MidnightInvincibleChildren

ここは最悪迎えに来て/最低田舎映画の世界

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ぼくは沖縄にあるサトウキビと芋ばかりの村で生まれ育った生粋の田舎者なので、小さい頃からジャスコに行くだけで高揚したし、オタクは気持ち悪いと思っていたし、世界がけっこう広いということを理屈以上に認識したことがあまりなかった。考えるだけ途方も無くなるので、考えないようにしていたのかもしれない。その後、北海道にある大学に進学し、思っていた以上に世界は広いということの片鱗を体感したぼくは、いろいろあって今現在田舎者を心の底から憎んでいる。ここでいう田舎者とは、かつての(そしてその延長線上である現在の)ぼくのような人間のことである。世界の広さから目をそらし、煮詰められた価値観を疑うより先に倣っているすべての人間への怒りで、腕立て伏せを日課にすることができた。客観視点を排することに躍起になるやつらには、ぜひとも自らの醜悪な姿を自覚して、陰気で内向的で毎朝発作的な不安に苛まれるぼくのような生き物に成り下がってほしい。ということで「悪しき田舎イズム」に対して冷ややかな視線を投げつける人々だって大勢いるということを再認識して精神衛生を保つためには、そういう創作物に多く触れるほかない。触れるほかないってこともないけど、おおっぴらに田舎の文句を言うよりは、物語に落とし込みその愚かしさ、腹立たしさを浮かび上がらせた作品の力を借りることで「ほらみろ!」と騒いだほうが粋だ。フィクションの良さはそういうところにある。今回は、ぼくの貧困な引き出しから頑張って五本を選出してみたので、一緒に性格の悪い田舎者に憤ろう。

 

 

 

 

〇『わらの犬
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言わずと知れた「田舎は野蛮」映画の金字塔。都会の喧騒から逃れるため奥さんの地元である田舎に越してきた気弱な男が、奥さんの元カレを含む粗暴で差別的で徒党を組んだ田舎者たちにひたすら嫌な目に遭わされるという散々な話。主人公を演じるダスティン・ホフマンはメガネをかけたインテリ風だけど背が低く愛想笑いを浮かべまくるいかにも気弱そうな男なのだが、田舎者の攻撃があまりにあんまりなため、映画終盤ではちゃんと激怒し、より強大な暴力をもって閉じた世界に風穴を空ける。しかしそもそも元をたどれば、この田舎の連中がみんな優しく、多様な価値観を受け入れ、乱暴なことをしてこなければこんなことにはならなかったのだ。自ら蒔いた種で破滅する田舎者たちを見て胸のすく思いになれること請け合いだ。

 

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ホフマンは激怒した。かまうものか!どんどん殺せ!

 

 

 

 

 

〇『ホット・ファズ 俺たちスーパーポリスメン!
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これも『わらの犬』と同じくイギリスの田舎で田舎者が悪いことをするので怒るという映画。ロンドンの敏腕警官であるニコラス・エンジェルは、周囲の嫉妬から「犯罪ゼロ」を謳うド田舎へと左遷される。かつての多忙な日々から一転、やりがいのないのどかな日々にテンション急降下のエンジェルだったが、その優れた嗅覚はこの村に潜む不穏な空気を逃さなかった。連続して起こる陰惨な殺人事件がすべて事故として処理されていく中、ニコラスは恐ろしい真実へとたどり着くのである。まあ田舎者の「見栄っ張り」さが「排他的」な空気を過剰にして多くの被害者を生んでいたという話。そもそもこの物語自体、先述した『わらの犬』へのオマージュも多分に含んでいるため、ラストには派手な反撃が待ち受けていて気分爽快。本作の監督であるエドガー・ライトが映画監督として大成する前に、鬱屈とした気持ちを抱えながらバイトしていたというスーパーマーケットが銃撃戦の舞台になっているなど、おらが村への恨み節が炸裂していて胸が熱くなる。悪い田舎は、フィクションの中でくらい遠慮なくめちゃくちゃにしてやろうではないか。やる気がみなぎってくるゴキゲンな一本だ。

 

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田舎者はすぐに徒党を組んで襲って来るので、これくらいの装備でちょうどいいのである。

 

 

 

 

〇『野良犬たち』
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続いては韓国からの一本。博打で借金の山を抱えたり、先輩の奥さんを寝とったりしている不良記者が失踪した先輩記者のあとを追って「犯罪率ゼロの村」に赴くという話。ってこれも『ホット・ファズ』パターンで、「田舎者の見栄」の裏には大抵汚いものが隠れているという話である。優れた韓国映画には自国に対する批評的な視線が備わっているものだが、今作も閉鎖的で男尊女卑上等の世界を容赦なく描くし、弱者に尊厳なしと言わんばかりの極悪非道な物語が展開する。なんでも実際に韓国で起こった知的障害児童性暴行事件をモチーフにしているのだとか。本作の日本版キャッチコピーが“「クズ」を見抜くのは、同じ「クズ」!”という威勢のいいものだったが、秋田の無医村にマッドサイエンティストライクな医者が派遣されたというネットの一部で話題になっていた話を思い出したりもする。

【悲報】 医者いじめで有名な秋田の上小阿仁村に乗り込んだマッド医師・西村勇さん、たった一ヶ月で退職 また無医村へ | ニュース2ちゃんねる

田舎を代表とした閉鎖的な空間は、いとも簡単に悪感情の温床となり得ることを忘れずにいたいものだ。

 

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都会のクズvs田舎のクズ。数と地の利は田舎側にあるのであった……。

 

 

 

 

〇『丑三つの村

 

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いよいよみなさんお待ちかね!我が国の田舎っぺだって負けちゃいない!本作は昭和13年に岡山県で起こった「津山三十人殺し」を題材にした物語。(参照:津山事件 - Wikipedia)村一の秀才で、ここのところエッチな奥様方相手の夜這いも覚えた犬丸継男は、結核を患ったことにより徴兵検査に落ちてしまう。それをきっかけに社会的落伍者の烙印を押され村八分に見舞われる彼は、現実から逃れるように夜這いに耽るが、女たちもやがて彼のことを「役立たず」とあざ笑う。時を同じくして、継男は村の男たちが、夜這いに訪れたよその若者を集団で暴行し殺す様を目撃してしまう。死体は首吊り自殺を図ったかのように偽装されており、いずれ自分も「村の平穏」のために殺されてしまうのではないかと恐れた継男は、ポンプアクション式のショットガンと日本刀で武装、村人への復讐を決意するのであった。閉じた世界でもがく青年の凶行を描いた本作、自己実現も叶わぬまま惨めな目に遭い続け、逃げる場所すら見失った末の怒りが血飛沫とともにほとばしる。女優陣がひたすらエッチだったり、2003年に自殺した古尾谷雅人の「本当は悪い人ではないのに……」と思わせるどこか不憫な佇まいが、凄惨な殺戮に悲哀を添えている。丘の上から村を望みながら「皆様方よ、今に見ておれで御座居ますよ」と呟くシーンがかなり印象的だ。実際の事件でもそうだったらしいが、普段から悪口を言わなかった者には手をかけないなど冷静な面も見せる継男の姿に、「人の悪口は言うもんじゃない」という至極当たり前のことを痛感する。田舎者に限ったことではないのだが、田舎の人にこそ特に気をつけていただきたいものである。

 

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「皆様方よ、今に見ておれで御座居ますよ!」
 

 

 

 

〇『松ヶ根乱射事件
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本特集最後の一本にして陰湿度では他の追随を許さない純国産最低最悪田舎映画。1990年代前半、日本のどこかにある寒い田舎に双子の兄弟がいた。兄は一度上京するもすぐに戻り、実家の牧場をかな~り適当に手伝っている無職気質。一方で弟は立派に警察官となって松ヶ根駐在所に勤務しており、フィアンセとの結婚もそろそろな感じ。ある夜、兄がドライブ中に女の人を轢き逃げしてしまったことから繰り広げられる「事件」に併せて、おぞましく滑稽な田舎の日々が淡々と描かれていく。外部からやってきた闇と内側で蠢いていた闇をじめっとしたユーモアで見せてくれる本作は、「田舎って最悪じゃん……」と思うには充分すぎるほど露悪的で最高だ。知的障害を持っているっぽい女に関連するエピソードなんてどれも本当におぞましいし、ぐーたらな兄とは対照的に世間体を維持しようと躍起になる弟に隠されたある闇が浮き彫りになりだすころには、逃げ出したくなるほどの緊張感にからめとられているはずだ。本作ではタイトルにもあるようにラストである「乱射事件」が起こるのだが、静かに精神の崩壊を迎えた彼が撃ち抜いたのは他でもない「松ヶ根」という空気そのものなのかもしれない。序盤で示される「これは、実話に基づいた話である」という嘘や、辺鄙な田舎に邪悪な存在が現れてとんでもない事態になるという要素などは諸々日本版『ファーゴ』とも言えるが、その後ろに広がる「松ヶ根」という底なしの闇は、ぼくらの生活するこの国のどこかに、いまも確実に存在していると思わせる説得力がある。「松ヶ根」はぼくらの胸の奥に存在する「悪しき田舎」そのものだ。田舎名物である精神病から「みんな知ってんだよ」という一発で足元を揺るがせる強烈な台詞が飛び出す本作をもって、本特集の幕を下ろそうと思う。

 

 

いま現在、いわゆる概念としての「田舎」にお住まいで、ありとあらゆる閉塞感にもがき苦しむ人がいたとして、その人たちがここで挙げた映画に興味を持っていただけたら幸いに思う。どれも「暴力による突破」がメインで描かれてはいるが、そこから何らかのエネルギーを受け取って、空を覆う厚い膜に怒髪で風穴を空けてほしい。みんながみんな「それでいい」だなんて思っていないことを忘れないでほしい。世界はそんなに狭くないのだということを何度も思い出してほしい。無力な自分が嫌になるが、なによりお金があればなんでも解決できるので、宝くじとか買ってみてほしい。本当に勝手ながら、どうか、あきらめないでほしい。

 

 

ぼくが心からそう願うこの瞬間も、田舎者はお茶をすすりながら陰口を叩き、閉じた世界で邪悪な宇宙を創造しているのである。

 

 

 

 

ふざけやがって。