哀しき獣

 

筋トレの通になろうとスーパーで鶏ムネ肉を買って冷蔵庫に入れておいたら翌朝の食卓に出たサラダに使われていた。僕は実家暮らしなのだった。いままでだってずっとそうだったはずなのに、どこかで偉そうな顔をしてしまっている自分がいたことに気づいて、反省して、もう一度鶏ムネ肉を買って茹でて食べて腕立て伏せをちょっとだけしてすごく疲れてうんざりした。こんな日常のすべてに。

 

なぜ筋トレをしているのかといえば、単純に心を覆う肉の壁を厚くしたいからだ。フェイスブックを観ていると地元の友達がどうかと思うほどの体躯と化しているのが判明した。高校のころまでは普通の体型だったはずなのに、本来人間に備わっている以上の隆起が彼の上半身を覆っていて気持ち悪かった(よく日にも焼けているのでポルノ男優さながらだ)。あいつ、幼少期になにかあったのかな?あるいはどんなコンプレックスを筋肉で覆い隠したかったのだろう。いまの僕には彼の心中を察することも「いいね!」を押すこともできなかった。

 

職も自信も気力もなければ筋肉を得るしかないのである。筋肉さえつければあとは勝手に気力→自信→職の順で得られるのである。しかし恐ろしいことに筋肉を得るには気力が必要だという世界の約束事に気づいてしまい、つまりは気力→筋肉→自信→職の順でしか神は我らに与え賜らないのである。どうりで鶏ムネ肉を食べてもただお腹いっぱいになって眠くなっただけなわけだ。しかしじゃあどうやって気力を得たらいいんだろうと悩んだ僕がWikipediaじゃない方の友達に聞いてみたところ、気力というものはYouTubeや映画で即席にこさえてしまえばいいのだというアドバイスを頂き、そのアドバイスとはまったく関係なく借りていた『哀しき獣』を観ることにした。いまこのDVDが手元にあることになんらかの意志を感じずにはいられない。

 

 

 

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この映画は大学三年のころ札幌の映画館で観た。寒い時期だった。この映画も寒い地域を舞台としていた。

 

中国・延辺朝鮮族自治州に住む主人公グナムが、朝鮮族の元締めであるミョン社長から借金帳消しを条件に「韓国にいる男を殺せ」との依頼を受ける。そこから先は密入国した韓国を舞台に、様々な思惑が入り乱れる暴力絵巻が展開していくハードボイルドな一作だ。

 

とにかく殺す、捕まえる、復讐するなどを理由に登場人物が全力疾走で追いかけ合う映画なので観ているとみるみるうちに元気になっていく。心を覆う筋肉をこさえようというよりも、心そのものが「生きる」という暴力的衝動に駆られギンギンにエレクチオンするとでもいうのか、いますぐ外に出て近所の友達が親の金で改造したというグレーの乗用車をスクラップにしてやりたくなってくる。

 

負け犬と罵られるも牙を剥き、事の首謀者への復讐を誓うことでみるみる元気になっていく主人公グナムが超魅力的だ。普段はタクシー運転手をしているが、大きな荷物のあるお客さんには部屋まで荷物を運んであげるというサービスも欠かさない。

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稼ぎを賭けて卓を囲むこと多々だが毎回負けているため一向に借金が減らないし、負けた挙句、相手にからかわれようものならマジギレして大暴れも披露してしまう困った男グナム。

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寡黙で粗暴でこそあるが、ご飯を美味しそうに食べる男でもあるのできっと悪い奴ではないと思わせるからなかなか見限れない。出稼ぎ中の奥さんが知らない男とセックスをしている様を妄想して何度も寝返りを打つし、隣の部屋から男女のまぐわう声が聞こえてくると心底嫌そうに壁を蹴りつけるところも人間味にあふれ、親しみやすさがある。

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幼い娘もいることだし、借金帳消しのためにも韓国での殺人を請け負うが、彼にはもうひとつの目的があった。それは韓国に出稼ぎ中のまま連絡を絶った奥さんを捜し出すこと。ふたつの大きな目的を10日間の滞在期間のうちで済ませなければならないというハードな計画だったが、案の定みるみるうちに雲行きが怪しくなり、やがては防ぎようのない土砂降りへと転じるのであった……!

 

頑張れグナム!走って殴って生き延びろ!

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また、本作の魅力を語る上で避けては通れないのがキム・ユンソク演じるミョン社長だ。

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うわあとても怖い。シックな色調を基本としたその重ね着ファッションは、読モが百人束になっても敵わない圧倒的な迫力を醸す。 オフの日は和気藹々と麻雀をして過ごしているようで、意外と気さくな面もある。

 

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こちらが彼の部下たち。出張先であるはずの韓国でも遠慮のない大暴れを披露する根性の座った連中ばかりだ。その頂点たるミョン社長は常に冷静。時折やんちゃが過ぎる部下たちに愚痴もこぼすが、その強固な信頼関係が揺らぐことはない。よきリーダーとは、などとの問いを抱く起業家志望の大学生は多いと思うが、このミョン社長こそがその答えにふさわしい人物だといえよう。業務上、命を頂戴せねばならぬ相手を追い詰めた際に、その相手が船の甲板から海に飛び込むという不測の事態が起きたとしよう。社員の誰もが一旦船の出口に戻ろうと踵を返したその横で

 

「そうじゃねえだろ!」

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ざぶーーーーーーーん!

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ミョン社長は自らの行動でもって部下への手本を示すのだ。「考えればわかるだろ」、「“ほうれんそう”は怠るな」などの小言は時間の無駄である。「こうしろ!」ミョン社長は常に社員の誰よりも先を行くのである。

 

ミョン社長と対照的に登場するのが、表向きはバス会社を経営する韓国ヤクザのキム社長である。洗練されたスーツ姿、神経質に部下を叱責したりと都会のハイカラな空気を醸しているが、中国からズカズカと乗り込んできたミョン社長一味の発するウルトラスーパーガサツなムードに肩身の狭い思いをしているご様子。ミョン社長から「社長はハンサムだな!」という気持ちのいい社交辞令を頂いたにも関わらず、沈黙で返事をするという失礼な男でもある。余暇は入れ乳女を荒々しく抱いている。

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ミョン社長は社員との交流も欠かさない。みんなで骨つき肉を食べるという原始人ライクな慰労会風景。

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ミョン社長を語る上で避けては通れない魅力の一つがその戦闘力である。いつ何時奇襲を受けたところで起床即撲殺など文字通り朝飯前。慰労会で出た残飯も有効利用するその姿勢は「無駄をなくそう」という張り紙の何倍も効果がある。

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 思えばミョン社長、本編内じゃ寝込みを襲われてばかりなのだが、まともに睡眠を取れているのだろうかという心配が募る。

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上の画像におけるミョン社長の体つきに注目していただきたい。脂肪の乗ったやんちゃボディは彼の奔放な生き様を物語っている。『ファイト・クラブ』においてブラピ演じるタイラー・ダーデンがワークアウトをせせら笑う場面があったが、当の本人がキレッキレに鍛え上げた肉体のオーナーだという点で複雑さが残った。しかしあの言い分もこのミョン社長の肉体を観ることでようやく理解することができる。彼は己の生命力を直接ぶつけることで相手を粉砕してきた男なのだ。どこまでも原始的で野蛮な衝動としての「生」を示す彼が魅力的に映るのも仕方がない。

 

 

DVDを見終えた僕の頭にはもう腕立てや腹筋背筋僧帽筋のことなんてとどまってなどいない。満ち満ちた心は気力を得て、筋肉を飛ばし、自信や職をもたらす。僕はもはや無職ではない。強く生きよう、猛々しくうねるこの心と共に。高給取りのおっさんだって、僕がいきなり大きな声で叫んだら、「うわ!」とびっくりするのである。