場所なのだ。
 それは捜す側のぼくだけじゃなく、誘拐する側だって同じはずだ。ぼくは蓬ヶ丘周辺の地図を広げ、誘拐された四人の子供たちが住んでいた家の位置に印をつけてみた。そして、警察はそう遠くないうちに犯人を逮捕するんだろうなと思う。これだけのペースで動いているんだから、誰にも見られていないってこともないんだろう。この風景の中にも、山ほど痕跡が隠れているはずなのだ。
 翌日、亜矢子は四日ぶりに登校し、数名の女子に囲まれる。彼女は眠そうな顔で、力ない愛想笑いを浮かべながら「うん、ありがとう」と繰り返している。
 ぼくはテスト勉強に集中するふりをしている。朝のホームルームが終わると、先生が亜矢子を廊下に呼ぶ。なにかを話している。やがて彼女は教室に戻ってくるが、自分の席には向かわずぼくの方に来る。
「もしよければなんだけど」
「え、うん」
「数学のノートかしてほしい」
 ぼくは亜矢子に緊張する。
「ああ、いいけど」机の中を漁りながら「ほかにもなにかいる?」と聞いた。
「ううん、ありがとう」
 学校であまり話したことがなかったからなのかと思っていたけど、それもちょっと違うような気がする。なんというか、亜矢子の表情や仕草というか、まとう空気というか、なにかが明らかに変わってしまっているような、そんな違和感をぼくは覚えている。
「大橋」
 と声がしてぼくと亜矢子が同時に顔を上げると、そこには藤田が立っていた。亜矢子はちょっとだけ目を細めながら「なに」と言った。
「おれの知り合いもさ、弟がいなくなったんだ。知らない?」
「同じ中学だった子だよね」
「そうそう。野球部の後輩だったやつ。捕まったんだけどね。公園でホームレス襲って」
 ぼくはふたりに挟まれ、それぞれの顔を見過ぎないよう、机の上のシャーペンを手に取ってノックする。芯の先を紙に当てるがなにも書かない。
「みたいだね」という亜矢子はぼくのノートを胸の前で掲げ、
「じゃあこれ、あとで返します」
 そう言い残し、自分の席へと去っていく。藤田があとを追う。あ、おいおいと思うぼくはちょっとだけ椅子をずらし、机から脚を出すけど立ち上がったりはしない。藤田は椅子に座った亜矢子の正面に回り、「なんであいつが襲ったかわかる?」と言った。
「ホームレスを誘拐犯だと思ったんだよ」
 シャーペンを制服の胸ポケットに入れたぼくはついに立ち上がる。なに言うつもりかわかんないけど落ち着けよ藤田。
「ごめんな急に。うざいし大橋も大変なときにこんな話して悪いとは思ってる。でもああいうことって意味ないし、まあ、あいつの場合はさらに人違いだったってこともあるしみんなを余計に悲しませることになったから、だから、ああいうことはやめてほしいって言いたかったんだよね。それだけだから。とにかく無事見つかるといいな、大橋の弟」
 そう言って藤田は亜矢子の机を指でトトトン叩いて踵を返す。
 その背中に向かって亜矢子が言う。
「意味はあるかもよ」
「え?」
「藤田くんの後輩がしたことは間違いだったけど、意味はあったかもしれないよ。警察がより警戒を強めるし、犯人側への牽制にもなったかも」
 藤田がなに言ってんの? という顔をしている。ぼくもしている。
「誘拐した人があの事件のこと知って、誰かがすごく怒っていることをようやく理解したかもしれない」
「いやそれは」
「そういう気持ちもちゃんと伝えなきゃ、だれもほかの人のことなんて想像してくれないかもしれない」
 空気の変化に気づいたみんなが亜矢子のことを遠巻きに見る。黙っていた藤田が言う。「でも、実際に意味なかったじゃん」
 それって結局晴空くんは誘拐されただろって意味? 売り言葉に買い言葉だ。空気の流れが早まる。
「藤田」ぼくは小声で言った。「もういいって」
 一時間目、現代文の先生が入ってきて、みんなが席へと戻る中、亜矢子はぼくのノートをめくり始める。あ、変な落書きとかしてなきゃいいなと思うぼくは、まだ心臓が痛いほど鼓動している。

 その日の放課後、よせばいいのに藤田が亜矢子に再度話しかけ、彼女がついに怒る。亜矢子に突き飛ばされた藤田は机と一緒に転倒し、止めに入ったぼくは彼女の二の腕を押すように蹴った。その日はずっと息苦しかったし、それは亜矢子を蹴ったところで変わるものでもなかった。
 飲み込まれてしまう。
 いや、もうとっくに手遅れなのか?
 ぼくは立ち上がった亜矢子とまた教室で取っ組み合う。まーたこれかよと思う。ぼくはもうなにもしたくない。亜矢子のことも殴りたくない。新しい呪いを受けとりたくない。藤田が謝りながらぼくたちふたりの間に入ろうとするが、亜矢子はもう誰の声も聞かない。ずっとずっと怒りを抱えてきた彼女が、とりつくろうことをやめってしまった感じがあって、じゃあぼくはどうすればいい?
 どうすれば。
 ついには涙をポロポロ流す亜矢子に対して、ぼくと藤田になにができたと言うんだ。馬鹿であることに半ば甘んじる幼稚なぼくたちは、はなから彼女にできることなんて何一つ持ち合わせていなかったんだよとネタばらしをされた気分になる。最低だよ。いやいや、気づかないふりをしていた自分たちがなによりも悪いのだ。あとこれはずっとそうだが、目の前で女の子が泣くともうそれだけでパニックになってしまう。亜矢子の笑顔はいつだって嘘っぽいのに、このとめどない涙は疑いようもない感じにしか見えなくて、ぼくはどんどん力が抜けていく。そのくせ胸の奥は固くなる一方だ。
 なにか言いたげな藤田を先に帰らせた。「ほんとうにごめん」と半べそのまま繰り返す様も見ていられなくて、ぼくは無根拠な「だいじょうぶ」を繰り返してしまう。「だいじょうぶなわけねえだろ」と言う藤田に、まあそうなんだけど、と思う。ぼくもめちゃくちゃ泣きそうだ。
 でも泣かない。ここで泣くのは空気を読む、みたいなものでそこに意味など微塵も含まれていないからだ。なにも言わずに出ていった亜矢子のあとを追いたかったけど、誰かが教室を片付けなくちゃならない。机を起こし、椅子をしまいながら、ぼくはほんの少しだけ呼吸が楽になった気がした。それからトイレによって手と顔を洗い、西日の眩しい校庭を抜けて正門へと向かうと、亜矢子がぼくのことを待っている。
 もう二度と話せない気がしていたのに。
 いや、二度と話さないほうがいいと思ってたのに。
 彼女は鼻をすすりながら「ごめんなさい」と言うが、それほんとうに意味のない謝罪だからやめたほうがいいよと、でもぼくは言えない。意味をなくすも与えるもぼく次第なのだ。ちゃんとこの「ごめんなさい」を受け止めなければならないんだ。
 並んで歩きながらも亜矢子の呼吸は乱れていて、たまに立ち止まっては声を漏らして泣いたりする。なのにぼくは彼女がなんで泣いているのか正直よくわからなくなっている。ていうか、これまでだってわかっていた瞬間なんてなかったのかもしれない。ああ、だめだ。ぼくも彼女に「ごめんなさい」と言う。彼女が首を振るので泣きそうだけど、でもだめなんだ。彼女の嘘のない涙に水を差すような真似はしたくない。
 公園で亜矢子を休ませる。じっとうずくまる彼女の隣で同じように腰を落とすと、彼女はぼくに殴られたあの日の話を始めた。思えばぼくの前で言及するのは初めてかもしれない。
「これまえにも言ったかな」と言う彼女から飛び出した話をぼくは知らない。
「小学六年生のとき、担任の先生がわたしを教室に残るように言ったんだよね。あれもいまくらいの時期で、夏休みが近くて、一学期最後のお楽しみ会をする予定だったの。その準備を手伝ってほしいって」
 帰りが遅くなり、先生は彼女を送っていくと言った。車で向かった先は担任の自宅で、亜矢子はそこで服の中に手を入れられ、お腹を撫でられたと言う。初めて聞くけど、何度も聞いたような話でもある。
 そんなやつばかりで嫌になる。
 亜矢子は担任の指の爪を剥がし、左目に親指を入れた。それから台所へ向かうと包丁を取り出し、刃先を向けたまま荷物を持つと家まで歩いて帰ったのだという。その後も学校には休まず通い続け、担任はやがて辞職したそうだが、それって亜矢子の勝ちとしていいのだろうか。だって、結局そいつはまた別な場所で同じことをやるんじゃいないのか? ぼくはそう思うけど、彼女の言葉の続きを待つ。
「宮本くんに殴られたあのとき、わたしは色んな日のことを思い出した」
 全身をこわばらせて唸りながら小さくなる亜矢子のとなりで、ぼくは一言も発さずに地面を見つめている。考えている。逃げないように踏ん張っている。
「だから」
 と絞るような声で亜矢子は続ける。
「怖いから、離れられない」

 

 四人の児童を誘拐して強姦してバラバラにしたあと石灰をふりかけて自宅の離れの床下に遺棄していた鶴谷陽司は、五人目の誘拐も計画していた本物のクソ野郎だった。通っていた大学を休学中の鶴谷は、そういうことにずっと興味があって、慎重に事を為せばすべてうまくいくものだと思っていたらしい。正真正銘のアホだ。そもそも行動の理由が性欲である時点でこいつに慎重な行動なんてできるわけがなかったのだけど、逮捕に至るまでに結局四人の子供が陵辱され殺されたのだ。お母さんの肩を揉むことが大好きだった渡辺大地くんや、絵を描くことが得意だった五十嵐輝介くんの小さな手は、胴体から切り離され五つに分けられたあとだった。松本來未ちゃんは愛犬クウの頭を二度と撫でることができないし、晴空くんはもうサッカーボールを蹴ることができない。亜矢子の撫でる、柔らかい髪の毛に覆われたあの小さな頭も、もうない。
 ぼくは大橋晴空くんの通夜に参列する。亜矢子のおばあちゃんは一気に老け込んだように見えた。挙動の一つ一つが苦しそうで、ぼくは声をかけることができなかった。
 事件は連日ニュースを賑わせた。ぼくたちは期末テストを受け、すべてが片付くころには事件の熱も冷めている。もちろんテレビやネットではってことだけど。
 犯人の家は蓬ヶ丘から街を二つ越えたところにあって、ぼくは自分の読みが外れたことを知る。まあそうだよな、くらいにしか思わないけど。
 とはいえもうしばらくこの息苦しさは続きそうだった。どこへ行ってもそれはついて回った。蓬ヶ丘全体が巨大なドーム状のもやに包まれ、ぼくたちはすこしずつこの街で疲弊していくのだ。それがいつまで続くかなんてわからない。
 でも、ただただ終りを待ち続けるのもなんだか癪じゃないか。
 鶴谷陽司逮捕から二週間ほど経ち、ぼくは久しぶりに亜矢子と一緒に帰る。彼女は事件後も毎日登校している。亜矢子のおばあちゃんはしばらくの間、親戚のおじさんの家で休養をとるとのことだった。彼女も一緒にと誘われたが、いまは一人であの家にいるらしい。晴空くんを一人にできないと彼女は言った。
 亜矢子はまた、いつかと同じ空気を孕むようになった。この街を覆う重たさは、彼女自身も覆って離さない。それは隙あらばぼくにも伝達する。
 ぼくはいつだって隙だらけなのだ。
 彼女の部屋で漫画を読んでいたぼくはいつのまにか寝てしまっていた。彼女のベッドに背中と頭をあずけて、大口開けて三十分ほど。目を覚ますと部屋には誰もいなくて、膝の上にページの閉じられた『はちみつとクローバー』の二巻がおいてあった。顎を鳴らしていると部屋に亜矢子が入ってきて、「おはよう」と言いながら制服をハンガーにかけている。ぼくは妙にホッとして、それから急に寂しくもなる。そのことを亜矢子が察したら嫌だなとも思う。彼女は部屋着に着替えていて、これから夕飯を作るけど食べてく? と言った。まだ五時ではあったけど、お腹は結構空いていた。
「手伝っていい?」
 なにを作るのかと思ったら、インスタントラーメンに野菜炒めを盛ったもので、ぼくは麺を茹でる係、彼女が野菜を炒めていく。
「包丁使うのうまいね」とぼくが言うと「そう?」と彼女は囁くように言ったきり黙る。ぼくはまたどうでもいいことを探して口に出す。
「そういや見せたいものがあるんだけど」
「なに」
「夕飯食べてからでいいや。別に面白いものじゃないけど」
 テーブルについてラーメンを食べるぼくに、亜矢子が「なにか見る?」と言ってリモコンを差し出してきた。
「普段はテレビ見るの?」
「ご飯のときは見ないかな」
「じゃあ別にいいよ」
「ほんと?」
 使った食器を洗っている間、亜矢子はテレビをつけてせわしなくチャンネルを変え続けていた。手を拭いて、さあ帰ろうかなと思うぼくに彼女が「見せたいものって?」と声をかける。
「ああ、そうだった」
 亜矢子の部屋の床に蓬ヶ丘周辺の地図を広げる。彼女は立ったままそれを見下ろしていた。
「これ」点在する四つの丸の内一つを彼女が指差す。
「ここ。うちだよね」
「うん」
「ていうかこれぜんぶ子供たちの家か」
「そう。で、ちょうど真ん中に蓬ヶ丘団地がある」
「うん」
「たぶん、いや、わかんないんだけど」
 相槌が消える。
「蓬ヶ丘団地から捜していたんだと思う」
 亜矢子はなにも言わない。どんな顔をしているのかなとちょっとだけ気にはなるけど見上げたりはしない。例えばの話、ここで彼女がぼくのすぐ後ろで凶器を手にしていても構わない。
「犯人はもうひとりいるのかもしれない」
 呪いは未だに解けていないし解ける見込みも特にない。ぼくは亜矢子と一緒にいる。亜矢子は離れられないと泣く。本当に呪われているのは亜矢子で、彼女はそれらを解く方法をひとつしか持ち合わせていない。
「知ってる」と亜矢子が言った。
 ああそうかしまった、とぼくは思う。時間がない。
 伝えなければならない。
「おれも蓬ヶ丘団地から大橋の家見てたんだ」
 喋りながらも、まだ振り返らない。
「大橋のこと殴った日あったでしょ。あの日からおれおかしいんだよね。確実に変なんだ。それでずっと大橋のこと考えてた。そうだ、これ言ってなかったけど、おれも大橋のことが怖かったよ。たぶん、殴るずっと前から」
 振り返らない。音もない。
「まあ別にいいよそんなこと。蓬ヶ丘団地って眺めいいよね。昔住んでたんだっけ。あそこからならなんでも見える気がする。フェンス越しでそうなんだから、団地の上からだともっとよく見えるんだろうな。ああ。もしかしたらおれ、犯人と何度かすれ違ってるのかも。わかんないけど。犯人と同じ景色は見てたのかも。少なくともこの家を見てたし」
 殺せ。
 早く。
 お願い。
「そのとき気づけなくてごめん」
 殺してくれ。
「晴空くん助けられなくてごめん」
 亜矢子の歴史が更新される。両親のもとで弟が虐待されていたとき、彼女は近所の人にすべてを話し、助けを求めた。禁止されていたのに、親の言うことを初めて破った。彼女は強い罪悪感に苛まれていたし、誰もそのことには気づかなかった。彼女はこれだけ苦しい思いをしなければ大切な人や物を守れないと思うようになったし、それは自分に力がないからだとも思った。救急車のサイレンが聞こえるたびにそんな気持ちを喚起された。環境は変わっても、揺蕩う暴力は彼女をすぐに見つけた。彼女は図らずしてそういうことをしてしまっていて、そしてそのことだって誰にも気づいてもらえなかった。
 ロリコン教師に連れ込まれたときも、知らない高校生に抱きつかれたときも、同級生の女子を殴ったときも、その復讐に遭ったときも、彼女がまだ一度も他人に話していない様々なときだって、亜矢子はそいつらに見つかったことに辟易し、追い払うことに傷ついてきた。それでも彼女が逃げなかったのは、逃げることで一生ついて回る恐怖をすでに知っていたからだ。
 犬小屋の中にいる晴空くんを覚えているからだ。
 綺麗な服を着ている自分を覚えているからだ。
 ぼくが亜矢子のそういった覚悟と疲弊をあやふやな形で感知し、恐れ、盛大に間違えたあの日だってそれは同じだった。亜矢子はぼくから逃げるべきだった。違う違う。ぼくが亜矢子に興味を持つべきじゃなかった。目を凝らすべきじゃなかった。まだまだあまりに未熟すぎることを自覚するべきだった。
 もっともっと深く考えるべきだった。
 亜矢子。
 やっぱぼくなんか殺すな。
 彼女がぼくのすぐ横に膝をつくのが分かる。彼女の気配が充満している。ぼくは彼女の顔を見る。
「わたしのこと怖いの」
 わからない。
「怖いなら離れちゃだめだよ」
 だからわからないっつの。
 聞いてみる。
「怖くなくなったあとはどうしたらいい」
「怖くなくなったとき?」
「離れられるもんなの」
 亜矢子は力なく笑った。あ。嘘をついてないなとぼくは思った。
 わかる。
「そんなの知らないよ」

 亜矢子に抱きしめられて彼女の髪が鼻の頭をこすったとき、ぼくは呪いが強まるのを感じる。
 ああしまった。彼女の体温に乗って舞い上がる香りをたくさん吸い込む。
 このままじゃダメだ。でもじっとしていたかった。終わりがあるならとっとと終わってしまいたかった。いますぐ走り出したい気持ちの一方、まだまだ時間をかけるべきだとも感じていた。
 彼女の腕から離れて、亜矢子の顔を見る。真正面から。世界一綺麗で気を失いそうになる。ふざけんじゃねえっての。ぼくは彼女の顔を手のひらで打つ。ぼくが打てば、彼女も打ち返す。突き飛ばせば、彼女はすぐに起き上がって、ぼくのことを突き返す。あ~嫌。亜矢子はまた泣いてるし、笑っているし、ぼくはそのどちらもできないままだし、あ、でもちょっとだけ、彼女に信じてほしい気がしている。
 どうか。
 どうか。

 鶴谷陽司と同じ自動車教習所に通っていた中嶋豊は、蓬ヶ丘団地の五号棟四〇一号室に家族と共に住んでおり、買ってもらった中古の軽を使って四人の子供を誘拐した。すべては鶴谷陽司の提案だったが、協力しているうちに「さらなる深い仲」を得るため、中嶋も鶴谷と同じことをすることになった。
 三番目の被害者、松本未来ちゃんだけ女の子なのは、中嶋豊の性的趣向に関係していたってだけの話だ。
 ぼくと亜矢子は夏休みに入って三日目で中嶋豊を殺して蓬ヶ丘団地裏の茂みに捨てる。見つけ出すまでに多少の時間はかかったけど、二人で必死に頑張ればまあこんなもんだ。警察より早く動けたことを亜矢子は喜んでいた。一瞬でも、いつか見た大きな力を手に入れた気分になったのかもしれない。
 そもそも警察は中嶋豊の存在を認知していたのだろうか? 鶴谷陽司がこいつの名前を出していないっぽいのは、中嶋の言った「深い仲」の証左なのだろうか?
 まあなんだっていい。
 クソ野郎は死ぬだけだ。
 中嶋の車のダッシュボードからは、松本未来ちゃんの髪の毛でつくられたミサンガや晴空くんのサッカーボールを裂いて刺繍のように貼り付けたエコバッグなんかが見つかった。ぼくと亜矢子はドン引きしたし、心からの怒りを覚えたが、もしかすると中嶋豊もまた、恐怖の対象から離れられなかっただけなのかもしれない。
 ぼくと亜矢子は服を着替えたあと、蓬ヶ丘団地にある滑り台の上から街並みを眺める。
 大きな入道雲が盛り上がっている。あれがそのまま倒れてきて、この風景すべてを潰してしまえばと考えるぼくはまだまだ覚悟が足りていない。そういうものは焦って備わるものではないってことも、ぼんやりながらわかっているので、ぼくはなにも口に出さないし傷ついたりもしない。隣に立っていた亜矢子が、不意にぼくの肩に鼻を近づけてくる。
「え、なに?」
「ううん」
「臭い?」
「ちがう。いま一瞬いい香りがして」
「そうなんだ。わかんない。どんな匂い?」
「懐かしい匂い」
 ぼくらは使ったバットをバッティングセンター脇の草の茂った暗渠に捨てたあと、スーパーでカレーの材料や花火なんかを買う。亜矢子の家でじゃがいもを洗っていると、扇風機の角度を変えた亜矢子がおばあちゃんはもうしばらくかかりそうだと言った。時間でしか解決しようのないものだってある。それは亜矢子が未だ抱えている諸々にだって言えることかもしれない。
 できあがったカレーをお皿に盛って、晴空くんの遺影の前に置くぼくらは手を合わせて祈る。
 晴空くんが安らかに眠れますように。
 この祈りがどうか届きますように。
 できることはなんでもしてやりたいと思う。できないことまでやろうとする。そのせいでより相手を不幸にするなんて話は、結局のところありふれている話なのかもしれない。
 縁側で花火をしながら、晴空くんと初めて会った日のことを思い出していた。なにかを斬るように立てた指を振り下ろす晴空くんは、たぶんきっと、お姉ちゃんを守ろうとしていたんじゃないだろうか。亜矢子にまとわりつく不吉なものを断とうと、たった一人で頑張っていたのかもしれない。
 お疲れ様ですと思う。ぼくはまた苦しくなりかけるが、落ち着いている。
 花火をする亜矢子の、眩い光に照らされた青白い顔は特別楽しそうといった感じではないけれど、夏の夜の湿った風が吹いていて、空には青白い月と雲と星々が揺らめいていて、どことなく悪くないなと思えるこの瞬間と、ちょっと先の未来と、もっとずっと未来のことを考えるには、ちょうどいい夜かもしれない。

書き下ろし短編:『蓬ヶ丘殺人事件』【前編】

 

 この町にあるいくつかの丘のうち、最高でも最低でもないなだらかな高台の上に蓬ヶ丘団地があった。周囲は深い茂みに覆われていて、各階二部屋ずつの四階建て、造りも古い棟が無数に並び建ち、それがちょっとだけ墓石に見えなくもないとぼくが思うのは、四号棟と七号棟にある部屋のどれかに幽霊が出るという噂を聞いたことがあるせいなのかもしれない。
 まあ幽霊はあくまで噂だけど、蓬ヶ丘はろくでもない場所だった。
 蓬ヶ丘団地の五号棟四〇二号室に住んでいた大橋裕太は妻の美代子との間に二人の子をもうけた。女の子と男の子だった。子供は親を選んで生まれてくるみたいなことを言う人もいるけど、だとすれば少なくとも、大橋家の長男である大橋春空くんはこのふたりのもとになんか生まれてくるべきではなかったのだ。父親である大橋裕太は絶望的に頭がパーなくせしてプライドが高く攻撃的だったし、そのバイ菌男とホストクラブで出会った母親の美代子だって不用意な同調だけを頼りに生きてきた人間だったので、瞬く間に旦那の馬鹿がうつってしまった。
 大橋晴空くんには生まれつき軽度の知的障害があったが、ふたりはそのことにずっと気づかなかった。上の子と違って、お利口さんではないなと思っていた。いつしか彼らはそんな晴空くんにまともな食事を与えることをやめるようになり、綺麗な服も着せなくなった。いつまでたってもお漏らしが治らなかった晴空くんはオムツだけを身につけたままの姿で過ごしていたし、泣き声がうるさいからと口にタオルを巻きつけられたりもした。リビングの隅に犬用のケージを起いたふたりは、その中で晴空くんを生活させるようになる。聡明で美人だった長女には、食事はもちろん毎日綺麗な服を着せ、頻繁に外出もさせていたくせに。一方で大橋晴空くんは、そのお姉ちゃんがくれる水やパンを食べて生きながらえていたのだった。両親から与えられる食事の量は、いくら体の小さい幼児とはいえ、生きていく上で十分な量とは言えないものだったらしい。すべては排泄物の量を減らすためだった。
 大橋晴空くんが三歳の夏に児童相談所の職員が大橋家を訪問し、すべてが明るみに出た。大橋裕太と大橋美代子は逮捕され、子供たちは保護された。発見当時、晴空くんの体重は八キロにも満たなかった。平均の約半分だ。残された姉弟は絶縁状態にあった母方の祖父母の元に引き取られることとなった。当時九歳だったお姉ちゃんは、救急車で運ばれる晴空くんのそばにずっとついていた。彼女にとって救急車内はすべてが未知だった。見たことのないエネルギーで溢れていた。弟を生かそうと懸命になる大人たちを、彼女は初めて目の当たりにした。
 彼女にとって、それは大きな力に見えた。
 大橋亜矢子にとって、なによりも必要なものだった。
 高校に上がり亜矢子と同じクラスになったぼくは、ある日の放課後、人気のない教室で彼女の顔を思いきり殴り、殴られるのだけど、あのときだって亜矢子は幼くして形成した彼女なりの哲学に則って行動していたはずなのだ。恥ずかしながら当時のぼくがそうだったように、ほとんどの高校一年生にはっきりとした哲学や信条なんてものが芽生えているはずがなくて、そんなアホでマヌケなぼくたちからすれば、大人しいけど愛想だけはよくて、そのくせどこかそっけない感じがある大橋亜矢子という女子は、なんだかちょっとだけ気持ちの悪い存在に思えた。
 いやもっとはっきり言っちゃえば、ぼくは彼女のそういう感じが許せなかったのだ。見ていて妙にムカつく。同じクラスになってふと目で追っているうちに透けてくる「でもわたしは違うから」といった態度が生意気に映ったし、かといってみんなと同調しろという気分にもならず、ぼく自身、彼女にどうしてほしいのかわからなくて困る。
 ううう! なんというか位置が悪い!

「宮本くん、わたしのこと嫌いでしょ」

 とはいえぼくはあの日、自分がまさか大橋亜矢子を殴るなんて思ってもみなかったのだが、きっかけのひとつには、たぶんぼく自身の恐怖があったのだと思う。
 許せないもムカつくもバカなりの強がりだ。
 ぼくは完全に怯えていた。彼女の重めの真っ黒な髪とかクーラーの効いた目とかナメクジを裂いたような唇とか容易く出血しそうな皮膚とか蜘蛛の脚みたいな指とか、人づてにぼんやりと耳にする彼女の過去とかそういうもろもろすべてに。
 その日、ぼくらはその場の空気というか流れというか、結局十分ほど応酬し合う羽目になり、その間机や椅子はいくつも引っくり返るし、ふたりして口を切ったり鼻血を出したりでみるみる取り返しがつかなくなる。ぼくはぼくで先制を仕掛けた自分への驚きと状況への混乱で興奮状態にあったし、一方の亜矢子もぼくが一発返すたびに二発、三発と腕をぶんぶん振り回し、蹴り、丸めた教科書で突いてきたりするもんだから、とにかく自分が死なないよう尽力するしかなかった。男子とすら殴り合う機会なんてないのに自分はいま何をしているんだ? そう思う一方でぼくは頭の中央部がぼんやりまどろむような鈍い感覚に襲われていた。彼女の血とか唾液や汗にまみれた頬を拳骨で打つたびにもうちょっと、あとちょっとという気分が膨らんでくる。……いやいや、人を殴るなんて趣味はないぞと思うぼくだが、女子を殴りながらじゃ全然説得力がないので自分自身を信じることさえままならない。こわい。ぼくはそういう人間なのかもしれない。成人を迎えて初めて幽霊を見たという人がいるように、自分のまだ見ぬ本質を発見するのに歳なんて関係ないのかもしれない、とか思いながらもバンバン殴り殴られているぼくは、これは生存本能なのではないかということでとりあえずの決着をつける。必死で殴って何が悪い。自分からやっといてなんだけど、ぼくはまだ十五年とちょっとのこの人生をこの女に終わらせられたくない。
 息と唇と鼻の粘膜が切れ、さすがに傷の上から殴るのも忍びないからと妙な角度をつけて撫でるように押したり叩いたりしているうちに、心まで完全に疲弊したぼくはついに手を止め、かざした腕で彼女の攻撃を受け続ける。受けながら全身を覆う毛や皮膚や筋肉を思い、肉に包まれた骨のことを考える。痛い。申し訳ない。情けない。
 なんだか急に静かになったなと思って顔を上げると、彼女は肩で息をしながら、腫れた唇をだらしなく開けぼくのことを見ている。指でも入ってしまったのか、彼女の痙攣する瞼の内側からは涙が溢れていて、濡れたまつげのすっと伸びる様にハッとする。
 そんな感じでまた十分くらい経った。ぼくらはどちらからともなく教室の後片付けをする。割れた瓶の破片をつまむ彼女の指とその繊細な動きに見とれてるのか朦朧としているのかわからない状態のまま教室を、そんで校舎をあとにした。で、特になにも言わないけど、ふたりして一階の渡り廊下から中庭を抜けてグラウンドまで回ると、水洗い場で顔を洗うことにしたのだ。
 口をゆすぎ刺すような痛みを感じながら、ぼくは明日からどうしようとか、そういうことを考えていた。青紫に染まるグラウンドの対角では野球部が後片付けをしながら大声を上げていた。ふと気づくと、彼女がハンカチを差し出してくれていたのでぼくはそれを受け取る。タオル地で甘い匂いが染み付いていて、スヌーピーの刺繍が施されたハンカチだった。フォークソングに出てくるようなハンカチだねと思っていると、急に彼女に対する恐れとか興味が白けていくのがわかって、それはそれでさみしいような、我ながらわがままな気持ちになる。
「ありがとう」
「ううん」
 なんか普通に喋っててうけるけど、ぼくはぼく自身の無責任な怒りに恥ずかしさを覚えている。
 いますぐ一人になりたかった。
 翌日ぼくは登校し、亜矢子は休む。ふたりして顔を腫らしていたら先生にいろいろ聞かれるんだろうなと思っていたけど、彼女なりの配慮だったのだろうか? 配慮というか、彼女だってそれが嫌だったのだろうか? ぼくはもう亜矢子のことしか考えられなくなる。朝礼が終わり、同じクラスの藤田が来る。
「顔どうしたよ」
 高校に入学してからの友人だったが、こいつには本当のことを伝えすぎないほうがいいとぼくは思っていた。そういうタイプの人間なのだ。渋るぼくにやつは続ける。
「大橋か」
「ちがうって」
「大橋だろ」
「なんでわかるんだよ」
「マジか~」
 藤田は大橋亜矢子と同じ中学を卒業していて、大橋に関するわずかな情報もぼくはすべて藤田経由で耳にしていた。
 翌日、大橋亜矢子は登校してくるが、もちろん会話をしたりはしない。藤田は「おまえがあれやったのか」と言う。さすがにちょっと引いている。薄暗かったので気付かなかったが、裂傷の残る唇もそうだけど、腫れに瞼が押され土偶のような目になっている彼女の顔はかなり凄惨で、改めてぼくも気圧される。自分の行為に寒気がする。そもそもぼくはまだ彼女に謝ってすらいないのだ。
 放課後、下校途中の彼女に声をかけた。彼女は「別にいいよう」と言って足早に歩き出すが、そうもいくかと思ったぼくは、どうかもっと真剣に人の話を聞いてくれと思う。言う。亜矢子が立ち止まる。
「うわ。なんで止まるの」
「話を聞こうと思って」
「ああ、そうか」とぼくは改めて「殴ってごめん」と言い、頭を下げた。
「なんで謝るの」と今度は亜矢子が聞く。
「なんでって普通でしょ」
「わたしが悪いんだよ」
「いやいや、なんで? そんなことないでしょ」
「あるよ」
 独り言のようにそう言い残し、どんどん歩く彼女の後ろ姿を見ながら、なんだあの女、イカれてんのかとぼくは思う。それから急に寒気がして、家まで走って帰る。こわい。いやこわくない。
 気持ちが妙に寒々しい。みっともない。
 ぼくはその夜、藤田にメールする。
『大橋はイカれてる』
 返事が来る。
『お前のほうがイカれてる』
 ぼくは唸る。
 そうかもしれない。
 というのもぼくは彼女と殴り合ったあの日から、オナニーができなくなっていた。

 ぼくは呪われたのかもしれない。大橋亜矢子はあの日の放課後、ぼくに呪いをかけたのかもしれない。
 放課後になると、大橋亜矢子のことを尾けるようになった。そのために双眼鏡まで買い、ついには彼女の自宅まで突き止める。彼女にもう一度声をかける気にはなれなかったけれど、どうしても呪いだけは解いてほしかったので、いろいろ考えた末に彼女の殺害までちょっとだけ考えるぼくはさすがにどうかしている。でもぼくはいま確かにどうかしているのだ。それをなんとかしなければならないんだ。
 思い切って藤田に相談する。
「おれ呪われてるかも」
 藤田には野球部の練習があるので、放課後長々と相談にのっている暇がないし、おかしくなったぼく自身に引いている素振りすら見せる。薄情だとは思うがぼくは仕方がないかとも思う。ぼくだって呪われたとか言い出す友人に始めから真摯に寄り添える自信はない。とはいえ、ぼくが大橋亜矢子に殴られ、殴り返したことにより呪いにかかってしまったことは藤田しか知らないので、ほかに相談する相手もいないのだ。ぼくは高校に行くのがつらくなって、やがて体重まで減り始める。やや丸みを帯びていた頬はしゅっとこける。両親はそんなぼくをみて「あんたも精悍な顔つきになってきたね~」とか言うので話にならない。ここで「呪い」という文言を口に出すことは流石に憚られるので適当に嘘をついてやりすごす。新しい環境に馴染めなくて……。でもそれだって丸っきり嘘というわけではない。入学してまだ二ヶ月、新しい教室には決まって亜矢子がいて、腫れの引き始めたその顔には以前のような涼しさをたたえ出していたし、時折目が合えばその眠いのか笑っているのかわからない三日月型の目を伏せ、意味深に伸びをしたりするのだ。
 悪魔。
 ぼくは彼女の自宅の監視を強化する。彼女の家は蓬ヶ丘団地のフェンス越しに一望できる住宅街の一角にあったので、ぼくは団地内にある公園のジャングルジムや滑り台の上、ベンチの背もたれなどに腰掛けながら彼女の家をウォッチする。平屋の一戸建てで、日が沈みだすころ頃、団地内にある集会場から午後六時を告げるドヴォルザークの『家路』が流れるなか、窓から温かな光が漏れる様を眺めていると、ぼくはすべてが虚しくなる。いますぐこの高台から飛び降りてすべてを終わらせたくなるような滅茶苦茶な気持ちだ。あるいは、この目の前の風景に空から無数の星が降り注いで焼き尽くすとか。あーあ、どうしてくれるんだ大橋亜矢子。運命を呪いこそすれ、ぼくは負けたくもない。
 監視を始めて一週間と四日経つころには、ぼくは大橋亜矢子のことを色々と知る。彼女には小学生の弟がいる。毎日ではないが一緒に散歩をする。庭をうろうろしたりする。ふーん、なるほどね。ぼくは蓬ヶ丘団地に住む同級生から、なんか気持ち悪いことをしているという噂を立てられたことにより望遠監視はやめにして、彼女の家の近所を歩くことにする。もしもばったり鉢合わせるようなことがあれば、それはそれでどうしていいかもわからないけれど、ほかにすることなんてないのだ。ぼくは呪いを解いてもらうか、それが無理なら相応の復讐をしなければならないと思っていた。
 彼女の近所にあるブランコと滑り台と砂場をあつらえただけの小さな公園でコーラを飲んでいると、ぼくは亜矢子に見つかってしまう。こうなることくらい百も承知だったはずのくせして死ぬほど狼狽えたぼくは、目が悪くてなにも気づいていないふりをした。すると彼女はぼくに近づいて言う。
「宮本くん」
 うう、頼むからほっといてくれよ。
「こんにちは」ぼくは驚いたふりをして、お尻の砂を払いながら立ち上がった。
「家このへんなの」
「ん、いや、違うけど」
「そうなんだ」
 ふたりしてどうしたらいいのかわからない感じになっていると亜矢子が続ける。
「もしかして、また謝りにきたの」
「え」本当に理解が追いつかず「違うけど」とぼくは顔を上げる。
「あごめん。じゃあ本当になにしてるんだろ」と言う彼女は一瞬笑い、ぼくはその顔を直視できない。
 別に今日は殺す気できたわけでもないし……。
「怒ってる?」と言う彼女の顔をぼくはまだ見ない。
「え、別に。なんで」
「ごめんなさい」
 ぼくはいまの「ごめんなさい」がなにに向けられているのかちょっとだけ考える。
「ん?」
「まだわたし謝ってなかった。ごめん」
 いまのは謝るのが遅れたことに対する「ごめん」か。うむ。
 それからぼくは、どういうわけか彼女の家に招かれ、そこで大橋晴空くんと初めて会う。「こんにちは」と言うぼくに一切目もくれず家に向かって歩いていくどこか不思議な男の子だと思った。
 晴空くんを通せんぼするように目の前にしゃがみこんだ亜矢子が言う。「晴空。こんにちはは? ほら、こんにちはって」
「こんにちは」
 晴空くんの真後ろに立つぼくは「顔似てるね」と言うが、彼女は特に何も言わず、弟の頭に手を置いて「はい」と呟いている。
 そんでなぜか彼女の方が家の中に消え、ぼくは庭で晴空くんとふたりっきりになった。晴空くんは人差し指を立て、何かを斬るように腕を振ってみせている。ぼくの近くのなにかも斬る。なにが見えてるのかなと思いながらその手から逃げるぼくは、晴空くんの爪先に当たったサッカーボールを蹴り返す。晴空くんがまた蹴ってくる。蹴り返す。かれこれ十往復ほどさせたころ、亜矢子が縁側に現れる。
「ごめん、麦茶いる?」
「あ、いいのに」
「嫌いだった?」
「そういうことじゃないよ。麦茶好き」
「飲んで」
「あ、うん。ありがとう……」
 ぼくは亜矢子がコップに注いでくれた麦茶を飲んだ。その間も晴空くんがボールを蹴ってくるので、二口飲んでからコップをお盆に起き、再び晴空くん目掛けて蹴り返す。
「晴空、いまはだめ」と亜矢子が言うが、晴空くんはまったくやめようとしないのでちょっと面白い。
「別にいいよ」と言うぼくに亜矢子が「ごめんね」と言う。
 また謝ってる。
 ぼくは少しだけ落ち着いている。どこまでもついてまわるあの切迫感もない。晴空くんにボールを蹴り返しながら、ぼくは亜矢子の顔を見る。こみ上げた感情をそのまま口にしてしまう。
「顔、ごめん」
 よく聞こえなかったみたいで、縁側に腰掛けていた彼女は少しだけ身を乗り出した。ぼくはジェスチャー付きで再度言う。
「顔。殴ってごめん」
 あはあ、と短く息を吐いたあと、彼女は太ももの裏に手を敷いてスカートを押さえながら「わたしは全然いいし、謝るのもわたしの方だし、もういいよ」
「うーん」
 とは言ってもね。黙るぼくに彼女はもう一言添えてくれる。
「きりないよ」

 そう言う亜矢子だったが、きりがなくなるまで徹底的にやるというのは彼女の哲学の一つだった。彼女が中学一年のころにクラスメートの女子を殴ったことによってその彼氏一味に階段から突き落とされたり、下校途中に追い回され殴られたりした際も、彼女はちゃんとやり返し続けた。きりがなくなるまでやってやってやりまくれ。だんだんと事が大きくなるにつれてついていけなくなった相手側が亜矢子に近づかなくなり、そこでようやく亜矢子はひとつの諍いに終止符を打てたというわけだ。うーむ。極端な話でもっといい解決策はあるはずだと思うぼくだけど、まあ一理ある気もしていた。もちろんあくまでほんの欠片であり、すべてじゃないけど。
 でもずっとそんな感じでやってきているのだとしたら、なんか疲れない? と思うぼくは彼女といろいろな場所へ行ったりする。学校が終わるとどうでもいい話をしたり何も話さなかったりしながら歩いたし、たまたま見つけたバッティングセンターに入ったりもする。彼女は部活には入っていないが、運動が好きだといった。走ったり跳んだり投げたり打ったりをすると、気分が良くなるから、本当は部活にも入りたいと言っていた。
「バレー部とか入りたかった」
「まだ五月だよ。入れば?」
「ううん、だいじょうぶ」
 彼女はバットを思い切り振る。ボールにかする。素人目に見てもフォームは変なのに、対象に向けてしっかり振れているのでぼくもちょっとだけやる気になる。野球は全然やったことがなかったが、亜矢子の隣の打席に入って、バットを振った。振った。全然ダメ。でもなんとなく気持ちは晴れた気もする。たぶん近いうちにまた来るんだろうなとぼくは思って、その日は亜矢子と別れる。
 彼女の思い出話を聞く。
 晴空くんとも散歩をする。
 たまには自分の話もしてみる。亜矢子はぼくの話にちゃんと相槌を打つ。「うん」とか「へー」とか「そうなんだ」。
 呪いは未だ解けないままではあったが、まあ別にいいかと思う瞬間も増えていく。いやよくはないんだけど、呪いそのものに集中することが自然と少なくなっている。
 学校でのぼくらは、これまでどおり、必要以上に接することもなかった。ぼくはもっぱら藤田と過ごしている。これはちょっとフェアじゃないよなあと思ったりもするけど、藤田に「おまえ大橋と仲良いよな」と言われると「そうだろうか?」と思う自分がいるのも確かなのだ。そもそも仲がいいってどういう状態のことを言うんだろう?
 亜矢子の家の縁側で『エスパー魔美』を読んでいると、「宮本くん」と声をかけられる。
 亜矢子のおばあちゃん。
「晩ご飯食べていかない?」
「え、そんな大丈夫ですよぼくは」
「いいからいいから、いつも遅くまであの子に付き合わせちゃって悪いし。カレー好き?」
「好きです」
「よかった。もうちょっと待ってね」
 亜矢子のおばあちゃんは特別派手ではないが、仕草が全体的に若々しい。亜矢子と違ってはきはき喋るし、ちょっと歳のいったお母さんって感じだ。
 ぼくは母親に連絡をする。
「あ、今日は友達の家で食べて帰るから」
 ここでごく当前のように「友達」という言葉を使ったわけだが、そこに無理や誤魔化しは特に感じない。トイレから戻ってきた亜矢子が「あ、なんかおばあちゃんが」と言ってくるのでかぶせるように言う。「あ、聞いた。夕飯ご馳走してくれるって、なんかごめん。本当にいいの?」
「あ、ううん、ぜんぜん。食べてく?」
「そう答えたけど」
「そっか」
 なんかもうよくわかんないけど、これからもよろしくねって感じだ。

 ぼくが亜矢子の家で鶏もも肉と豚バラ肉の入ったカレーを食べているちょうどそのころ、蓬ヶ丘でひとりの男の子がいなくなる。渡辺大地くん六歳。小学校を出たところまでは同級生が見ていたが、それ以降の目撃情報が一切なく、午後八時を過ぎても戻らないので、両親が警察に連絡したらしい。そういうことが身近で起こるなんてまったく想像できていなかったぼくは、無事に見つかるといいなと思うくらいだった。
 でもまあ、見つからない。
 すべては始まりでしかない。

 

舞城王太郎と中条あやみはどっちも六文字

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2017年になりました。今年も楽しくいけたらいいなと思っています。それ以外に、なにを望むっていうんだ。急に太字になるのは最近海外文学を読んでいるからです。僕の考える海外青春文学っぽさです。とにかく今年は好きなものを声高に唱えていけたらいいなとも思っています。

 

海外文学などにも大きな影響を受けているっぽい作家といえば舞城王太郎がいます。もちろん村上春樹を挙げてもいいのですが、著作をほとんど読んだことがないので、ポスト村上と言われたり言われなかったりしている舞城王太郎を挙げさせていただきます。初めて読んだのは高校のころ、ド田舎に住んでいた僕はイオンの中にある田舎者のサブカル予備校ことヴィレッジヴァンガードで派手なポップとともに積まれていた『煙か土か食い物 』を手にとりました。それが出会いだったように記憶しています。メフィスト賞を受賞した舞城王太郎のデビュー作です。そのポップには「ウーファーの前にいるような文章」みたいなことが書かれていましたが、当時の僕はウーファーを知らなかったので「は?」となりました(のちにくるりの『ハイウェイ』を聴いてなんとなく察しました)。

 

ウーファー - Wikipedia

 

なにもいきなり好きになったというわけではありません。どちらかというとそのトゥーマッチな圧のある口語文体や奔放な展開(いわゆるスリップストリーム)に食傷気味になったほどです。そのくせ地元の図書館で借りたい本が見つからないときなど、なんとなく舞城王太郎著作を手に取ることが何度かありました。『熊の場所』、『阿修羅ガール』……。ひー!面白いけどついていけない!そう思ってまたしばらく間を空け、卒業間近、進路が決定したことでなにかまた読もうかな。そう思って芥川賞候補にもなった『好き好き大好き超愛してる。』、続いて短編集『スクールアタック・シンドローム』を購入しました。『スクール~』に収められている文庫用書き下ろし短編『ソマリア、サッチ・ア・スウィートハート』を読んだ僕は、そこで初めて自分の中で舞城王太郎という作家がなにかしらの位置を得た気がしたのです。チンポジのように。

 

スクールアタック・シンドローム(新潮文庫)

 

舞城王太郎の小説に関して言うと、なんだかんだ物語が帰結する先が「愛」とか「正しさ」である点が好きでした。そしてその結論に至るまでの「熟考」。とにかく「考えろ」という至上命題がそこにはあって、読み手は登場人物の目まぐるしい思考にライドします。そのテーマが極限まで達したのがSF長編『ディスコ探偵水曜日』なのではないでしょうか。はっきり言ってマラソンのような読書体験でしたが、そのキツさこそが「考えるのをやめるな」というテーマをより鮮烈に表現していたように思います。

 

僕は舞城の書く短編も大好きです。舞城の書く短編は、ひとつのテーマに向かって半ば過剰にも思えるほど、システマティックな構成で見せる物語が多い気がします。一番新しく発表された短編集である2013年の『キミトピア』では、書き下ろし作品も多数収められていて、たいへん充実した内容となっていました。しかしその一方で、『真夜中のブラブラ蜂』という短編を読んで、舞城の伝える「正しさ」に胸焼け、並びに懐疑的な思いも抱くようになってきたのです。もっと正直に言えば、主人公である主婦がウザいババアにしか思えなくて、いやだ~!でも物語的にこの人物を肯定しなきゃ……と勝手にこしらえた義務感との間で葛藤し、ひとり混乱していたのです。お恥ずかしい。僕のそういう衝動は衝動としてまた別の機会に考えなければならないものだと思います。

 

2017年になってまだそう経ってはいませんが、舞城は新作短編を発表しました。新潮 2017年 02 月号に掲載された『秘密は花になる。』です。その冒頭を読んだ僕は、また『真夜中のブラブラ蜂』っぽい話か!?と少々身構えてしまいました。子を持つ母親の話です。しかし今回は、どこか趣が違う。なんなら『真夜中のブラブラ蜂』や『やさしナリン』(同じく『キミトピア』収録)なども孕んでいた「圧の強い正しさ」へのセルフアンサーとも取れるような読後感がありました。まだ読んで日が浅いので咀嚼しきれていない部分も多々ありますが、「正しいかどうかより、考えること自体に用がある」という、なんだかんだいつもどおりの着地な気もします。そんな体幹のしっかりした舞城ですが、今年は『龍の歯医者』というアニメの原作・脚本を務めるらしいです。精力的でびっくりしますが、そろそろまた暴力的でアッパーな小説も書いてほしい気もします。待ってます。

 

 

P.S.

東出昌大似であることがだんだん気にならなくなってきた中条あやみさんですが、本名は中条あやみポーリンというらしいです。そこから派生して「ポーちゃん」と呼ばれているんだとか。なんだかジャッキー・チェンみたいですね。それではまたお会いしましょう。さようなら。 

 

ディスコ探偵水曜日〈上〉 (新潮文庫)

ディスコ探偵水曜日〈上〉 (新潮文庫)

 

 

キミトピア

キミトピア

 

 

2016年公開映画ベストワーストいろんな賞

 

 

【2016年公開映画ベスト10】

 

   1位 ボーダーライン

 2位 デッドプール

 3位 この世界の片隅に

 4位 アイ アム ア ヒーロー

 5位 映画 聲の形

 6位 ドント・ブリーズ

 7位 永い言い訳

 8位 ヘイトフル・エイト

 9位 マジカル・ガール

  10位 COP CAR コップ・カー

 

 

ベスト10選評

 
10位:『COP CAR コップ・カー』

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 なんにもないド田舎で繰り広げられる悪ガキ二人と汚職警官の攻防。些細な思いつきでも招く結果はしっかり凄惨。それでいて、ドライなテンションの果てに待つあの街の景色には強く胸を打たれます。創り手の眼差しに、かっこいい優しさがあったもんだと胸がいっぱいになりました。

 

 

9位:『マジカル・ガール』

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怖い夢を見て目覚めた夜、なんでもない暗がりに気配を感じたりする全自動想像力というものが僕らにはあるので、気にもとめなかった会話、ちょっとした仕草、あのドアの向こうに各々の絶望を見る。雨の有楽町で溜息が漏れるほどの不穏を味わいました。最高です。

 

 

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 長い長い映画だけど、ラストで味わうあの突き抜けるような感動は何なんだ。なんかもういろいろあったし、超疲れてるからいがみ合う体力もねえや、みんなおつかれ!という境地に観客を連れて行ってくれる、心洗われるような一本。大好きです。

 

 

 

7位:『永い言い訳

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「空っぽな人間」だからなんだってんだ。誰かにとっちゃどうでもいい。そんな誰かに触れることで、義務めいた雑念なんて一蹴できるかもしれない。そこから始まる何かがあるかもしれない。身につけた自己嫌悪なんて脱ぎ捨てて、いまそこにいる人たちと生きてみようと思えてくる一本。

 

 

 

6位:『ドント・ブリーズ』

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これを作ったことがもうかっこいい。そう思わせてくれる映画が今年は何本かありました。本作もそのなかのひとつ。 与え楽しませるのも技術で、その技術がスマートでありながらも、時に身の毛もよだつような逸脱まで見せてくれるのであれば文句なしでしょ。ということで最高に楽しんだ一本。超キモかった。

 

 

5位:『映画 聲の形』

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原作漫画にいたく感動した身としては映画『たまこラブストーリー』 を撮った山田尚子が監督を務めるという前情報で期待を大きくしていたのですが、いやあ、良かったですね。めちゃくちゃ居た堪れなくて。鑑賞時、とんでもなくささくれだった気分だったのに、気がつきゃ夜の池袋をズンズン歩いていました。僕も落ちていく誰かに手を出す勇気がほしいし、落下する僕を見てそう思う誰かがいてくれたらどれだけいいかとも思う。

 

 

4位:『アイ アム ア ヒーロー』 

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 漫画原作が完結していないのに映画化なんて尻切れトンボになるか続編つくるかのどっちかじゃん……と思って鑑賞したところ、非常にガッツ溢れる傑作でした。タイトルにテーマを絞るという英断。僕らの見知った「日常」の崩壊。なかなか火を吹かない猟銃。大泉洋の背中の眩しさ。なめててごめんなさい。最高でした。

 

 

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これも『ドント・ブリーズ』と同じで、物語の中身もさることながら、これを創りあげ、世に出したことそのもののかっこよさを感じた一本。当時の世界を描き、笑って怒って泣いて笑う。そんな日々の営みすべてに慈しみを持って触れたような感覚。膨大な情報なのに、圧があるのに、ずっと優しいままのその佇まいは畏敬の念を覚えるほど。能年玲奈の演技も含めてあまりにもたくましい映画だと思います。 

 

 

2位:『デッドプール

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不謹慎なふるまいもたまにすべる軽口もすべてがいじらしい。僕は誰よりも照れ屋なデッドプールが大好きだ。 好きな人と好きなところで幸せになってほしい。いや、なるべきだ。邪魔する奴はひとり残らずぶっ殺せ!

 

 

1位:『ボーダーライン』

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 私利私欲と際限のない暴力がひとつの機関となって回り続ける麻薬ビジネス。その渦中に放り込まれたFBI捜査官の視点で描く「狼」どもの世界。めそめそ泣こうが誰も相手にしない殺伐と、美しい撮影、わかりやすいのに重厚な演出など、ゾクゾクがおさまらない強烈な一本。ベネチオ・デル・トロの暗くて深いあの瞳が、銃口のようにこちらに向けられていて、ずっと気が気じゃなかった。

 

 

 

いろんな賞

 

【ベストガイ賞】

『映画 聲の形』より

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永束友宏(CV.小野賢章 

出てくるだけでもう泣きそうになります。『シークレット・サンシャイン』ソン・ガンホもそうですけど、無邪気でちょっと鬱陶しいけど、それでもそばにいてくれる誰かって最高ですね。

 

 

 

【ベストガール賞】

 

セーラー服と機関銃-卒業-』より

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星泉(橋本環奈)

 

 

この世界の片隅に』より

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浦野すず⇒北條すず(能年玲奈⇒のん) 

 

細かいことは下に貼った過去記事でも述べているのですが、ベストガールに選出させていただきましたこのお二方、実を言うと「まあまあやれてたらそれでいいかな」というどうしようもなく失礼な態度で臨んでしまったキャラクターでもありました。でも!バカが!演じる彼女らのポテンシャルを見誤った自分の薄汚い心に蹴りを入れ、この場で心より感謝の気持ちを伝えたいと思います。橋本環奈はその勝気な性格をうまく取り入れ、薬師丸ひろ子版とは一味違う星泉を演じきっていました。そしてのんこと能年玲奈も、キャラクターのちょっとした感情の機微まで大切にすくい取り、「ぼーっとしている子」の胸の内まで見事表現しきっていて打ちのめされてしまいました。本当にありがとう。ふたりとも来年も大暴れしてくれ。

 

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【ベストビッチ賞】

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デイジー・ドメルグ(ジェニファー・ジェイソン・リー 

ジェニファー・ジェイソン・リーってほうれい線と顎の突き出し方がたまらないですね。騒ぐたびぶん殴られる、というシーンでも悲壮感がない、最後まで憎たらしいキュートな役でした。

 

 

 

【ベストタンクトップ賞】

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この肩幅と二の腕!

 

 

 

【ベスト無職賞】

『オーバー・フェンス』より

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白岩義男(オダギリジョー

函館で失業保険を頼りながら職業訓練校に通う男。なにもない部屋。ビール2缶とコンビニ弁当。地味な色のポロシャツ。夏の函館を彷徨うその姿は、どうしてあんなにも色っぽいのでしょうか。なめた態度の若いおねえちゃんたちに静かにキレる場面もグッときます。僕も夏の函館で無職として過ごしたい。そんな憧れを抱かせてくれました。函館いきてえ。

 

 

 

【どうしようもないクズ賞】

軽薄で卑怯で欲望に従順な虎の威を借る大馬鹿野郎。目の当たりにした「暴力」に興奮したこいつが商店街で暴れだすシークエンスでは不快度が天を突くようでした。しかも下の下としか言いようのないあんな行為まで……。それにしても樋口毅宏『テロルのすべて』 でもそうだったけど、キャラクターの大衆的浅薄さを表現するアイテムとして『ONE PIECE』 を使うという手法がここでも見られましたね。13巻でルフィがギャグとしてゾロを殺しかけるまではめっちゃ面白かったよ……。

 

 

 

【ベスト有村架純賞】

アイアム ア ヒーロー』より 

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早狩比呂美

にゃーん!

 

 

 

【ワースト有村架純賞】

『何者』より

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田名部瑞月

ベストの『アイアムアヒーロー』とワーストの『何者』ですが、有村架純の使い方で言えば「別にどちらも似たような感じだった」と思う方もいらっしゃるかもしれません。ぜんぜんちげえよ!個人的な所感として『アイアムアヒーロー』の場合、作り手が有村架純になにをさせたいか、なにをさせたら楽しいかを試みていた感じがあったので、観ていてたいへん気持ちよかったです。なんだかよくわからない「正しさ」を担わせる道具としての、がらんどうな有村架純なんて観たくありません。猫パンチで『ロボコップ3』 の忍者ロボットみたくさせてやる!

 

 

 

【ベストエンディング賞】

『貞子vs伽椰子』

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あの切れ味。劇場からは自然と笑いが沸き起こり、みな爽やかな気分で席を立つことができました。聖飢魔Ⅱの『呪いのシャ・ナ・ナ・ナ』も最高。

 

 

 

 【皆殺し賞】

アイアム ア ヒーロー』の地下駐車場

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守ることを決意する場面だけではよしとせず、「守り抜く」その過程を気の遠くなるような発砲、リロードで描ききった姿勢に感動。飛び散る血しぶきがこれまた景気よくとても良かったです。

 

 

 

【ベスト楽曲賞】

『貞子vs伽椰子』より

聖飢魔Ⅱ『呪いのシャ・ナ・ナ・ナ』

www.youtube.com

あの爽やかな余韻に一役買っている名曲。

 

 

デッドプール』より

DMX『X Gon' Give It To Ya』

www.youtube.com

笑っちゃうくらい過剰なオラオラ感がデッドプールのチョイスっぽくていいですね。

 

 

この世界の片隅に』より

コトリンゴの楽曲全部

www.youtube.com

映画の血肉となる素晴らしさだったと思います。

 

 

『何者』より

中田ヤスタカ『NANIMONO(feat.米津玄師)』

www.youtube.com

げー!『何者』っぽいな〜!という感じがちゃんとしていて良いと思います。

 

 

 

 

【ベストガン賞】

 

アイアムアヒーロー』の猟銃

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悪の教典』に続いて物語を加速させる装置としての猟銃メソッドを活用した新たなる傑作が生まれました。こちらの相手はゾンビなので、その威力を過剰なまでの弾着効果で表現してくれていたのでたまりません。 

 

 

『ボーダーライン』のアサルトライフル

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アサルトライフルが怖い映画は傑作」というセオリーがあるのですが、たまにサブマシンガンと大差ないような描き方をしている映画が出てくるとモヤモヤします。 『ボーダーライン』のアサルトライフルはしっかり命を奪う道具としての鋭利さを損なわない演出がなされていました。怖いですね〜。

 

 

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 薬莢に「50AE」と刻印されてあったので50口径のデザートイーグルっぽいです。パワー系ですね。これを好んで2丁使うあたりもヒーローものの醍醐味を感じます。

 

 

『COP CAR コップ・カー』のアレ

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UZI系列のなにかだろうと思っていたのですが、こういう空砲銃らしいです。 悪くないですね。

 

 

 

 


 

 

 

【2016年ワースト映画】

膨れに膨れ上がっていた期待値とのギャップにぶん殴られた一本。登場人物同士のやり取りも繰り広げられるアクションも「え!」というくらい心弾まなかったです。自分は映画を観ながら感じる「もったいない」という感情に耐えられないんだなという自己覚知を得られました。スリップノットは面白かったです。 

 

 

 

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洒落臭さにくじけた一本。柳楽優弥はとても良かったのだけど、演じるあのキャラクターや物語がぜんぜん魅力的に思えなくて、映画内のテンションが高まるにつれ、自分の感情とみるみる乖離していくのが寂しかったです。こういう話だとどうしても『ザ・ワールド・イズ・マイン』を連想してしまって、割り切るべきなんでしょうが比較をする自分がいました。一言で言っちゃえば菅田将暉のこともちゃんと殴ってほしかった。その一方で菅田将暉はとても良かったですね。本当にそういう人間に見えてきました。

 

 

 


 

 

2016年も多くの映画に出会いました。はっきりいって観た本数で言えば去年や一昨年よりも下だとは思いますが、それでも充分いい映画ばかり観たなあといった感慨でいっぱいです。また新しい年が始まります。何を楽しむにも一定の余裕というものが必要なので、それを維持・向上させつつ、やれアクションがかっこいいだの俳優が好みだのをこれからも言い続けていけたらなと思っております。

 

それではみなさん、良いお年を!

 

 

 

 

 去年のベスト10です ↓

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一昨年のベスト10です ↓

sakamoto-the-barbarian.hatenablog.com

 

 

 

 

何が欲しいのかを忘れないために記す

 

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貧乏はするもんじゃねえ。味わうもんだ。

五代目古今亭志ん生

 

 

2016年も残すところあと半月未満。みなさまいかがおすごしですか。ご機嫌はいかがでしょうか。僕はすこぶる悪いです。慢性的なお金のなさにどう立ち向かうかを考えているからです。「節約」や「我慢」が真っ先に浮かんできますが、それがもう情けない。「手に入れる」方に思考が向かわないのかと、自分が嫌になります。ということで、そんな自分を鼓舞するためにも、何が欲しいのかをリストアップすることにしました。やる気が萎れてきた時などに、この記事を振り返ることで気持ちを維持できるかもしれない。そんな期待があるのです。

 

ほしいものリスト

 

・冷蔵庫

部屋にありません。冬場なのでまあいいかと思ってはいますが、あると便利だとも思います。

 

・電子レンジ

これも部屋にありません。あると便利ですよね。

 

・ガスコンロ

これもありません。現在は代用品として電気鍋で調理をしていますが、よくブレーカーが落ちます。

 

・深剃りのできる電気シェーバー

髭が濃いのでほぼ毎日剃りたいところなのですが、冬の朝にカミソリで肌を削る日々にいくばくかの苦痛を覚え始めてしまいました。髭が濃いのが悪いのか、貧乏が悪いのか。この世界が悪いのです。

 

・テレビのリモコン

まったく反応しないやつならあります。反応するものがあると便利だからです。

 

・新しいメガネ

左右の視力に差があるので、左右でレンズの厚さが違うメガネをかけています。レンズの厚さを同じにするにはお金が必要だと言われたので、いつの日か、左右のレンズが同じ厚さのかっこいいメガネを調達したいです。フレームの太い大学生や日焼けした起業家のようなメガネは嫌なので、すっきりしたフレームの大人っぽいものだと、よりいいですね。

 

・GUのチェスターコート

GUじゃなくてもいいのですが、GUのチェスターコートが安かったからです。

 

・新しい靴

雨の日には、底の方から水が入ってくるからです。

 

・新しいパソコン

USBの差し込み口がなんの反応もみせなくなったので、スマホ内データのバックアップにも使えません。大学時代からの愛用品なので、キーボードの使い心地は最高です。

 

・新しいスマホ

iPhone5Cを使用していますが、画面が激しく損傷し、電池のもちもとても悪いです。寒い日などは、使用中に落ちることも増えてきました。

 

・腕時計

スマホあるからいいか」と思っていたのですが、スマホの画面が割れています。

 

・ソファー

あればいいなとたまに思います。

 

・本棚

そもそもあまり本を持っていないので必要がないといえばないのですが、ほしいです。

 

・いい香りのする芳香剤

いい香りのするものが好きだからです。

 

・自信

むかし持ってたような気もするのに、どこを探しても見当たらないからです。

 

・ギャツビーのヘアジャム

最近切らしたからです。ワックスより伸ばしやすいので気に入っています。

 

・『のん、呉へ。2泊3日の旅』

この世界の片隅に』での彼女の演技にいたく感動したこともあって、ぜひ読みたいですね。

 

・HK45 18歳以上用ガスブローバック

 近所の公園に青姦カップルが出没するのです。

 

・HK416Cカスタム 18歳以上次世代電動ガン

必要だからです。

 

 

 

 ざっと思いつくままに列記してみました。細かく計算はしていないのですが、100万円ほどあればすべて揃えることができると踏んでおります。100万円あればほしいものを揃えるだけじゃなく、久しぶりに友人らと会い、お酒を飲んだりすることもできそうですね。そんな日々はきっと、とても楽しいものだと思います。

 

 では、いったいどういったことを為せば100万円を手に入れることができるのでしょう。思い立った僕はいろいろと調べることにしました。手に入れる方法まで書いて初めて、上記の品々が「夢」ではなく「目標」になるのだと思います。以下、みなさまも参考までに。

 

 

100万円を手に入れる方法

 

太宰治賞を受賞する

太宰治賞

賞金100万円がもらえます。

 

北日本文学賞を受賞する

北日本新聞ウェブ[webun]:第50回北日本文学賞

賞金100万円がもらえます。

 

・九州佐さが大衆文学賞を受賞する

佐賀新聞ニュース/The Saga Shimbun :九州さが大衆文学賞

賞金100万円がもらえます。

 

・伊豆文学賞を受賞する

静岡県/しずおか文化のページ/伊豆文学フェスティバル/第19回伊豆文学賞募集要項

賞金100万円がもらえます。

 

・内田百聞文学賞を受賞する

岡山県郷土文化財団|内田百閒文学賞

賞金100万円がもらえます。

 

・やまなし文学賞を受賞する

やまなし文学賞 | 山梨県立文学館 | YAMANASHI PREFECTURAL MUSEUM of LITERATURE

賞金100万円がもらえます。

 

林芙美子文学賞を受賞する

第3回林芙美子文学賞募集要項 : 北九州市立文学館

賞金100万円がもらえます。

 

・北区内田康夫ミステリー文学賞を受賞する

募集要項|東京都北区

賞金100万円がもらえます。

 

・ちよだ文学賞を受賞する

千代田区ホームページ - 第12回ちよだ文学賞募集の概要

賞金100万円がもらえます。

 

文學界新人賞、群像新人文学賞新潮新人賞のうち、ふたつを受賞する

文藝春秋|雑誌|文學界_文學界新人賞原稿募集

群像

新潮新人賞 | 新潮社

三つとも賞金が50万円の文学賞なので、このうちふたつを受賞すれば100万円が手に入ります。

 

 

 

簡単にいくつかを挙げてみましたが、世の中にはまだまだたくさん100万円を手に入れる方法があります。これらを参考にしながら、より快適な生活環境を整えていけたらいいですね。そのためにも過去に蹴りを入れ、まだ見ぬ未来の胸ぐらを掴め。腹を空かせた猛虎の瞳。見えない膜を切り裂き、開け。眩い腸で暖をとるべし。

 

 

 

 

 

 

書き下ろし短編:『水泡にキス』

「え? コスプレイヤーの陰毛?」
 ひなこの第一声に驚愕したぼくは、思わずその言葉を声に出して繰り返す。網の上で焼けていくカルビからは煙がもうもうと立ちのぼっているが、その向こう側で彼女が「うん」と頷く。ひなこはつい先日、駅前を歩いているときにコスプレイヤーを見かけた。その人物はセーラー服を身につけていたが、どこからどう見ても現役の女子高生には見えなかったそうだ。彼女いわく、化粧の仕方でだいたいわかるもの、らしい。遠巻きにその女の子を眺めていると、ひなこは不意に自分が何をしようとしていたのか思い出せなくなったという。
「駅前を歩いていたんだから電車に乗ろうとしていたんじゃないの」
 シーザーサラダを食べながら言うぼくだったが、その態度に自分が軽視されている雰囲気を勝手に感じ取ったひなこは、むっと膨れて首を振る。
「ちがうよ。そのときは駅から出てきたばっかりだったの。でね? なんだっけなあ、どうしよう、わかんないなあと思っていたら、ふとそのコスプレイヤーと目が合ったの。で、その瞬間、あれ? って思ったの。そういえばそのコスプレイヤー、さっきからずっとそこに突っ立ってるだけなの。なにかしてるってわけでもなく、近くにカメラ持ってる人が居るとかでもなくよ? そんでわたしこう思ってね、ああ、なんか魔法っぽいことされたのかもしれないって」
「ああ」
「魔法は言葉の綾だけども。だってよく考えてみてよ。そこは人ごみです。大勢の人が行き交っている中で、ひとり、違和感をまとった人物が立っています。それもみんながみんな気づく違和感じゃなくて、わかる人はわかるって程度のね。それにうっかり気づいてしまった人は、なんだろうって考えちゃうじゃない? 変だなって。何が変なんだろう。ああ、やっぱり変だって」
「うん」
「そうやって急にいろんなことを考えさせられるわけじゃん? そしたらね、脳がパニックを起こすと思うの。それでね、混乱したわたしの頭は、わたしが今からしようとしていたことを一旦どっかにやっちゃったのよ」
 トングでつまんだカルビを裏返した。「うん。それでそれで?」
「そういうことって、でもたまにない? 普段から冷蔵庫開けてあれ、なにとろうとしたんだっけ? ってなったり。まさにわたし、あんな感じだったんだけどね。でも気になったのはそのコスプレイヤーよ。わたし思ったの。そいつ、わたしに混乱を招くためにそこに立っていたんじゃないか、って」
 ぼくは眉間にシワを寄せる。「このカルビ食べていい?」
「うん。で、わたし慌てて周囲を見渡してみたの。そしたら、歩いている人たちの中にちらほらわたしみたいに狐に包まれたような顔をしている人がいたのよ。で、もう一回コスプレイヤーの方を見てみたの。そしたらね。いなくなってるの」
「ええ? まってまって、ちょ……ええ?」
「わたし、もしかしたらって思ったのね。これは、そういう実験だったんじゃないかって。わたし、なにかとんでもないものに巻き込まれたんじゃないかって」
「で、結局ひなこは何をしようとしていたのか思い出せた?」
「ああ、それはしばらくしてから思い出した。トイレに行こうとしてたのわたし。おしっこしたくて」
「ちょっと待った、生理現象を忘れてたってこと? だって尿意だぜ?」
 驚きを表明したかったので「ありえないよ!」と叫びながら両手を広げてみたら、テーブルの端の方に寄せていた紙ナプキンの束を吹き飛ばし、床の上に散乱させてしまった。
「だからこそだよ。やばくない? 政府とか関わってたりして。ほら、口裂け女の都市伝説ってCIAが情報の広がるスピードを調査するために流したって説あるじゃん? 一節では噂の広がる速度は時速四十キロくらいらしいけどね。まあいまはこれ関係ないんだけど、ちょっと陰謀史観入ってるかなあ?」
「え? 陰毛歯間?」
 床の上の紙ナプキンを拾っていたせいで最後のほうが上手く聞き取れなかった。つい聞き返してしまうぼくだったが、一通り話し終えて水を飲んでいる彼女にその声は届かなかったらしい。結局コスプレイヤーの陰毛がどういうことなのかもわからず終い。最後の方に関しては、陰毛で歯の隙間を掃除する話に着地したようにも聞き取れた。
「なんだか大変だったみたいね」
「うん、いやまあ、べつに大変ってほどではないけど」
「健忘症なんじゃない?」
「あ、ひどーい。違うわ」
「でも不思議な話だよなあ」そう言うぼくはすべての紙ナプキンを拾い終え、再びシートの上に戻る。ふと斜め前の四人がけの席にてひとりで食事をしている高齢男性が目に入った。焼けた肉を黙々と皿の上に盛り、山のようになったところで今度は黙々と食べ始める。ぼくの記憶が定かなら、ぼくらがこの店を訪れたときからあの席に座っていたはずだ。見た感じ太っているわけでもなく、強く押せば死んでしまうんじゃないかと思うくらいには平均的な高齢者に見える。しかし、肉を口に運ぶペースが一定で乱れがないうえ、皿が空くたびに新たな肉を調達しにバイキングコーナーへと向かう姿を見るに、相当の大食らいであることが想像できた。それともよほど空腹なのだろうか。高齢者が空腹ということは、家族から満足に食事も与えられていないのかもしれない、とぼくは思う。高齢者虐待は、我々が思っている以上に身近で深刻な問題だ。
「で、歯がなんだっけ?」
「んあ?」肉を頬張っていたひなこが目を見開いてみせる。
「だからほら、最後の方で歯の隙間を陰毛でどうのこうの言ってなかった? それがコスプレイヤーの陰毛ってこと?」
「え? 陰謀の話はしてたけど、ちょっとなに言ってるかわかんないな。歯ってなに? あ、待ってね、そういやわたし次の歯医者さんいつだっけ?」
「まさか……また忘れたとか?」
「あれ? 木曜? ちょっと待ってよ、あれ~? さっきあんな話をした矢先にこれじゃあちょっと怖くなるじゃん。あれえ?」
「健忘症だよ」
「だからやめてよ、たまたま物忘れに関する話題が連続しただけだって」
「なんだよ! そっちは政府がどうのこうの言ってたくせに、ぼくの言ってることは取り合わないのかよ! 健忘症の方がよっぽどリアルだぜ!」
「いや水曜だったかなあ? うーん。もう降参。スマホで確認しちゃお」
「普段から脳を甘やかしてるからだよ。政府のせいにする前にちょっとは自分で頑張ってみろってんだ」
「はいはい。あ、なんだやっぱ木曜じゃん」
「情けないね、まったく」
「うるさいなわかったから。あ、これ焼けたよ」
「ふん。ありがとう」
「ふふふ。ちゃんとありがとう言えたね、えらいねえ」
「育ちがいいからな」
 ぼくは皿にのせられたハラミを箸でつまんで口に運ぶ。咀嚼をしながらもう一度斜め前の席に座っている男性に目をやった。ひなこの健忘症から連想して、ぼくはその男性が認知症を患っているのではないかと考えてしまう。認知症の症状の一つとして徘徊が挙げられるが、男性は先程から皿に肉を盛って戻ってきたかと思うと、取りつかれたように再び新たな肉を調達に向かうのである。いくら大食らいであるとは言え、あの量を一人で食べられるとはとても思えない。彼自身の判断能力に任せることで自分が悪しき傍観者に成り下がってしまうかのような、居心地の悪い不穏さがその光景にはあった。
「そうそう。それでね。なんかわたし歯垢が多いんだって」
「恥垢?」
「うん。だから今度その除去に行くんだけどね」
「え、そうなんだ……がんばって……」
 現在、我が国における認知症患者数は約四六二万人だと言われている。
「歯はやっぱり大事だよ。8020運動って知ってる? 八十歳までに歯を二十本残そうって運動ね。歯がないとまず食べられるものが限られてくるでしょ? こうやってお肉を食べるのもままならなくなったりしてね。そしたら栄養も偏ってくるよね。何一ついいことないんだよ。あとね、脅すつもりはないんだけど、歯周病で死ぬこともあるんだってよ」
歯周病で? たまったもんじゃない!」
「でしょ? 歯周病が悪化すると歯周病菌が血管の中に入り込んじゃってそこに血栓を作るらしいの。そしたら血管が詰まって心筋梗塞になることもあるんだって」
 男性はまた黙々と肉を口に運んでいる。あの虚ろな目。周囲のことなどもはや意識の外にあるとでも言わんばかりだ。ぼくは頭を振って意識を目の前のひなこに向ける。彼女は先程からぺちゃくちゃぺちゃくちゃしゃべり続けているが、驚くほど頭に入ってこない。あの高齢者が次にどんな行動に移るのか、またその結果、店内にいる他の客がどのような反応を示すのか、ひなこでさえも黙るのか、すべてを同時に考えてしまっている。普段ならひなこが公共の場で下品な話を始めようものなら鋭く制止し、「ここは実家か」との強烈な一言で沈黙を強要してみせるのだが、今のぼくは明らかに動揺している。ぼくとしたことが……なんて思う一方で、先ほどひなこの話していたコスプレイヤーのことをふと思い出してしてしまう。

 まさかあのジジイ……。

「でね、一度歯を磨いたあとに、そのまま普通に生活するでしょ? そしたら九時間後、口内の虫歯菌は約三十倍にも増殖しているんだって。だから歯を磨き忘れるって、実はかなりやばいことなんだって。口臭の原因にもなるしね。口臭といえば、それは歯周病が進行しているというサインでもあるから、本当はちゃんと言ってあげたほうがいいんだよね? でも難しくない? あなた口臭いですよとは流石に言わないとしても、歯周病とかチェックしてみたらどうですか? って言われてもさ、あ、じゃあわたし口臭かったんだって遅れて気づくだけダメージでかい気がしない?」
「なるほど」
「なにがなるほどなのよ。よく考えてみてよ。だって遠まわしに言われた方がつらいことって世の中あるじゃん? 例えばそうだね、まあいまはなにも思いつかないけど、臭いに関しては全般きついよね。そうそう、わたしの高校のころの現文の先生がさ、キモイよりクサイの方が人を傷つけるんだって言ってたよ。なんかいまふと思い出しちゃったな」
「なあ、ひなこ」
「ん? この肉食べていいよ。わたしちょっと休憩」
「聞けって。ひなこの斜め後ろの席におじいさん座ってるのわかるだろ? あ、ばか、振り返るなよ」
「え、なになになに。なんなの。その人がなに?」
「いや、べつにこれといってどうって話でもないんだけど、もしかしてと思って」
「え、芸能人?」
「違うよ。さっきひなこ、駅前で見かけたコスプレイヤーの話してただろ? ほら陰毛がどうのこうのって」
「ああ、陰謀ね。それがどうした?」
「ぼくもね、あの話聞いてたときはいまいち想像できなかったんだけど、なんかちょっと分かる気がするんだ。というのも、あのおじいさんを見てるとちょっと変でさ。ずっと肉食ってるの」
「うちらもそうじゃん」
「もっとずっと食ってるの。もうずっと。ひなこがいろんな話してる間もおれずっとその食べっぷりに圧倒されててさ。ひなこの話ぜんぜん頭の中に入ってこないの。もうほんとうに集中できない。集中できないのにどんどんガーガー喋ってるから、しまいには殺したくなってきたんだけど」
「言ってよ」
「いや、男にはよくあることだよ。それで本題はここからなんだけど、あのおじいさん、もしかしてひなこの話していたような、実験を行っている人なのかもしれない」
 しばらく目を伏せて動かなくなったひなこが、はっとした表情をする。
「どうしよう」
「いや、どうせ害はないんだろうから、ほうっておけばいいんだろうけど」
「でもわたしに続いてタツヒコまで実験の対象になるって、やっぱりなにか理由があるんじゃない? どうしよう、なんかやばいことに巻き込まれてたら……」
「いいから落ち着けよ。気づいたことを勘付かれるのが一番危険な気がする」
 ぼくとひなこは静かに肉を焼き、静かに肉を食べた。さっきまでの饒舌さはどこへやら、ひなこはお葬式のような面持ちだ。お葬式といえば人の死だが、そもそも人の死とは、往々にして突拍子もない訪れを見せるものだ。ぼくらの生活とは、日々その可能性を孕みながら流れていくのである。こうやってひなことぼくが立て続けに奇怪な行動を見せる人物と遭遇している現状、思考の混乱、得体の知れない恐怖だって元をたどれば、ぼくらがいつ死に見舞われるかわからないという無邪気で残酷な可能性に喚起される至極原始的な感情なのかもしれない。ぼくはひなこを見つめる。ぷるぷると震えながら肉を食むその姿は、ぼくをより不安にさせる。それは逆説的に、彼女とのこの時間、この日々を奪われたくないという確固たる証左なのだ。ぼくは彼女と明日も明後日も楽しく、温かく、にこにこ笑い合って生きていきたい。同じ時間を共有したい。そう思った途端、ぼくは伏せた両の目が熱を帯びていくのを感じる。ああ、そうだ。ぼくはもっと彼女の話を真剣に聴いておけばよかったのだ。審判的態度をとらず、感情表現を意図的に促し、ふたりの時間をより心地のいい、かけがえのないものにするべきだったのだ。ごめんよ、ひなこ。ぼくは声を出さずに彼女に語りかける。彼女は肉を咀嚼する。ひなこ。君が肉を噛んで、ああ美味しいと思ってくれているのであれば、それ以上の幸せなんてない。余計な不安に晒されることなく、心地のいい場所で風に吹かれていてほしい。どうかこのぼくに、そのお供をさせてはくれないだろうか?
 ぼくはサラダ用に取っておいたフォークをズボンのポケットに忍ばせる。手は震えているが、声はなんとか抑えることができた。
「ひなこ、動揺せずに、聞いてほしいんだ」
 彼女は噛み切っている途中の肉を口にぶらさげながら肩をこわばらせる。
「んん……?」
「ひなこの言うとおりかもしれない」
「やめてよ、どういうこと? こわい、ちゃんと説明して」
「落ち着いて。動揺せずに」
 コスプレイヤーの陰毛。
 高齢者問題、認知症
 歯。
 愛。
 ひなこ。
 ぼくは微笑み、ひなこの震える手を握る。

「ひなこ。愛してる」

 ぼくは席から立ち上がり、依然として肉を口に運び続けている虚ろな目の高齢男性に歩み寄る。
 ポケットの中のフォークを強く握り締めながら。
「タツヒコ!」
 ひなこの呼ぶ声がする。でもぼくは振り返らない。
「あの、すみませんが」
 そう声をかけた瞬間、ぼくの声を合図としたように目の前の高齢男性が地獄の底から響くような声を漏らした。
 口から溢れる嘔吐物。
 網の上に降り注いだそれは、高熱により瞬く間に気化して立ちのぼり、その悪臭でもって店内にいるすべての者の嘔吐を誘発した。

 

 

 

 

書き下ろし短編:『上司を殺せ!』

 二杯目のビールがなくなるころになって、サカモトが「中嶋を殺しませんか?」と口に出したとき、カスガは「あ、それいいね」と間を置かずに返した。もちろん冗談だと思っていたからだったが、それは違ったし、カスガ自身、本気だといいなとも思っていた。
 サカモトはカスガの同期であったが、配属先が違った。どちらにせよ中嶋という上司との接点があった。中嶋は全体を総括する部署に在籍しており、日々あらゆる社員に罵声を浴びせていた。百歩譲るとして、そこに愛があるのならとカスガは思う。しかし中嶋のそれは衝動的な感情の暴投であり、増えるワカメに注がれる水と同じで、みんなのストレスを何倍にも膨らまし、神経を削り取っていた。
「尊敬できる人間だったら、ある程度は我慢できるんすけどね」
 サカモトは口の片端を持ち上げて力なく笑う。仕事を始めて十キロ太ったと言っていた。もともとふくよかな体型をしていたサカモトだが、ストレスの影響は明らかだった。
「あのクソ野郎、めちゃくちゃじゃないすか? 異常ですよ。おれこの前あいつが営業のアマミヤさんに話してんの聞いたっすよ。中嶋、休みの日パチンコしかやってないんすよ。あとキャバクラ。この二つしか趣味ないんですって。いやいや、あの人もう四十らしいんすよ。で、結婚もしてないし子供もいないじゃないですか。なんか若いころヤンチャしてたとかで、親ともほぼ勘当状態らしいですし、こんな話、自慢気にしますか? おまえ何歳なんだって。いつまで馬鹿な中学生みたいな精神で生きてんだって。もう絶対若い奴のこと妬んでるんすよ。いやわかんないすよ? でも潜在意識でとか、心のどこかでは絶対よくは思ってないじゃないですか? 自分には未来がないからあんなクソみたいな会社にしがみついて若い後輩怒鳴り散らしたりシカトするしかないんですよ。逆に哀れっすよ。いや、同情しないすけどね。おえ。あ、ほんとに吐きそう」
 サカモトは現在精神科に通院中の身であり、日付の箇所だけを空白にした手書きの退職届をお守りとして毎日鞄に忍ばせていると言った。カスガも中嶋のせいで、入社時より五キロほど痩せたクチだ。他のもろもろには慣れてきたというのに、中嶋に関しては一向に馴染めなかった。というのも、中嶋は罵倒による手応えを感じられなくなると、手を替え品を替え攻撃を継続する陰湿さを持っていた。こちらがうっかり麻痺した態度を見せるや否や、無闇矢鱈と机を叩いたり、椅子を蹴り上げるなどして、遠まわしな威嚇を始めたりした。
「周りも中嶋の横暴にはノータッチだもんなあ」
 カスガはジョッキの底に薄く残った黄色い液体を眺めながら、深い息を吐いた。中嶋の質の悪いところは、分け隔てなく部下を攻撃するわけではないところにあった。例えば事務のオカエという女性社員には気さくに声をかけていたし、自分を慕う者には(例えそれがまやかしの敬慕だとしても)理不尽な言動で接することはなかった。カスガもサカモトも、よりにもよって自分があんな人間に睨まれてしまったのだという事実に疲弊しているところがあった。周囲の人間との扱いの落差に打ちのめされていた。なんでおれなんだよ、ちょっと内気なだけじゃねえかとカスガは思っていたし、なんでおれなんだよ、ちょっとデブで要領悪くて汗っかきで気が弱いだけじゃねえかとサカモトは思っていた。ただでさえ拘束時間が長く激務続きの毎日だというのに、なぜあのような人間の近くで圧を感じなければならないのだという怒りと悲しみから、家具に当たったり、枕に顔をうずめて泣いたりすることも少なくなかった。
「はあ」
 サカモトの溜息を合図に、長い沈黙が訪れた。カスガはまた明日になれば中嶋に会わなければならないこと、様々な理不尽に耐えなければならないことなどを考えてうんざりしていた。サカモトは先月退職した営業のヤスダさんのこと、先々月退職したタカハシさんのことを思い出し、しんみりしていた。ヤスダさんはある日の朝、出社して早々に、会社の入口で嘔吐し倒れた。救急車で運ばれ、休職に入り、そのまま辞めてしまった。タカハシさんは神経症を発症し、休職に入り、そのまま辞めてしまった。ヤスダさんもタカハシさんも中嶋に目の敵にされていた人物だった。二人の休職を知った際の、中嶋のあの蔑むような顔を、サカモトはお風呂に入っている最中などに思い出しては、全身をこわばらせ唸り声を上げた。
 殺してやる。

 亡き二人のためにも。
 ビールをおかわりしたカスガとサカモトは、キャバクラ好きという中嶋の特性を活かして、飲みに誘い、泥酔にまで持ち込んだあと、近くを走る高速道路に高架から投げ入れ、大型トラックに轢き潰してもらう計画を訥々と話し合った。はじめこそ、酒の勢いで出た戯言のように捉えていたのだが、話が進むにつれ、ふたりはああ、これは本当に実行する他ないなあ、と思うようになっていた。

 

 実行日まではすぐだった。計画のようなものがぼんやり形づけられていくにつれ、ふたりともいてもたってもいられなくなったのだ。
 ふたりは会社の廊下やトイレで鉢合わせた際にも、会話をすることを避けて過ごした。シンプルな計画の内容などは、すべて頭の中に叩き込んであった。
 その日も中嶋は電話越しに相手を罵倒し、報告に現れたヒラヤマさんを慇懃無礼な態度で長時間に渡り“指導”した。ヒラヤマさんは先月の頭に中途採用で入ってきた初老の男性で、どう見ても中嶋より歳を召していたのだが、小刻みに頭を下げる態度や、声の小ささから、格好の餌食となっていたのだった。高齢者虐待だ、とサカモトは怒りを禁じ得なかったが、それもすべて計画実行へのモチベーションに転化した。
 その日は金曜で、中嶋がお気に入りの飲み屋に向かうことはリサーチ済みであった。カスガは作戦にあたり、自宅アパートを提供する算段となっていた。キャバクラ帰りの中嶋に偶然を装って声をかけ、飲みに誘い、タクシーに乗せて部屋まで誘い込むのだ。中嶋は後輩のそういうお誘いを自分への信奉としてごく当たり前のように捉えるであろうから、意外と有効な計画に思えた。普段からそうやって器用におべっかを使えていれば苦労しないのだが、これがなかなか難しいのであった。しかしいざ対象を殺害するとなると、人は大抵のことなら勢いでこなせてしまうようになるのだと、カスガは実感し、浮ついた。
 部屋に誘い込むことに成功すれば、あとはサカモトの出番である。大学時代に遭遇したという飲みの席での集団昏倒事件を参考に、大勢を意識不明にまで追い込んだというスペシャルサワーを中嶋に煽らせ、レンタカーに連れ込み高架まで運ぶのだ。
 すべては恐ろしいほど滞りなく進んだ。中嶋は暴力的なアルコール度数を誇るスペシャルサワーによってカスガ宅の真ん中で大の字になった。顔は部下を叱責する際と同じくらい赤くむくれ上がり、それがよりふたりを殺る気にさせた。ふと、ここまでの足取りを誰かに把握されていないかと不安に思ったカスガが、中嶋の携帯電話を取り出してあれこれ調べ始めた。そばで見守っていたサカモトだったが、カスガの顔が強張るのが見てとれた。


 中ちゃん @na_ka_chandesu 1時間前
偶然会った後輩に誘われて飲み。まさかの宅飲みという。天変地異でも起こるんじゃないか


「こいつ、Twitterなんてしてやがる!」
 カスガが叫べばサカモトも画面を覗く。「くそが……」
 アイコンは咥えタバコをした中嶋自身の横顔だった。加工までしてある。サカモトは歯を食いしばった。
「誰と会ったかまでは明言してないけど、これじゃあ計画に綻びが出てしまうな」
 不安げなカスガにサカモトはtweetの削除を提案した。確認するとフォロワーも二十名ちょっとしかおらず、彼女もおらず、家族とも疎遠なのであれば、この二十数名は会社のくだらないおべっか使いやキャバ嬢の類に違いない。いますぐ削除すれば、なにも起こらなかったことにできるはずだ。カスガは言われるまま削除をし、着ていた服で携帯をまんべんなく拭った。
「車、下まで回してきます」
 サカモトはこの日のために、三日前からレンタカーを借りていた。外に飛び出すと、眩い月が浮かんでいるだけで、表に人の気配はなかった。すべては滞りなく進む。まるでこれが神の与えたもうた使命であるかのように。世界一有名なテロリストを殺したネイビーシールズのように、おれたちが今夜中嶋を殺すのである。揺るぎのない大義に突き動かされている今、なにも怖いものはなかった。たとえ今ここで巡回中のパトカーに見つかったところで、警官たちは精悍な顔つきで敬礼をくれるはずだとすら思えた。
 ふたりで中嶋を運ぶ際も、あたかも介抱しているという体で、だいじょうぶですか、ははは、飲みすぎですよなどと、小声で囁き続けた。
「じゃあ、運転お願いね。おれ、飲んじゃってるから」
 助手席のカスガに促されるままサカモトは車を発進させる。目的地はここから十五分ほどのところだった。車内の沈黙に耐え兼ねて、ふたりは社歌を歌った。入社してすぐの研修で、喉が枯れるほど歌わされたものだ。月が綺麗だなと、カスガは思った。ふたりはどちらからともなく声を震わせ、やがて涙を流しながらも、社歌を歌い続けた。こんな歌、コブクロ以下だ! そう思っていた時期も遥か遠い。ふたりは歌いながら頭を左右に細かく振り、感情の昂ぶりを表現し続けた。あっというまに目的地の高架にたどり着く。道路脇に停車すると、ふたりはシートに頭を預け、静かに呼吸を繰り返したあと、互いに視線を交わし、後部座席に横たわる中嶋を担ぎ出すため車外に出る。会社にいるときの自分よりも、はるかに先を読めていた。はるかに能率的だった。そんな自分がとても誇らしかった。カスガが中嶋の足を引っ張り、滑り出てきた上体をサカモトが支えた。高架下では、とぎれとぎれではあるが大型のトラックが鈍い振動とともに往来している。ふたりは一旦中嶋を地面に置くと、これからこの男が有終の美を飾る道路を見下ろした。アスファルトはオレンジ色の該当に照らされ、どこか暖かな雰囲気さえある。
 ふたりしてしばらくじっとしていた。やがてカスガが「じゃあ、そろそろ」と言って腰をかがめ、中嶋の足を取る。しかし、サカモトは依然として動きを見せなかった。訝しく思ったカスガが声をかけると、サカモトは小さな声でつぶやくのだった。
「こんな時間に、みんなどこ行くんすかね」
 言葉をなくすカスガ。サカモトは迷いの滲む二つの眼でカスガを正視する。
「これ、轢いちゃったドライバーに悪くないですかね……」
「なにいってんのサカモトくん」
「だって、関係ないじゃないですか。こんな時間に運転して、頑張って働いて、家族とか養ってるんじゃないですかね」
「こんなときにやめてよ」
「人生めちゃくちゃになっちゃうじゃないですか」
 サカモトは泣いていた。鼻がつまり、ゴボッとむせた。おれたちはすでにめちゃくちゃじゃないか、とカスガは言った。毎朝起きて薬飲んで出社して、食欲もないのに冷たい弁当食べて、この男の言動に耐えて耐えて耐えて、なのに給料は雀の涙だしさ、忙しすぎて転職活動する暇もないよ、せめてほかの人間がよければとか思うけど、みんな自分が標的にならないように事なかれを貫いててさ、なんなら一緒になって陰口だって言うしさ、薬が切れれば精神科にまた行って、それをこれから先もずっと続けていくんだよ、身体が動かなくなるのを待ち続けるだけの日々なんだぜ、めちゃくちゃだよ、貯金も全然たまらないし、親は言うよ、人生設計をしっかりって、ちょっとまってくれよ、人生設計なんてさ、ある程度の土台がなきゃ考えようもないじゃん、ぶら下げられたまま殴られるサンドバッグだよ、自殺したってさ、こいつはじゃあどうなるっていうんだよ、お咎めなしじゃん、そんなの納得できないだろ、なあサカモトくん、おれたちはこいつを消すことで、ようやく次に進めるんじゃないかな、そう思ったから、今日はこうやって、ほら、もうここまできたんじゃん、いいじゃんもう、ほかの人のことなんて考えてられないよ、そんな余裕ないんだよ、もうどうるするんだよ、どうすればいいんだよじゃあ……。
 カスガもとめどなく溢れる涙に声をなくした。ふたりはそのまま昏倒した中嶋をはさんで、声を殺して泣き続けた。
「だめだできない」
 カスガの言葉にサカモトは跪いた。「ここじゃなきゃいいんですよ」サカモトは依然として嗚咽を繰り返しながら、言葉を絞り出した。
「ここで殺すのはやめましょうってことなんですよう」
 今度はバーベキューにでも誘って、大自然の力を借りましょう。泥酔させて川に放り込めばすぐですよ。サカモトの言葉に、最初からそうすればよかったねと、助手席のカスガが答えた。おれたち、仕事できねえからな。ふたりは泣きながら笑った。もうすぐ朝になる。中嶋を乗せたまま、しばらくドライブをした。サカモトは会社でのカラオケでいつか歌おうと練習していた『明日があるさ』のウルフルズバージョンを小さな声で歌い続けた。
 カスガは途中で寝てしまった。湿った瞳に、朝日が突き刺さるようだった。カスガはその後、ひどい二日酔いを訴える中嶋と丸一日自室で共に過ごした。水を与え、インスタントの味噌汁を出した。味噌汁を飲んだ中嶋は、腫れぼったい目をどろっと動かし、「なんもねえ部屋」と吐き捨てた。

 

 それから一週間も経たずにに中嶋は死んだ。
 ふたりがバーベキューに誘ったわけでも、大自然の力を借りたわけでもなかった。
 会社で、ヒラヤマさんの手によって殺されたのである。
 ヒラヤマさんは朝一で中嶋の罵声を浴びた直後、すみません、すみませんと繰り返しながら、中嶋の口に両手をねじ込み、力任せにこじ開けるとそのまま顎を上下に引き裂いてしまったのだ。オフィスは阿鼻叫喚。吹きこぼれる血がぼたぼたとタイルの上で跳ね、ハウリングするマイクのような声を上げていたかと思った中嶋も、やがてぴたりと静かになった。血を浴びたヒラヤマさんはその場に立つ尽くし、相変わらずすみませんと繰り返しながら、下顎がぼろりと垂れ下がった力のない中嶋をそっと地面に置いた。
 そこから先は誰も見ていない。避難や通報で忙しかったのである。
 カスガとサカモトは中嶋のいなくなった会社でその後もしばらく働いていたが、そもそも根本からしてずさんな労働環境であったため、ほどなくして退職。いまはそれぞれの未来を見つめて動き始めている。
 カスガは刑務所内のヒラヤマさんに何度か手紙を書いた。ヒラヤマさんのお陰で、平穏な日々が訪れました。お勤めが終わりましたら、一緒にお酒を飲みましょう。ヒラヤマさんから一度だけ、厚みのある封筒が返ってきた。そこには手紙への感謝の言葉や、ヒラヤマさんのこれまでの人生、自分の犯した罪への懺悔が、丁寧な文章で長々と綴られていた。カスガはその手紙を、久々に飲むこととなったサカモトにも読ませることにした。ヒラヤマさんはおれたちの恩人だな。感謝してもしきれないよ。そう呟いて焼き鳥を頬張るカスガだったが、サカモトがふとつぶやく。
「これ、縦読みじゃないですか?」
「え、うそ」
 カスガは身を乗り出して便箋を覗き込む。
「なんて書いてある?」

 




度、



































た。

























す。






































































す。







なっ









メッ













し、



































い。













 

 

 

 


 ふたりはしばらくじっとしたり、手紙を読み返したりして過ごした。カスガはジョッキを空にする。
「まあよくわかんないけど、ヒラヤマさんも新たな一歩を踏み出したってことだ。すごいなあ。おれたちも頑張らなきゃ」
「いやあ、ほんとそうすね」
「乾杯しようよ」
「しましょうか」
「中嶋の死に?」
「ヒラヤマさんの再就職に」
「すべての働く人々に」


 乾杯。


       ◆◆◆◆◆◆


【大阪・生野 コーヒーに農薬混入 派遣社員を逮捕】
【オフィス内で刃物振り回す 男女2名重傷 社員を逮捕】
【「部下数名に襲われた」三軒茶屋の路上で暴行 飲みの席での叱責が原因か】
【デスクにガソリン 重傷社員の遺書発見「覚悟を見せる」 三重県
【会議に猟銃 大手町発砲事件 役員2名死亡】
【逮捕社員「練馬の事件に影響を受けた」】
【特集「キレる部下・消される上司」】
【崩壊するブラック企業 増幅した殺意の発露】
【特集「伝染する暴力・オフィスアタックシンドローム」】
【社内暴力が多発 全国で1567件】
厚生労働大臣「労働環境の抜本的改善が必要」】

 

 

ドラマ版『ハンニバル』を観た(season3)

 

 

 

 

 

残酷で陰鬱でリッチなドラマ『ハンニバル』 にどハマリしたぼくは、変に間をあけてはならぬと意気込み、世に言うIkkimi(一気観)を敢行したのであった!

 

【警告】以下ネタバレあり

 

season1~2までのあらすじ

 

FBIアカデミーの講師ウィル・グレアム(ヒュー・ダンシー)は、自閉症スペクトラムの一種として異常なまでの共感能力を有していた。そんな彼の能力を買ったFBI行動分析課のボス、ジャック・クロフォード(ローレンス・フィッシュバーン)は、アメリカ各地で起こる事件の捜査協力者としてウィルの起用を提案する。しかしFBIコンサルタントで元心理学者のアラーナ・ブルーム(カロリン・ダヴァーナス)は精神的な負荷を懸念してウィルの起用に反対。そこでジャックは起用の条件として、高名な精神科医ハンニバル・レクター博士(マッツ・ミケルセン)にウィルの精神鑑定を依頼。かくして全米各地で起こる猟奇事件の捜査が始まるのだった。

 

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しかし、最強極悪サイコパス・レクターの策略により殺人の容疑をかけられたウィル。彼は拘留中の身でありながら殺人事件を解決に導いたり対レクター用サイコパスを送りつけるなどして善戦。なんとか無実も証明されて釈放となった彼は、いよいよレクターと全面戦争を始める……かと思いきや、そこに食肉加工会社を経営する変態大富豪メイスン・ヴァージャーが登場。ウィルは彼の妹マーゴを妊娠させたり、どういうわけかレクターと蜜月の時を過ごしたりと大忙し。挙句の果てにはレクターといっしょに海外へ逃亡しようとの計画も動き出す。バカ!しっかりしろよ!しかしすべてはレクター逮捕のために仕組んだ作戦だった。決戦の夜、FBI捜査官のジャックとレクターは激しく殺し合い、それを目撃したアラーナはレクターに篭絡されたアビゲイルに二階から突き落とされ、遅れて駆けつけたウィルもレクターの華麗な手さばきで開腹、追い打ちをかけるように目の前でアビゲイルの首まで裂かれてしまう。

 

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まんまと逃げおおせたレクター博士は、海外行きの飛行機の中で、かつて自らのセラピストだったベデリアと談笑するのだった……。

 

レクター逃亡編

 

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第1話『アンティパスト』

フランス・パリ。ハンニバル・レクターは身分を偽り生活していた。しかも優雅に。彼はローマン・フェルの出版パーティに出席。そこでローマンの助手だったというディモンドという青年に出会う。レクターはパーティの後、帰宅するローマンを殺害しその肝臓を食べる。

イタリア・フィレンツェ。前任者を排除することでカッボーニ宮の司書となったレクター。周囲にはデベリアを妻と説明し、高慢な教授に喧嘩を売られつつもその圧倒的知力をもって応答。穏やかな日々を過ごしていた。しかしそこで、フランスで出会った青年ディモンドと再会。協力し合えるはずだと持ちかけてくる彼を、レクターは食事に誘い、ベデリアの目の前で殺害。皮膚を剥がし、その遺体で「人間の心臓」を象ると、礼拝堂に飾るのだった。

 

おい、レクター!

ということで外国逃亡中も次から次へと人を殺し食すハンニバル・レクター。しっかり職に就いているという点からもその常軌を逸したバイタリティがうかがえます。なめた若造を殺害するまでは百歩譲るとしても、派手に装飾して人目につく場所に飾っちゃったらFBIは絶対気づくと思うんですけど、リスクをおかしてどうなるか、どう逃げおおせるかを考えるのが好きなんでしょうね。それともほかの意図が……?前シリーズのラストでめちゃくちゃにされた面々の安否が不明なのが気になるところです。

舞台をヨーロッパに移したことで全編厳かな雰囲気漂うあたりも癪に障りますね。

 

 

第2話『プリマヴェーラ目を覚ましたウィル。裂かれた腹は、レクターが致命傷にならないよう加減していたことを知る。イタリア・フィレンツェの「心臓」が飾られていた礼拝堂を訪れた彼は、これがレクターから自分に捧げられたメッセージだと察しとる。一方、イタリアのパッツィ捜査官は、レクターの犯行から20年前フィレンツェを震撼させた殺人鬼「イル・モストロ」と同一犯であると推理。ウィルに捜査協力を求める。

 

待ってました、我らがウィル・グラハム!

復活して早々にイタリア・フィレンツェを訪れ得意の見立てを披露していました。骨を砕き、皮を剥いで綺麗にたたまれた「心臓」がレクターから自分へのメッセージ。そんな彼を「許す」というウィル。なんだかラブストーリーのそれですが、アビゲイルも殺されているんだし、ちゃんと厳しく接してほしいものです。

 

 

第3話『セコンド』ウィルはレクターの故郷であるリトアニアに向かい、そこにある古城でひとり暮らす千代(TAO)と出会う。彼女はレクターの過去を知っている人物であり、地下にひとりの男を監禁している。一方レクターは無秩序モードに突入、喧嘩をふっかけてきた教授を食事に招くと、人肉を振るまい、そのこめかみにアイスピックを突き立てる。パッツィ捜査官はFBIのジャックに捜査協力を依頼し、イタリアまで呼び寄せる。

 

レクターの過去を調べるウィルの目の前に現れた千代。演じるTAOさんは『ウルヴァリン:SAMURAI』 ウルヴァリンと逃避行する女性だったり『バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生』 レックス・ルーサーの秘書を演じていた方です。ハンニバル・レクターといえばおばさんが「紫」という名前の日本人なのでその人の子供か孫か親戚とかでしょうか。

一方、満を辞してジャックの登場です。生きててよかった。元気そうなのもそうですけど、すっかり「虎の目」になっていたところも痺れますね。

イタリアに集う主要メンバー。嵐の予感がします。

 

ハンニバル・ハント編

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第4話『アペリティーヴォ』チルトン博士は生きていた。レクターへの復讐に燃える彼は、同じくレクターに顔をめちゃくちゃにされた大富豪メイスン・ヴァージャーのもとを訪れ、顔の傷を見せ合う。メイスンはレクターの情報に100万ドルの懸賞金をかけたという。コーデルという変態医師に身の回りの世話を任せ、ハンニバル狩りの用意を進めていた。同じく重傷を負ったアラーナも、レクターへの復讐のためメイスンのもとを訪れる。

 

第5話『コントルノ』ウィルは千代とレクター探しの旅に出るが、列車で移動中に彼女に突き落とされ大怪我を負う。パッツィ捜査官は大金目当てにメイスンにレクターの情報を売る。前金の条件として、レクターの指紋を持って来くるよう指示を出すメイスン。レクター博士に接近するパッツィ捜査官だが、狙いを見破られて昏睡状態に。目が覚めるとレクターに腹を裂かれ、紐で結ばれた状態で窓から落とされ死亡。撒き散らされた臓物を見下ろすレクターは、こちらを見上げるジャックの姿を見つける。ジャックの容赦なき暴力を受け、満身創痍のレクター。窓から突き落とされるが、足を引きずりつつ逃亡を図る。

 

第6話『ドルチェ』千代は単独でレクターを捜索。べデリアに接触を図り、私たちはレクターに囚われた鳥だと話す。ウィルはレクターと再開。レクターは喜びを口にするが、ウィルは隠し持っていたナイフでレクターを狙う。そんなウィルを狙撃する千代。レクターは治療に見せかけウィルを拉致すると薬を打って椅子に固定、食卓につかせる。一方、教授宅を訪問しようとしていたジャックがドアを開けると拘束されたウィル。レクターに隙を突かれ拉致されたジャックも同じように椅子に固定。ジャックの目の前でウィルの頭蓋骨を切開し、脳を披露すると告げるレクター。叫ぶジャック。

ウィルが目を覚ますと、そこはメイスンの牧場だった。

 

第7話『ディジェスティーヴォ』メイスンに買収された捜査官たちに踏み込まれたレクターはそのまま捕まる。同じく連れて行かれるウィル。残ったジャックに銃を向ける捜査官だったが、千代による狙撃で難を逃れる。一方、メイスンに拉致されたレクターは、変態医師コーデルに烙印を押され、自身の調理過程を説明される。メイスンはウィルの顔面の皮膚を自らに移植し、その顔でレクターを食す計画を立てていた。メイスン邸で再会するウィルとアラーナ。アラーナはウィルを救うため、レクターを解放する。メイスンが麻酔から目覚めると、顔面にはウィルのものではない皮膚がかぶせられていた。目の前には妹マーゴとアラーナ。ふたりはメイスンから精液を採取したことを告げると、水槽に突き落とし、ウツボに食い殺させるのだった。ウィルを連れて逃げおおせたレクター。自宅で目覚めたウィルは、そばにいたレクターに対し、「もうあなたのことを考えたくない」と告げる。その後現れるFBI。逃げたと思われていたレクターは自ら投降する。

 

レクターにひどいことをされた面々が集っての復讐大会。

金と暴力にものをいわせるメイスン。

「二度目はそうはいかない」とばかりに知略を巡らせた容赦のない攻撃でレクターをボコボコにしてみせたジャック。

肝心のウィルは……千代に邪魔されたあげくに開頭されかけ、さらには顔の皮まで剥がされかける始末(ぜんぶ未遂)。傷だらけのヒロインって感じでしたね。一連の話は映画『ハンニバル』 でも描かれていたものですが、メイスンのたどる結末に関しては原作通りみたいです。

そんなこんなでウィルにふられてしまったレクターは、ついに逮捕されます。これまでに一体何人の犠牲者が出たのやら。ここからはいよいよ映画で描かれてきたような、安楽椅子探偵ライクなレクターが拝めそうで、一安心です。

 

 

レッド・ドラゴン

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第8話『レッド・ドラゴン~序章~』

フランシス・ダラハイドという男がいた。彼はウィリアム・ブレイクの水彩画『大いなる赤き竜と日をまとう女』に並ならぬ執着を示していた。彼は自らの背中に「赤い竜」のタトゥーを入れ、乱杭の入れ歯を手に入れる。 

殺人鬼ハンニバル・レクター逮捕から3年。彼は大勢の人間を殺害下にも関わらず、精神異常を理由に死刑を免れていた。ウィルは結婚して家庭を持ち、たくさんの犬たちといっしょに穏やかな日々を送っている。そんな中、「噛みつき魔」による殺人事件が立て続けに発生する。ジャックは操作協力を求めるためウィルのもとを訪れる。同じ頃、ウィルにはレクター博士からの手紙が届いており、そこには「ジャックに協力するな」との内容が書かれていた。しかしウィルは、妻の後押しもあり、捜査への協力を承諾するのだった。

 

ついに 映画化もされた『レッド・ドラゴン』編に突入です。

身持ちを固めたウィルと、精神病院でも相変わらずのレクター。捜査に乗り出すにあたって、ふたりは久々に再会するとのことですが、嫌な予感しかしません。ウィルに家族がいるなら尚更です。

一方で、「噛みつき魔」ことダラハイド。しっかり身体を鍛えているのは、どういうことなんでしょうか。タトゥーを綺麗に見せるためなのでしょうか。変身願望のある人物なので、そういった心理から鍛えているのかもしれません。ぼくも嫌なことがあった日のあとは、髪を切ったりお風呂に入ったり筋トレしたりと、自分を「更新」させるのでなんとなく気持ちがわかる気もします、という余談。

 

 

第9話『レッド・ドラゴン~誕生~』

レクターは面会に現れたウィルに子供がいることを見抜く。レクターのプロファイリングによれば、犯人は内向的な性格で、醜い容姿、あるいは自らを醜いと思っている人物。被害者一家の選別に関しては、家にヒントがあるはずだ、庭に注目してみるといい、と助言した。「噛みつき魔」ダラハイドは、盲目の女性と惹かれあう。

 

映画と同じように物語が進んでいくので、思い出しながら楽しんでいます。ダラハイドと女性の物語は結構切なかった気もします。孤独な魂が共鳴して、そこにひとつの美しい瞬間が生まれるのであれば、それはそれで物語としてひとつの完結を迎えたっていいとぼくは思いますが、残念なことにこの世界にはレクターがいるんですね。混沌をもたらして楽しむという、その実子供っぽすぎる幼稚な欲求に辟易します。ダラハイドもレクターなんかを崇拝しなければ……。

悔やまれます。

 

 

第10話『レッド・ドラゴン~覚醒~』

弁護士を名乗ってレクターに電話をかけるダラハイド。彼は「あなただけが理解者だ」と述べる。盲目の女性リーバと動物園へ向かったダラハイドは、彼女に麻酔で眠らされた虎に触れさせる。涙を流すリーバ。彼女を自宅に招き、愛を深め合う二人。ダラハイドにはリーバが女神に見えていた。事件現場の庭の樹に刻まれていた「中」の文字。それは「レッド・ドラゴン」を意味すると伝えたウィルに、レクターはウィリアム・ブレイクの絵の話を伝える。さっそくウィルが実物を見に美術館に赴くと、そこには先客のダラハイドがおり、揉み合いの末に逃げられてしまう。

 

やはりダラハイドとリーバの関係は切ないですね。後半ではまさかのウィルとダラハイドがエンカウント。ウィルはぶん投げられていました。やはり体を鍛えていることもあって、ダラハイドはフィジカル面でも強敵なのかもしれません。

 

 

第11話『レッド・ドラゴン~葛藤~』

レクターの誘導により、ダラハイドはウィル家を襲撃する。ウィルの妻はいち早く気配を察知し、息子を連れて逃走。間一髪で逃れられたかと思いきや、肩に被弾してしまう。

 

でましたね、レクターの悪行。しかしウィルの奥さんが肝っ玉母さんでなによりでした。とはいえ重傷を負い、息子は父の過去を知ってしょんぼり。散々です。

残すところあと2話。この時点ですでに映画とは違う「レッド・ドラゴン」との決着のつけ方に期待が高まります。

 

 

第12話『レッド・ドラゴン~暴走~』

家族との絆に危機感を覚えた ウィルはベデリアのもとでセラピーを受ける。FBIは雑誌に扇情的な記事を書くことで、「レッド・ドラゴン」を誘い出す計画を立てる。協力者でもあるチルトン博士だったが、ダラハイドによって拉致される。拘束されたチルトン博士はダラハイドからさんざん脅迫を受けたあと、唇を噛み切られ、生きたまま焼かれてしまう。

 

チルトン博士はこのシリーズ一不憫です。かつては殺人鬼に腹を割かれて臓器を取られ、レクターに罪をなすりつけられた挙句に顔面を銃撃されたかと思えば今回の仕打ち。あんまりですね。すべてはレクターが醸すバイブスとそれに感化された周囲の責任。ということで相変わらずハンニバル・レクターへの怒りに燃える回でした。にも関わらず、ウィルはといえばレクターからの愛に気づいてハッとするなどずいぶんと暢気なものです。

ということでついに次回で最終話。大団円と行くのでしょうか。 

 

 

第13話『羊の怒り』

殺人を犯したことをリーバに告白し、ショットガンで自らの頭を吹き飛ばしたダラハイド。しかしそれは彼の偽装工作だった。レッド・ドラゴンを捕まえるため、レクターを囮とした作戦を実行するウィル。レクターの移送中、警察用車両に乗ったダラハイドが急襲。警察官を大勢殺害するが、肝心のレクターは放置。ウィルとレクターは逃避行を開始する。向かった先はレクターがアビゲイルと身を寄せ合っていたという別荘。ワインでの乾杯を前に、ダラハイドが再び襲撃。腹に被弾したレクター。ナイフで頬を突き刺されたウィルは反撃に出る。レクター&ウィルの必死の攻撃によって「レッド・ドラゴン」ことフランシス・ダラハイドは絶命。満身創痍のふたりは、抱き合いながら崖下の海へと落ちていくのだった。

 

最終回ということもあって「レッド・ドラゴン」の恐ろしい戦闘力が発揮されていました。ドライブバイで車列を混乱させたあと、いったい何人の警官を射殺したのでしょうか。なんにせよ、そこから始まるウィル&レクターの逃避行に愕然。なるほど、というか最初の方からずっと気づいていましたが、作り手は今作を倒錯したラブストーリーとして描いていたようです。そういう意味ではジジイの目線で見た『殺し屋1』 みたいなもんですね。仲違いばかりしていたふたりが、最後の最後に協力して恋の邪魔者をボコボコにする。美しいと思います。

 

 

 

全話完走の感想

 

は~終わった!

ということで『ハンニバル』season3もこれにて終了。打ち切りだなんだという噂は耳にしていますが、このラストを見ると初めから終わらせる気満々だったようにも思えます。撮影中に打ち切りが決まったからこのオチにしたとかそういうことでしょうか?どちらにせよ、物語的なオチもついてぼくは満足です。

全39話を鑑賞したことになるのですが、season1の「びっくり猟奇大会」みたいなテンポが個人的には好みですね。様々な死体を見ているだけで元が取れる、といった気持ちになれました。レクターに厳しくしろ!との思いはモーフィアスことジャック・クロフォードが代弁するかのように熾烈な暴力をお見舞いしてくれたのである程度満足です。それにしてもseason3の最終話のタイトルが『羊の怒り』ということなので、どうしたって『羊たちの沈黙』 を意識せざるを得ません。やはりseason4の制作は念頭に置いていたのかも。噂では、いろいろと準備さえ整えばseason4だってやるよ、と製作者の方がおっしゃっていたそうなので、俄然期待しておきます。それまではトマス・ハリスの原作 でも読もうかな。クラリス役は誰になるのでしょうか、とかそういうことを考えながら、準備を整えておきましょう。

バッファロー・ビルのチン隠しダンスは絶対観たい!!!