MidnightInvincibleChildren

お じ さ ん

 

台風が接近しているときに限って飛行機を予約してしまう病気のぼくは今日も朝七時に居候先を出発し成田国際空港へと向かった。電車を乗り継ぎ高速バスに乗らなければならないのである。大きな荷物を持って動くにはけっこうきつい道のりでもあった。しかも台風接近の影響で東京は雨。早朝から靴が濡れた状態で今日一日を過ごすことを受け入れなくてはならず、ぼくはずっと虎の目をして歩いた。

 

午後の3時頃出発の便ではあったが、ぼくが空港に到着したのは午前9時半頃。どう考えたってなにかのミスのような早さだが、休日の混雑した電車に大きな荷物を抱えて乗りたくない思いから早朝の出発を決意していたのだ。そして成田空港に着くやいなや、人のいないベンチを見つけ、大きな荷物を枕がわりに1時間くらい寝た。しかしそれでもまだ午前中。やっぱり早すぎたのだ。ぼくは辟易しながらもマックでアイスコーヒーのSサイズとホットアップルパイを注文した。しかしここで驚愕の事実を知る。空港内のマックではアイスコーヒーSが100円ではなかったのだ。たかが数十円くらいでガタガタ言うなと言われそうだが、ぼくだってコンビニなどでの数十円程度の差額に騒ぐような真似はしない。マックでの数十円だからガタガタ言っているのだ。と、あたかもこだわりがあるかのように書いたが、結局のところべつにどうでもよくて、あ、空港内の店舗だとちょっとだけ料金が高いんだなーと思ったくらいだ。ぼくは健常な精神の持ち主である。

 

それから搭乗手続きを済ませたり荷物を預けたり保安検査場を通過したりし、飛行機への搭乗開始を待っていた。台風が迫っていはいるものの、飛行機は定刻通り出発するそうで一安心。今回利用した航空会社の飛行機に搭乗するには、バスに乗って滑走路を進まなければならない。いざ搭乗時刻となり、ぼくはバスに乗り込んだ。一度に大勢で移動するので、当然相席も出てくる。空いていたぼくのとなりには、黒ジャケット姿の老紳士が座った。そのおじさんはバーコード・ヘア・スタイルで黒縁メガネ。「どうも、失礼します」と一言添えてくれたので、こちらも「どうぞ」と気安く返せる。おじさんは半袖姿のぼくを一瞥すると「いやあ、いいですなあ若いというのは、いやいや、むこうはいま27度らしいですよ、さっき電話で聞いたんですけどね?むこうに着いたらそちらのほうが正しい格好だと思いますよ」と言う。饒舌な人だ。ぼくは雨に濡れた窓ごしに滑走路の景色を眺めていた。飛行機までは結構な距離があるらしくバスは走り続けている。すると隣のおじさんが急に「外国の空港でJALのマークを見つけると、これまたなんとも美しいものですよ、ええ」と言う。このおじさんはよく外国に行くのだろうか?と驚きながらも「そうなんですね」とぼくは答える。すべてはまだ始まったばかりであった。

 

「わたしは仕事でよく外国に行くんですけどもね、最近だと中国やタイ、韓国などが多いですね、かつてはアメリカだったんですけど、まあいまも金融関係で言えばアメリカが強いですが、それ以外ではもうアジアですね、アジアがどんどん伸びてきていますよ、ええ、特に中国なんかはすごいみたいですけどね、ええ、いまじゃ日本の学生なんかも見てみると、留学先がアジアが多いそうなんですよ、やはり企業側もそこと大きく関わることになりますからね、うーん、やはりどこに行きたいなどの意思ではなく、もう関わることが避けられないといいますか、そうやって様々な国の人にですよ、揉まれていったほうがいいとわたしは思うんです、ええ、企業側もアジアの優秀な学生を日本に連れてきてですね、本社の方で三年ほど働かせて、いろいろ教えてですね、各国の支社を任せるということをしているみたいですよ……それにしても日本というのはほんとうにおかしい、わたしは思いますね、台湾は若い世代のうち、二年、徴兵がありますからね、みんな銃の扱いをそこで学ぶわけです、若者が銃を扱えるわけですよ、タイもそうですね、しかし日本はどうです、もし何かが起こった場合、日本人のほとんどは銃の扱いから学ばなければならない、そこで既に遅れを取るわけですよ、ね、こういうところがすごく不思議だなあって思うんですけどねこの国は、危機管理能力というですね、意識がですね、足らないと思うんですよ、不思議な国ですよほんと、日本人は外国で犯罪に巻き込まれやすいですからね、日本人女性なんて特にそうです、一年で180人、外国で日本人が行方不明になっているんですよ、知らないでしょ、180人、たとえば国内旅行でも、この国の人間は伝えないでしょ?どこのホテルに何時に電話をかけてくれとか、わたしはやっていましたよ、どこどこに泊まるので電話をかけてくれ、とれば無事を確認できる、ほら最近多いでしょ?親でも自分の子供がどこでどの友達と遊んでいるか把握していない、いざなにかが起こって、そこから調べ始めるという、いやまったく不思議な国です、まあわたし自身の国でもあるんですけどね」

 

ぼくは震えていた。ちょうど先月に鑑賞した『フライト・ゲーム』が頭をかすめたのだ。ネタバレになるので深くは言えないが、日本の危機管理意識に疑問を呈するこのおじさんは実はテロリストで、いまからのる飛行機をハイジャックし、平和ボケと揶揄される日本人に対して大々的な問題提起をするつもりなのかもしれないと恐怖したのだ。なぜ初対面の半袖野郎にここまで饒舌に想いを語ることができるのか、そこには大義に突き動かされた強い意志が感じられるし、海外での経験も豊富であることが伺え、こともあろうに銃器の扱いに関する意見まで持ち出してくる始末。そして彼がチラリのぞかせた航空券をみると座席がぼくの前の席であった。なにかが起こるときは、ぼくが止めなければならないのだろうか。ぼくはリュックの中にあるuniのジェットストリーム0.7のことを考えていた。首の柔らかい部分に先端を本気で突き立てれば動きを封じることができるかもしれない。ああでも怖い。ヒーローになんてなりたくない。そんな人の気持ちをよそに喋るだけ喋ると怖いくらいに大人しくなったおじさんの横顔を盗み見て、何も起こりませんようにと祈ることしかぼくにはできなかった。

 

さらに不穏なことにぼくらが乗り込もうとした飛行機は整備がまだ完了していないとのことで、出発時刻が数十分遅れることとなった。おじさんは既になにかを仕掛けたのかもしれない、と思ったぼくは、再度空港に戻って待機を支持されながらも、視線の端におじさんの姿を常に収め続けていた。

 

いまこうやってぼくがこれを書いているということは当然のように何事もなく、定刻を過ぎはしたものの飛行機は無事離陸。前の席に座っていたおじさんも大人しく、ぼくも2時間半のフライトのうち、約2時間ほど熟睡して過ごした。それにしてもあのおじさんはなにがしたかったのだろうか。自分の話を聞いて欲しかっただけなのだろうか。寂しかったんだろうか。でもそれをいうならぼくだって寂しい。ずっと寂しい。きっとみんなもそうだと思う。今の時代、だれもが寂しさを抱えて生きている。各々がブルースを胸に抱き、強く強く生きろ。