書き下ろし掌編:『Beat inside the bush』

 

 

 

須藤さんと飲むのが好き。好き好き。好きなの。うふふん。須藤さんは職場の先輩だった人。過去形なのは転職してしまったから。面接の際に、うちの職場の待遇のヤバさを不採用覚悟で愚痴ってみたら同情を買って親身になってもらえたとか話していた。須藤さんにはそういう気持ちのいい正直さがある。だからほぼ毎週飲んでる。てか、須藤さんの転職先はうちよりもずっと待遇がいいらしく、しょうじき羨ましい。か~。やだやだ。悔しいのでビールいいですか? あっし飲みますので。須藤さんも「どんどん飲みな飲みな痛風だけは気をつけな~」と言ってくれるので、うふふふふふ、じゃあもういっぱいだけ、中ジョッキで。須藤さんと飲むときは決まって割り勘だけど、転職してからは羽振りがいいので、いつもちょっと多めに出してくれる。ので、申し訳ない。いや、やっぱありがたい。マジ超好き!

 

みたいなテンションも近くに座る大学生軍団の大声にかき消される。でけえバッグ大量に並べてるところからしてテニサーか? テニサーだね。コールしてますね。コールしてるね、若いね若いね。声量やっば。みたいな感じで私たちが枝豆ほじくりながら話すのは、私の職場にいる安達健さんについて。新卒採用でうちの会社に入って数年、私よりもふたつ歳下だけどいまではマネージャー的ポジションについていて、休日は積極的に社長と食事とかゴルフに行ったりするような、そういうタイプの社員。まあ一言で説明できちゃうんだけどいまちょっと言葉出てこないので私は自分の手を重ね併せてすりすりすり……。背はそんなに高くないけど色白で髪が真っ黒で、実年齢よりもちょっと幼く見える。実年齢よりもちょっと幼く感じるのはなにも見た目だけの話じゃなく、未だに全然学生っぽい言動を見せるので、こっちもそんなに気をつかうことなく接することができるっちゃできる。といっても安達さんはたぶん家とかではネットばっかり見てるタイプの人っぽいので、ネット用語的な言葉が会話の端々で突然とびだしたりと、そういうノリはちょっと寒いと思うが、まあ、それはいま一旦置いておこう。大事なのは、今日出勤した彼の首に、赤いキスマークがついていたという点だ。

 

安達さんは違う部署で同い年の北川紗矢華ちゃんと付き合っているが、本人的にはそれを秘密にしているつもりみたい。でもみんな知ってる。私は朝の通勤時に、駅から職場までの道のりで前を歩くふたりが腕を組んでいるのを観たことがあったし、須藤さんは駅構内にあるカフェで二人がモーニングをとっているところを観たことがあるらしい。

 

私はいまの会社に転職して研修時に会ったときから北川紗矢華ちゃんのことが苦手だ。なんというか、彼女のなぞっている「女子」像が幼く感じるのだ。小学生のころいた、いじわるな子って感じで、物事や人に対していちいち現金なところがある。そういう振る舞いに義務感でも感じてるの? とすら思うときもある。

 

ちなみに北川さんは安達さんと違う部署なので、例のキスマークは安達さんと同じ部署の女達に対する牽制の意味もあるんじゃなくって? と須藤さんが言うのを聞いてなにかがいやに腑に落ちる。そもそも彼ピッピの首にキスマークって、マーキングだよね? ひえ~。うちのダーリンだっちゃ? あの女~! とゲラゲラ笑っていると心が急に罪悪感との均衡をとろうと働いたのか、私は自分の話を始める。

 

「でも気持ちはわかるんですよ。私も大学のころ付き合っていた彼氏にキスマークつけようとしたことありますもん」

 

「あ、そうそう。気持ちはね、私だってわかる。ただ百歩譲って学生ならね。仕事でそれするか~と思うんであって」と須藤さん。それですね~まさに。

 

「でもでも、私のとき、学生ですけど、彼氏は嫌がりましたよ。いやいや、首だと見えるじゃん。見せるためにやってるじゃんって。まあそりゃそうじゃん、と思いましたけどね。でも確かにあのときは彼氏の言うことが冷静でしたね。ダサいっすもんね。あぶね~」

 

「そうそう、もう見せつけが先に来てるから、彼氏も気分よくないんじゃないの? よっぽどおめでたくないかぎりは」

 

「ですよね。ってことはじゃあ、安達さんはおめでたいってことですね」

 

「そりゃ安達さんはおめでたいよ」

 

「かかか、あ、だってほら。まえ話したっけな。安達さん、自分が友達と飲んだときに撮った動画とか見せてくるんですよ。し、か、も! 見せる前に『おれの友達、マジでばかでさ~』みたいなこと言って! そう言われてから見せられるもの、だいたいリアクションに困らないですか?」

 

「わかる無理~」

 

「いや普通に若い男の子たちがギャハギャハ笑ってるだけのなに言ってるのかもわからない動画ですよ? 人に見せるものじゃないですって。しまえしまえ」

 

「安達さんね~、そこも学生っぽいよね、結局」

 

新しいビールが到着した。泡の涼しげな苦味で口の中を満たす。ジョッキの表面を覆う霜に、指先で丸を描いてみる。キスマークがダメなら、じゃあなんならいいのか、そもそもマーキングが必要なくなるにはどうすればいいのか? お酒が回って私も須藤さんも「あれ」とか「みたいな感じ」とか「なんとか」を多用するので、まったく話が深みを得ない。

 

はは、深みって。

 

深み、要るか? 要りません。だって話はぐるぐる迂回しながらもちゃんと進展し、私に大事な経験を思い出させてくれたから。脳の片隅に置きっぱにしていたものに、ようやく光が当てられたのです。わかる? 私はわかる。

 

愛のあるセックスについて。

 

私が口に出した途端、須藤さんは口を放した風船みたいに笑い始めるが、私は自分の発した言葉の響きにハッとして固まる。あ、あああ愛のあるセックス? ワオ~。素面だったら即死だった。

 

でも私は知っている。愛のあるセックスについて。だからこそ、ここで私は笑わなかった。この言葉の強度を信じられているから。

 

もちろんキスマークを残そうとしたような私だ。当時の彼氏とて、キスマークを断ったというだけで、ちょっとAVっぽい真似をしてみたいという提案なんかはわりとしてきて、私もまんざらじゃなかったので、エッチな下着をつけて相互オナニーとかした。穿いているパンツに射精もされた。私のことを笑っている須藤さんだが、本格的に奔放なのは須藤さんのほうだと私は思っている。最近いつセックスしました? と聞こうと思っていると、ふと須藤さんが神妙な顔で「私ね」と言った。

 

須藤さんは潮を吹けるタイプらしい。

 

潮吹きって痛いって聞くけど実際はどうなんだろう?

 

でもお気に入りのAV女優は潮吹きを売りにしているけど毎度「気持ちいい~!」と言いながら吹いているから、痛いなんて嘘なのかなと思っている。須藤さんにも聞いてみようかな。でもそれはちょっと違う気もする。いまは喉にストッパーがかかっていて、質問を投げられない。

 

私は潮を吹いたことはない。

 

「やっぱ潮吹くときって『イク~!』とか言うんですか?」

 

 という私の質問に、須藤さんは首を傾げる。

 

「え、でもあんまり『いく』とか言わなくない? キムは言う?」

 

いわれてみればそうか。「言わないっすね」

 

「いくときは基本黙ってるね」

 

「黙~……まあそうですね」

 

でも潮を吹くことが究極の絶頂というわけではない的なことを、以前どこかで読んだことがあるので、あまり悔しくはない。まあ比べることでもないのか。だってべつに潮は吹けなくていい。もちろん、わざわざ告白してくれた須藤さんの前では言わないけど。

 

だってね須藤さん。私一回だけあるんです。どうしても忘れられないことが。

 

ビールのジョッキについた霜がとけて水滴となり、私の描いた丸の上に一本の筋をつくっている。あれ、急に静かになって。ちょっと須藤さん、聞いてますか? ていうか起きてますか? 聞いてくださいよ。私、大学時代に彼氏とセックスして、一回だけ、もう二度とないんじゃないかってくらいめちゃくちゃ幸せで、絶頂のとき思わず叫んじゃったんですよ。どうしても伝えたくて。なんて言ったと思います?

 

優しい、って言いました。

 

その瞬間、テニサー軍団から爆発的哄笑が沸き起こり、私の言葉よりも優先的に須藤さんの鼓膜と脳がそっちに反応しちゃう。そんで私は須藤さんからサイパン土産であるリップクリームとハードロックカフェTシャツをもらった。めちゃくちゃ嬉しかったので「優しい~!」と一応言ってみたものの、須藤さんには私なりの文脈では伝わらなかったみたいです。

 

 

 

 

 

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