After the lights go out……

 

7月17日木曜日。僕は上野広小路まで出かけた。友達が特別招待をしてくれた寄席に向かったのである。友達は小五の学芸会で走れメロスのメロス役を演じた際の話をしていた。僕は会場の冷房が効きすぎていたことからずっと震えていた。「こんな暑い日は寄席が一番」と受付で話しかけてきたおじいさんの言葉を思い出していた。ちょうど、お年寄りが温度に鈍くなって熱中症で亡くなってしまうことが多いという話をしていた落語家さんがいた。火葬場で焼かれる際に熱がらないようにするため、という最高のオチで会場は沸いたが、僕はこの過敏な若さを呪い続けていた。トリを飾ったある落語家さんの巧みな技術にのめり込んでうっかり涙しちゃうまで、とにかく震えていた。正直まだ体調が悪かったんだと思うけど、そのあとお酒を飲みながら地元の友達の文句を言っていたらまあまあ元気になった。友達からは某声優兼講談師の性格のキツさを教えてもらったし、筒井康隆の小説作法本を勧めてもらえたので帰りに池袋のBOOKOFFに立ち寄って探してみたが見つけられず、かわりに『石原慎太郎を読んでみた』という面白本を買った。

 

翌、金曜日。僕はその日公開の『複製された男』を観に新宿シネマカリテへ向かった。ドゥニ・ヴィルヌーブ監督の『プリズナーズ』はジェイク・ギレンホールの色気と画面に映っているものを作り手が信用して出している感じが心地よくて最高にゾクゾクするミステリーだったので、今作は前情報のほとんどない状態で鑑賞。没入し脳みそをぷるぷるさせながら展開を追っていたがラストシーンの衝撃と切れ味に愕然してそのままエンドロールで流れるThe Walker Brothersの『After The Lights Go Out』の陽気なリズムにもう笑うしかないといった気持ちになった。これを昔の影響力のある人は「狐につつまれる」と表現したそうな。いま僕が観たのはなんだったんだろうという余韻を一日中引きずって何度も自分なりの解釈を形にしようと思うもぜんぶしっくりこないし……ということでとても楽しい混乱を味わった。『複製された男』最高。

 

翌、土曜日。リピーター割引を利用して早速『複製された男』を再鑑賞。やっぱりわけがわからない。でも不条理なことをかまして観客を馬鹿にしているというよりは初めから確固たる意志を持ってあのエンディングへと向かっている感じはするし、やっぱりじゃあなにかしらの解釈が欲しくなるなあと悶々考え続ける僕はパンフレットも購入した。パンフレットには監督による本作品の解説があって、それは普通にネタバレなんだけど「いや、でも……」と僕はなお悶々と考え続けたがった。「一度目は悲劇、二度目は喜劇」という劇中の言葉のとおり、思い返せばだんだんと笑みが漏れてくる不思議な映画だ。『複製された男』最高。

 

翌、日曜日。池袋の焼肉屋で兄と会った。この三連休を利用して東京に遊びに来ているという兄の彼女もいっしょだった。兄はこの彼女との交際を母に猛反対されていて自宅で大口論を繰り広げたこともあったのだけどたぶんこのまま結婚するつもりらしい。そもそも兄と距離のある僕は「あはは、へへ、そうですか……」を繰り返し、あとはずっと肉を食べたり店員の韓国人の腕毛を眺めたりしていた。兄の彼女さんは兄よりも五つ年上で、僕からすれば八つも上だけど、そう感じさせないフランクさがあった。なんかこう本とかあまり読んでいなさそうな感じの飾らなさだ。お土産に表参道の雑貨屋で買ったとかいうポップコーンを頂いた。超いい人。次回からはお義姉さんと呼ばせてもらおう。でも母親の説得は自分でしてね。

 

翌、月曜日。高円寺在住の友達と井の頭公園に遊びに行った。本格的なドイツのソーセージが挟まった最高のホットドッグをおごってくれた。井の頭公園では手漕ぎボートに二人で乗った。池の柵のところでドレッドヘアーのアフリカ系アメリカ人が叫んだり、中学生がボートチェイスをかましながらエアガンを撃ち合ったりしていた。井の頭公園といえば完全に血抜きをされた生首が発見されるという未解決事件で有名だけど、すごく賑やかで緑も多く青春の風を感じた。ボートを降りた僕らは外周を散歩し、さっきのアフリカ系アメリカ人がベンチで「マザファカ」「マザファカ」騒いでいたので近くのベンチに座って監視することにした。何の気なしに友達とパンチし合ってじゃれているとこっちを見たドレッドは爆笑しながら近づいてくる。友達がハーフだったので、普通に英語で話しかけてくる。「どこ生まれよ?」友達が「ぼくはハーフです」と英語で返すと「おれもニガーとのハーフだぜ」と笑う。この男はナチュラルに口が汚い。一通り挨拶を交わすと去っていったその男は名をデイビッドといった。それから再び僕らがベンチでパンチをし合ったり腕をひねり合ったりしていると再度デイビッドの笑い声が。「練習か?こっちでやってくれよ」と呼ばれた。彼の隣に腰を下ろした僕らにデイビッドは「向こうのストリートじゃカンフーマスターのようには振る舞えないぜ、銃やナイフで襲われておしまい、映画のようにはいかねえ、本気でやるなら目と鼻と喉を狙え、それと日本人はむこうじゃ“デリシャス”と呼ばれて可愛がられるぜ、刑務所じゃ靴磨きもさせられて少しでもヘマすると殴られるんだ、ビッグ・マザーファッカーにな、ビッグ・マザーファッカーにだ」的なことを延々と話されて、ただじゃれていただけなのにどうして説教されなきゃならないんだと二人して意気消沈。でもデイビッドの腕には丸い古傷があってケンシロウみたいだったのでとにかく最後まで話を聞くことにした。デイビッドはその後簡単な関節技を教えてくれた。日はあっという間に暮れた。奥さんの仕事が終わる頃だから帰るねとデイビッドは消えた。僕らは公園を後にし、パブでお酒を飲んでからお別れした。帰りの電車内で友達から借りた藤子・F・不二雄を特集した雑誌のトキワ荘のページを読んだ。最高の青春がそこにはあった。

 

翌、火曜日。新宿でクレープを食べた。おいしかった。全然観る気はなかったのに、深夜のバルト9で『思い出のマーニー』を鑑賞。夏休み初日の夜にテレビをつけたらやっていて、つい最後まで見入ってしまった、みたいなシチュエーションで鑑賞すると最高に沁みるんだろうなと思わせる映画だった。主役の女の子の声が良かった。その後ファミレスで、放置したままだった『果てしなき渇き』を一気に読んだ。この作品がこのミス大賞を受賞した際の、書評家の大森望氏の選評での言葉がしっくりくる感じの読後感だった。

 

翌、水曜日。新宿でクレープを食べた。おいしかった。Twitterで話題沸騰の韓国映画『怪しい彼女』を観た。陰惨な暴力のないエンターテイメントに徹した映画でもこの水準なんだからすごい。劇中に登場する孫役がその筋には有名な人気アイドルらしく、劇場にいた若い女の子は劇中何度も口を押さえては椅子の上で飛び跳ねていた。ただ困っているという演技をするだけでバルトリン腺液を分泌させる男がいることに激しい怒りを覚えた。駅までの道を歩いていたらいい歳したブスの女の人が彼氏に駄々をこねていた。なにかがこじれてしまったらしく、その女の人は彼氏の呼び止める声も聞かずに夜の新宿へとつかつか消えていった。ちょっと笑った。帰りの電車内ではおばあさん三人組が孫の話をしていた。今年は夏期講習で、孫は遊びに来ないらしい。再び深夜のファミレスで読書をした。筒井康隆の『創作の極意と掟』という本だ。早く文学賞をとって僕もおばあちゃんに美味しいご飯を食べさせてあげたい。文学賞でなくとも百万円くらい口座に振り込まれたりしないだろうかとここ最近毎日考える。筒井康隆いわく、自分の考えに不安を抱えている人の作品には凄みが宿るという。自信のなさには自信がある。ドリンクバーのおかわりを繰り返しながら虎の目をする僕に未来はあるのだろうか。未来は自分で創造するものだとするならば、僕はまず一度のオナニーに平気で数時間かけてしまうところから改善していかなくてはならない。