あれもこれも面倒くさい/『「狂い」の構造~人はいかにして狂っていくのか?~』

 

 

僕は本当にTwitterが大好きなので、眠れない夜なんかはバズったTweetにぶら下がる異常なテンションのアカウントを片っ端からブロックすることで充足感を得ている。一方で、ギョッとするような事象にぶつかることも多々ある。はっきりと違和感を覚える言動ややりとりだって、当然のように、結構な確率で揺蕩っているものだ。

 

僕だって自分の部屋の中で全裸のままウロウロすることがあるが、仮に部屋が人通りの多い道路に面した1階で、かつ窓も開けっ放しの状態だったらさすがに躊躇う。でもそれがまったく気にならない人もいる。他者という存在の得体のしれない側面に触れたときひとは緊張するが、時に僕はその緊張を恐怖に近いものとして受け取っているのかもしれない。

 

四年前に読んで大変感銘を受けた本『「狂い」の構造~人はいかにして狂っていくのか?~』を再読した。実家に帰った際にまとめて持ってきた本の中に含まれていたのだ。この本は小説家の平山夢明氏と精神科医春日武彦氏が対談形式で語る「狂気」についてのあれこれが収められている。ほとんど雑談といった雰囲気なので、半ば乱暴とも思える勢いの良さで進んでいくところもあるのだけど、ふとした瞬間に瞬間最大風速を喰らう箇所が飛び出してくるので退屈しない。むしろ面白いがゆえに心が忙しなくなる、そんな本だ。

 

 

この本は基本的に、「面倒くさい」という感情は「狂気の孵卵器=おかあさん」という視点で貫かれている。目の前に危険が迫っていても「面倒くさい」という感情を優先してしまい解決策をとらない人は、どういうわけか結構な割合で存在する。被害を受けることと解決策をとることでは、明らかに後者のほうがまだ楽なはずなのに、優先順位があべこべになっているのだ。そのいびつな状態はさらなる悪い状態を招きかねない。ここで出てくる平山氏の知人の例が興味深い。

 

平山 知り合いで、レンタルビデオを10ヶ月返さなかったヤツがいるんだけど、延滞料で16万円ぐらい取られたんです。不思議なのは完全に忘れていたわけじゃなくて、彼はいつも「返さなくちゃ!」と青いビニールケースを見る度に思ってるんです。そこでテープがすべてあれば返しに行くんだけど、残念なことに6本借りたうちの1、2本だけちょっとどこかに紛れてわからなくなってしまった。だから気持ちとしては、「返さなくちゃ」と焦るんだけど、まずは探すところから始めないといけないわけで、そうなるともう、やっぱり面倒くさいから……。

 

 確かに常識的な対応とは程遠い話ではあるが、ちょっとだけ耳が痛くもある。というのも、ここ最近ネットなどでよく目にする「タスクの先送り」が当てはまる例にも思えるからだ。それこそ僕自身も陥ってしまいがちなことなのだけど、ここで大切になってくるのはバランス感覚だと平山氏は続ける。

 

平山 バランス感覚というのは個人個人では成り立たない。個ではないですよ。例えば、黒いか白いかというのは、黒があったり白があったりするからわかるのであって、黒しかない世界だと「俺って黒すぎる」みたいな考えはまったく成立しない。で、逆に「いや、おまえは白いよ」と言われるかもしれないわけで。

 結局、比較対象である他者とのつながりみたいなものを意識に刷り込んでいないとバランスが成り立たない。心の天秤がない状態になってしまう。

 

レンタルビデオ延滞を例に考えたとき、天秤の片方に「面倒くさい」、もう片方に「延滞料金のことやお店にかかる迷惑」を置く。本来であれば、どちらかに傾くことはあれ「面倒くさい」側に振り切ってしまう前にバランスをとろうと重い腰を上げたりするものだ。しかし、それでも動かない人がいたら?もはやその天秤すら持たない状態の人間がいたら?

 

平山氏は人間のそのような状態を「バルンガ病」と呼んでいる。

 

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バルンガとは『ウルトラQ』に登場する風船怪獣のこと。自我やプライドといった個の部分が不健康に肥大化している状態のことを、バルンガに例えてそう言っているっぽい。

 

春日 謙虚さは「ゆとり」がないと生じないもんね。狂った人はそれなりに理屈はあるんだけれど、それでもう頭のなかがいっぱい。あの目一杯さが周りを圧倒するよね。

 

 

 

とまあこんな感じで、面白おかしく狂気について語らう中で、核心に触れるような発言もテンポよく飛び出すので興味が途切れない。平山氏や春日氏の潤沢な引き出しから飛び出す様々な事例もインパクト大だし、作家ならではのユーモラスな喩え話が絶妙にテーマを補足してくれて気持ちもいい。

 

中でも僕が好きなのは、「第二章 バルンガ病の人々」で出てきた“言葉”についての話だ。春日氏は「理不尽な行動を取るときの理由」についてこう述べている。

 

春日 単純に言葉に取り憑かれることがあるんじゃないかと思うわけ。万引きなんかでも、たまたまさ、「万引き」という言葉なのか、あるいは「もったいない」という言葉なんだか知らないけどね、なんかそういう言葉だけがもう、キャッチフレーズみたいになって、それで実際にやっちゃうとか(中略)なんかそういうことってあるんじゃないかという気がするのね。

 

平山 「言霊」ですよね。結局、何かの言葉によって、非常に雑に、ランダムにばらけていたものが、キュッと締まるわけじゃない。

 

自分の行為を正当化するキャッチフレーズを見つけると、人はその言葉に縛られて行動しているように見える。結局はここでも「絶えず考えること」を放棄した「面倒くさい」が顔を覗かせる。このように人を捕らえる言葉の中でも、とりわけ強力なものがあるという。それは「やっぱし」だ。

 

春日 妙な具合に調子が上がってくるとさ、すべてが「やっぱし」っていう言葉に駆動されていくわけ。あらゆることが「やっぱし」で、例えば電車乗り遅れても、「やっぱし」でさ。そうすると世界はドミノ倒しみたいに……。

平山 しかも、「やっぱし」だから、「こうなることは俺は予測はしていたんだ」って?

春日 そうそう。

平山 諦観がありますよね、「やっぱし」には。

春日 何やっても「やっぱし」になっちゃうから、ひでえことになる。

平山 ほんと、ほんと。

春日 だからその「やっぱし」ってのは、俺、なんかグッとくるものがあったね。 

平山 「やっぱし」っていうのも、要するに思考停止させてるんでしょう?

春日 うん。思考停止はさせつつも、何かものすごい吸引力がある言葉じゃない?

平山 ちょっと自分たちも使いそうだよね。

春日 でしょう? 車で人を轢き殺して、「やっぱし」とか言いそうじゃない?

平山 「俺、やるような気がしてたんだよ」みたいなね。だから俺のせいじゃねえよって。これは誰かにさせられたか、何か大いなる秩序にハメられた結果であるんだ。

 

この会話を読んで背筋を凍らせるのは僕だけではないはずだ。

 

 

この他にも本書には興味深く、愉快でエグい話がたくさん詰まっている。ざっと振り返ってみても

 

  • 人殺しの見る世界は画素数が少ない説
  • 選挙に出る=躁病
  • もったいないは人を狂わす
  • ケツ穴に高射砲の弾を入れた男
  • アウトレイジ』の処刑シーンのモデルとなった自殺
  • 新幹線に轢かれると人は粉になる
  • 殺人鬼には嗅覚の鈍い人間が多いのか

 

などなど枚挙にいとまがない。

さらには先月Netflixで配信されたデヴィッド・フィンチャー製作のドラマ『マインドハンター』にも登場する殺人鬼エド・ケンパーを始めとする世紀の人殺したちにまで話は広がる。出版されたのが2008年といまから約10年も前ということもあり、発達障害などに関する言及の範囲がやや狭く感じるところもある。それでも得体のしれない、雑な空気の蔓延をひしひしと感じる今日このごろ、「狂気」理解の第一歩として本書を読んでみるのもいいかもしれない。

 

個人的には、「夜の公園で見た亀の甲羅と謎の女」の話が、ホラー作家平山夢明氏の本領発揮といった趣の話で最高でした。