書き下ろし短編:『処女膜からやまびこ』

 

「やっべえ! おれもっこりしちまった!」

 喉をきゅっと絞り、腹から押し出すように放ったその言葉は虚空を漂って誰にも承認されず消滅した。

「一回ちょっと止めます」

 監督の指示が入る。おれが唇を噛むのと同時に、だれかの溜息が聞こえた。

「いまのとこもう一回お願い」

「あ、はい。……やっべえ! おれもっこりしちまった!」

「もう一回」

「やっべえ!」

「ストップ。続く『おれ』との間に、気持ち間をおいてやってみて」

「あ、はい。やっべえ! …おれもっこりしちまった!」

「うーん……うん。うん。なるほどね。いまのどう思う?」

 監督が意見を求めたのはヒロインの声を演じる冨樫桃華。歳はおれと同じ二十一だが、いまじゃ飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍し、業界内、ネット共に評価の高い声優界のスーパーノヴァ。その卓越した演技力のみならず、本業のアイドルたちにも引けを取らないルックスがその人気の証左。そんな彼女演じるヒロインのパンチラを見て思わず陰茎に血が溜まってしまったクラスメイトBの声を、無名のおれが担当することになったことを思えば、人生って面白い。冨樫桃華は言う。

「うーんそうですね。わたしは、間はあけないほうがいいと思います。ここは勢いよく言っちゃったほうが、内容が内容ですし。変にもたついて下品が過ぎる印象を与えちゃダメな気がして」

「なるほど」

 監督はおれを指差すと「じゃあそういう感じで」と言って椅子の背もたれに深くもたれかかり頭上に両手を置いた。おれは冨樫桃華の顔を見て会釈をしたが、彼女はこちらを一瞥することもなく、マイクに向き直っている。パンツスタイルが印象的。その締まった上向きのヒップがよく映える。

「はいじゃあいきます」

 監督の声が届く。おれは目を閉じ、小さく息を吸う。

「やっべえおれもっこりしちまった!」

 

 おれは宮崎優翔。声優の卵で、親からは金食い虫と呼ばれている。円谷プロカネゴンかっつの。わはは。おれは高校でニコ動にはまりゲームの実況やアニソンの歌い手などを経て本格的に声優を目指そうと思った。高二の三者面談の場で初めてその意を親や先生に宣誓したわけだが、家に帰るやいなや親父に「大学に行け」と言われた。いまどき大学なんて時代遅れだっつの。専門学校で技術を身につけたほうがいいに決まっている。おれは折れなかったが、それは親父の血なのかもしれない。親父は絶対に金を出さないと言い出した。おれはニコ生の配信があったのでバイトをする時間がない。なんとか親に金を出して欲しかった。そこでおれはニコニコのイベントで出会ったポンチーさんに相談する。ポンチーさんはあらゆる手を提案してくれた。おれはその中の一つであった、親の定期預金の解約を行い、学費をゲット。どのみち大学への進学資金として貯めておいたものがあったのだから、おれへの投資という意味では変わりない。待っていてくれ親父に母さん。絶対超人気声優になって、出世払いするからさ。

 

「休憩入れますか」

 監督の声におれが「あ、はい」と言うのに重ねて「続けましょう」と冨樫桃華が言った。ほかの共演者さんたちも「ここまでは終わらせておきたいなあ」と口々に。

「新人さんもここで休憩入れるより、いま掴んでいる手応えの勢い、殺さないほうがいいと思うなあ」

 そう言ったのは男性声優人気ナンバーワンの小野寺HIROSHIさん。十八で神戸より上京し、下北沢の小劇団に所属していた演技派。くすぐるような掛け合いの上手さに定評があり、アニメのみならず、映画の吹き替えにも引っ張りだこの売れっ子だ。そんな彼らと同じアニメで声を担当できた時点でおれは現実味を喪失していた。おれはいま小野寺さんに声をかけてもらっているという、その現実に頭が追いつかない。

 だから本当は休みたいって言えない。

「監督、やらせてください。お願いします!」

 

 専門学校での日々はあっという間だった。おれは真面目に授業を受け、多くのノウハウの習得に努めた。講師は豊富な人生経験を積めといった。キャラクターに命を吹き込むには、多くの感情を理解しなくてはならない。

 そしておれは恋をした。

 埼玉から通っているという島崎純恋はみんなから「姫」と呼ばれる可憐な女の子だった。色が白く顔が小さく首が細長かった。背も低く手も小さく胸も小さく貧血持ちでやや腐っていた。好きなアニメがおれと同じだった。おれの配信を見たことがあると言っていた。おれみたいな男が好きだと言っていた。仲間でご飯を食べに行くときなど、何度か隣に座ってきたこともあった。一緒に駅まで歩いたりした。彼女はいい匂いがした。普段は舌足らずなのに、声を当てるときや歌うときには、芯のある凛々しい声を出した。純恋は周囲から一目置かれていた。おれも一目置いていた。講師も高く評価した。みんな彼女が好きだった。もちろん一部に敵もいた。そいつら全員ブスだった。ブスが陰口叩いてた。だれも気にせず無視してた。純恋は毎日笑ってた。そんな笑顔に癒された。彼女はおそらく処女だった。しゃべると処女膜響いてた。響く処女膜好きだった。みんなで純恋の噂した。みんな胸中踊ってた。姫はいったい誰好きだ。おれは当然姫好きだ。踏み出せないまま時過ぎた。やがてすべての嘘バレた。彼女は講師に抱かれてた。講師の他にも抱かれてた。とっくに処女膜剥がれてた。忘れようと頑張った。毎晩枕を濡らしてた。やがて心が落ち着いた。たくさん傷つきタフなった。いろんな感情理解した。悲しい感情多かった。それでも夢を見たかった。まだまだ前進したかった。そうしてここまでやってきた。

 

「やっべえ! おれもっこりしちまった!」

「もう一回」

「やっべえ! おれもっこりしちまった!」

「もう、一回」

「やっべえ! おれもっこりしちまった!」

「なんか違う」

「やっべえ! おれもっこりしちまった!」

「どこか惜しい」

「やっべえ! おれもっこりしちまった!」

「もうすこし」

「やっべえ! おれもっこりしちまった!」

「なるほど」

「やっべえ! おれもっこりしちまった!」

「なるほど」

「やっべえ! おれもっこりしちまった!」

「全然ダメ」

「やっべえ! おれもっこりしちまった!」

「才能ゼロ」

「やっべえ! おれもっこりしちまった!」

「殺したい」

「やっべえ! おれもっこりしちまった!」

「鬱陶しい」

「やっべえ! おれもっこりしちまった!」

「悪寒が酷い」

「やっべえ! おれもっこりしちまった!」

「田舎に帰れ」

「やっべえ! おれもっこりしちまった!」

「両親に謝れ」

「やっべえ! おれもっこりしちまった!」

「家業を継げ」

「やっべえ! おれもっこりしちまった!」

「勃起したことある?」

「やっべえ! おれもっこりしちまった!」

「絶対モテない」

「やっべえ! おれもっこりしちまった!」

「生理的に嫌われるタイプ」

「やっべえ! おれもっこりしちまった!」

「資源の無駄」

「やっべえ! おれもっこりしちまった!」

生活習慣病

「やっべえ! おれもっこりしちまった!」

「原因不明の頭痛」

「やっべえ! おれもっこりしちまった!」

「不快な肉塊」

「やっべえ! おれもっこりしちまった!」

「金払うから殴りたい」

「やっべえ! おれもっこりしちまった!」

「ノイローゼの原因」

「やっべえ! おれもっこりしちまった!」

「いますぐ遺書をしたためたい」

「やっべえ! おれもっこりしちまった!」

「やっべえ! おれもっこりしちまった!」

「やっべえ! おれもっこりしちまった!」

「やっべえ! おれもっこりしちまった!」

「やっべえ! おれもっこりしちまった!」

「やっべえ! おれもっこりしちまった!」

「やっべえ! おれもっこりしちまった!」

「やっべえ! おれもっこりしちまった!」

「やっべえ! おれもっこりしちまった!」

「やっべえ! おれもっこりしちまった!」 

「やっべえ! おれもっこりしちまった!」

「やっべえ! おれもっこりしちまった!」

「やっべえ! おれもっこりしちまった!」

 

 

 

 

 

 この五年間は、本当に瞬く間だった。

 あの日都内某所のスタジオで経験したすべての出来事が、いまのおれの血肉となり、絶えず響き続けている。いまのおれを「奇跡」と称する人々も少なくない。勝手にすればいい。おれのスケジュール帳は真っ黒で、マネージャーはすでに二人倒れている。

 今日もおれは自宅マンションで飼うアチャモ(チワワのメス二歳)に別れを告げてハウスキーパーのジョイさんに鍵を渡しハイヤーでスタジオへ。すれ違うスタッフたちと挨拶。そして。

「おはようございます! 今日はよろしくお願いします!」

 新人の新垣大輔くんが頭を下げる。

「おはよう。今日はよろしくね」

「はい! よろしくおねがいします! あの、ぼく宮崎さんの大ファンで! 今日はご一緒できてすごく光栄です!」

「こちらこそ。期待してるよ」

 サブ室のドアの前で監督と話していた冨樫桃華がおれを見る。

「あ、優翔くん。おはよう。今日もよろしくね!」

「おー桃華さん、よろしくおねがいします」

「そうだ、あれよかったよ~、『劣悪少女隊ぱぴぷ@ぺぽ』の道隆寺タカシ」

「観てくれたんだ! ありがとう!」

「いますごい人気だよね~。今度大宮ソニックシティでライブやるんでしょ?」

「おかげさまで。といっても桃華さんの足元にも及ばないけど」

「まあね。なーんて」

「ははは!」

「今日の新人クン、どう?」

「いい感じだと思う。特に声がいい」

「なんかわたし思い出すんだよね~」

「え? なにを?」

「あの日の優翔くん」

 おれたちは顔を見合わせて微笑む。やがてスタッフのひとりが現れ、「それではみなさん、本日もよろしくお願いします」と言っておれたちをスタジオへと招き入れる。

 さあ始めよう。

「それじゃあ本番行きまーす!」

 おれは目を閉じ、深く息を吐いた。

 

「うわああああ! 処女膜からやまびこが! うわあああうわあああうわあああしょじょまくからやまびこがやまびこがやまびこが……(小声)」