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ふたり映画のススメ

 

 

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gingerweb.jp

 

先日、Twitterにてある記事が賑わった。ひとりで映画を観たいけどちょっとハードル高く感じているアラサーシングル女性に向けて書かれた記事なのだが、これが一部で炎上したのだ。たしかにとても野暮な話ではある。余計なお世話は人を苛つかせる。とはいえ、そもそもが「ひとりで映画を観たりもしたいけど、ちょっとハードルが高い」と思っている人向けの記事っぽいので、僕自身、特に腹が立つとか、腹を立てている人に腹が立つとか、そんな両者をみて笑うなどはできない。それは単に僕が論理的な一線を強く意識しているとかそういうんじゃなく、ここのところなんだか憂鬱で、ふさぎ込みがちで、あれだけ大好きだったいろんな創作物に触れることすら億劫になり、自分でも得体のしれない何か、それこそ『ゴドーを待ちながら』のゴドーにあたるものをただ待ち続けているかのようなこの漫然な日々に囚われてしまっているからに他ならない。以前なら腹を立てていたようなことに遭遇しても「そうは問屋が卸さない」とは思わなくなった。

 

でも僕は昔から、映画は絶対に一人で観る派だったのです。中学のころまでは友人と映画館に行くことを楽しみとしていたのだけど、あるとき漠然と「みんなそれほど映画が好きなわけじゃないっぽいぞ」ということに気づいてしまい、高校に上がってからはひとり映画のイージーでドープな味わいにどっぷりと浸った。どうせ映画館で観るならR指定じゃなきゃ嫌だと、チャレンジングな鑑賞をのびのびと行うことができたし、余韻に浸るための散歩も自由。僕が通い詰めていた地元の映画館は、その真後ろにきれいなビーチがあったため、よく白い砂浜に腰掛けて海を眺めながら「幸せだなあ」とため息をついていた。気分はすっかり若大将なのである。

 

そんな僕だが、高校3年生の冬に一度だけ、クラスメイトと映画を観にいったことがあった。その男子は運動部で、気さくな人柄から男女ともに人気があった。モテる男子高校生というのは、自尊心の暴走をコントロールできないのか、基本的に鼻持ちならないやつばかりだったというのに、そのクラスメイトは二枚目寄りの三枚目といった風情の、人気も納得、快男児だった。

 

そんな快男児からいきなりEメールが届いた。「今度いっしょに映画でも観に行かん?」と書いてあった。僕は送り先のメールアドレスを確認したが、僕だけにしか送信されていなかった。うわ、マジか。サシで映画を観に行かないかとは、どういう風の吹き回しなんだ。そう思った僕だが、もちろん誘いにのった。簡素な文面からなんとなく、卒業間近の愛惜を感じとったからかもしれない。それに僕は日頃から観た映画の面白かった部分などを彼に誇張して伝える習慣があったので、僕を誘うなら映画だろうという、彼の心遣いも感じていた。僕らは来る土曜日にリドリー・スコット監督の『ワールド・オブ・ライズ』を観に行くことにした。

 

映画を観終わった僕らは、真冬の曇天の下、あてもなく歩いた。映画は面白かったけど、ぶわーっとはしゃぐような内容でもなかったため、オープニングの大爆発シーンと、ディカプリオがテロリストに捕まって金槌で指を叩き潰されるゴア描写に話題は終始した。学校ではよく話すけど、こうやって外で、しかも二人っきりで話すことなんてこの三年間一度もなかったんじゃないかと思った僕は急に緊張して、なにを話していても収まりの悪さを感じていたが、たまたま見かけた雑貨屋に入って仮装用のカツラなんかをかぶっているうちにどうでもよくなってきた。

 

それから僕らは同じ高校のOBがバイトしているラーメン屋で夕食を済ませ、バスに乗って帰った。三年間の思い出とか、今後についてとかを深く話したわけでもなく、本当にそのまま「また月曜に」と解散。当時の僕は映画をひとりで観ることを半ば信条のようにしているところがあったのに、その日はふたりで映画を観れたことが思いのほか響いていて、意外と悪くないじゃんと思ったりもした。

 

つまりあの感じを希求し、でも得られずに悩んでいる人たちに対して、新たな選択肢を提示する意味で書かれたのが例の記事なのかもしれない。そう思って再度よく読んでみたら、どちらかというと「他人から寂しい人と思われることが嫌な人」向けのおせっかい記事に思えてきて、もうどっちでもよくなりました。あえてひとりを楽しむもよし、自分なりの策があるのなら実行するもよし、ひとりがいいというのならそのままでもいい、それだけの話なのだ。だって僕ら程度の能力からすれば、この世界はあまりにも広大で複雑で、だからこそ自由でもあるのだ。届ききらないゆえの自由。でももちろん自由じゃなくたっていいのだ。甘んじて受け入れるのも、抗うのも、どっちつかずで悶々とするのもいい、もうなんだっていい。例えば僕の好きな曲で『地獄でなぜ悪い』という曲があって、知らない人からすれば「え、地獄とかいやだ」と思うかもしれないけど、それをあえてタイトルで高らかに宣言することで、逆説的にエンパワメント効果の獲得に成功していると思う。歌っている人の名前はちょっといまど忘れしちゃったんだけど、グリコ森永事件の似顔絵にちょっと似てる、とても人気のある男性シンガーです。ちなみに僕は『SUN』や『恋』という曲も好きなのでオススメです。

 

 

 

 

 

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