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『どこの家にも怖いものはいる』らしい

 
居候先のハンサム(身内贔屓は嫌いだけどいまアイスピックをうなじに突きつけられながら書いています)から貸してもらった三津田信三の『どこの家にも怖いものはいる』を読んだ。
 
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語り部は著者の三津田氏本人で、彼がある編集者と定期的に開いている「頭三会」という飲みの席にて話題に上った“ある二つの怪異譚から感じられる謎の既視感”について会話している場面から物語は始まる。時代も舞台もまるで違う二つの怪異譚からは、どーーーも変だ、なにかが似ているような、でも、うーーーん……という拭い去りがたい気味の悪さが漂っており、それが一体なんなのか、また、他にもそういったニュアンスの怪異譚はないものかと互いに調査・考察していくのである。
 
筆者の語りの間には、彼らのセンサーに触れて集められた“どうも繋がりがありそうな怪異譚”がそれぞれ挟み込まれており、読者も「頭三会」の二人と同じく一見関係がないように思える怪異譚と、そこから覚える妙な居心地の悪さを堪能することができ、どんどん物語に引き込まれていくというワクワクの一冊。
 
ああもう怖いのに知りたいという衝動に突き動かされてページをめくってしまった。ぼくには「幽霊なんていない馬鹿らしい」というタフガイなダチ公(よくうんこを漏らす)がいるが、ぼく自身はかなりの怖がりで、自宅で真夜中に後頭部の髪が扇風機の風にそよいだときにも霊障だと慌てふためいたことがある成人男性だ。今回、この本を読みながら部屋のどこからか材質の立てる「ピシッ」という音がしたときも読むのを即座にやめXVIDEOSにあるカラッと能天気なラテン系ファック動画で心を和ませていた(ちなみにあれが材質の立てた音、という確証はどこにもない)。
 
これを読んでいて思い出したのは『本当にあった!呪いのビデオ』シリーズで、投稿された不可解な映像に関してスタッフが取材をし、怪異に巻き込まれながらも“真相らしきもの”に触れるというあのゾクゾクするスタイルを、小説でやるとすればこうなるんだろうな、と感じた。最近で言えば白石晃士監督のフェイクドキュメンタリーみたいな感じだ。怖いけど、知りたくてしょうがないが、でも怖い。わがままな感情の揺れを堪能した。
 
ぼくは本作で文字を目で追いながらも足元がそわそわしたり、背後が気になったり、ドアの向こうを一瞬警戒したり、なにか聞こえた気がしたりと神経が異様に敏感になってしまうあの感覚を久々に味わった。しかもここのところ天気が悪く、どこにいてもなんだか薄暗く感じていたこともあって、最高のムードの中ぼくはこの本を楽しんだというわけだ。
 
ちなみにこの本を貸してくれたハンサム(事実)がこの本を読んでいるときには例の音が聞こえた以外にもパソコンの電源が落ちたとか。お〜こわ!!!
 
いまこのブログを読んでくれているそこのあなたも絶対に後ろを振り向いてはいけない…………。
 
 
前だけを向いて、強く生きろ。