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新春書き下ろし短編:『無職・ザ・バーバリアン』

創作

 

 

 

 みんな集まっているからはやくこいとの電話があって、おれは親父に伝える。親父はソファーに寝そべりながら録画した『マッチスティック・メン』を観ていて、おれの声は届かない。すべては大塚明夫の声で吠えるニコラス・ケイジのせいだ。

「は?」

 引き出しのお年玉袋のあまりも忘れるなってことを併せて伝えれば、ああ、ごめんごめん、とってきてくれないかと親父は言った。おれが? おれはしばらくテレビを眺め、主電源から消し、言われたとおりに動く。お年玉、お年玉、とつぶやきながら、おれもいちおう財布持っていったほうがいいのか? と考えながら。いちおう持っとくか。いちおう。あといちおう本当は行きたくないってことも伝えておこうかとも思ったが、親父はもう玄関の外に出てしまっていたので、まあいい。

 穴の開いた夏物のスニーカーを履いて外に出ると、風はなく、静かで、染み込むように寒かったが、日はまだ落ちていない。自宅からおばあちゃんの家まではそう遠くはないので、おれと親父は黙々と歩く。ひと気はなかったが、お隣さんの門の内側で、尾の短い白猫が丸くなってこちらを見つめていた。久しく見なかったので、てっきりくたばったのかと思っていたのに、今年もまた人の家の庭に糞尿を撒き散らしてくれるのであれば、おれがさっさと蹴り殺してやるぜ。

 親父は点々と明かりのついた四階建てアパートを見て、ここは二十四世帯もあるのかと言ったが、大晦日にも同じことを言っていて、「うん」という相槌さえ億劫な感じがした。ようよう、白くなりゆく親父の頭部。おれも三十を越えたあたりでいっきに白くなるのだろうか。ハゲるよりはマシだけど。ハゲない確証もないけど。

 毎年のことだけど、一月の二日になると、母方の親戚一同でおばあちゃんの家に集まり食事をすることになっていた。おれにはいとこがたくさんいるのだが、それぞれ進学やら就職やらであちこちへ散らばっているため、集まりは年々悪くなっている。今年は我が家の弟すらいない。成人式が来週に控えているので、そのタイミングに合わせて帰省することになっているのだった。前を歩く親父との距離をあけたおれは、排水溝に唾を吐いて口元を拭った。髭を剃り忘れていることに気づくが、まあいい。

 玄関にはあらゆる靴、靴、ブーツ、ブーツ、ブーツが綺麗に敷き詰められていて、親父とおれはそのわずかな隙間さえ容赦せず、足でそれらをさらに押し寄せながら靴を脱いだ。

「おじゃましまーす」と言うおれに続いて親父が「おめでとうございます」と言うので「あ」と白々しく立ち止まってみせる。

「明けましておめでとうございます」

 ギシギシやかましい廊下を進めば、お椀ののった盆を運ぶアキエおばさんが「あら~、おめでとうございます~」と立ち止まることなく挨拶をよこす。元小学校教師で、一昨年くらいに定年退職した還暦ババアだ。それからしなる床の上を軽快なリズムで歩いてきたのは我が家の母で、「お年玉袋あった~?」と手を差し出してくる。「これしかなかったけどいいの?」と五枚ほどのシワひとつないお年玉袋の束を渡すと「あ~いいのよいいのよこれ使うわ。ほらもうみんな準備できてるからあんたも座って座って座って」と忙しない。肩に近づけるように首を曲げれば、内側で枯木を踏んだような音がした。

 おれはすでに集まっていた親戚二人あたり一会釈くらいの配分で「おめでとうございます」とつぶやきながら空いている場所に向かう。名古屋の自動車会社に勤めているハルタカ兄ちゃんと現在高校二年生のトモヒロの間が絶妙に空いていて、空気がそこへ流れていくのを感じる。そばに寄るとトモヒロが横にずれてくれるので、おれはそこであぐらをかいた。

 テーブルの上にはおせちとオードブルが広げられている。寿司もある。それでいて続々とお雑煮などが出てくるので、腕を組んだままその様子をじっと眺めていると、ハルタカ兄ちゃんが「皿、向こうに回して」と言った。つままれ宙に浮いたままの皿を見つめていると、いまなにを言われたのかさえ忘れそうになる。

「ああ、はい」

 別におれはいまちょっとぼんやりしていただけで、ほんと数秒後には皿くらい自分から回そうと思っていたのに、こうやって指示を受けたうえで動き出すと自分がひどく薄汚れた存在みたいに思えてきて胸がちょっとだけ重くなるので本当に嫌だ。「はーい、ビールの人~」と母の妹でトモヒロのお母さんでもあるヨシエおばさんがプレミアムモルツをのせたお盆を手に現れると、ハルタカ兄ちゃんが「とりあえずこっちに置いといてもらえれば。こっちで回すから」と言い、なんだかおれもそれに協力しなければならない雰囲気になるので、まあしょうがない、しょうがないとまったく手伝おうとしないおじたちへと回していく。位置も悪かったかもなとおれは思っていた。無職的にも、もっと幼いいとこたちの近くに座るべきだった。

「おう、正彦くん。元気か」と元銀行員でアキエおばさんの旦那でハルタカ兄ちゃんの親でもあるケンタおじさんが笑い、おれはア、ドモ、オメデトウゴザマスと言って小刻みに頭を下げた。南アフリカなんかに生息するそういった気持ち悪い動物にでもなった気分だ。いつもなら挨拶後に近況報告や世間話が続くものだが、ケンタおじちゃんは割り箸を割ってウニの軍艦巻きをはさみ「おおー。うまそう」と口に運んで静かに咀嚼を始めるだけだった。

 

 片方の脚を重そうに引きながら現れたおばあちゃんが「温かいうちに食べなさい」と促すと、テーブルのあちこちでプルタブを起こす音が鳴る。おれもそれに倣う。こういう日は、無理に素面でいる必要なんてないのだ。

 で、目の前の寿司や揚げ物や黒豆をつまみつつ、プレミアムモルツを流し込んでいるうちにおれの胸の奥にできた拳大のしこりもほぐれてきたようで、三種の神器であるスマホを手に写真撮影係を買って出るほどの余裕が出てくる。役割さえあれば人は堂々とできるのである。それでつい自制の麻痺したおれは、母に促されるまま弟にそれらの写真を逐一LINEで送りつけるなんて行為にまで及ぶようになった。

「高志はいまむこうで一人なの?」と母の妹②のアユミおばさんがテーブルを挟んで声をかけてくる。

「そうみたいですよ」

「そっか~。一人でお正月すごしてるのか~。さみしいね~」

「そのぶん写真をたくさん送ってますんで」

 弟からの返信がある。

 

『いいなあ』

『おれはいまケーキ食べてる』

『イオンのやつ』

『おれ以外みんないるの?』

『おれのお年玉もらっといて(*´∀`*)』

 

 おれはせっかくなのでと思い立ち、これまでもこういう機会でたまにそうしてきたようにビデオ通話をつないでいいかと訊いてみる。返信はない。みんなテレビの正月番組に夢中だが、ここでひとつ弟との中継を挟むのもいいかもしれないと踏んだおれが勇み足で電話をかけてみた。コール音がしばらくしてから止み、人の気配が伝わってくる。「お」と喋りかけたおれに「待って待って」という高志の低い声。

「あ、ごめん。いま電話大丈夫?」

「ちょっとちょっと。やめていきなり」

「あ、ごめん。まずかった?」

「いまみんなと一緒にいるの?」

「いるけど。ビデオ通話しようかと」

「やめてマジで。一人になれる?」

「ああ、わかった。いまちょっと外出る」と立ち上がるおれをアユミおばさんがちらりと見るがなにも言ってこない。ばあちゃんが「なに? トイレ?」と訊いてくるのでスマホ、玄関の順に指を差して通り過ぎる。声を潜めて通話しながら、おれは玄関に敷き詰められた自分の靴をつっかけて外に出た。酒で火照った体に冷気が染み込む。

「OK。いま外だけど」

「周りだれもいない?」

「いないよ」

「楽しい?」

「なにが?」

「今日」

「いやべつに普通」

「あそう。最近おれ坂本家が怖い」

 は? とおれは思う。「どうした」

「おばあちゃんには会いたいけど」

「うん」

「おれは縁を切りたい」

 おれはいったん家の中を振り返る。玄関を離れ、庭の端に生い茂るアセロラの木のすぐそばまで向かった。「ちょちょちょ。なに? なにされたんだよおまえ」おれは半笑いで言うが高志のテンションは変わらない。

「伝えといて」

「落ち着けよ」

「いや、別になんにもないけど」と高志が急に明るい声色を作るので、おれも合わせてちょっと笑う。まだ緊張はある。高志はこういうことを言い出すようなやつじゃなかった……というのは所詮おれの狭い了見でのイメージなのでいまは参考にならないのだとしても、なにをどうされたら人は親族と縁を切りたく思うのだろう? おれは無職で、親戚に影でどう言われているかもわからないが縁を切りたいとは思わない……思えない? おれの感性はとっくに腐っているのかもしれない。おれはいま高志の気持ちに寄り添えない。

 でもなんでだ。マルチだからか? おまえも誘われたのか?

「なんとなくわからないでもないけど」とおれは適当なことを言う。

「なんでだよ、なんでわかるんだよ」と高志は相変わらずの声色で笑う。

「正直に話せよ」

「まあ別に理由とかないけど。単純に嫌い。伝えといてくれ。やっぱいい」

「そりゃ伝えないけど」

「そもそもおれみたいな坂本家のクズ、嫌われたところでなにも響かないから」と高志。無職のおれよりも? 大学生的なおこがましい自虐だ。そんなものに意味はない。

「だからなにされたんだって。善処するぜ」

「はは、善処って。なにもされてないよ! ただの自己嫌悪!」

「……だったら気にしすぎだから気分変えろよ。筋トレとか……筋トレじゃなくてもいいから体動かして血の巡りをよくしろよ」

「そうする。ばいばい」

「ああなんか、なんかごめんないきなり……」としゃべっている途中で通話は切れる。オー・マイ・ブロー。おれはしばらくじっとしていた。寒かった。それからトーク画面に戻って、笑顔の能年玲奈画像を送ったあとで一言添える。

 

 

『天使』

 

 

 

 既読はつくが返事はない。

 いますぐ中に戻っても胸の内が顔や態度に現れてしまいそうだったので、おれはしばらく夜気の中、ポケットに手を入れ佇んでいた。考え事をしようと思った。もしかすると母を含めた坂本家のおばさんたちが県外にいる高志にまでコンタクトを取って、例の悪徳マルチ商法への参加を勧めたのかもしれない。やりかねない、とおれは思う。おれは無職でずっと実家に居ることもあって、これまでに何度も詳細のわからないセミナーへの参加を誘われていたが、適当な理由をつくっては毎回無視していた。もちろんおれだって自分の身内がこういうことをするようになるだなんて考えたこともなかったし、初めのうちはけっこうなショックを受けたものだった。ド畜生。銭ゲバどもにいいように踊らされている母その他を見ていると、SF映画などでよく出てくるような、なりすまし侵略モノに似た胸糞の悪さを覚えるものだ。まだ二十歳になりたての弟が、そんな親族の姿を見て気の滅入る思いをしていたとしても不思議ではない。

 なんてことを考えていると、いとこ最年少である中学生のユイが外まで出てくる。

「お兄ちゃん? いる?」

「ああ、ここ。どうした」

「なんかお年玉配るみたいだから中に入ってって」

「あ、そうなんだ。ありがとう」

 おれにもくれるのだろうか?

 そんなことはもちろんない。

 おれはビールを飲みながら、中学生から大学生までのいとこ達が半円に並んだおじさんおばさんの前を回り、次々とお年玉を回収していく様を眺める。特に羨ましいとは思わないけど、どういう顔をしていればいいのかもわからないので落ち着きなく視線を動かしていると、母が我が家の分のお年玉をすべておれに持たせ、いとこたちに手渡す係を命じてくる。本来ならおれも自らの財布から抜いた紙幣をいとこらに渡すべき立場ではあるのだが、収入がないのでやむを得ない。

「はい、じゃあ次は高志の番?」

 そう言うと母はおれを見る。

「あんたが代わりに受け取っておきなさい」

 おれはまず一番近くにいたアユミおばさんの前で正座し、差し出されるお年玉袋を受け取る。「ありがとうございます」と言うとアユミおばさんは笑い出して「マサくん、これは高志くんのぶんだからね」とかなんとか。いや、だから別におれは欲しくねえし黙って渡せよクソババアと内心吐き捨てることで平静を保った……というほど動じているわけでもない。自分でも不思議だ。弟に嫌われているおばさんたちに、どこか同情的になっているのかもしれない。

「あ!ちょっとちょっと! 正彦にはあげちゃダメよ!」

 おれが受け取ったお年玉を手に膝を立て畳の上を移動していると、おばあちゃんが怒気を含んだ声がこだまし、みんな一瞬だけ静かになる。

 おれが固まったままでいると、アユミおばさんが「なによおばあちゃんいきなり!わかって、い、ま、す。高志くんの分しか渡してないよ!」と返し、「だってもう学生じゃないもんね?」とおれに言う。

「ああ、はい」とおれ。念のため、受け取ったお年玉も掲げた。

「正彦はもう学生じゃないんだからお年玉はないのよ?」とおばあちゃんが釘を刺すように再度言うと、ヨシエおばさんが「もう!」と怒鳴る。

「だから、おばあちゃん! それはみんなわかってるんだから! ちゃんとみんな高志くんの分だけあげてるの! 心配ないの!」

「ああそう……? ごめんなさいね、いまあげちゃってたのかと思って。だってそれは正彦にも失礼なことだから……」

「も~あげるわけないじゃないの。おばあちゃん、勘違い~」とアキエおばさん、半笑い。

「そうよ、うちも高志くんのぶんしか用意してませ~ん」とアユミおばさんが言うとケンタおじさんが「あっはっは」と笑う。

「うちもそのつもりで~す」とヨシエおばさんまでのってきて、おれも「あっはっは」と笑う。

「本当はあげる側のはずなんだけどね~」とおばさん口調のハルタカ兄ちゃんがおれの肩に手を置いて、困り眉の表情をつくることでみんなの笑いを誘った。「はい、すみません」とはにかむおれの虚空を泳ぐ視線には誰も気づいていない

 いや気づいているのかもしれない。

 

 おれが弟の分のお年玉をまとめて自分の座っていた位置まで戻り、飲みかけのビールに再度手を伸ばそうとしていると、隣にいたトモヒロが小さい声で「お兄ちゃんっていま何歳だっけ?」と尋ねてくる。

「二十七だよ」

「え、じゃあお酒飲めるの?」

「ずっと飲んでるでしょ」

 とこれみよがしに缶を一気に空けて「うめ~」。

 アホめ。苦笑してんじゃねえ。

 

 午後九時を回る前に坂本家新年会はお開きとなって、片付けがあるから先に帰っていてと言う母を残し、おれと親父で先ほどの道を戻る。弟が坂本家に対して不穏な感情を抱いているということを親父に伝えるつもりはないが、どうしたものかというしこりは残ったままで、自然と口数も少なくなってしまった。とはいえマルチなのだ。そりゃキモいだろう。母は仕事もしているし、いままでだってずっと常識人だと思って暮らしていたのに、こういう胡散臭い話にはのってしまうのが不思議だ。すべては埼玉にいる坂本家の長女、ハルコおばさんの強制力が悪いということもおれは知っている(大学教授の嫁であるハルコおばさんは姉妹の多さを武器にして、そういう活動で収入を得ようとするところがこれまでもあったので、今回の件でも関与は想像に難くはなかった)。

 血縁は呪いだ。心を縛ってしまう。母だってどこかでわかってはいるはずなのだ。しかし一方で、こういう類の胡散臭さというものは、無職で余裕があって嘘に敏感なおれだからこそ感知できたことなのかもしれないという思いもある。母は毎日仕事先などで、嘘も方便とかそういう言葉を使ったり意識したりする機会が多いあまり、ついつい無意識的にその考えを拡大してしまって、嘘やおためごかしに鈍くなっているのかもしれない。

 おれはおれの役割を見失わないよう虎の目を休めない。おれを話題にみんなが盛り上がることでお正月らしさが保たれていたように、おれは坂本家の今後の動向を監視し、必要とあらば埼玉まで遠征、マルチ・ババアを殴り殺したりしなくてはならない(実際にするというわけではなく、それくらいの気概で生きていこうという意味である)。

 

 おれは冷蔵庫から親父のビールを取り出して一口飲み、「プレミアムモルツもいいけど、うちで飲むいつものビールはやっぱり格別だね!」と言う。ようよう、白くなりゆく親父の頭。確かに声は届いたはずなのに、ソファーに腰掛けた親父は、厳しい表情でテレビのほうを向いたまま何も喋らない。安倍政権の今後について考えているのかもしれない。いまはそっとしておくぜ。