MidnightInvincibleChildren

書き下ろし短編:『白濁を耳に』

 

「う、ゥウッ……グッ……アッ……!」

 

 その少年の放った声は、講義室の静寂にいとも簡単に飲み込まれてしまった。おれはすぐさま言葉を添えることはせず、肌を刺すようなこの沈黙をもって、彼自身に感じてもらうことにする。少年はひどい猫背姿で立ち尽くしたまま、浅い呼吸を繰り返しているが……。

「うん、ありがとう。みんなはどうだったかな? いまの彼の演技を聞いて、どう感じた?」

 いくつも並ぶ白の長机には、大勢の生徒が敷き詰めるように座っている。みながみな、自らの中にある感想を咀嚼するように口をつぐんだり、俯いたりしていた。中にはまじまじとおれの顔を見つめる者もいる。いい顔だ。おれはさりげない微笑みでもって応える。

「そこの君」

 鳴らした指でそのまま指し示すと、その女生徒は小さな声で「ふぇ……」と漏らし、横断歩道を渡る前のように、左右を確認してみせる。

「そう、そこの君です。ポニーテールでメガネの君。お名前は?」

「ひゃ、ひゃい、あのう……渡辺美莉亜と言います。あ! わ、わたし宮崎先生の大ファンで! 大宮ソニックシティのライブにも行って……」

 先程までとは打って変わって、生徒たちからはあたたかな笑い声が沸き起こった。少女は饒舌になっている自分から、はたと我に返り、頬を赤らめ俯いてしまった。

「ありがとう美莉亜ちゃん。とても光栄です。そんな美莉亜ちゃんに質問をひとついいかな。緊張しないでね? いまの彼の演技を聞いて、どんな状況が頭に浮かんだかな?」

「うう……じょうきょう……ですか?」

「うん。なんでもいいんだ。自由に、感じたままを答えてほしいんです」

 彼女はあごの先に指を当て、天井を仰ぐ。伸びた前髪の隙間から覗く眼鏡のレンズが、鈍い光を放った。

「ええっと……えー、なんだろ……戦場?」

 再びあたたかな笑いが起こる。どうやら美莉亜ちゃんは、このクラスの人気者のようだ。おれはついつい、この空間にいるかつての自分を想像してみた。

「なるほど! いいですよいいですよ。戦場?」

「は、はい……若い兵士がいて……そこは戦場で……お腹を怪我してる? そんな姿が浮かびました……」

「あ~。なるほどなるほど。彼は若い兵士で、お腹を負傷している。それで漏れた声がさっきの田中くんの演技、ということだね?」

「は、はい……!」

 おれは手に持っていたメモ【勝気なヒロインに論破され、たじろぐ主人公】を教卓の上にそっと伏せる。

「いいですね~美莉亜ちゃん。まずね、想像力が豊か! これはとっても大切なことでね、豊かな想像力というものは演技にも活きてきます。いいですよ、ありがとう! じゃあ他には? 他にこんな情景が浮かんできたよ~というひと、いたら挙手をお願いします!」

 互いに顔を見合わせ、はにかむ生徒たち。その中の数名が遠慮がちに手を挙げる。素晴らしい。おれは長机の間を縫って歩きながら、「いいですね~いいですよ~、先生とてもやりがいがあります」と笑いを誘った。「じゃあそこの君! お名前と、浮かんだ情景!」

 

「えーと、花村拓人です。浮かんだ情景は……学園ですね。高校というか、そういう感じの。それで制服はブレザーで……あ、これも浮かんで……そのキャラの髪は黒でツンツンしていて、たぶんヒロインからはウニとかそんな感じのあだ名で呼ばれているキャラで――」

 

「石田輝留と申します。わたしも学園が浮かんできました。あとはそうですね、わたしの場合この主人公にはドSな親友がいてたぶん小学校のときからの関係で、あ、関係っていっても変な意味じゃなくいや変な意味でもいいんですけど――」

 

「リドル昌也っす~。あ、そうっす、一応ハーフっす~。自分の場合はアレっすね~。一応最初は学園ものなんすけど、一応ヒロインをかばって事故で死んで異世界に転生したばかりの一応主人公なんすけど、実は意外と一応適応力のあるキャラで――」

 

 気がつくと浮かんだ情景ではなくキャラ設定の妄想を発表する時間となっていた。おそらく一人目の渡辺美莉亜を褒める際に「想像力」というワードを意識して使用したがために、その言葉がみんなの頭の中でひとり歩きしてしまったのだろう。

 未だ教卓の横で猫背のまま立ち尽くし、自分の演技への感想はおろか、各々の勝手な妄想を聞かされている田中くんの気持ちを思うと、不憫で仕方がない。ここで一旦空気をリセットしなければ。特別講師としての腕が試されるときだと思った。

「はい! みんなありがとう! 今年の新入生は想像力が豊かな人ばかりなんだね。はっきり言って先生、驚いてます。先生が通っていた時よりもすごいです。はい。それはそうと! 先ほど田中くんに演じてもらった演技のお題なんですが、ここで改めてね、答えを発表しようと思います。じゃあここは田中くん本人の口から、与えられていたお題の発表、お願いできるかな?」

「え……あ、はい! お題? は、はい!」

「じゃあ……お願いします!」

「う、ゥウッ……グッ……アッ……?」

 再び静まり返る講義室の中心で、おれはかつて監督に何度もリテイクを求められた在りし日を思い出していた。

 

 

 

『劣悪少女隊ぱぴぷ@ぺぽ』の主人公・道明寺タカシ役での大ブレイクをきっかけに業界のメインストリームに躍り出たおれは、その後も勢いを落とすことなく若手声優界を牽引した。声優雑誌の表紙を飾り、メインパーソナリティーを務めたラジオ番組も大好評。デビュー当時からお世話になっていた先輩声優、冨樫桃華に気に入られていたこともあって、声優同士の交流を深める飲みの席にもよく呼んでもらっていた。

「ほんと、優翔くん、大物になったよねえ」

 ピクサー映画のメインキャラクターを演じることが決まった冨樫桃華が銀座のバーで開いた祝いの席にて、おれは彼女からそう言われた。周りにいる誰もが彼女の言葉に賛同し、おれの謙遜は瞬く間にかき消される。

「そんなことないですよ桃華さん。桃華さんの足元にも及びません」

「また~。前もそんなこと言ってたけど、すごいんでしょう? 若手男性声優と言ったら、いまや誰もが優翔くんの名前を口にする時代だもんねえ」

「いやいやいやいや。そうは言いますけどね桃華さん。今度のピクサーだって、メインどころはどうせ芸能人枠だからって誰もが思っていたところの大抜擢じゃないですか。天下のピクサーですよ。ぼく大好きですもん。『シュレック』とか」

「あはは~ほら~! すっかり口も上手くなってるし~! そりゃラジオも人気でるよね、わたしも大好きだもん」

「え! 桃華さん、ラジオ聴いてくださってるんですか?」

「実はヘビーリスナーなんです。うふふ。ラジオネーム【処女膜からやまびこ】。あれはわたしなんだよ」

「ま、マジで……え! うっわ、ちょ、待ってくださいよ、本当ですか桃華さん! まいったなあ……今後メール読むとき緊張しちゃいますよ~ははは」

「ねえ」

「あ、はい」

「桃華って呼んでよ」

「え?」

「桃華」

「…………桃華」

 その晩、おれと桃華はキスをした。

 だがそれっきりだった。

 その数日後、彼女のニャンニャン写真が流出したのだ。相手は、どっかのバンドのベーシストだった。

 

 おれは何日も酒に溺れた。あのキスは一体なんだったんだ。

 女とは。

 頭の中で渦巻く疑問の答えがそれであるかのように酒を煽り、店のトイレを汚し、ほかの客から顰蹙を買った。己の傷を見つめれば見つめるほど、自分がどれだけ冨樫桃華を尊敬していたのかを痛感した。たった一度のキス……その先に待っていたはずの……。おれは彼女相手なら、喉を生業道具とする声優にとって禁忌であるはずのオーラル・セックスだってしたはずだった。喜んでしたに違いない。いまだってしたい。したくてたまらない。オーラル・セックスがしたい。オーラル・セックスをすると、きっと楽しい。オーラル・セックスという救い。オーラル・セックスという秩序。オーラル・セックスという倫理。オーラル・セックスという茫漠。オーラル・セックスというなにがし。オーラル・セックスという……オーラル・セックスとは? スマホで調べてみる。「性器接吻」。オーラル・セックスとは性器接吻。オーラル・セックスこそ性器接吻。オーラル・セックスという性器接吻。

 性器オーラル・接吻セックス……。

 死すら覚悟していた。そんなおれを支えてくれたのは、同じラジオ番組でパーソナリティを務める新垣大輔だった。おれより五年ほど後輩だが、歳は三つしか違わず、人当たりのいい好青年。一人っ子のおれは、彼のことをまるで弟のように思い、接した。彼もまたこんなおれを慕ってくれた。

「宮崎さん、元気出してくださいよ」

 まだ出禁を食らっていない新宿のバーで彼と飲む。こんな場末で、ふたりの人気声優が酒を飲んでいるとは誰も思うまい。思う存分語らった。

「写真が流出……おれはね、大輔くん。この件に関してひとつ思うところがあるんだ」

「なんです?」

「なんでそんなものを撮るのだろう?」

「わかりますよ。ああいう人らは結局見てほしいんすよ。普通出て困るもの撮らないっすもん」

「やっぱり? まさか新垣くんも、撮ったりしてないよな?」

「撮るわけないです」

「彼女はいるの?」

「彼女はいます。これですけど」

 口の前で両手の人差し指を交差させる新垣大輔。なにはともあれ、人と会話をするだけでも、心の風通しは良くなった。

「大輔くん、ありがとう。乱暴に酒を飲むのも、今日で最後にする」

 しかしそうはならなかった。

 おれがやけ酒に溺れている間にも、着実に仕事をこなし、きちんと成果を出していた新垣大輔の人気は、瞬く間に手の届かない高みへとのぼってしまっていたのだ。

 

 

 

「みんな、実は先生、今日のために用意してきたものがあります」

 田中くんを席に戻したおれは一枚のCDをカバンから取り出す。

 みんながおれを見ている。

 おれも生徒ひとりひとりの顔を見つめ返した。

 呼吸は浅い。緊張している? この宮崎優翔が? 

 面白い。

 おれのすべてをかけたプロジェクト。

 その狼煙は、今日この場所で上がるのだ。

 

 

 

 新垣大輔の人気に疑問はない。甘いルックス。芯のある声。表現力豊かな演技。軽妙なトークに、時折出る地元関西の訛り。実際会って接していても、清潔感があり、いつもいい香りがする。肌だって綺麗だ。ヒゲなんて月に数回剃る程度なのだろう。ラジオの収録中に、トークのノリに乗じて抱きついたことがあるが……おっ勃った。男のおれでそうなのだ。彼と絡んだ女性声優に、女性ファンからの殺害予告が届くのも仕方がないと思えよう。それくらい、新垣大輔の人気に疑問はない。でも不満はある。おれだって人間なのだ。並べられた事実を、常に飲み下せるわけではない。そんな不満はラジオ番組中の態度に露骨に現れてしまった。ネットやSNSではおれの不機嫌そうな声色への批判が溢れ、大して年齢も離れていないというのに「老害」とまで言われる始末。

「おれが……老害……?」

 再び酒に溺れた。もうなにもかもをかなぐり捨てたくなった。

 そんなときだった。

 

「君、このまえもここで飲んでいたよね。オーラルセックスがどうのってずっとぶつぶつと言っていたから覚えているよ。悪い酒の飲み方をしている若者がいるな。そう思ったもんでね。いやなに、怪しい者じゃない。いまから名刺を渡すよ、ちょっとまってね、あれどこにやったかな、あったあった、ははは、しまった場所を忘れるとは……私はこういう者だ。話を聞いておいても損はないと思うよ」

 

 その初老の男は、栗原哲哉といった。プロデュースをしている、と言った。ぜひ仕事の話がしたい。栗原は微笑んだ。

「どうだい、宮崎くん。興味はあるかい」

 おれはバーボンを一気に飲み下し、グラスをカウンターに叩きつけるのと寸分違わぬ動きで首肯した。

 

 数ヶ月ぶりに、実家の両親へ電話。

「優翔? 元気かい? すごく活躍してるそうじゃない。母さん、もう年寄りだからさあ、あなたが出てる漫画とか……あ、ごめんなさい、アニメって言うのよね。ほんとうに疎くてねえ。でも頑張ってるんだってねえ。お隣のけっちゃん、もう高校生なんだけどね? あなたの活躍知ってるって。すごい人だって言ってたわよも~泣いちゃって私。あんたが定期預金を勝手に解約したときから母さん思ってたわよ。この子は大物になるって」

 母さん……。

「ほら、お父さんもちょっとは話しなさい。せっかく優翔が忙しい中電話くれてるんだから」

「ああ、はいはい。もしもし……優翔か? 母さんはああ言ってるけどな、父さんはあの日、お前のことぶん殴ってやろうかとも思ったんだ。ははは。でも父さんあまりにもショックでな、動けなくなったんだぞ。ははは。しかしそれがいまや……ああ、そうそう。この前のハワイな……良かったよ。ありゃいい場所だ」

 親父……。

 

 久しぶりに声優専門学校時代の友人、出川との食事。

「おれらの中じゃ、優翔が一番の出世頭だな。アニメも吹き替えも全部チェックしているぜ」

 出川は現在、製薬会社の営業をしているという。

「ところで覚えてるか、優翔。島崎純恋。いたろ、あのヤリマンだよ。あいつ結婚したらしいぜ。相手は戸塚だよ。講師の戸塚。子供が出来たんだってさ」

 おれは言葉を失った。

 今度、そこで特別講師をするよ。力なくそう伝えると、出川は自分のことのように喜んだ。

 

 真夜中にふと目を覚ますと、傍らには愛犬のアチャモがいた。

「あちゃもたん、パパですよ~。パパにちゅーは? ちゅー」

 普段からハウスキーパーに世話を任せっぱなしだったためか、顔のすぐ近くで激しく吠えられてしまう。なんて畜生だ。小型犬の鳴き声は、神経に障る。

「おまえだけは味方でいてくれよ!」

 ウィスキーグラスをフローリングの上に叩きつける。意外と頑丈なもので、割れやしない。ベッドから抜け出したおれは再びウィスキーグラスを手に取ると、改めてフローリングの上に叩きつける。ウィスキーグラスは甲高い音を立てながらフローリングの上を滑り、部屋の隅にそっと盛られてあった、出したてと思しきアチャモの柔らかな糞便にめり込んで音もなく止まった。おれはトランクス姿のままその場に崩れ落ちた。冷たいフローリング。言葉がない。漏れる嗚咽。

「ウッ……グウウ、クッ……ハッ……、ヌッ、グググ……ギイ……アッ、ンンッ……スウウウウウ、ヌハァ……アッ、ヌウウオッ、カッ……ハッ……ウッ……グウウ、クッ……ハッ……、ヌッ、グググ……ギイ……アッ、ンンッ……スウウウウウ、ヌハァ……アッ、ヌウウオッ、カッ……ハッ……ウッ……グウウ、クッ……ハッ……、ヌッ、グググ……ギイ……アッ、ンンッ……スウウウウウ、ヌハァ……アッ、ヌウウオッ、カッ……ハッ……ウッ……グウウ、クッ……ハッ……、ヌッ、グググ……ギイ……アッ、ンンッ……スウウウウウ、ヌハァ……アッ、ヌウウオッ、カッ……ハッ……ウッ……グウウ、クッ……ハッ……、ヌッ、グググ……ギイ……アッ、ンンッ……スウウウウウ、ヌハァ……アッ、ヌウウオッ、カッ……ハッ……ウッ……グウウ、クッ……ハッ……、ヌッ、グググ……ギイ……アッ、ンンッ……スウウウウウ、ヌハァ……アッ、ヌウウオッ、カッ……ハッ……ウッ……グウウ、クッ……ハッ……、ヌッ、グググ……ギイ……アッ、ンンッ……スウウウウウ、ヌハァ……アッ、ヌウウオッ、カッ……ハッ……ウッ……グウウ、クッ……ハッ……、ヌッ、グググ……ギイ……アッ、ンンッ……スウウウウウ、ヌハァ……アッ、ヌウウオッ、カッ……ハッ……ウッ……グウウ、クッ……ハッ……、ヌッ、グググ……ギイ……アッ、ンンッ……スウウウウウ、ヌハァ……アッ、ヌウウオッ、カッ……ハッ……」

 ふと、自らの嗚咽がある一定のリズムでもって繰り返されていることに気がついた。これも職業病というやつだろうか。悲しむことさえ演じてしまっているとでもいうのか。おれは自らの首を両手で掴むと、渾身の力で握り締めた。やめろ。やめてくれ。おれの本当の悲しみを返してくれ。おれはおれの悲しみを悲しみたいだけなんだ。

 気がつくと、ハウスキーパーのジョイさんがすぐそばにしゃがみこみ、その豊満な肉体で小さくなったおれの身体を包み込んでいた。

「Easy……easy……」

 耳元で囁かれる聖母のアンセムにおれは声を上げて泣き、やがて気を失った。

 気がつくと、閉め忘れていたカーテンの隙間から朝日が入り込み、泣き濡れた顔を照らしていた。

 おれはすぐさま栗原プロデューサーに電話をかける。

 

「ひとつ、企画案があるんですが」

 

 おれの反撃が始まる。

 

 

 

 

 

 

 学務担当者が用意してくれたラジカセに焼きたてのCDをセットする。

「これ、実はまだどこでもかけてないやつなんです。本邦初公開、ってやつですね」

 講義室内にどよめきが起こった。生徒たちは隣同士で顔を見合わせ、その興奮を共有している。

「といってもですね、これは曲――というわけではありません。みなさんがこれから学んでいく、プロの声優としての演技。その参考になるいわば教材というか、力になれるようなものを真剣に考えて作られたものなんです。ぼく自身、この専門学校であらゆることを学びました。当時の講師に言われたことは、今でもはっきりと覚えています。そんなぼくから、当時の自分に伝えたいこと。それを念頭において作りました」

 おれは再生ボタンに指をのせる。

 この音源の制作は難航した。自分にウソをつかない。それがなによりも譲れないルールだった。栗原プロデューサーとは何度も話し合った。時には衝突することもあったが、おれのこの熱意でもって納得させた。

「顔つきが変わったよ」

 徹夜続きの栗原プロデューサーは、濃いブラックコーヒーを飲みながらそう言った。

 過去の自分に戻れるうちは、人は変われない。

 

 そう信じてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 宮崎優翔の! 

『かんたんな感嘆』! 

 みなさんこんにちは。声優の、宮崎優翔です。今日は私宮崎が、声優を志す皆さんのために、様々な感情表現、いわゆる感嘆――の技術を、かんたんに紹介していきたいと思います(笑)。キャラクターに命を吹き込むのがぼくたち声優の、なによりの役割です。様々な感情を理解して、それを表現する術を身につけることで、アニメや映画、ナレーションなど、声優としてのお仕事で活躍することができるようになる……のかも(笑)?

 明日の主人公はテメエ自身!(©『劣悪少女隊ぱぴぷ@ぺぽ』)

  ってなわけで(笑)

 早速いってみましょう!

 

 

 生徒たちからは、自然と拍手が沸き起こった。

 

 

レッスン1 《基礎編》

 【驚き】

  「ンッなァ……?」

 【悲しみ】

  「グッ、うう、つうう……!」

 【喜び】

  「ンッフッ……」

 【怒り】

  「ックゥ……!」

 【後悔】

  「アッ……」

 

 

 みな、息を呑むように音声に聴き入っていた。おれは腕を組み、いまの地位に身を置いてもなお学びに貪欲であるかのような体で、音声が流れるラジカセを細めた目で見つめ続ける。

 

 

レッスン2 《応用編》

 【ヒロインが急に着替え出したとき】

  「なッ……!」

 【屋上から望む街並みが燃え盛っていたとき】

  「な……ッ!」

 【父親が黒幕だったとき】

  「ナッ……!」

 【通学途中に見かけた美少女が転校生として教室に現れたとき】

  「ンッ……ぁ……?」

 【背後の写真立てが突然倒れたとき】

  「ンッ……?」

 【犬の糞を踏んだとき】

  「ヌぅッ……?」

 【腹を殴られたとき】

  「カッ……アハァッ、ハァ……!」

 【顔を蹴られたとき】

  「ヌハアッ! ッカァ……!」

 【腹部への攻撃で吐血したとき】

  「ッ……ポゥあ……カァッ!」

 【惨劇を目の当たりにして嘔吐するとき】

  「んグゥッ……ボロロロロロロロロロロ!」

 【拷問されているとき(我慢編)】

  「グッ……ウウウウッ! ヌウゥウッ!」

 【拷問されているとき(絶叫編)】

  「グァ、がああああああああああああああああああああああああああ!」

 【そのまま覚醒したとき】

  「あああああああああぁぁぁァァァアアアアアアアアアアアアアアア!」

 

 

 誰かが唾を飲み下す音が聞こえた気がした。いや、幻聴などではない。おれのプロとしての技術――そのレパートリーの豊富さや繊細な表現力に、誰もが荒肝を抜かれたような顔をしていた。

 そして内容はいよいよ、おれが最後まで決して譲らなかった、執念の賜物とでも言うべき領域へと突入しようとしていた。

 

 

レッスン3 《成人向け編》

 

 

 ざわめきが起こった。

「すげえ」

 誰かの漏らす声が聞こえる。

 

 

 【乳首を責められているとき】

  「ハッ……なアァ……!」

 【局部を触れられたとき】

  「クゥッ……!」

 【オーラル・セックスをされているとき】

  「アァッ……! アア! ハアッ……!」

 【オーラル・セックスをしているとき】

  「じゅるるるるるるるるるるるる!」

 【オーラル・セックスをしぶられたとき】

  「ンッ! ンーッ!」

 【初めての挿入】

  「アッ……ハァ……ァッタ……カイ……!」

 【ピストン中】

  「んはァ! んはァ! んはあッ……ウウウギモチィッ!」

 【絶頂

  「あ、やばい! やばいやばいやばい!」

 【絶頂

  「ゴメンナサッ……ッッッ……!」

 【絶頂③】

  「スッ、スゴィうわっ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ」

 

 収録した内容とは異なる音声に、おれは我が耳を疑った。たいへんだ。CDにキズが入っている? あるいはこのラジカセが古いのか。おれは平静を装いながら、しかし迅速にラジカセを小突いた。

 

「ワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッ」

 

 音の細かな反復はさらなる加速を見せる。今更ながら、なぜ用意できるものがラジカセだったのか、データファイルではなくCDなのかという疑問が噴出する。しかしここで焦りを見せれば、この状況が招かれざるものであることが生徒たちに周知されてしまう。彼らの神聖な学びの場において、その熱意に水を差す真似は許されるはずもない。

 再度、小突いた。

 

「ワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワア、ア、ア、ア、ア、ア、ウワウワウワウワウワウワウワウワウワウワウワウワWOWOWWOWOWWOWOWWOWOWWOWOWWOWOWWOWOWWOWOWワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワウワウワウワウワウワウワウワウワウワウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ、ウ、ウ、ウ、ウ、ウワウワウワワワウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウワウワ…………

 

 

 講義室は、幾重もの声に包まれた。

 椅子から転げ落ちる男子。出口に向かって走っていた女生徒が彼にぶつかって転倒した。耳を押さえ悲鳴を上げる女生徒もいる。かばうようにして抱きしめる男子の姿も。絶頂時に漏れる声の断片が木霊するこの空間において、もはや平静を保てる者などだれもいなかった。まるで永遠に続くかのような……煉獄。そのリズムは限界まで加速していく。

 だが不思議なことに、おれの心は落ち着いていた。

 平穏、そのものだった。

 混沌に喘ぐ生徒たちのなか、自らの席に着いたまま、力強い眼差しでおれの顔を見つめている生徒がいた。その目には、うっすらと涙が浮かんでいるようにも見える。おれも彼の目を、その魂を見つめ返す。

 田中くんだった。

 おれは鳴らした指でそのまま彼を指し示す。

 彼は喉を隆起させたあと、迷いなく口を開いた。

  

 始めよう。

 おれたちの反撃を。