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ああ、『渇き。』

 

『渇き。』を観た。中島哲也監督の前作『告白』は大学二年のころに鑑賞した。鑑賞後は「若い子とか好きそうだな」と思っていた。僕は19歳だった。完全に世の中を舐めていた。当時の僕はまだ、労働基準法を守らないどころか「昔ながらの職人気質」という建前ですべての理不尽を正当化しようとする悪魔のような飲食店経営者がいるなんて知らなかったし、自分が無内定のまま大学を卒業することも予想だにしていなかったので、そうやって粋がってしまうのも無理はなかったのである。しかし『告白』は謎のスローモーションに独特のカット割り、カットバック、印象的なBGMの使い方、落ち着いているようで落ち着かないそのテンションは飽きの来ない作りで集中力の乏しい僕にも大変親切だなあと思った。日本映画というと静かで地味だという印象を持っている人はまだまだいるんだろうし、若い客層を呼ぶにはとにかくケレン味がたっぷりで手数が多いほどいいのかもしれない、なんてことも思う。それに加えて『告白』には現代社会の抱える闇を「いい感じ」に散りばめつつ衝撃のラストまで連れて行ってくれるという点で色々と得をした気にもなれる、そもそもがおいしい映画なのかもしれない。

 

で、『渇き。』。ただし今回は予告編からして暴力の香りが。暴力大好き。『告白』はその演出のノリも相まってただでさえキツいクソガキどもがあろうことかポップに踊ったりチャカチャカ迫ってきたりするからさっさと皆殺しにしてくれと願ったほどだった。その願いは巡り巡って三池崇史監督の『悪の教典』で果たされたがそれはそれ、今回は中島印の大虐殺が観れなきゃ嫌だと虎の目でスクリーンを睨んでいた。ちなみに僕は原作小説は未読であり、予告編で得られる程度の情報しか持っていない状態で鑑賞した。だから正直「ここまで酷い話なのか」とちょっと引いた。

 

とにかくありとあらゆるタブーが詰め込まれた物語を件のADHD演出で捲し立てるように見せてくるので気分は忙しないまま映画は進んでいく。中島監督の手腕か、ケレン味まみれの演出よりも、絶え間なく出てくる登場人物の「ブチ殺したさ」が例によって流石だと思った。出てくる連中がことごとく気に障る。みんな死んでほしい。なのに、なかなか上手くいかないので歯がゆい。業を煮やしたのか、僕の目の前に座っていたおばあちゃんは中盤のパーティーシーンで帰ってしまった。おばあちゃんだってさっさとこいつらが死ぬところを見せてあげていれば最後まで椅子に座っていたかもしれないのに……と思うとさらなる歯がゆさに襲われた。

 

正直言って全然感情がのれなかったので悶々としたまま映画を観終えてしまった。もしかするとすぐ近くの席に座っていたおっさんが上映開始直後から一定のリズムで舌打ち(歯に挟まったなにかを吸い取ろうとしていたのかも)する音が気になって仕方が無かったことが原因かも知れない。本来大好きであるはずのインモラルな要素も、その羅列に陶酔しているように感じたのか、感情が置いてけぼりを喰らう的な後味を覚えてしまい、いまいちのれなかった。もしかするとこの映画は暴力的かつ俗悪な見た目でこちらに歩み寄りつつも、実際に監督がやりたかったことは全然違うところにあったりする……とでも、いうのだろうか。少なくとも「うちのバカ娘が散々やらかしたみたいだから父親である俺がぜーんぶ尻拭いしてやるよ!」といってギャーギャーうるさいゴミクズ共を片っ端から皆殺しにする気持ちのいい映画だと期待しすぎていたことは失敗だった。

 

この映画で役所広司演じる元刑事のダメ親父は失踪した娘を追うことで、彼女のあらゆる行動とそれにより生まれた混沌にどんどん飲み込まれていく。次々と死体は増えていき、主人公自身もありとあらゆるクズどもと邂逅し白いジャケットもみるみる血で染まる。どれだけ頑張ろうが娘を理解することはできないし、彼女の行動を知れば知るほどその実像は遠のいていく。“バケモノ”と称される娘は、誰ひとりとしてヒーローにはしてくれない。醜く猥褻でことごとくしょうもない腐った空気の中にみんなを取り込んでいくだけだ。

 

結果として予告編からも感じられるtoo muchな雰囲気をめちゃくちゃに破壊してほしいという期待にひどく足を引っ張られてしまった形。悔しい。劇中のアホどもみたく「藤島加奈子」に踊らされた気分。言葉責め授乳手コキを目的に入った風俗店で歯の当たる激しい口淫のみを怒涛の勢いで受けたような気分。いや、それはちょっと違うかもしれないけど、でも、まあ、そんな感じの気分だ。結果としてすごく気を遣ってしまった。なんだかんだ、予告編が一番楽しかった気がするので最後に貼っておきます。『でんでんぱっしょん』が最高ですね。

 


映画『渇き。』予告編 - YouTube