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我がS極たち

 

 

三連休を利用して沖縄に帰ることになったのは良いものの、スタンリー・キューブリック恩田陸や大学時代にブログを愛読していた風俗嬢がそうであるように、僕も飛行機が苦手なのでした。風俗嬢も同じ理由を書いていたが、根本的に鉄の塊を信用していないからだと思う。同じ理由から絶叫マシンも嫌いで、たとえ事故の起こる確立がかなり低いものだとしても、自分はその確率の低い事象にからまれるような人間だと思っている。だから帰省のたびにいくらかの緊張を覚えてしまう。

緊張対策として、僕は飛行機にのる際は必ず音楽を用意するようにしていた。個人的にはあの巨大な鉄の塊が轟音を立てて加速し地面から浮遊する離陸時のバイブスが特に苦手なので、そのタイミングに合わせて音楽を聴き、気分をごまかすようにしている。今回、成田発沖縄行きの飛行機の離陸時に僕が再生したのはカニエ・ウェストの『パワー』だった。

 

Netflixでダウンロードしておいた『ボーダーライン』を鑑賞し、二本目の『ヒーロー・ネバー・ダイ』鑑賞中に那覇空港に到着した。1年ぶりの沖縄は夜の9時過ぎ。関東はすでに朝夕と冬のような気温を見せる日もあるというのに、ここはまだまだ夏。湿度も高いので空気がまとわりつくようでうざい。でもいくらか気持ちは緩んでくる。このうざさにはどこか浮ついたものも感じる。久々の実家に着いて早々、物置と化している部屋に荷物を置いてくたびれた布団で寝た。めちゃくちゃ暑かったのでクーラーを付けて寝た。実家で過ごす夏のイメージは、クーラーから漂うほのかなカビ臭さに凝縮されている気がした。

 

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翌日になると今度は弟が帰省したので、父親と一緒に空港まで迎えに行き、帰りに沖縄そばを食べた。僕と弟は父と別れ、祖父母に顔を見せてこようとドライブすることになった。車の中でBAD HOPの『MOB LIFE』を流しながら、『フリースタイルダンジョン』の晋平太戦におけるパフォーマンス並びにその後ラジオでの弁解までを含めたT-Pablowの悪口で盛り上がった。

 

祖父は耳が遠いので補聴器をつけている。おしゃべりな祖母の悪口が嫌いなので、けっこうな頻度で聞こえないふりをするという『レボリューショナリー・ロード』のようなテクを見ることができる。夏頃はあまり元気がなかったと聞いていたので心配していたが、ここ最近はまた盛り返してきているとのこと。一緒に行った居酒屋でも出てくる品々を次々と平らげていた。88歳の食欲に負けじと僕と弟も出された料理を食べまくった。後ろのテーブルではその店の小学生の娘がもやしのひげ根をとっていた。

 

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僕はこの帰省で初めて姪っ子と対面した。兄はこの春先に父になっていたのだ。眉毛が驚くほど太いその子は、その大きな目に映るものをなんでも凝視した。抱っこされながらも必ず外側を向きたがるので、どさくさに紛れて僕が抱きかかえたところで気づかれなかった。感動したので、たくさん写真を撮った。兄たちが帰ったあとに見返してみても、とにかく眉毛が太かった。

 

昼寝しているあいだに叔母がやってきて母とだべり始めたので挨拶をすると「太ったね」と笑われ、太っている従兄に似ているとまで言われた。これとまったく同じことを前日に母方の祖母にも言われていたので、寝起きの僕は大変に気分を害し、海まで歩くことにした。ラジオクラウド爆笑問題・田中とハライチ岩井が猫についてトークするだけの番組を聴きながらさとうきび畑の間を縫って海まで降りていく。日は沈みかけていたし、僕は便意に襲われていたので、観光施設に立ち寄って排便。地平線に沈む夕日を眺めていると、特別楽しい訳でもないのに楽しいような気持ちになった。

 

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僕は確実に太っていた。祖父のお祝いのため久々にスーツを着たところ、ズボンがあまりにもきつすぎて吐きそうになったのだ。でもそんなことはどうでもよくて、祖父のお祝いは和気藹々と進められた。また姪っ子と対面できたので、その点でも心がウキウキする。僕たち兄弟は賑やかしを頼まれたので、それに応えるかたちでカラオケを歌ったり、祖父へのメッセージを述べたりした。最後にはお祝いの締めとして、みんなでカチャーシーを踊ることになった。沖縄を出てからのほうが、こういう沖縄っぽい流れをすんなり受け入れられるようになった気がする。その日は普段あまり踊りたがらないシャイな祖父も自ら立ち上がって踊っていたので、お祝いが無事成功したことを実感した。帰りはみんなで祖父の家により、オリオンビールを飲んでダラダラしてから解散した。母の運転する車でシーサイドレストランに寄り、ハンバーガーを買って食べた。

  

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三連休はあっという間に終わる。留学帰りの弟は留学先で「アニメのイントネーションってやっぱり変だよね?」と言われ『ONE PIECE』のゾロとサンジの声真似をしたらウケたという話をした。そんな彼は僕よりも一日はやく沖縄を出た。僕は僕で部屋に置きっぱなしにしていた小説や漫画を持ち帰ろうと段ボール箱に詰めていく。ふと机の一番下の引き出しに入れっぱなしにしておいたAVも回収しておかなければと思い、一年ぶりに引き出しを開ける。するとそこには僕のAVが綺麗に並んで収められていた。つぼみのDVDはCDでいうところの星野源の『恋』みたいなものだからしょうがないにしても、北原夏美のドラマ仕立てAVを家族の誰かに見られたという事実は、一応覚悟はしていたこととはいえなかなかの心許なさで手が震えた。段ボール箱ふたつ分の荷物をコンビニから送った僕は行き先も決めずにドライブをする。なにか映画でも観ようかなと思って我が青春の詰まった町・北谷町美浜に行ってみたけれど、沖縄市に一昨年出来たイオンライカムに客を取られたと思しきその寂れ方に痛いほどの寂寥感を覚えた僕はなにも観ずに帰った。心がS極に引っ張られているのを感じた。

 

目に映るあれこれが僕の心をつかんで離さなくなる不安定な精神状態のとき、僕はそのあれこれのことを「S極」と思いこむ癖があった。それは大学進学前、残された時間を満喫しようと友達と毎日ドライブをしていたころにも陥った状態だった。「S極」はつまり人や物や景色を通して見えてくる「何かの終わる予感」なのだと思う。たった数日いただけで?と混乱した僕は家に戻ってFMラジオを聴きながらソファーに寝込んでしまった。するとラジオからはアンジェラアキの『手紙~背景 十五の君へ~』が流れてきた。高校の卒業式では、卒業生全員でこの曲を歌った。「もう18歳だけどな」と思いながら歌ったことをよく覚えている。式で僕の隣に座っていたのは学年のミス1位に選ばれたクラスメイトの女子で、全然話したことなかったけど最後の最後に「こいつ歌下手だな」と思われたくないと思って一生懸命歌った。なんだか「一生懸命歌った」という文章からは、綺麗な歌声は聞こえてこない気がする。とにかくそんなことを思い出してまた哀しくなった。同じ制服を着て、体育館に並んで、電車もない田舎で、畑ばっかりで、そんなところで18年!胸のうちのN極がバグりそうだった。

 

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そんなこんなで僕は強烈に小説を書きたいと思った。かつて沖縄を舞台に書いた『マザファッカーズ・リユニオン』という小説に不足していることを自覚しつつも、うまくつかむことのできなかった要素が僕の中に蓄積しつつあるように感じたのだ。群像か新潮の一次選考も通過しなかった拙作で、思い入れが強すぎるあまりコントロールできなかった不細工な作品だ。距離が必要だったのだと思う。そして今回も結局、距離をとるために時間に頼ってしまった。もうずいぶんといろんな時間が流れてしまっていた。焦るというより、機が熟したのだと思いたい。のんきに太っている場合ではないのだ。

 

 

 

帰る日の朝、母親が早くからクッキーを焼いてくれた。僕はそれを手に飛行機に乗り込んだ。離陸時のBGMはM.O.P.の『Ante Up』。ぜんぶ帳消しにする。

 

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