MidnightInvincibleChildren

お母さん、セミナー以外の趣味を見つけて


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ちょっと前だけど『子宮に沈める』というDVDを観た。2010年、大阪でマンションの一室に閉じ込められたふたりの児童が餓死した事件を元にしている映画だった。母親がいなくなり、部屋に残された幼い姉と乳児の弟二人だけの生活をBGMもなしに淡々と描いていて、正視に耐えない緊張感に満ちた壮絶な映画だった。虐待する親はぶっ飛ばすと繰り返してきたぼくだけど、親を追い詰める環境こそなんとかするべきだしじゃあもうどうすればいいんだろうという途方もない気持ちになった。とはいえ世の中には「親だってかわいそうなのだ」という論旨が通用しない「何も考えていないだけ」の人たちもいて、本当に難しい。一筋縄でいかない問題を徹底的に無視して生きていけたのならどれだけいいだろうと思わなくもないけど、それじゃあ人間として生きる意味もない気がしてくる。だからもう迷うことなく人を愛していくしかないんだ。バカバカしくて恥ずかしいことをそれでも率先して実行していく人間が必要なのだ。

 

ちなみに『子宮に沈める』のすぐあとに『エヴァリー』というDVDも観たのだけど、こちらは娘のために血眼になってヤクザを殺しまくる母親が主人公で、世界の広さを痛感した。

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↑ 『エヴァリー』よりヤクザにマシンガンを撃ちまくるお母さん

 

虐待もそうだけど、危機的状況にある人に対してなにができるかというのは永遠の課題である。無根拠な「大丈夫」を繰り返したって人は救われないし、問題の根源に対して暴力をふるうのは現実的じゃない。じゃあどうすればいいのかといえば、とにかく自分が今いる世界を閉じたものにしないことがなにより重要なのかもしれない。閉じた世界の重たい扉を、内や外から開けることのできる力をもたなければならない。多くの知識とか経験がその力なのかもしれない。それが備わっていない間は、世界が閉じないよう、息継ぎを欠かしてはならない。

 

去る日曜日、某駅前のベンチに腰掛けていたら帰宅途中と思しきサラリーマン風の男に声をかけられた。「ちょっと聞きたいんだけど、この辺詳しい?」とその男は言った。「詳しくはないですけど、なにかお探しですか」と言うと、その男は「このへんにハッテン場ってない?」と言った。いや嘘だろ~……!と思いながら「ちょっとわかんないです」と言うぼくに男は続ける。

「行ったことある?新宿二丁目とか」

「ないです。すみません」

なぜかぼくは謝っていた。

「誘っちゃおっかなあ……」

不意にそうつぶやいた男は人差し指をぼくの股間めがけて突き出してきたので、反射的に腰を引く。「いやいや……」小さな声でぼくはつぶやいていた。そんなぼくを残し、男は駅から続々と出てくる人の流れに乗って夜の街へと消えていった。ぼくは今しがた自分の発した「いやいや……」という声の情けなさを思いながら、男とは反対方向へ走って逃げる。何度も後ろを振り返った。やがてたどり着いたゲオに入ると、迷わずアダルトコーナーへと向かい、ソフトオンデマンドの新作エリアでじっとした。ぼくの気持ちは完全にふさぎ込んでいたし、絶対に開いてなるものかと思っていた。そういうぼくを誰かが助けるべきだとも思った。できれば男以外の人が。

 

結局、自分は傷ついた人を助けることなんてできないという諦観に身を委ねるのは楽なことかもしれないが、そんなやつにくれてやる愛などこの世にない。世界を開くことで憎悪とか悪意とか無邪気な暴力が入り込むかもしれないが、同じように愛を受け入れることだってできる。

 

今日の夕飯としてさっきもやし炒めをつくったんだけど、賞味期限が今日までだったせいかちょっとだけ酸っぱいような気もする。あと橋本環奈のCMが続々流されているが、どれも最高でちょっと怖い。