マツ(https://twitter.com/matsurara?s=20)さんの掌篇集『悲しくはない』を読んだ。素敵な本だった。僕はあまり感想とか書くのが得意じゃなく、得意じゃないことは別にしなくていいだろうという気持ちでこれまできたけれども、いや、感想は大事です。とにかくせっかちなので、そんなことにもなかなか気づかないまましばらく過ごしてきました。自分が何を感じたのか、ふと立ち止まって考え、それを発する、伝えることは、誰もがいつでもできるみたいなことでは決してありません。変に無視し続けると、行動や認知は癖になりますから、実は感動していても感動していないこととして処理されたりします。もったいない!
以下、作品は順序不同です。
先頭を飾る『アイスコーヒー』。震災についての気持ちを整理するために書かれたものだとあとがきにあった。物語を通してしか吐き出せなかった気持ちというものはたくさんある。それは「言いたいこと」というより「吐き出したいけど何を吐き出せばいいんだ」という感情そのものだったりする。アイスコーヒーって、なんかいいですよね。
『かわいそう』は身に覚えのある沼の話。「かわいそう」との付き合い方に関するもやもや、わかります。僕も比較的「かわいそう」に弱い人間だと思う。そしてそんな気持ちのブレを律したそのさきの態度や振る舞いが、果たして正しかったり美しかったりするのかといつも迷う。できれば正しかったり美しかったりしたいので。
『月光』。短いお話の中にある冷たく悲しいツイストに、でもちょっとだけうっとりする。たぶん映像じゃそうはいかない。この読後感は、文章だから連れて行ってもらえる場所という気がする。
『夕暮れ』はかわいい。短さも含めてとても愛らしい掌篇です。
『桜』。お花見と、ゼミの仲間と、三角関係。そのなかのひとりが叫び続ける狂おしい感情が切なくも軽やかで、それこそどこか桜みたい。この切なくも軽やかな──つまり爽やかさは、相合い傘を断られた女の子の独白である『雨』にもある。
喪失に対して湧く感情を思考する表題作『悲しくはない』と『ネロ』。
有名な怪談を予期不安の視点で味わう『メリーさん』。
そして表紙のイラストが挿絵になっている『メロディー』。「メロディー」という実在するのかもわからない人を介して交流するふたりの学生さん。こんなかわいい話がありますか。
ふとした折に考える。親密さとは関係なく「他者」は「他者」。その善し悪しは別として。『クローン』も、僕にとってはそんな折となりました。
アダムとイブの物語から「あっ」という展開を見せて転がっていく『知恵の実』。誕生という徒労。
『24』は年の功的なものへの憧憬、自らの若さに対するコンプレックスについて。それでも元も子もないような事実にふと救われたりするのが我々の日々だったりする。もうちょっと悩んでいたいんですけど、みたいな抜けの良さが好き。
最後に載った『「優しさ」へのオマージュ』。これを最後にすることでこの本が僕らの日常にじわ~っと染み込んでいくような、そういう余韻が残ります。真贋なんてどうでもいい。そこにあるものを見つめられたら、ちょっとだけいいようにとれたら、という祈り。
マツさんの文章が好きなのは、丁寧で、読んでいると優しい声で再生されるからだ。読んでよかったです。森元暢之さんの絵も本当にいい。挿絵まであって、それがまたぜんぶ愛くるしい。