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お前ら、己を解放しろや!/『殺人ワークショップ』

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2014年、白石監督の活躍が凄まじい。『コワすぎ』シリーズの劇場版を公開させたと思いきやここにきて『ある優しき殺人者の記録』を韓国資本で制作・公開させた。それだけにとどまらず、かつて一部で公開されて話題となった問題作までもが、満を持して劇場公開されたのである。それが『殺人ワークショップ』。主演は白石監督の映画で数々の大暴れを見せてくれた俳優・宇野祥平。待ってました!

 

今回は本編前に『超・暴力人間』という短編も併せて上映される。主演はやっぱり宇野祥平。「実話系」雑誌の付録DVD用の映像がなぜ御蔵入りになったのかに関する事の顛末が記録されている、という体のPOV作品。自称「正義の味方」である「暴力人間」が取材班を引き連れ山奥で取材を受けている、という場面から映像は始まるが、この男、口と態度がとにかく最悪。始まってすぐインタビュアーの女性記者を「オメガ」呼ばわりするわ、腋臭(オメガの意味もおわかりでしょう)のカメラマンに対し「なぜミョウバンを使用しないのか」と激しい暴力を加えるなど超凶暴で終始愉快。ラストの展開に関しては、白石監督が傍若無人な登場人物への落とし前としてこれまでも何度か見せてきたような展開なので、暴力人間がすっかり好きになったぼくからしたら、ああ!邪魔しないで!って感じではあったがこのエネルギッシュさはさすが。

 

続いて始まるはいよいよ本題の『殺人ワークショップ』。それにしてもいいタイトル。同棲相手に激しい暴力を振るわれている女のもとに「人の殺し方」を教えるワークショップの案内メールが届く。彼氏を殺したい女は意を決してそのワークショップに参加するが、そこには彼女の他にも殺意を抱えた四人の参加者が集まっており、江野祥平という謎の講師のもとで途中離脱=死の合宿型強制ワークショップを体験することとなる。

 

今作はこの講師役の宇野祥平がとにかく本当に素晴らしい。演技も当然のこととして、今回はその佇まいの異様な説得力が際立っている。薄い頭に口ひげ、つぶらでありながら澱んだ瞳に得意の関西弁など、どこか安保闘争時代の過激派を思わせる風貌の魅力といったらない。参加者に理解を示したり罵倒したりとつかみどころがなく、こちらがストックホルム症候群のような状態になってくるのも面白かった(ぼくだったら怒られたくないので率先してナイフで人を刺して抜く練習をこれでもかと生き生き披露して気に入られようとするはず)。

 

また、ワークショップ参加者それぞれの殺したい対象とその理由などもバラエティに富んでいて興味深め。浮気が許せないとかもあれば友人を自殺に追い込んだ奴らへの復讐などピンキリ。比較的すぐ人を殺したく思いがちなぼくからすれば、「ああ、わかるわかる」の連続ではあったけど、かといって本当に殺すための練習&実行を迫られたら勘弁して欲しいと思うに違いない。頭の中で殺す分には法に触れないし親も泣かないので問題ないし、それで充分だし……。なので劇中のワークショップ参加者には、気持ちはわかるけどドンマイ、という複雑な思いを終始抱いていた。

 

この映画では「殺人」という行為を通して自己の解放を描いている。殺意は衝動であり衝動はどうしても純粋なものだから、ぼくは観ていて胸がなんだかずっと騒いでいた。たとえば普段の生活の中でものすごく腹の立つ対象がいるとして、そいつを殺す自分を想像したとき、いつもならイエーイ!で終わるものが、この映画を観ながらであるとどうしても痛みや苦味も伴ってしまうのだった。死ね!ブスリ!グリグリ!ズボッ!うーむ……といった感じだ。主題歌でもある北村早樹子さんの『卵のエチュード』も、その悲痛な響きがこの映画を観て心に芽生える葛藤や痛みをより濃くしてくれる。大なり小なり精神面での「社会的」拘束からぱーっと抜け出してしまいたいという衝動の先に待つこの苦味。それを体験させてくれるのもフィクションの力なのだなあ、やっぱりいいなあと感じた次第。映画とか小説とか漫画とかアニメとかゲームとかに、どうしてぼくらは触れ続けるんだろうということについても改めて思いを巡らせた。だからこれからもフィクションの中では普段肯定していかなくちゃいけない社会的な規範などをどんどんめちゃくちゃにして欲しいなあと心から思う。謎の講師・江野祥平は殺意のスクランブル交差点である現世に舞い降りた使者なのである。ブスリ。グリグリ。