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書き下ろし短篇:『僕は全然嫌いじゃないぜ。』

 

 



 

 

 

 

 

 

「安藤、AV見る?」

 藪から棒とはまさにこのことだった。聞き間違えかと逡巡しつつ顔をあげた。久留米のまつげは、ものすごく長かった。

「なんだよその質問。見るけど」

「おれ一対一のプレイが好きなんだって話したっけ?」

 知らね~~~~~~~~~~~~~~~~。

「でも最後の方で急に3Pとか複数になるの、あれ嫌いなんだって話は?」

「いや」

「あれさ、数増やせば単純に興奮につながるかはまた別じゃん。アクション映画とかでラストに大勢と戦って終わる的なインフレは好きなんだけど、AVに関しては必ずしもそれに当たらない」

 急に条文。

 放課後の部室で鉢合わせた僕と久留米は、毎日本当にぬあああああああんにもしたくないよね、という話で一通り盛り上がったあと、もしかして本当はなにかに夢中になりたいんじゃないのか? と思い至る。でも夢中になれることなんて欲求に絡んだことくらいだよな、ということになり、とりあえずエロ系の話になったけど、やめた。下ネタで騒ぐのはダサいからだ。いや、下ネタがダサいというより、下ネタではしゃいで怒られたことがあって、それが立ち眩みを覚えるレベルで惨めな思いを喚起したので、下ネタではしゃいで怒られるのはダサい、が正しいのかもしれない。そもそも無神経なふるまいは別にかっこいいものじゃない。頓珍漢な憧憬ほど惨めなものはない。窓の外には木々の紅葉。すっかり秋です。

 僕は作業机の上でいらないプリント裏にメモを書いていた。いわゆるプロットというやつだ。プロットという言葉は最近覚えた。なのでプロットという響きにまだ質量が伴っていない感じがあり、いま書いているものが本当にプロットなのかと聞かれれば必ずしもそれに当たらない感覚もある。そもそも箇条書きでいいものなのか。急になにもかもがいやになることが増えてきた。そんなこんなで現時点での僕の最大の欲求は、学校を爆破することだ。こんなところ爆破したほうがいいと思っている。そんな感じで集まった有志たちが学校爆破クラブを発足し、学校を爆破しようとするちょうどその日に、脱走した囚人たちが学校に逃げ込んできて生徒たちを人質に取る──というあらすじをホワイトボードに書き殴ってプレゼンした。一通り話し終えたタイミングで、久留米が「映画にしてくれー」といったので照れて笑った。 さっそく書き始めて今月中……いや今日明日には完成させようかな、ふふふ。早く完成させたものを読みたいし、読ませたいし、褒められたい。でもいざ書き始めると細部や全体の流れ、キャラ立ちどうこうが気になってものすごく鈍行になるのも想像に難くない。いま久留米と話しただけの想定でも、前フリパートと対決パートで結構な文量を要する気配があった。結局書くのやめちゃったりして。マラソンでもすぐ歩くし。なんか想像するだけいやになってくる。だったら最初から書かなくてもいっしょじゃないか?

 おい待て。

 そんな悲しいこと、二度と思うなよ。

 みたいなことを、僕は毎日繰り返している。スマホでホワイトボードの写真を撮ってから各キャラに好きな俳優をあてがって考えてみるのもいいな、今度何人かで集まって話し合うのも楽しいだろうな、みたいなことを考えながらボードをぱふぱふできれいにし、ギシギシうるさいパイプ椅子に戻って背中を丸めた。久留米はこのあと軽音部の練習が入っているからと荷物をまとめている。僕の心はあまり穏やかではない。それは以下の理由からだ。

 文芸部とのかけもちにかんして、久留米はあくまで「偵察だから」とよくわからないエクスキューズを設けてくる。それが最近なんだか気になってしまう。僕に対して、音楽活動が好きだと素直にいいづらい空気を感じているのだろうか? 思い当たるフシはある。僕は僕のできないことができる人全員にコンプレックスを抱いている。それによってにじみ出るちょっとした態度が、久留米の心を一部縛っているのだとしたら? 可能性はある。久留米はそういうところ、結構敏感だ。タフなやつだが、ガサツという訳ではない。ごめんなさい久留米。他人がなにをどうしようと、自由なのだ。そう信じることで、僕がなにをしていようとどうでもいいと思ってもらえるような環境にもつながるのだと思っているのに。

「久留米」

「なに」

「今度のほら、後夜祭とかで、その、演奏ってするの?」

「もちろん。その予定」

「いいね。絶対行く……ってのは、なんていうの、プレッシャーになる?」

「なんで? こいよ全然」

「あ、ほんと? やった」

 節目のままの久留米が、ふと呟いた。「そもそもおれ、後夜祭で演奏したくて軽音に入ったから。モテたくて」

 僕が笑っていると

「やっぱモテたいは違うな。嫉妬されたいんだ」

 といわれて態度を改めた。

「このまえ安藤もいってたじゃん。嫉妬されたいって」

「え、たぶんおれいってないよ」

「いやいってたよ」

「うそ。いつ?」

「このまえ。ほら。四階の廊下から運動場眺めて。おれも嫉妬されてみたいよ~って」

「いまのおれの真似? 似てんじゃん。たしかにいった気もしてきた」

「ほかのやつは流してたけど、おれ実はけっこう食らってたんだ。ずっとモヤッてた気持ちに本当の名前がついたような気がしたんだよ。モテたいんじゃなくて、嫉妬されたい。嫉妬されるくらい認められたい」

「尊敬されたい、じゃだめなの?」

「ああ、でもどっちでもよくない? どの言い方がしっくりくるかの違いってだけで」

「まあ、うん、たしかに」手を何度も差し出すことで続きを促した。

「だからモテたいって、おれの気持ちをちょっとかすってるだけの全然真ん中にはない感情だったのかもな。あとモテたいって恋愛したいとは違うだろ? 根本が。受けたいだけだから。応えるかどうかに関してはなにもいってないというか見栄張りたいってことで。真摯じゃないっていうか」

 真摯、の部分で久留米がちょっとだけ照れたのがわかった。「なるほどね。おれそこまで考えて喋ってなかったけど」

「おれたちなんて所詮、元も子もないよね。モテたいとかそんな、別に恋愛したいわけじゃない気がしてて、じゃあなんだろうって思ってたときに、そこに安藤の言葉があって、もうほんとあれよ」

「あれ? どれ」

「あれよあれ。ちょっとまって」

エウレカ?」

「ちがう。五臓六腑だっけ。しみわたった。だっておれ別に誰のことも好きじゃないんだもん。そもそもモテたってしょうがないだろ」

 久留米があまりに饒舌なので気圧されていた。それを悟られまいと、ちょっと微笑んだりした。

「あの日の夜も部屋でベースの練習しながらそんなことばっかり考えてた。なんか楽しかったな。安藤に電話しようかとも思ったよ。しなかったけど」

「しろよ」

「それはそれでちょっとめんどいな。だからさ、ほら、別にモテたくない人もいるよな? モテるより優先すべきことがあるってわかって、なんていうの……こう……」

「……豊か?」

 久留米が指を鳴らした。「センキュー」

「センキューって」

「完全にそれってことだよ」

「でもなんだろう。久留米の目を通して初めて、本当におれにも見えたものがある気がする」

 僕と久留米はほぼ同時に短く息を吐き、この高揚を咀嚼するようにしばらく沈黙し、やがてどちらからともなくはにかむと、肩をすくめたり、目を合わせたかと思うとそらしたり、頭頂部をちょっとかいたり、背伸びをしたりした。いま部室に誰かが入ってきたら、なんかちょっと気まずく感じたりもするのかな? かもよ。変なの。くすくす……。

 久留米は改めてスマホを一瞥する。きっと時間を確認したのだろう。いよいよ練習の時刻なのかもしれない。ゆっくりとしかし確実に、ドアノブに手を伸ばした久留米は、ふと動きを止めた。そしてこちらに背中を向けたままいった。

「というわけでおれは後夜祭でぶちかますから、安藤も書けよ」

「え?」

「さっきの話。爆破の。お互いに吹っ飛ばすんだよ。そんで嫉妬させようぜ。椅子取りゲームに勝っただけで安心している連中をさ」

 全身が粟立った。なにその約束。マブ・ファッキン・ダチ坊じゃん。もうやるしかないじゃん。僕は自分の動きひとつひとつに集中し、いくばくかの不安や億劫さを感じたまま、ゆっくりと腕を持ち上げ、そのまま突き出し、なんとか絞り出した。サムズアップだった。直後、これではなかったなと思った。久留米は「動きゆっくりなのキモ」と笑った。僕が腕をサッと引いて戻すと、机に積まれたノートやプリントに肘が当たって床に落ちて広がった。

「わ。うおー」

「おいおい、だいじょうぶか」

「ごめんごめん」

 落ちたノートに手を伸ばす。ちょうど真ん中あたりのページが開いている。丸い字でメモのようなものが書いてあった。

 

 

 

 

 え。

 慌ててノートを閉じると、表紙に「後藤夏緒」と印刷されたテプラが貼られてあった。

 漫画研究会の鬼才。

 部室を共有で使っているので、たまに誰のかもわからない物が置いてあるが、勝手に覗いてしまったのはよくなかった。このメモは漫画の……構想?

「そういや後藤さんって部室きてた? おれくる前とか」

 僕が尋ねると、久留米がドアの前で振り返った。

「え、なっちゃん? さっき教室前では会ったけどな。たまご持ってた」

「ん?」

「煮たまご。最近つくるのにハマってるとかでなんかおすそわけしたいって」

「煮たまごを?」

 もう放課後だけどそれまでどこに保管していたのだろうとか考えてしまうが、ハマっているなにかを人に披露したい気持ちはとてもわかる。

「割とでかいタッパーにゴロゴロ入ってたよ。みんな困ってたけど。困るよな。煮たまごあげるっていわれても。軽くつまむにはハードルが高いよな」

「つら。なんか誰も悪くないのにみんながちょっとずつかわいそう」

「別にそんなこともないと思うぜ。最終的にはほら、みんなで卵食って屁こいておしまい」

 なにいまの? と素早く顔を上げる。久留米は逃げるようにドアの向こうに消え、部室内が静寂でひたひたとしていた。

 身体が重力の存在を急に思い出したかのようだった。さっきまでの反動かもしれない。僕はしばらく後藤さんのノートを握ったまま、ただパイプ椅子に沈み込むようにしてぼーっとしていた。

 

 でも愛は万能じゃなくない?

 

 脳裏をよぎるのは本日最後の授業のことだった。

 開いた窓からやや強めの風が吹き込んできた。窓際に座っていた面々のプリントが同時に宙を舞い、何人かが声を上げ、ちょっと遅れて笑い声が起こった。

 その光景をじっとみていた。

 せっかくなので、僕のプリントも宙を舞えばよかった。

 この教室にあるほかのプリントふくめたなにもかも全部。

 だが僕の手は、自分のプリントにしっかりと載せられていた。

 誰もが発破を待ちわびている。

 そう思い、後藤さんのノートを眼の前のプリントの山にそっと忍ばせた。そこでカウントダウンが始まる。後夜祭、見に行かないわけにはいかない。そのときにどういう感情を抱くかは、いまこの瞬間からスタートする僕自身の行動にかかっている。思考に、時間に。僕もこの部屋を出よう。世界に四隅を作っている場合じゃないのだ。部室のドアを抜けると、かすかな高揚がこみ上げて、歩く足に力が入った。首筋に感じる風が強くなった。連絡通路に出て、薄暮に燻された空気を全身に浴びた。ぐっと濃いのに、冷たかった。どこからか無数の小さなシャボン玉が飛んできて、頭上を横切っていく。シャボン玉はそのまま風に乗って、いくつかは校舎の壁に吸い込まれて消えた。そしてまた別のいくつかは中庭を抜けて、開かれた窓枠に流れ込んでいく。トイレに向かうべく早歩きしていた現文・渡部教諭にも気づかれることなく、その小さなシャボン玉は廊下を横切って、教職員用の給湯室にたどり着いた。そこには後藤夏緒が立っていた。棚に置かれた電子レンジに向かって腕を組む彼女は、予想に反して煮たまごが余った理由──それが常温だからだと考えていた。さめても美味しいように煮たのに? この世界は理不尽とすれ違いに溢れている。半透明な扉の向こうで回る飴色の煮たまごたちを眺めながら、彼女は深く息を吐いた。固く結んだままの口は決して緩めなかった。たとえそれがため息でも、鼻から吐けばただの呼吸だというルールが彼女にはあった。そんな彼女の鼻息に触れて、シャボン玉は軌道を変えた。半透明の扉に薄く記載された「950w」という文字にそっと触れ、ちいさな光る膜となった。その瞬間だった。電子レンジの内側で複数の煮たまごが音を立てて裂け、飛び散った小さなかけらが扉の内側にぶつかって落ちた。後藤夏緒は短く声をあげ、その口を両手で覆った。

 で、呪詛を吐いた。

 それはいまだかつて存在しなかった言葉。

 

 

 

 

 

 

 

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