MidnightInvincibleChildren

短篇『おうちにかえる時間です』



 

 

 

 

 亜矢子ちゃんはトイレでブランケットを貸してくれた。わたしは断ったけど、彼女はこうやって腰に巻けばいいと実践して見せた。わたしと亜矢子ちゃんは同じクラスだったけど、話したのはそのときが初めてだった。

 

 それからわたしは授業中もずっと亜矢子ちゃんのことばかり考えていた。彼女の頭の形は、いまでもそらで描ける。提出しなくていい数学のノートには、亜矢子ちゃんの頭の輪郭を練習したあとがたくさん残っている。

 彼女はすぐにおなかがすくんだよねといって、わたしが食べていたグミをじっと見て、いいよあげるというと喜んでくれた。二個いいよっていうと、きゃーっていった。

 亜矢子ちゃん、弟いるんだっけ。

 うん、いる。

 似てる?

 どうだろう。そんなにだよ。みつきちゃんは?

 上にひとりいるけど。

 えー、お兄ちゃん?

 そうそう。

 仲いい?

 お兄ちゃんのこと好きな妹なんていないよ。

 借りたブランケットを返すために初めて亜矢子ちゃんの家にいったとき、そこでわたしは初めてはるくんにも会った。亜矢子ちゃんより6つ下。やっぱ似てるね、というと、そう? と彼女はちょっとそっけなかった。はるくんはおもちゃの剣をもって空をかくように振る。わたしも手刀で応戦する。興奮したはるくんはわたしを強くぶってしまう。亜矢子ちゃんが怒る。はるくんは泣いておしっこを漏らしてしまう。わたしはわたしのせいではるくんが怒られてしまったのと、いきなりのおもらしを見て頭が真っ白になり、結果なにもできなかったことが惨めで、未だにあの日のことを思い出す。はるくん、ごめんよ。ほんとうは全然痛くなかったけど、頑丈すぎるのもちょっと変かと思ってわざと大げさに痛いふりしてたら、亜矢子ちゃんがすごく怒っちゃって、わたしもいまさら説明できなくて、はるくんおもちゃを奪われて驚いちゃって、ああごめん。わたしは自分が情けなくなる。

 

 でも浴室から戻ってきた亜矢子ちゃんはいった。

 ごめんね。はる、みつきちゃんのこと好きだからさ。

 なのでわたしが

 わかってる。好きな子にはいじわるしちゃうよね。気にしてないっていっといて。

 そう答えると彼女は笑った。

 亜矢子ちゃんの家はおばあちゃんの家で、お父さんもお母さんもいない。これは有名な話なので、わたしももちろん知っている。おばあちゃんと呼ぶにはあまりにも若い雰囲気のまり子さんはいつも夕方になると帰ってきて、わたしを見るたび両手を振ってくれる。わたしが縁側に座って割れた鉢植えを眺めていると、彼女は亜矢子ちゃんち名物の、やたら味の濃い麦茶を持ってきてくれる。

 みつきちゃん、彼氏できた?

 えー。いらないですよそんなもん。

 でもみつきちゃん、モテるでしょう?

 そんなそんな。モテませんって。

 あの子はどんな感じ?

 亜矢子ちゃん? 毎日元気ですよ。

 そうじゃなくて。

 あ、そうか。めっちゃモテますよ。

 とそこに亜矢子ちゃんが戻ってきたのでまり子さんとわたしはお互いに笑い合って話を切り上げる。なんか楽しそうだな、と独り言のようにつぶやく亜矢子ちゃんには、ついつい意地悪したくなるいじらしさがある。

 

 

 

 もちろん宮本くんの件は別として。

 

 

 

 いつものように放課後になって亜矢子ちゃんの家に行こうと帰り支度をしていた。それなのに亜矢子ちゃんの姿がなくて、あれ? と思って何人かに聞いてみたら宮本くんじゃない? みたいなことをマリが、さらにはムギちゃんもいう。宮本くん? わたしは集まった断片的な情報から体育館裏に向かい、そこで野次馬となっている男子たちと、その視線の先にいる宮本と亜矢子ちゃんを見つける。

 

 変なバイトしてるって本当ですか?

 

 宮本くんの質問は、一部の生徒の間で勝手に話題になっている亜矢子ちゃんに関する根も葉もない噂のことで、じゃんけんで負けたんだか罰ゲームだかで宮本くんは、その真相を本人に質問する役に選ばれたらしかった。

 

 わたしはあの日ほど自分がなにかに対してこれほどまでに怒りを燃やせる人間なのだと実感したことはない。行為そのものもそうだし、体育館裏というミスリードを狙った場所選びも最悪。わたしはあの場にいたやつら全員をブルドーザーでひとまとめにひき殺したいと思った。ブルドーザーの免許を持っていたら本当にやっていたと思う。しかし無免許のわたしは教室に戻ってハサミを取ってきて宮本くんくらいは刺してやろうかと考えるのが精一杯で、その場をダッシュで離れ、でもまって、亜矢子ちゃんは? と思ってまたダッシュで戻り、ひとり教室に戻るところだった彼女のもとに駆けよった。

 

 でもわたしには彼女にかける言葉がなにもなかったのだ。

 

 一緒に学校を出て、暗くなるまで彼女の部屋でだらだらして、そんないつも通りをなぞったのもいわゆる恒常性みたいなやつだろうか? わたしたちはあの日、特になにかを話したわけでもないけど、いつも通りに過ごすことで非日常的な出来事やそのショックを塗りつぶそうとしたのかもしれない。

 

 そういうことに気づくのはいつだってちょっと遅いタイミングで、その夜わたしは再度追いついてきた感情に押しつぶされて泣いた。そのまま亜矢子ちゃんに電話をかけようかとも思ったけど、深夜一時にそれはまずいなという理性にまた邪魔をされた。みんな、人のことをなんだと思っているんだろう? 明日亜矢子ちゃんに学校で会ったらなんていおう? わたしはなんていえばいいんだろう? なにもない。なにも持ってない。こんな自分がたまらなくみっともない。

 

 

 

 ささくれだったわたしは本当に冷徹なので、何日か後に宮本くんが駅の階段から転げ落ちて左手首を骨折したときにも一切同情はしなかった。その痛みを想像する気にすらならなかった。天罰が下ったんじゃない? さようならって気持ちで話題にすら上げなかった。わたしは亜矢子ちゃんの家に通い、スーパーで買ったお刺身を醤油に漬けて次の日にどんぶりにして食べたりする。別々の漫画を同時に読んで、相手に全部説明することにちょっとだけハマったりする。なんとなくどちらからともなく、丸一日ずっと裏声だけで会話したりする。

 亜矢子ちゃんって、家だとじぶんのこと亜矢子っていうよね。

 えーいわないよー。

 いやなんで! いってるよ!

 うそー。なんでそんなこというの。

 だっていってるから。

 あやこ、いってないもん。

 みつき、きいたもん。

 で、飛んできたはるくんのパンチを避けるわたし。麦茶を飲んで、亜矢子ちゃんのベッドに寝そべっていると、世界の回復する音が聞こえてくる気がした。

 

 

 

 そんなある日の放課後、左手が肉まんみたいになっている宮本くんがわたしのところにやってきた。

 

 ちょっといいですか。

 

 ここ最近、宮本くんの様子が変だという話は耳にしていた。怪我をした彼は野球部を休んでいるか辞めたかして、坊主頭は伸びっぱなしで、学校も急に休んだりするようになり、なんか精神的に病んでるんじゃ? みたいにいわれていた。さらに問題なのが、宮本くんの自宅からはほど遠いはずの亜矢子ちゃんち近くの公園に宮本くんがいるのをわたしは何度か見ていたってことだ。ベンチに座って、前屈みになってスマホをいじっているだけなんだけど、あいつ、亜矢子ちゃんになにする気なんだ? 近くわたしのほうから声をかけようと思っていたくらいなのに。

 

 非常階段の踊り場で彼はいった。

 

 これを大橋さんに渡したいんだけど。

 

 それは手紙だった。

 こわ。

 読んでいいの? というと、確認してほしいと彼はいった。一つ折りされた紙を開くと、ボールペンによる固い文字が並んでいた。気は進まなかったくせに、最後まで読んでいた。

 

 宮本くんは、かけるべき言葉をちゃんと持っていた。

 

 自分の言葉を使い、わいてきた感情を抑制しつつ、でも隠すことはせず、ていねいに、真剣に綴っているのが伝わった。まずわたしはショックをうけた。わたしはもちろん宮本くんのことが大嫌いで、その感情を変更する気もないけど、この手紙は亜矢子ちゃんが真っ先に読むべきだったなと思って、そこにちょっと腹も立って、宮本くんに手紙を突き返し、今更なことをいった。

 なんでわたしがチェックするの?

 そしたら宮本くんは驚いたような顔をして、凜々しい眉毛の下のつぶらな目を動かしながら、

 だって川津さん、大橋さんの親友だから。

 といった。

 意味不明。親友ってか、わたしが好きなだけだよ。

 宮本くんは、わたしの返答への反応も早かった。

 大橋さんも絶対好きだよ。

 うるさい。自分でわたすべきだよ。

 感想をその場で伝えてあげる義理もないなと思ったわたしは、そのまままっすぐ家に帰った。一歩一歩、地面を蹴りつけるように。

 

 

 

 で、その日のうちに宮本くんは亜矢子ちゃんに手紙を渡した。

 

 

 

 果たして亜矢子ちゃんは宮本くんのことを許したのだろうか? 

 

 

 

 そもそも、亜矢子ちゃんは宮本くんにされたことを、どう感じていたんだろう? わたしが激烈に怒るあまり、彼女自身の感情に、きちんと目を向けられてはいなかったといえよう。

 

 

 

 亜矢子ちゃんは宮本くんと友達になった。

 

 

 

 んんん? なんで?

 なんでってのは変か。でも思う。なんで? まあいいのか。でもなんでよ。なんで? いいのは前提として、疑問は疑問。是非とは違うところにあるわたしの気持ち。

 

 

 

 わたしは宮本くんの所業を許すことはできない。でも、ああ、本当のところ、いうほど疑問でもなく、薄々そうなってしまう可能性に関して、ちっとも考えなかったわけではなかったのだ。

 そうか。

 わたしのなんで? はただの混乱だ。

 正確にはたぶん、

 どうしたらいいの?

 ね。どうしましょう。

 

 

 

 そうしてわたしは亜矢子ちゃんとの話し方を忘れてしまった。

 

 

 

 さらにわたしは高校生で、やることがあった。ずっと保留にしていたアルバイトでも始めようとか、ちょっと真面目に勉強していい大学目指そうとか、お母さんの口うるさい小言を回収していくようになった。なんだか助かった。ちょうど中間試験も近かったし、放課後になって学校を出て市立図書館に行けば一日がいたずらに長くはならなかった。

 

 

 

 ちなみにペン回しがうまくなりました。

 

 

 

 ひとりで過ごすようになって一週間が経ったころ、亜矢子ちゃんと宮本くんが付き合っているんじゃ? みたいな話も聞こえてくる。信じない。いや、というより強度が足りない。わたしは悔しさとさみしさで顔をゆがませることも少なくなり、いつも通り放課後になればまっすぐ図書館に向かい、殴って壊すイメージで数式を解いて解いて、複数の凡ミスから癖みたいなものを見つける。たしかにわたしはそういう人間です。鞄にノート類を静かにしまい、閉館時間ちょっと前に自動ドアを抜けた。ずっと我慢していたので思いっきり鼻をかみながら、薄紫のなか外灯がくっきり映える閑散とした駐車場を眺めつつ、ここでつばでも吐こうかしらと考えていると、すぐ横の掲示板近くに人影があることに気づいて硬直。それが亜矢子ちゃんであることもすぐわかる。なのにわたしは気づいていないふりをした。本当はめちゃくちゃびっくりしていたのに、駐車場の真ん中あたりまで歩いてうしろから「みつきちゃん」という声がして初めて気づいたふりをした。わたしはそのとき宮本くんの姿を探した。でもそこには制服姿のままの亜矢子ちゃんだけがいた。家からは遠いこの場所で、彼女はずっと待っていたのだろうか? なんて考えて胸がざわつくのに、わたしの声は思っていた以上に冷たく響く。

 亜矢子ちゃん。

 彼女は軽く手を挙げた。どこかくたびれた雰囲気だった。それでもわたしは彼女の二の句を待たずに歩き出した。彼女はついてきた。わたしは足だけを動かす。亜矢子ちゃんも黙ったままついてくるだけなので、それが煩わしかった。脇を通る車の音が彼女の足音を何度もかきけしてしまうので、気づかれないように振り返ったりはしてみたけど、彼女は一定の距離を保ったままついてくるだけだ。住宅街に入ってあたりが静かになると、亜矢子ちゃんの足音は復活した。わたしは後頭部で彼女との距離を感じながら、少しずつ足を速めた。なんならちょっと走ったりもした。彼女も走ってきた。わたしはついにほぼダッシュに近いかたちで走ることにし、バテて徐々にスピードを落とすも、彼女は決してわたしに追いつくことはしなかった。視界の端で見る亜矢子ちゃんは、肩で息をしながらうつむいていた。わたしはもう振り返ることをやめにして、そのまま家まで続く細い道へと曲がる。玄関に入り、鍵のかかっていないドアを背に息を整えた。

 

 のぞき穴のむこうに広がる誰もいない夜を眺めながら、今日のことを早く忘れたいと願った。

 

 もちろん無理でした。

 

 

 

 はるくんがいなくなったという報せをわたしが耳にした日、亜矢子ちゃんは学校を休んでいた。教えてくれたのは宮本くんだった。いなくなったってどういう意味? どういう意味って、そのまんまの意味だよ、行方不明。

 うそ。家出?

 違うと思う。

 はるくんは十歳で、あり得ない話でもないと思うけど。じゃあいま警察が捜している感じ? と聞けば、宮本くんは首を振った。

 どういうこと?

 大橋さんとこのおばさんがやめとこうっていってる、といった。宮本くんはまり子さんのことをおばさんって呼ぶんだ、と思うわたしに彼は続ける。

 たぶん、知ってる人がつれてったって考えてるみたい。

 

 知ってる人?

 

 わたしと宮本くんはその日の放課後、亜矢子ちゃんの家に向かった。でもだれもいなかった。連絡しても返事がないと宮本くんはいう。なので余ったもの同士で交流が始まる。わたしはわたしの知らない亜矢子ちゃんたちの様子を宮本くんから聞き、宮本くんの知らない亜矢子ちゃんたちの話をできるだけ教える。暗くなるまで亜矢子ちゃんちの近所をうろつき、もしかしたらラッキーなことがあるかもしれないじゃん、とはるくんの姿を捜す。でも見つからない。市内放送から暗いクラシック曲が流れ、子どもの声で帰宅を促すアナウンスが流れていた。宮本くんはふいに、なにも思い浮かばない、といった。

 奇遇だね、とわたし。

 わたしたちは踏切前で立ち尽くしていた。渡るかどうかも決められないので、何度も赤い点滅に照らされて、じっと焦っている。

 ていうか、こんなのうちらにどうしようもできなくない?

 亜矢子ちゃんは三日連続で学校を休み、四日目は登校して、普通にみんなと話して、でも休み時間になると教室を出てどこかにいなくなってしまう。宮本くんは亜矢子ちゃんに話しかけるが、すぐに終わる。

 大丈夫、

 といわれたらしい。

 

 そんなわけある?

 

 その日の放課後も、わたしたちはあてもなく歩きまわった。子どもひとりを捜すには、この町は広すぎる。徒労に終わるんだろうなというのも薄々。だからずっと亜矢子ちゃんの話をした。

 亜矢子ちゃんは変なバイトなんかしてないよ。

 わたしがいうと、宮本くんはしばらく黙ってから、わかってる、おれがクソなだけだから、といった。

 わたしもちょっと黙る。自分の中にある言葉を選んでみた。そもそも環境とか体調とかで、ふるまいなんて変わるものでしょ。調子に乗ったときの自分のふるまいを本当の自分みたいに思い込まないほうがいいよ。

 まだ残ってる。

 宮本くんは最低のばかをすることもあるけど、それはある日のある行動についての話であって、たぶん本当の宮本くんは普通にいいやつだよ。普通っていうか、ちゃんと諸々が整えば。

 このときの言葉は、いわばおまじないみたいなものだった。この言葉が宮本くんを楽にすればいいなと思ったのもあるが、同時にある種の縛りを彼の中につくりたかった。そしてわたし自身にも。

 

 

 

 宮本くんと別れたわたしは、亜矢子ちゃんを呼び出す。

 

 

 

 暗くなるギリギリのところで公園に現れた亜矢子ちゃんは、学校を休んでいたくせに制服姿だった。まり子さんに学校へ行けといわれて喧嘩になり、とりあえず制服を着て家を出て、ずっとふらふらしていたらしい。「ばかだよね」

 亜矢子ちゃんは照れくさそうにうつむいた。

「そんなことないよ。そんなことないこともないかもしれないけど」

 わたしは笑うのを我慢しているみたいなくすぐったさの中で、やるべきことを見失わないようにしている。

「亜矢子ちゃん、ごめんね」

「ううん」

「ここ数週間くらいのこと。ぜんぶ」

「わたしも謝りたかった。みつきちゃんに」

「ううん」

「でもなにをどう謝ればいいのか、実はまだよくわかってないかも。それでもいい?」

「いいよいいよ」

「みつきちゃんごめん」

「うん。てかそもそも亜矢子ちゃんには一ミリも怒ってないよ。わたしがわたしを好きになれなかっただけの話で、ぜんぶわたしのせいなの」といって、ああそうだったんだわたし、と自分で思う。それから、はるくんについて。

「だいじょうぶ」と亜矢子ちゃんはいい、わたしはそこで宮本くんも同じことをいわれてたなと思う。

「だいじょうぶじゃなくない?」

「ううん、知ってるの。どこにいるのか」

「あれ? 見つかったの?」

「ううん。そういうわけじゃないけど」

「どういうこと」

「たぶん、お父さんなの」

「お父さん?」

「やり直したいって思ってるんじゃない? わかんないけど」

「あー。そうなんだ」

 と拍子抜けしたふりをする自分にちょっと引いた。

「だからもうちょっとで解決するかも。わたし、お父さんに直接あって話してみるつもりなんだよね。はるを返してもらうように。そしたらみつきちゃん、またはると遊んでよ。みつきちゃんいるよっていったら、はるは絶対戻りたがるし」

 さて、といった感じで遠くを見る亜矢子ちゃんが、「今日はありがとう」といった。

あ、やばい、と思う。それでもわたしは動けなかった。

 ああ、だめだ。

 亜矢子ちゃんは来た道を戻っていく。

 お父さんのいる場所へ向かう。

 はるくんを迎えに行く。

 そしていろいろなことが起こる。

 亜矢子ちゃんはそれを受け止めてしまう。

 だからわたしはだれのことも許せなくなる。

 まるで火にくべるかのように、すべてを怒りでもって見つめる。

 そしてこの怒りがわたしの人生を通して消えることはない。

 

 絶対に。

 

 絶対に。

 

 

 

 亜矢子ちゃんの手首はわたしの手のひらにぴたっと収まった。ちょっとだけ汗ばんだ冷たい肌は張りつめる。彼女は振り返り、へ? と声を漏らす。わたしは口を開くも、言葉がなにも出てこない。どうしようどうしよう。「どうしようどうしよう」

「え、え、なに?」

「やばいやばい」

「なにが?」

「わかんないわかんない、でも待って。離すことはできないの。ごめん」

「え?」

「え? だよね。でも離さない、わたしは絶対に! わかんないけどなにも!」

「えええなに、わかんないわたしもなに? みつきちゃん、どういうこと?」

「わかんないよー! ごめんなさい!」

「えー!」

 マジでパニックだ。亜矢子ちゃんも目をまん丸にしてる。その色素の薄い瞳にわたしが映っている。ひどい顔だ。でもかわいい。わたしはいま、自分にがっかりはしていない。わたしはこの手を絶対に放さない。絶対に亜矢子ちゃんをひとりでは行かせない。どうしてもというのならわたしも行く。宮本くんだって呼べば飛んで来てくれるはず。でも本当はもっとちゃんと、しっかりした誰かを連れて行く必要があるのかもしれない。うんうん、たしかにそうだ。もっともっと考えなければ。

 

 だっていまこの時点ではまだなにも決まってない。

 

 亜矢子ちゃん。

 あの日、トイレで泣いていたわたしのそばにいてくれてありがとう。

 そこにいてくれてありがとう。

 どうかわたしにも同じことをさせてほしい。

 だってすべてはこれからだ。

 これから、決めるんだ。