MidnightInvincibleChildren

ここは最悪迎えに来て/最低田舎映画の世界

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ぼくは沖縄にあるサトウキビと芋ばかりの村で生まれ育った生粋の田舎者なので、小さい頃からジャスコに行くだけで高揚したし、オタクは気持ち悪いと思っていたし、世界がけっこう広いということを理屈以上に認識したことがあまりなかった。考えるだけ途方も無くなるので、考えないようにしていたのかもしれない。その後、北海道にある大学に進学し、思っていた以上に世界は広いということの片鱗を体感したぼくは、いろいろあって今現在田舎者を心の底から憎んでいる。ここでいう田舎者とは、かつての(そしてその延長線上である現在の)ぼくのような人間のことである。世界の広さから目をそらし、煮詰められた価値観を疑うより先に倣っているすべての人間への怒りで、腕立て伏せを日課にすることができた。客観視点を排することに躍起になるやつらには、ぜひとも自らの醜悪な姿を自覚して、陰気で内向的で毎朝発作的な不安に苛まれるぼくのような生き物に成り下がってほしい。ということで「悪しき田舎イズム」に対して冷ややかな視線を投げつける人々だって大勢いるということを再認識して精神衛生を保つためには、そういう創作物に多く触れるほかない。触れるほかないってこともないけど、おおっぴらに田舎の文句を言うよりは、物語に落とし込みその愚かしさ、腹立たしさを浮かび上がらせた作品の力を借りることで「ほらみろ!」と騒いだほうが粋だ。フィクションの良さはそういうところにある。今回は、ぼくの貧困な引き出しから頑張って五本を選出してみたので、一緒に性格の悪い田舎者に憤ろう。

 

 

 

 

〇『わらの犬
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言わずと知れた「田舎は野蛮」映画の金字塔。都会の喧騒から逃れるため奥さんの地元である田舎に越してきた気弱な男が、奥さんの元カレを含む粗暴で差別的で徒党を組んだ田舎者たちにひたすら嫌な目に遭わされるという散々な話。主人公を演じるダスティン・ホフマンはメガネをかけたインテリ風だけど背が低く愛想笑いを浮かべまくるいかにも気弱そうな男なのだが、田舎者の攻撃があまりにあんまりなため、映画終盤ではちゃんと激怒し、より強大な暴力をもって閉じた世界に風穴を空ける。しかしそもそも元をたどれば、この田舎の連中がみんな優しく、多様な価値観を受け入れ、乱暴なことをしてこなければこんなことにはならなかったのだ。自ら蒔いた種で破滅する田舎者たちを見て胸のすく思いになれること請け合いだ。

 

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ホフマンは激怒した。かまうものか!どんどん殺せ!

 

 

 

 

 

〇『ホット・ファズ 俺たちスーパーポリスメン!
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これも『わらの犬』と同じくイギリスの田舎で田舎者が悪いことをするので怒るという映画。ロンドンの敏腕警官であるニコラス・エンジェルは、周囲の嫉妬から「犯罪ゼロ」を謳うド田舎へと左遷される。かつての多忙な日々から一転、やりがいのないのどかな日々にテンション急降下のエンジェルだったが、その優れた嗅覚はこの村に潜む不穏な空気を逃さなかった。連続して起こる陰惨な殺人事件がすべて事故として処理されていく中、ニコラスは恐ろしい真実へとたどり着くのである。まあ田舎者の「見栄っ張り」さが「排他的」な空気を過剰にして多くの被害者を生んでいたという話。そもそもこの物語自体、先述した『わらの犬』へのオマージュも多分に含んでいるため、ラストには派手な反撃が待ち受けていて気分爽快。本作の監督であるエドガー・ライトが映画監督として大成する前に、鬱屈とした気持ちを抱えながらバイトしていたというスーパーマーケットが銃撃戦の舞台になっているなど、おらが村への恨み節が炸裂していて胸が熱くなる。悪い田舎は、フィクションの中でくらい遠慮なくめちゃくちゃにしてやろうではないか。やる気がみなぎってくるゴキゲンな一本だ。

 

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田舎者はすぐに徒党を組んで襲って来るので、これくらいの装備でちょうどいいのである。

 

 

 

 

〇『野良犬たち』
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続いては韓国からの一本。博打で借金の山を抱えたり、先輩の奥さんを寝とったりしている不良記者が失踪した先輩記者のあとを追って「犯罪率ゼロの村」に赴くという話。ってこれも『ホット・ファズ』パターンで、「田舎者の見栄」の裏には大抵汚いものが隠れているという話である。優れた韓国映画には自国に対する批評的な視線が備わっているものだが、今作も閉鎖的で男尊女卑上等の世界を容赦なく描くし、弱者に尊厳なしと言わんばかりの極悪非道な物語が展開する。なんでも実際に韓国で起こった知的障害児童性暴行事件をモチーフにしているのだとか。本作の日本版キャッチコピーが“「クズ」を見抜くのは、同じ「クズ」!”という威勢のいいものだったが、秋田の無医村にマッドサイエンティストライクな医者が派遣されたというネットの一部で話題になっていた話を思い出したりもする。

【悲報】 医者いじめで有名な秋田の上小阿仁村に乗り込んだマッド医師・西村勇さん、たった一ヶ月で退職 また無医村へ | ニュース2ちゃんねる

田舎を代表とした閉鎖的な空間は、いとも簡単に悪感情の温床となり得ることを忘れずにいたいものだ。

 

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都会のクズvs田舎のクズ。数と地の利は田舎側にあるのであった……。

 

 

 

 

〇『丑三つの村

 

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いよいよみなさんお待ちかね!我が国の田舎っぺだって負けちゃいない!本作は昭和13年に岡山県で起こった「津山三十人殺し」を題材にした物語。(参照:津山事件 - Wikipedia)村一の秀才で、ここのところエッチな奥様方相手の夜這いも覚えた犬丸継男は、結核を患ったことにより徴兵検査に落ちてしまう。それをきっかけに社会的落伍者の烙印を押され村八分に見舞われる彼は、現実から逃れるように夜這いに耽るが、女たちもやがて彼のことを「役立たず」とあざ笑う。時を同じくして、継男は村の男たちが、夜這いに訪れたよその若者を集団で暴行し殺す様を目撃してしまう。死体は首吊り自殺を図ったかのように偽装されており、いずれ自分も「村の平穏」のために殺されてしまうのではないかと恐れた継男は、ポンプアクション式のショットガンと日本刀で武装、村人への復讐を決意するのであった。閉じた世界でもがく青年の凶行を描いた本作、自己実現も叶わぬまま惨めな目に遭い続け、逃げる場所すら見失った末の怒りが血飛沫とともにほとばしる。女優陣がひたすらエッチだったり、2003年に自殺した古尾谷雅人の「本当は悪い人ではないのに……」と思わせるどこか不憫な佇まいが、凄惨な殺戮に悲哀を添えている。丘の上から村を望みながら「皆様方よ、今に見ておれで御座居ますよ」と呟くシーンがかなり印象的だ。実際の事件でもそうだったらしいが、普段から悪口を言わなかった者には手をかけないなど冷静な面も見せる継男の姿に、「人の悪口は言うもんじゃない」という至極当たり前のことを痛感する。田舎者に限ったことではないのだが、田舎の人にこそ特に気をつけていただきたいものである。

 

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「皆様方よ、今に見ておれで御座居ますよ!」
 

 

 

 

〇『松ヶ根乱射事件
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本特集最後の一本にして陰湿度では他の追随を許さない純国産最低最悪田舎映画。1990年代前半、日本のどこかにある寒い田舎に双子の兄弟がいた。兄は一度上京するもすぐに戻り、実家の牧場をかな~り適当に手伝っている無職気質。一方で弟は立派に警察官となって松ヶ根駐在所に勤務しており、フィアンセとの結婚もそろそろな感じ。ある夜、兄がドライブ中に女の人を轢き逃げしてしまったことから繰り広げられる「事件」に併せて、おぞましく滑稽な田舎の日々が淡々と描かれていく。外部からやってきた闇と内側で蠢いていた闇をじめっとしたユーモアで見せてくれる本作は、「田舎って最悪じゃん……」と思うには充分すぎるほど露悪的で最高だ。知的障害を持っているっぽい女に関連するエピソードなんてどれも本当におぞましいし、ぐーたらな兄とは対照的に世間体を維持しようと躍起になる弟に隠されたある闇が浮き彫りになりだすころには、逃げ出したくなるほどの緊張感にからめとられているはずだ。本作ではタイトルにもあるようにラストである「乱射事件」が起こるのだが、静かに精神の崩壊を迎えた彼が撃ち抜いたのは他でもない「松ヶ根」という空気そのものなのかもしれない。序盤で示される「これは、実話に基づいた話である」という嘘や、辺鄙な田舎に邪悪な存在が現れてとんでもない事態になるという要素などは諸々日本版『ファーゴ』とも言えるが、その後ろに広がる「松ヶ根」という底なしの闇は、ぼくらの生活するこの国のどこかに、いまも確実に存在していると思わせる説得力がある。「松ヶ根」はぼくらの胸の奥に存在する「悪しき田舎」そのものだ。田舎名物である精神病から「みんな知ってんだよ」という一発で足元を揺るがせる強烈な台詞が飛び出す本作をもって、本特集の幕を下ろそうと思う。

 

 

いま現在、いわゆる概念としての「田舎」にお住まいで、ありとあらゆる閉塞感にもがき苦しむ人がいたとして、その人たちがここで挙げた映画に興味を持っていただけたら幸いに思う。どれも「暴力による突破」がメインで描かれてはいるが、そこから何らかのエネルギーを受け取って、空を覆う厚い膜に怒髪で風穴を空けてほしい。みんながみんな「それでいい」だなんて思っていないことを忘れないでほしい。世界はそんなに狭くないのだということを何度も思い出してほしい。無力な自分が嫌になるが、なによりお金があればなんでも解決できるので、宝くじとか買ってみてほしい。本当に勝手ながら、どうか、あきらめないでほしい。

 

 

ぼくが心からそう願うこの瞬間も、田舎者はお茶をすすりながら陰口を叩き、閉じた世界で邪悪な宇宙を創造しているのである。

 

 

 

 

ふざけやがって。

 

 

 

 

 

     

 

お母さん、セミナー以外の趣味を見つけて


DONOVAN- ATLANTIS - YouTube

 

ちょっと前だけど『子宮に沈める』というDVDを観た。2010年、大阪でマンションの一室に閉じ込められたふたりの児童が餓死した事件を元にしている映画だった。母親がいなくなり、部屋に残された幼い姉と乳児の弟二人だけの生活をBGMもなしに淡々と描いていて、正視に耐えない緊張感に満ちた壮絶な映画だった。虐待する親はぶっ飛ばすと繰り返してきたぼくだけど、親を追い詰める環境こそなんとかするべきだしじゃあもうどうすればいいんだろうという途方もない気持ちになった。とはいえ世の中には「親だってかわいそうなのだ」という論旨が通用しない「何も考えていないだけ」の人たちもいて、本当に難しい。一筋縄でいかない問題を徹底的に無視して生きていけたのならどれだけいいだろうと思わなくもないけど、それじゃあ人間として生きる意味もない気がしてくる。だからもう迷うことなく人を愛していくしかないんだ。バカバカしくて恥ずかしいことをそれでも率先して実行していく人間が必要なのだ。

 

ちなみに『子宮に沈める』のすぐあとに『エヴァリー』というDVDも観たのだけど、こちらは娘のために血眼になってヤクザを殺しまくる母親が主人公で、世界の広さを痛感した。

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↑ 『エヴァリー』よりヤクザにマシンガンを撃ちまくるお母さん

 

虐待もそうだけど、危機的状況にある人に対してなにができるかというのは永遠の課題である。無根拠な「大丈夫」を繰り返したって人は救われないし、問題の根源に対して暴力をふるうのは現実的じゃない。じゃあどうすればいいのかといえば、とにかく自分が今いる世界を閉じたものにしないことがなにより重要なのかもしれない。閉じた世界の重たい扉を、内や外から開けることのできる力をもたなければならない。多くの知識とか経験がその力なのかもしれない。それが備わっていない間は、世界が閉じないよう、息継ぎを欠かしてはならない。

 

去る日曜日、某駅前のベンチに腰掛けていたら帰宅途中と思しきサラリーマン風の男に声をかけられた。「ちょっと聞きたいんだけど、この辺詳しい?」とその男は言った。「詳しくはないですけど、なにかお探しですか」と言うと、その男は「このへんにハッテン場ってない?」と言った。いや嘘だろ~……!と思いながら「ちょっとわかんないです」と言うぼくに男は続ける。

「行ったことある?新宿二丁目とか」

「ないです。すみません」

なぜかぼくは謝っていた。

「誘っちゃおっかなあ……」

不意にそうつぶやいた男は人差し指をぼくの股間めがけて突き出してきたので、反射的に腰を引く。「いやいや……」小さな声でぼくはつぶやいていた。そんなぼくを残し、男は駅から続々と出てくる人の流れに乗って夜の街へと消えていった。ぼくは今しがた自分の発した「いやいや……」という声の情けなさを思いながら、男とは反対方向へ走って逃げる。何度も後ろを振り返った。やがてたどり着いたゲオに入ると、迷わずアダルトコーナーへと向かい、ソフトオンデマンドの新作エリアでじっとした。ぼくの気持ちは完全にふさぎ込んでいたし、絶対に開いてなるものかと思っていた。そういうぼくを誰かが助けるべきだとも思った。できれば男以外の人が。

 

結局、自分は傷ついた人を助けることなんてできないという諦観に身を委ねるのは楽なことかもしれないが、そんなやつにくれてやる愛などこの世にない。世界を開くことで憎悪とか悪意とか無邪気な暴力が入り込むかもしれないが、同じように愛を受け入れることだってできる。

 

今日の夕飯としてさっきもやし炒めをつくったんだけど、賞味期限が今日までだったせいかちょっとだけ酸っぱいような気もする。あと橋本環奈のCMが続々流されているが、どれも最高でちょっと怖い。

ブローグではなくオックスフォード/『キングスマン』

「マナーが人を作る Manners Maketh Man」 

ハリー・ハート

 

今年は「絶対いいはずだ」と観る前から確信してしまうような映画が目白押しな気がするが、その中でも『マッドマックス 怒りのデス・ロード』 に次いで個人的に期待値を高めていたのがこの『キングスマン』だった。監督は『キック・アス』 のマシュー・ヴォーン。原作はマーク・ミラーのアメコミで、夢も希望もない街のチンピラが秘密組織にスカウトされ訓練を受けることにより最強のスパイになるというもの。同じマーク・ミラー原作で映画化もされた『ウォンテッド』 も冴えないサラリーマンが秘密組織にスカウトされて最強の殺し屋になる話だった。いいのだそれで。ここじゃないどこかへ連れて行ってもらい、そこで華々しく暴れる物語はみんな好きだ。ぼくも大好きだ。『シンデレラ』に憧れる女の子がいるように、ここじゃないどこかにまだ見ぬやばい世界があって、そこで暴れることを夢見ている25歳の無職だっているのだ。

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幼い頃に父を亡くしたエグジーは、大学を中退し母と同居している無職。まずここで泣かずにはいられない。家には二人目のパパもいるが、いい歳して子分を引き連れている地元ヤクザなので、子供の目の前でセックスをおっぱじめるしDVだってお手の物。クソみたいな環境から脱するための仕事もなく、自己評価も下がる一方なのでとりあえずグレている。盗んだ車で走り出したはいいものの、害獣指定のキツネを避けて事故を起こす始末。お先真っ暗だ!消沈する彼のもとにひとりの紳士が現れる。彼の名はハリー・ハート。高級テイラーキングスマン」の仕立て職人にして国際諜報機関のエージェントだった。

「マナーが人を作る」とハリーは言う。

「『大逆転』という映画を観たことある?」

「ない」

「『ニキータ』は?」

「いや……」

「『プリティ・ウーマン』は?」

「……」

「まあいい。人は生まれじゃない。私は君をぜひともキングスマンにしたい」

「『マイ・フェア・レディ』みたいに?」

かくしてやさぐれエグジーは精鋭紳士キングスマンになるべく過酷な試験を受けることになるのだった。がんばれ無職!試験に受かって世界を救え!

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貧しい労働者の家に生まれ、肉体労働を転々としていたショーン・コネリーが後にジェームズ・ボンド役に抜擢されたように、粗暴な若者にスーツを着させ、紳士へと成長させるスパイ映画がこの『キングスマン』だ。キングスマンであるハリーは、自己評価の低迷に喘ぐエグジーに紳士たるマナーと自信を与え、新世代を担う立派なエージェントへと育てていく。 今作は本当にスーツが色っぽくフェティッシュに撮られていてかっこいいし、それを身にまとい大暴れを繰り広げるエージェントたちを見ているとその様式美に陶酔せずにはいられない。

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演出面でもマシュー・ヴォーン監督お得意の不謹慎なケレン味で溢れている。部位破壊や人体切断などのバイオレンスシーンだって下品になる一歩手前の涼しげな見せ方をしているし、全体に漂うそこはかとない余裕とすました雰囲気が英国紳士の佇まい然としていて心憎い。なによりマシュー・ヴォーンはここ最近のスパイ映画がリアル志向に全力疾走している現状へのカウンターとして今作を遊び心あふれる楽しいスパイ映画にしているみたいなので、そういやあんまり見なくなってきているなあと思っていた秘密兵器も数々登場する。防弾スーツに防弾傘、毒針シューズにライター型手榴弾から電気ショック機能のついた指輪までバラエティに富んでいる。キングスマンの使用する銃がトカレフなのはちょっと不思議だけど、これだってただのトカレフじゃない。バレルの下にショットシェル用の発射器がとりつけられているゴキゲンな代物。とんでもないなあ。

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↑ とんでもなさ

 

スパイ映画に欠かせないのは「とんでもないことを目論む悪役」だけど、今作の敵はサミュエル・L・ジャクソン演じる黒いスティーブ・ジョブズ。世界を良くしようと真剣に考えるIT成金の彼は、「人類こそ地球のウイルス」という考えに行きつき、世界規模の大殺戮を計画する。一方でこいつがなかなか憎めない。血が大の苦手で目にするだけで吐いてしまう繊細な性格であり、ハンバーガーをこよなく愛するリベラルなアメリカ人なのだ。

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↑ ニューヨークヤンキースのキャップをいつもかぶってるよ。モデルはラッセル・シモンズだって

 

さらに悪役の側近としてキャラの立った殺し屋を用意するのも忘れない。ガゼルは両足にブレード付き義足を装着しており、ぴょんぴょん飛び跳ねながら敵をバラバラに切り刻む女版殺し屋1。顔がブルース・リーに似ているのも最高だ。

 

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↑ 愛想はいいよ

ラストは世界中が大混乱に陥ったり秘密基地が登場したりたくさん人が死んだりするので本当にお祭りのような高揚感に酔いしれることができる。相変わらず派手なアクションシーンでの選曲がゴキゲンだった。ぼくは『キングスマン』鑑賞以来ずっとKC & The Sunshine Bandの『Give It Up』を聴いて踊っています。


Give It Up - KC & The Sunshine Band - YouTube

 

今作『キングスマン』は9月11日に公開されることが決定しているそうです。今回ぼくは試写で一足先に鑑賞させてもらったのだけど、それだけでもラッキーだというのに、なんと試写終了後にトークショーまで開かれたので驚いた。そこには敬愛する映画秘宝アートディレクターでありライターの高橋ヨシキさんをはじめ、脚本家の中野貴雄さん、映画監督の松江哲明さんが登場。マシュー・ヴォーンの生い立ちもこの映画と重なっていることや、スパイ映画の醍醐味という点から楽しい話を約三十分ほど聞くことができた。最高だ。「金持ちが大勢死ぬ映画は最高」「映画の中でくらいスカっとしよう」など頼もしい発言まで飛び出し大満足。

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興奮冷めやらぬ思いで上映室を出て、スタッフに劇中の暗号を伝えると傘と非売品プレスをもらえました。KADOKAWA最高。『涼宮ハルヒの消失』 を観たときからずっと大好き。ぼくは夜の飯田橋で中華そばを食べて帰りました。最高の誕生日だと思いました。

 

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ちなみにそれはバンジージャンプではない

 

修学旅行の夢を見た。三津田信三の『作者不詳 ミステリ作家の読む本』という分厚いお化け小説を読んでいるうちに寝落ちしてしまい、真夜中に目覚め、自分が北枕で寝ていたことにゾッとしたあと二度寝した。夢の中でぼくはちゃんと高校生だったが、登場した友人は落語家で、ちょっとした休みを利用して参加した、みたいな態度がムカついた。所詮は夢なのでいざどこへ行ったなどという重要なところは一切登場せず、気が付けば最終日、バスターミナルで解散した生徒たちがぱらぱらと散っていく中、ぼくはしばらく友人とベンチに座って寂寥感を噛み締めたあと、家に向かって歩き始めた。楽しい時間の終わりに直面しているのに、流れる時間に為すすべもなく、でもまあいいか、またなにか楽しいことでもあるだろうと思う、あの感傷や諦観が凝縮された夢だった。

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バンジージャンプする』という2001年公開の韓国映画を見た。主演はいまやハリウッドでも活躍するイ・ビョンホン。ヒロインには2005年に24歳の若さで自殺したイ・ウンジュ。以前から「この映画はやばい」という評判を耳にしていたのだが、最近感受性が著しく鈍化しているぼくはこの映画を楽しめるのだろうかと不安だった。結果から言えばできた。物語前半は、公開当時大ブームを巻き起こしていた『冬のソナタ』にも通じる淡い恋物語。大学生のイ・ビョンホンが、ある雨の日に相合傘をしてバス停まで送っていった名も知らぬ女性に一目惚れするのだが、なんとその人は同じ大学の彫刻科に在籍していて……というものだ。いろいろあって付き合うようになったふたりは愛を深めていくのだけど、中盤から物語は17年後に飛び、国語教師となったイ・ビョンホンの日常を描いていく。ここから物語は「おや?」という方向に進み出すのだけど、興味のある人はぜひ観てほしい。ぼくは真綿で首を締められるように狂気に侵食され、見終わるころには寒気すら覚えていた。日本の映画やドラマに出てくるキチガイといえば、目を見開いて呼吸を乱し、刃物を力強く握りながら舌を出して凄むのが常だけど、この映画はその対極にある佇まいだ。穏やかで落ち着いていて警戒心を抱かせない佇まいの人がいて、ついこちらもその人の話に耳を傾けるんだけど、別れ際の挨拶のときになってようやくそいつが完全に壊れている人間だったと発覚するみたいな、そういうどんでん返しを味わった。いったいどういう気持ちで作ったんだろう。まったく察せなくてとにかく怖い。

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先週木曜に同級生と成増で飲んだ。彼はいま埼玉に住みながら俳優を目指しているらしい。映画を一切観ないのに園子温の映画にエキストラで参加したり、園子温の個展にスーツを着て赴いてスカウトを期待してそのまま帰ったりしているアクティヴな男だ。ビールを飲みながら共通の友人である落語家(夢のあいつ)のことを「妙な説教癖がある」と馬鹿にして過ごした。入った沖縄料理屋の窓からは、向かいのビルにあるトレーニングジムが見えた。屈強な黒人がバーベルを上げ下げする様を眺めていると、不意に友人が「おれもう筋トレしてないよ。頑張ることをやめたんだ」と言い出した。彼はぼくの知る人間の中でも、一・二位を争うほどの筋トレお化けだったはずなのに。理由を尋ねてみると、彼はある日ふと、自分は自信がないから筋トレをしているんじゃないのかと思ったらしい。怖かったから筋肉が欲しかったんだ。おれはもうそいう頑張りをやめたとゲラゲラ笑いながら言うのである。ぼくはその夜以来、筋トレを始めることにした。頑張れるやつが頑張るのをやめた今こそ頑張らなきゃ、ぼくは一生頑張れる人間には勝てない。勝てるうちに勝っておかないと、負け癖はついてまわる。ぼくはもう本当に頑張るし、引き算ばかりのやりとりもやめるし、全員殴る。

 


Peruna - Akeboshi - YouTube

 

 

『マッドマックス 怒りのデス・ロード』を観……た……!

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去る6月20日(怒)にマッドマックス 怒りのデス・ロード』IMAX3D版を鑑賞したところ、ぼくのIQがグングン上がってしまったため、今回の記事はとりたてて知性に富んだ内容となっているかと思われます。

 

鑑賞前より、試写等で鑑賞していた方々から発せられる「素晴らしい!」という賛辞の嵐に見舞われたぼくの心はすっかり貞操帯をつけられた美女のように潤いつつも固く強張り、「期待する恐怖」に震える夜をいくつも過ごす羽目となりました。もちろん予告の段階で目の覚めるような映像の乱れ打ちに血圧を上昇させていたのですが、とはいえ、とはいえと臆病風に吹かれるぼくは血圧を抑えるべく毎日水を大量に飲み始めた始末。水が貴重となった世界を描く『マッドマックス』を、まるで挑発しているかのような愚行。ぼくはすっかりボロボロだった。

 

いま思えばなんて馬鹿な男なのだろうと、自分をあざ笑うことだけで腹筋が割れてしまいそうだ。この映画はぼくのチンケな不安なんてハナから相手になどしていない。ものすごい勢いで突き進み、衝突し、突き破り、突き破り、突き破り続ける暴走車のように、ぼくの頭の中の取るに足らない雑念たちをスクラップへと変えていった。

うわああああああああああああああああ!

いまの咆哮に意味はない。ただ叫びたかったから叫んだまでだ。何度だって叫んでやる。ほら!(いまこれを書きながら叫んでいます)。人生最高!

 

まず驚いたのが、今作がとても美しい映画だったというところ。鑑賞前はこれでもかと野蛮で猛々しく残酷な映画だと思っていたし、実際に違うわけではないのだけど、本当に息を呑むほど美しい場面も山ほどある。むしろ野蛮で残酷で猛々しいシーンほど、そこに溢れる衝動たちに胸を打たれ美しく感じる。そうしたいと思ったら走るし飛ぶし殴るし蹴る。それで何が悪い。叫ぶしぶつけるし奏でてやる!ワー!!!みんな死ね!

 

この映画、誰ひとりとしてモタモタしない。序盤、烙印を押されそうになるマックスが砦の中を逃げ回るシーンですでに早回しが使われていてどんぐり眼。人の追いかけっこなんてカーチェイスに比べたらそりゃスピードの面で遅くなるのは当然なはずなのにワー!!!もう早い!もちろん狂気の改造車が入り乱れるチェイスシーンはとにかく衝突、大破の乱れ打ち。人間が車外にいるのは当たり前!ぶつかりゃ飛んでいくけど仕方ない!砦の支配者イモータン・ジョー率いる「ウォーボーイズ」は名誉の死を誇りとするマッドなやつら!みんなよく観てろ!派手に死んでやるぜ!ワー!!!本当に死んだ!!!

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この映画、例え敵であろうともその行動にこちらの感情が揺さぶられてしまうところが実に良い。大勢で出撃したかと思うとその中の一台に大量のドラムが備え付けられていて、士気高揚のためにみんなでドンドコやっているシーンなんか笑いながらも興奮で目に涙が浮かんでくる。なによりあのギター野郎!ずっと弾いてるんですけど!炎も出る!偉い!劇場にいた軽音部たちが嫉妬の炎を燃やしていた。

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 ここでマックスの魅力についても触れておきたい。今回はシリーズ初のキャスト変更がなされており、オーストラリアの暴れん坊メル・ギブソンからイギリスの多動野郎トム・ハーディにバトンが渡されている。かすれた声で愚痴をこぼしたり女相手だろうと容赦のない取っ組み合いを観せる一方、視線を交わすことで意思疎通を図ったり、渋い顔で遠慮がちに親指を立てるなど「森のくまさん」のような愛らしさを放ってみせる。美女たちに囲まれても「おれに構うな!」と警戒を解かない少年性も素晴らしい。あとこれに触れないわけにもいかないのだが、気高き女戦士フュリオサとの激しい攻防の末、奪い取ったグロックを自らの太ももでワンハンドコックしてみせるシーンの手際なんてワー!カッコイイ!!!献血をしたあとなんかは激しい運動を控えるように言われるものだが、生きた血袋にされていたはずのマックスは管を外した直後だろうと休むことなく激しい動きを見せまくっていた。彼が世紀末ヒーローたる所以なのである。

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女性陣の活躍も今作における重要なファクターだ。イモータン・ジョーからの信頼も厚い女戦士フュリオサ、演じるシャーリーズ・セロンの熱演も相まって本当に高貴。左の義手もかっこよく、目的地を目指し邁進する姿は今作のMVP間違いなし。ジョーの美人妻軍団もさることながら、シャーリーズ・セロンの美しさ(かっこよさ)は際立っていた。マックスの肩を銃座にして狙撃するシーンがすごく良いですね。ちなみに美人妻軍団の中では、個人的にあの白髪の生意気そうな人が好きです(オリジナルの祈りを見せたり、ある人物に植物の種を抱かせてあげる優しさで涙……)。

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ここまで今作の勢いのいい点ばかりを挙げてきた。しかしこの映画、荒々しい戦闘が去り、夜が訪れるや否やハッと息を呑むようなブルーに包まれる。束の間の静けさには荘厳さすら感じる。今作は映像がとにかく美しい。日中でも真っ青な空と黄色い砂地のコントラストが映え、加えて真っ赤な爆炎が添えられる。だからずっとリッチな気分!

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まだまだいいところは山ほどある。ぼくは観ているあいだずっと興奮で感極まり、ついには一瞬だけゲロを吐きそうになったほどだ。でもここで一から十まで論うのは野暮だ!というか、観ればわかる!観なきゃわからない!ストーリーもちゃんとある!怒り、拳を固く握るはずだ!触れていないトンデモ要素も山ほどあってウワーオとなること請け合い!ちょっとでも気になるのなら劇場に急いで損はない(はず)なのだ!

 

ちなみにぼくはあと数回ウワーオとなる予定でいる。今作の鑑賞後、震える足を引きずって歌舞伎町のキャッチロードを歩いていると、高音で笑いながらキャッチの腕を掴んで離そうとしないマッドネス・ババアを見かけたのですが、「なんか物足りないなあ」と思う程度にはIQと精神のタフネスが向上します。つまり観れば観るほどどんどん賢く、どんどん強くなる。まるで『さんねん峠』みたいな映画ですね。これを観たあとなら『スカーフェイス』のクライマックスのような大暴れも可能!心の中のイモータン・ジョーに「Say hello! My little friends!!!」と言いながら何も持たずに飛び蹴りしましょう。困っている人がいたら力を貸し、立ちはだかる敵に対しては始めこそ逃げちゃったとしても戻って皆殺しにすればオールオッケーなのだ。またひとつ生きる技を映画から学んでしまった。とどまることなくこのフューリーロードを突き進んでやろうではないか。

 

 

 

 

セルフカットの憂鬱

 

セルフカットに失敗した。明日に迫る『マッドマックス/怒りのデス・ロード』にむけて髪を切りたいと思ったのだけどIMAX3Dでの鑑賞代に回すため意を決して自ら手を出してみたのだ。鏡を見つめて思うのは、こうはならなかった平行世界について。こんなはずじゃなかった。

 

セルフカットの思い出といえば高校一年の頃。右側の襟足が逆毛であるぼくは、髪が伸びると後頭部にしっぽのような盛り上がりができてしまう。別にいいんだけど高校生の頃はそれが気になって気になってしょうがなかった。そこで自宅にあったサビの浮いたすきバサミを勘で振り回していたら、素手で引きちぎったかのようなドキッとする襟足になってしまったのだ。友達に見せてみたら「ちょっとこれは……」と言われたので泣きながら家に帰り、父親に整えてもらった。二度と自分で切らないと思ったがその数ヵ月後、またぼくはセルフカットを試みていた。

 

こういうとき歴女なら「いつの時代も人間ってそういうものだから」と笑ってくれるのかもしれない。

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セルフカットに関する自分の歴史を遡ると幼稚園のころ、前髪をセンター分けするアニメキャラに憧れ(『ドラゴンボールZ』のトランクスとか『飛べ!イサミ』の雪見ソウシとかのことである)自分の前髪の中央部をカットしたことがあった。それを見た友達が「いいね。おれにもやってよ」と言ってくれたので、同じ部分をカットしてあげたんだけど、後日そいつの母親に呼び出されてものすごい剣幕で怒られてしまった。良かれと思ってやったことが実を結ばないことをぼくはこのとき学んだのである。今思えば「髪を切る」という行為が「虐め」と捉えられかねないという認識さえなかった無垢なぼくに、「この世はあらゆる暴力で満ちている」ことを示唆してくれたのは友達のお母さんだったのだ。

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↑ いまではこいつらのなにがいいのかまったくわからない。大嫌い

 

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↑ こういった作品の良さがわかるようになったことからも、自らの成長を感じずにはいられない。傷は乗り越えたときに輝きへと転じるのである

 

とにもかくにも『マッドマックス/怒りのデス・ロード』への期待でいそいそしてしまう。鑑賞後、自分がどうなっているのか想像もつかない。緊張していると言ってもいい。いまはただ『マッドマックス/怒りのデス・ロード』を知らない自分であればいい。今日中に腕立て伏せ、腹筋ともに変化が見られるまで行います。劇場を出るときそこは世紀末そのものになっているはずなのだから……

女になりてえ/『ハイヒールの男』

 

その男は伝説だった。

ヤクザのボスが部下を前にして語る。

「もしおれが大統領だったら、やつを側近にするか、銃殺刑にするかだ」

男の職業は刑事だが、悪党さえも陶酔した表情で彼を語る。鋼のような肉体にいくつもの傷痕を有し、どんな相手だろうとその凶暴性で圧倒してしまう男の名はユン・ジウク。

しかし彼には大きな秘密があった。

幼い頃よりずっと「女性になる」という願望を抱いていたのだ。

 

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韓国発「一体どういうことなんだ!?」映画こと『ハイヒールの男』を観た。最強の刑事が実は女性になりたいという願望を胸の内に秘め、日々葛藤しているという話。その話でなにをどうしたいのかわからないところがもう最高なんだけど、いざ鑑賞するとクールで残酷でおかしくて燃える映画だったので本当に最後まで超サイコーだった。

 

この主人公、とにかく強い。オープニングでいきなりヤクザの会合に殴り込んだかと思うと、たった1人で11人をボコボコにしてしまう。主演を張るチャ・スンウォンは長身かつ細身なためアクションがものすごくよく映える。さらには軸のしっかりした立ち回りでキレのある暴力をバシバシ放ってくれるのでこちらも安心して興奮できるのだ。串の束を首元にぶっ刺すなど、バイオレンス描写も信頼の韓国映画クオリティだ。

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またこの主人公、誰からも一目おかれる存在なのである。サイボーグという仇名までつけられ、同僚からは厚い信頼を得ている。ヤクザの№2なんてファンを公言するほどだ。しかし当人はというと、そういったイメージとは違った顔を次第に見せる。カウンセリングの先生に不眠を吐露し、医者にホルモン剤の効果が薄くなるから激しい運動はやめろと怒られ困り眉。そのときの仕草がさっきまでヤクザをしばいていた男とは思えずぼくは混乱。飲み物を飲む際は小指を立ててるし……というのは安直で笑ったけど、この人本当に女性になりたいっぽい。回想シーンが度々挟まれるが、彼が学生時代に同じクラスの男の子と恋仲にあったことも示されるので、その願望が積年のものであることもわかる。なるほど~……といった感じだ。

 

この映画、中盤からはこの主人公がニューハーフの先輩に教会で相談して泣いたり、ブスなニューハーフに思わずビンタしちゃってハッとしたり、思い切って女装しての外出を試みるもマンションのエレベーターで知らない一家が乗ってきてドギマギしたりとハプニング続き。さらには追っていた連続レイプ魔が捕まり取調室に赴くと、そのカスに「おかしいな。刑事さんの言葉を聞いてるとアソコが固くなってくる……」と内に潜めた女性性を見抜かれギクッ!とするなどもう大変。

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それでも彼は女性になることを諦めきれない。みんなに惜しまれながらも辞表を提出し、性転換手術のためアメリカに旅立つ決意をする。送別会において酔った後輩から「昔、捜査で兄貴が女装したことあったじゃないですか!あの姿を思い出すといまでも吐きそうになるんですよ!ワハハ!」と心無い言葉を吐かれて傷ついたりもする。かわいそうでならない。それにしてもこの主人公、最強であることの理由として「女性になりたい気持ちを抑えること」=「完璧な男として振舞う」といったロジックが成り立っているところが面白い。海兵隊に入隊し、いまでは暴力刑事として活躍するのも全ては自らの願望から目を背けるための行為だったのだ(ニューハーフの先輩は見抜いてくれる。曰く「わたしもそうだったから」)。

 

後半はヤクザ側の不穏な動きから再び全力バイオレンス映画へと復するのだが、彼自身の願いを許容しようとしない世界の残酷さが浮き立って切ない。主人公の願望を知った件の後輩が、酒に溺れながら主人公がコップを握った際の立った小指を回想して「兄貴……」となるシーンには笑っちゃったけど、容赦のない暴力は主人公からあらゆるものを奪っていく。これ以上わたしを「男」でいさせないで!そんな彼の願いも韓国ヤクザ名物・刺身包丁で切り裂かれるのであった。

 

とにかくこの映画、ぼく自身かなり興奮したし笑ったし最終的に意味不明なやる気を与えてもらったのだけど、最後まで観てもなんだか掴みどころがない。なにがしたかったんだろうと思うし、全部したかったんだろうという気もしてくる。韓国映画の新たな傑作の誕生に、つい先日tweetしたばかりの韓国映画オールタイムベストを更新したくなったほどでした。興味があればぜひ観てほしい。アクションのクオリティだけでも元が取れると思います。調べてみると撮影監督が『哀しき獣』『サスペクト 哀しき容疑者』 の人らしいけど、この2作に比べるとカメラの揺れも少なくとても見やすいアクションだったように思います。それは編集がいいのでしょうか?そこのところはよくわかりませんが、とにかくオススメします!観なさい!

 

ここじゃないどこかに賭け続ける/『サウダーヂ』

 

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山梨県甲府市を舞台に土方と右翼かぶれのラッパーと移民が登場する『サウダーヂ』という映画があるらしいことは2011年の時点で知っていた。ただしその当時にはぼくの住んでいた地域での上映はなかったし、監督の意向により劇場での上映のみでソフト化もされないとのことだったので、この映画を鑑賞するためには都合のいい上映時期・上映場所が一致するタイミングを虎視眈々と狙わなければならない。で、都合が合ったので先週火曜日に新宿K’s cinemaにて滑り込み鑑賞。けっこう混んでいた。

 

辞書によるとタイトルの「サウダーヂ」はポルトガル語で「郷愁」を意味する言葉らしい。ただ実際にはもっと様々なニュアンスが含まれている言葉らしく、日本語において一言で言い表すことはできないそうなんだけど、とにかく「胸がキューンとする感じ」を指す言葉だとか。それはつまりぼくの大好きなあの感情だ。なにかを懐かしむこともそうだけど、今となっては遠いなにか・どこかに思いを馳せるときのあの気持ちこそ「サウダーヂ」なのかもしれない。だとするとぼくはサウダーヂ・ジャンキーなので、日々なにかに思いを馳せ、いろんな味の溜息を吐いている。

 

本作では山梨県甲府市を舞台に、そこに住む様々な人々の群像劇が繰り広げられる。土方、ラッパー、在日外国人、東京から戻ったイベンター女etc……。みんなの共通点といえばここじゃないどこかに思い焦がれているという点。そんな面々が理解し合うという高いハードルを当然のようにう飛べないまま過ごす日々が、淡々と、かつユーモラスに描かれている。この映画3時間近くあるんだけど、「退屈な日常」を映画として工夫し見せてくれているので全然退屈しない。やりとりの面白さとか、編集のテンポなどでこちらの興味をちゃんと引っ張ろうと趣向が凝らされている。あれだけ長い映画が苦手なぼくだけど、サウダーヂ・ジャンキーとして感じ取った彼らの気持ちがとにかく痛く、目が離せなかったという部分もあったかもしれない。

 

ラッパーの田我流演じる「猛」という男の子がバイト先の退屈な飲み会の帰り道、シャッター商店街を歩きながらぶつぶつ悪態を吐き、それがやがてフリースタイルのラップとなっていくシーンが本作の白眉だという話はもうあちこちで言い尽くされていることらしいけどぼくも言いたい。パチンコ中毒の両親やタクシードライバーな電波弟と共にゴミにあふれた一室で生活する彼が思いの丈を発散させるために用いるのがラップというところに胸を打たれずにはいられないし、なぜ人がHIPHOPに惹かれてしまうのか、その根源に触れられた気もした。高揚しないわけがない。

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妻帯者にも関わらず若いタイパプ嬢に入れ込んで、いつか彼女とタイに移住することを夢見ている土方の精司が、いろいろあった末に煌く商店街という幻想の中を歩くシーンはまさに今作のタイトル『サウダーヂ』が炸裂する瞬間。そうなるはずだった(と彼らが思っていた)未来ともとれるところが切ない。

 

この映画に出てくるみんながみんなサウダーヂに囚われている。目の前にあるのはどん詰まりでくそったれな日常、ここじゃないどこかのことを考えなければやってられない。山梨県甲府市には、綺麗事とおためごかしを並べたご当地映画とは比べるのも失礼なほどの大傑作『サウダーヂ』があって本当に羨ましい。ここのところ函館の闇に焦点を当てた映画もちらほら見受けられるようになってきたし、この流れに乗って日本全国のあらゆる市町村もその地で生きる様々な人々を真正面から描いてみてはいかがでしょうか。ちなみに『サウダーヂ』に出てくるヤクザは本物の方々らしいですよ。車の発進のさせ方がすごく乱暴で迫力満点だったし……。

 

また日本のどこかでこの映画を観たい。ソフト化しないという監督の意向にも納得できるくらいに、この映画は観た人々に強烈なサウダーヂを抱かせる引力を持っている(これもさんざん言い尽くされたことなのかも知れない……)。

さっきキャバ嬢の隣で『ピッチ・パーフェクト』を観た

 

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最近のぼくはすこぶる好調。酒も飲まなければ煙草の副流煙すら容赦せず、動物性たんぱく質をとりすぎないよう納豆ばかりを食べる日々。それもこれも我が身を「最高のモルモット」にするためなのですがその件についてはまたいつか書くとして、そんな快調なぼくがすっかり夏のそれとなってしまった新宿の夜を歩きながら向かっていたのは映画館a.k.a.毎週水曜日は1000円で映画が観られるという最高のシアター、新宿シネマカリテ。そこで公開されている映画『ピッチ・パーフェクト』を鑑賞するためだった。アメリカでは現在『2』が公開中らしいけど、なんと『マッドマックス/怒りのデス・ロード』を抜く大ヒットとなっている模様。あの『マッドマックス』を抜くほどの大ヒット作の1作目なんだからとミーハー精神で席を予約したわけですが、もともと2012年公開の本作を本国で続編が大ヒットしているこのタイミングで慌てて公開する配給側への不満はもはや言うまい。『21ジャンプストリート』シリーズを劇場でかけないようなコメディ音痴の企業ばかりなので言うだけ届くかもわからない。ボケナスが。ぴったらずで爆笑していろ。

 

劇場に入ったぼくはまず驚愕。満席やないか~!隣がなんとオフらしきキャバ嬢でドキドキ。先週『新宿スワン』を読み始めたばかりだったのだ。そんなこんなで『ピッチ・パーフェクト』。めちゃくちゃ最高でした。

 

ぼくは楽器はもちろんのこと歌うことすらろくにできない人間であるため、その道にちょっとでも自分の居場所を見ることのできる人がうらやましいのですが、そんなぼくの羨望に見事応えてくれるかのような高揚がこの映画には満ちていました。ああいいなあ。歌うって楽しそうというかもう絶対最高だし、それはこうやって聴いているこちらにも伝わっていて、ということは「歌う」という行為、人間に与えられた能力の中でも最強なんじゃないか?なんて思っちゃうほどすべてのシーンが楽しい。アカペラ合唱クラブの話なので楽器は登場せず、いまそこにいる人間だけで空間を支配するという凄技を、支配される側としてこれでもかと味わいました。ぼくでも聴いたことのあるような曲も数々飛び出し、各々のアレンジを加えながらクールでホットなハーモニーを奏でる登場人物たち。ああちくしょう~、楽しそうだなあ。聴いているだけのぼくでさえこんなにも楽しいんだからな~。特に、お題として提示されたテーマに沿って次々と相手の歌を乗っ取り合っていくアカペラバトルシーンなんかずっと観ていたいくらい興奮しました。絶対音感と膨大な曲の知識がければ土俵に立つことすら許されない戯れ。達人の武術を見せられているみたいな気分にすらなりました。

 

それにしてもアナ・ケンドリックがこんなに歌うまいとは驚きでした。ふとした瞬間にベン・スティラーに見えるし、そのくせ谷間のサービスは欠かさないえっちなチンチクリン女優だと思っていたのに。あと『ペイン&ゲイン』に出ていたかわいいおデブちゃんも歌がうまい。出てくるみんな本当にうまい。この世で歌が下手なのが自分だけなんじゃないかと思えるくらいみんなうまい。あと歌わないけどチラッと出てくるクリストファー・ミンツ=プラッセもうまい。歌わないけどおいしい。思えばここのところ、クリストファー・ミンツ=プラッセが出ているコメディ映画には外れがないような気がする。『ネイバーズ』も最高だった。

 

ということでモルモット野郎のぼくに思春期のような甘いざわめきを与えてくれた『ピッチ・パーフェクト』には感謝の意を表明したいです。本当にありがとう。こういうポジティブな感情を盛り上げてくれる映画をもっとたくさん山ほど観たい。それこそアメリカが銃社会であることを忘れるほど浮つきました。

 


Foreigner Feels Like The First Time - YouTube

書き下ろし短編:『欝子の角栓』

 

 いろいろあるだろうとみんなは言うけど、別にみんなが思っているようなことはなにもないし、そのなにもなさこそ、わたしが部屋を出ない理由なのだ。朝~昼に起きてまずやることなんてなにもない。ああ起きてしまったんだと後悔して、また明日も目覚めてしまうんだと鬱々慄きながら夜を迎え、過ごし、ようやく眠る。眠っている間が一番まし。起きている間はずっと苦痛。例えば爪を切る。例えば鼻をかむ。例えば横になる。早く夜になれと思う。眠れないわたしは自分の顔を触る。しばらく鏡を見ていない。わたしはザラザラした鼻筋を撫でる。爪の先でこすればポロポロと表面が剥がれ落ちる。わたしは無心になる。ザラザラがあってポロポロとなって、わたしはわたしの一部だったものを眺める。そっと机の端におく。

 鼻を強くつまむと、たくさんの白いつぶつぶが浮き出てくる。それらをまた爪でこする。

 なにがどう間違ったなんて考えるのは変だと思う。わたしはずっとこうだ。ただしく現状に至っている。正直に生きている。

 向かいの家に住んでいたユウちゃんの弟が、最近バイクを買ったらしい。エンジンの唸る音が聞こえる。それは真夜中だろうと聞こえてくる。家族が文句を言っている声が聞こえてきたこともある。でもわたしはあの音が好きだ。眠れないわたしに寄り添ってくれている気がする。

 今日もわたしは眠れない。音が恋しい。

 ユウちゃんは今年結婚するらしい。子供ができたとか言っていた。わたしは部屋の窓から彼女の家を出入りする若い男を見たことがある。もしかするとわたしも知っている人かも知れない。

 最後に何かを楽しいと思ったのはいつだろう? 記憶を呼び起こそうとしても鈍い流れが渦巻くだけだ。煩わしい。有り余る時間の中でめぐり続けるこの思考をストップさせたい。地球の自転がピタッと止まればいいとわたしは思う。世界が一瞬にして粉々になれば、その実、みんな「まあいいか」と思うのかもしれない。

 さて、わたしはこんな毎日を終わらせようと思っている。どんな形であれ。

 わたしは鼻の頭を爪でこする。どうしようどうしよう。どうしようもないどうしようもない。

 その日は朝から窓を開けてみた。久しぶりの外気。その匂い。わたしは忘れていたいろいろを思い出す。楽しかったこと。寂しかったこと。向かいの家の前に、ユウちゃんが見える。赤ちゃんを抱いている。男の子か女の子かもわからない。でも小さな赤ちゃんが彼女の胸で眠っている。ユウちゃんがこっちを見て、ちょっとだけ笑った。わたしは思い出す。楽しかったこと。寂しかったこと。

 動けなかった。もっと楽しいことが欲しかった。寂しいことも。いろいろな気持ちが欲しかった。諦めることに慣れすぎた心を、綺麗に洗い流したかった。

 わたしは机の端に置いてある野球ボールほどのそれを手にとった。乾いて今にも崩れ落ちそうだ。急がなきゃ。

 わたしは窓の外目掛けて放り投げる。

 宙でほどけた無数の角栓は方々に舞って、照りつける陽光に鈍く透けゆく。風に乗って、煙のように昇っていく。ユウちゃんがわたしを見ている。口を開けたまま、やがて目を三日月型にする。懐かしい。わたしは今この瞬間を懐かしいと思っている。いつかとそっくりだ。でもそれがいつなのかは思い出せない。でも体が覚えている。喜んでいる?

「ユウちゃん!」

 わたしは叫ぶ。声が出る。わたしはこの声、意外と好きだったんだなと思う。

 そして轟音。粟立つわたしは道路を見る。わたしの角栓が風に乗って、こちらに向かっていたユウちゃんの弟に降り注いだのだ。驚いた彼は転倒してしまい、バイクはアスファルトの上を滑って電柱に激突した。遅れて転がり込んできた弟くんは、道の真ん中で停止し、かすかにだけど動いている。

「ごめんなさい!」

 わたしの言葉に目を見開いたままのユウちゃんが叫ぶ。

「大丈夫! 生きてるー!」

 全身がふざけるように震えていた。

 嬉しくてわたしは大きな声で泣いた。

 

 

橋本環奈が麻薬カルテルと戦う映画『HOLA! HOLA! HOLA!』(ネタバレあり)

 

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 〇どっひゃ~!なんて企画を通してるんじゃ~い(汗)

昨今、ハリウッドのアクション映画などにおける悪役として台頭しているのがメキシコの麻薬カルテルである。ざっと思いつく範囲でも『savages/野蛮なやつら』、『エンド・オブ・ウォッチ』、『悪の法則』、『サボタージュ』などがあるし、ドラマでいうと『ブレイキング・バッド』、『皆殺しのバラッド』というドキュメンタリー映画も作られたほどだ。現実世界においてもその凶悪性がインターネットを通じて世界に拡散されるようになり、ぼくたちは彼らの蛮行を日本にいながらにして垣間見ることができる。彼らは処刑一つするにしてもユーモアを忘れない。暴力をいかに“気の利いた”ものにできるかと競い合うような姿からも、彼らの恒常化し半ば麻痺しつつある残虐性を垣間見て戦慄する。その残虐さを、止めようのないこの世の邪悪な理として描いた『悪の法則』は本当に恐ろしかったし、あのシュワちゃんをもってしてもバーにたむろする組織の末端どもを殺すので精一杯という姿を見せつけられた『サボタージュ』も衝撃的だった。前作でミャンマーの軍隊を相手に大殺戮を繰り広げたランボーが次作で衝突する相手もメキシコの麻薬カルテルらしいし、今後も麻薬カルテルが登場する映画が増えていくことだろう。メキシコ麻薬カルテルは現在における悪のアイコンと化しているのだ。

 

 

 

そんな麻薬カルテル映画の最新作であり、我が琴線を叩きちぎるかのような衝撃を与えてくれたのが本日紹介する『HOLA! HOLA! HOLA!』なのである。主演はあの橋本環奈。麻薬カルテルと橋本環奈。ちょっと異常だ。このふたつの要素を組み合わせようだなんてお酒が入っていない限り思いつくはずがない。しかし、““この世の絶望に対してこの世の希望をぶつける””という視点を持つことができれば、今作の構造を理解することができるのではないだろうか。まあ実際その内容は血みどろ残虐絵巻なんだけど、橋本環奈ちゃんというどんな状況にも効果を発揮する清涼剤が主演を張ることによって絶妙なバランスを保つことに成功しているのだ。すごい。

 

〇本編内の“奇跡”たち

以下、ぼくが今作を愛するに至った要素をざっくばらんに紹介していきたいと思う。完全にネタバレありなので、それが嫌な人は携帯を破壊し文明に抗うほかない。

 

アバンタイトル

冒頭、メキシコ某所。ナルコ・コリードが鳴り響く中、酒場で豪遊する男たち。腰にささったギラギラの銃や野蛮な会話の内容から、彼らがカルテルの構成員であることがわかる。


"HEISENBERG SONG" COMPLETA CON ...

※ナルコ・コリードとは、麻薬カルテルギャングスタラップのようなものだと思ってください(参考動画:『ブレイキング・バッド』より)

 

仲良しコンビが連れションをしにトイレに入ってくる。“エル・グアポ(ハンサム野郎)”と呼ばれる組織の殺し屋がエルパソの国境沿いで殺された件についての会話が弾んでいる。話題は“ラ・ブルハ(魔女)”と呼ばれる謎の暗殺者に関するものへと移るが、そこで彼らは背後にある個室がガタガタと騒がしいことに気づく。やれやれと苦笑する二人。誰かがお楽しみ中らしい。やがて個室が静まり返り、ゆっくりとドアが開くも二人は気づかない。そこにはサプレッサー付のハンドガンを構える橋本環奈。間髪入れずに男たちの後頭部を次々と撃ち抜き、動かなくなったその体にもパスパス弾丸を撃ち込んでいく。その動きに躊躇はない。個室の中にはワイヤーが首に食い込んだ男の死体が横たわっていた。ナルコ・コリードの音量が次第に上がっていく中、男たちの腰にささった装飾入りの45口径を手に取りほくそ笑む橋本環奈。手洗い場の鏡で前髪を整える橋本環奈。死体から奪ったテンガロンハットをかぶる橋本環奈。彼女はトイレを後にする。制作会社、キャスト、監督のクレジットが表示される中、スローモーションでパーティーの中を歩く彼女は、満面の笑みでギャングたちに紛れ、体を躍らせながら出口へと向かう。もちろんぼくはこの時点で号泣。主人公がノリノリで踊る映画に傑作は多い。画面は再び死体の転がるトイレに戻る。酔った男がトイレに入ってその惨状に驚愕。慌てて声をかけながらうつぶせになっている死体をひっくり返すと、下敷きになっていたいくつもの手榴弾が転がり出る。その表面には赤文字で「HOLA!」

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粉塵がたちこめ、轟音や悲鳴が木霊する中、画面いっぱいに表示されるタイトル。とんでもない映画が始まってしまった……。

 

 ②“ベイビードール・スクワッド”の日常

橋本環奈は少女のみで構成される暗殺集団に所属しており、アメリカのどこかにある(ぼんやりしている)森の奥の大豪邸を拠点に日夜犯罪者どもを血祭りにあげている(この屋敷の場面は浮世離れしており、どこか幻想的で、フランス映画の『エコール』を思わせる)。そんな彼女たちの日常がテンポよく紹介されていくのだが、華やかなドレスに身を包んだ少女たちが、豪華ホテルのペントハウスで開かれたマフィアのパーティーに潜入して紳士淑女を虐殺しまくるシーンは壮絶の一言。Nappy Rootsの『Good Day』が流れる中、出入り口を背にして横並びした少女たちが『CoD:MW2』の空港ステージさながらの一斉掃射を始めるのだ

テラスに避難した連中さえも狙撃担当の双子に頭を吹き飛ばされるという徹底ぶりには思わず破顔した。本作は制作にマイケル・マンが関わっているため、銃器の描写がとにかくリアル。音響も鳥肌が立つほど重く、腹の底まで響くほどの迫力がある。大仕事を終えたメンバーが帰りの車内で窓を開け、夜風を浴びながらキャッキャとはしゃぐシーンで再度号泣。まるでこの瞬間が永遠だと信じているかのようだ。集団の中で生きるアイドルとしての橋本環奈をあえてキャスティングした効果がここで顕著に現れている。しかし、部屋に戻ってベッドに入るやいなや悪夢にうなされる橋本環奈。汗だくになって部屋の家具を破壊して回り、心配する他のメンバーに抱きしめられてなだめられるシーンには、彼女の置かれた境遇の残酷さが胸に迫る。泣かないで!こんな仕事もうやめて!しかし彼女たちの戦いはこれからも続いていくのだ。不毛な麻薬戦争の闇が、この映画を覆っている。

 

③「掃除屋」

これは事前には知らなかったのだけど、少女たちがしくじったりした際に後始末を任されて派遣される最強の「掃除屋」として“ウォー・ゾーンのパニッシャー”ことレイ・スティーヴンソンが出演している。渋い俳優だ。そんな彼が登場シーンにおいてデンゼル・ワシントンジェイソン・ステイサムに次いでいま話題の“事後演出”をかましたところでぼくは絶頂。駅に着き電車を降りた「掃除屋」が仕事終了の電話をかける。背後で動き出す電車。彼とは反対方向へ走りゆく車両内すべてが血まみれ!まったく説明がないので「掃除屋」がどういった連中を相手にしていたのか、なぜ電車なのかと混乱はするがそのインパクトありきの勢いに感服。窓から死体の足が飛び出していたりするのもオツだ。麻薬カルテルを相手にするにはこれくらい異常な連中じゃなきゃならない、という前提も示されていて実に痺れるシーンだ。

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※『ウォー・ゾーン』の続編待ってるよ!

 

④麻薬カルテルの残虐さ

 一方でこの映画、麻薬カルテルの恐ろしさも余すところなく描いているので油断できない。スナッフビデオ撮影シーンはトラウマ必須の残酷さ。バット1本で人間が肉塊になるまで殴り続ける長回しギャスパー・ノエの『アレックス』を彷彿とさせる)は挨拶がわり。挙句の果てには死体にまでそんなことをするなんて!という極悪ぶり。そしてなにより強烈なのが物語中盤、“ベイビードール・スクワッド”のメンバー3名が作戦に失敗してカルテルに捕まってしまう場面。安否を心配する環奈ちゃんたちの元に、拉致されたメンバーのひとりが傷だらけで戻ってくるのだが、鼓膜が破られ会話が成り立たない上に半狂乱。そんな彼女が引きずる大型のスーツケースの中には、バラバラにされた上で“ひとつ”に結合された狙撃手の双子が入っていて……。劇場では、このシーンで席を立つお客さんが三人ほどいました。スーツケース内にはさらにDVDが入っている。映画内で中身は示されないが、それがスナッフビデオなのは明らかである。カルテル側からの強烈な報復。広大な裏庭で埋葬されるメンバー。そこにはすでに無数の墓石が並んでいる。喪服姿で佇む橋本環奈は息を呑むほど美しいが、その据わった目はまるでメル・ギブソン。物語が加速する。

 

⑤お礼参りa.k.a.「HOLA! HOLA! HOLA!」

 殺されたメンバーと橋本環奈は親友だった。序盤で彼女がパニックになった際になだめてくれたのもその少女。スクワッドの逆襲が始まる……かと思いきや、上からの指示がなかなか下りない。そんな中、橋本環奈は唯一生きて戻った少女のお見舞いに向かう。そこでの筆談シーンで完全に気が触れてしまったと思われていた少女から「復讐して」とのメッセージを受けとるシーンは熱い。真夜中、橋本環奈は身近にあった銃器を手に屋敷を抜け出す。プッシャーの家に殴りこみをかけ、特殊警棒でボコボコにする場面ではクラヴ・マガを使う橋本環奈が拝めて最高。仲間を解体した犯人にたどり着くまで襲撃、拷問を繰り返すその計画を「友達の輪作戦」と称する彼女はもはや阿修羅。口を割らせるためには容赦なく装飾入りガバメントの引鉄を絞る。そんな彼女の暴走に、麻薬カルテル側もメキシコから精鋭ぞろいの殺し屋部隊を呼び寄せ、迎え討つ態勢を整え始める。さらには彼女の所属する組織もあの「掃除屋」を派遣。三つ巴の衝突によって、街は戦場と化すのであった……。

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※以下、物語の結末部分に触れています。
 
 
 

〇World Is Yours.

 今作は本当に恐ろしい映画だ。復讐の鬼と化した橋本環奈、麻薬カルテルの殺し屋部隊、そして“ベイビードール・スクワッド”&「掃除屋」による場所を選ばぬ激しい戦闘は戦争映画さながらである。敵に包囲されるも、ピンを抜いた手榴弾を握ったまま会話を続ける橋本環奈はかなりクールだったし、これまでコレクションしてきた何挺ものカルテルハンドガンを全身に装備し、次々と撃ち尽くしながらナイトクラブを駆け抜けるシーンは神がかっていた。そこで流れる曲がThe Walker Brothersの『Walking In The Rain』というのも気が利いている。

また、襲撃した先がギャングの武器庫であることに気づき、声を殺してガッツポーズをとる姿は100億点。その他、道路から建物内目掛けて催涙ガス弾をしこたま撃ちこんだあと、ガスマスクを装着しツインテールをなびかせながら突入、マチェットサラマンダーで敵を切断していくスローの横スクロールアクションも捨て置くことはできない。

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※マチェットサラマンダー

 

一方の麻薬カルテル側も巻き添え上等の躊躇なき銃撃を行い、街中でRPGをぶっ放すのは当たり前。50口径の機関銃が取り付けられた改造車でハイウェイを滅茶苦茶にするシーンはマイケル・ベイ映画と見紛うほどの破壊が繰り広げられる。また、「掃除屋」がドリフトでギャングを轢き殺しながらフルオートショットガンによるドライブバイで通りの「清掃」を行うシーンなど、各キャラの見せ場も欠かさないところも心憎い限り。

 

そして物語はついに局面を迎える。双子を解体したカルテルの構成員が潜伏するナイトクラブをブラッドバスに仕上げた橋本環奈の前に、ひとりの少女が立ちはだかる。歳の差はほとんどないように見える彼女の名はリサ。“ハードキャンディ”と呼ばれる拷問屋だった。そんな彼女を演じるのは『バトルフロント』でステイサムの武闘派娘を演じていたイザベラ・ヴィドヴィックちゃん。

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ストクロエと呼ばれていた彼女がこんな役を演じるなんて……というのも、この“ハードキャンディ”のプロデュースによって双子は殺されたのである。血の海で取っ組み合う少女。ここではミシェル・ロドリゲスvsロンダ・ラウジーよりも狂ったキャットファイトが展開する。互いに一撃一撃が致命傷狙い。血で足を滑らせた橋本環奈がその勢いを活かして大車輪をかまし、バーカウンターの向こうまでイザベラちゃんを放り投げる場面では劇場からどよめきが漏れる。しかしこのリサという少女、幼い顔してとてつもないタフネスを見せるのだった。というのもなんと彼女、実年齢が32歳の成人。ホルモンの異常により身体の成長が止まった女だった。橋本環奈はリサと死闘を繰り広げながらも、大きな迷いを覚えてしまう。彼女は未来の自分なのではないか?この地獄のような日々の先に待つ、成れの果てなのでは?隙を突かれ追い詰められる橋本環奈。諦めかけたそのとき、“ベイビードール・スクワッド”がナイトクラブに突入。リサの脚を撃ち抜くことで攻撃を封じ、橋本環奈にも銃口を向ける。見つめ合う環奈とメンバー。そこにカルテルの残党も現れ、ふたりを間に挟んでのメキシカン・スタンドオフ状態。張り詰める空気の中、リサのわずかな動きも見逃さなかった環奈目掛けて、メンバーが落ちていた銃を蹴ってくれる。一斉に火を噴く銃口。弾丸が飛び交う中、床の上を滑ってきた銃を手に取る環奈、見事にリサを仕留める。ちなみにこのシーン、さりげなく顔面にダブルタップをかましているので頭が弾け飛ぶというすごいシーンとなっている。

 

復讐は達成した。しかし彼女を縛る呪いが解けたわけではない。この地獄の中で、これからも生きていかなければならないのだ。さらには組織の指示もなしに暴走したことに対する落とし前もつけなければならなかった。終わりのない銃撃の中、粉塵に包まれ髪を振り乱す少女たちの姿がスローで映し出される。そこで場面が暗転。しばしの沈黙をはさんでこの曲が流れ出す。

 


ここで終わりなのか?と思いきや、晴天の下、車のシートに腰掛け風に前髪をなびかせながら寝息を立てる橋本環奈が映し出される。まさか天国描写?その心配を一蹴するように、運転手である「掃除屋」が陽の光に目を細めながらハンドルを握る姿。車は荒野の一本道を進み続ける。曲は車内のラジオから流れていた。やがて見つけたガススタンドで彼女は車を降りる。視線を交わしたあと、無言のまま車を発進させ去ってしまう「掃除屋」。陽光に目を細める橋本環奈は、風に踊る前髪にひとり気だるげに微笑むのだった。

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この物語は決してハッピーエンドではない。彼女は一見自由の身になったかのようだが、過去のすべてがリセットされるわけではない。麻薬カルテルが彼女を見逃すはずもなく、今後も追手は現れ続けるだろう。 それでもラスト、彼女が見せたあの表情からは、必ずしもネガティブな感情だけが感じられるわけではない。彼女は今この瞬間の生を生きている。屍の山を築き上げ、ようやくたどり着くことのできた光の当たる高み。たとえその光が一縷のものであろうとも、屍の山が容易く崩れるものであろうとも、その瞬間の彼女は確かに全力で生きているのだし、世界は確実に彼女のものなのだ。

 

ぼくらはまた新たな奇跡を目の当たりにしたのである。

 

 

 

    

おまえのことを忘れさせてたまるか/『ワイルド・スピード SKY MISSION』

 

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もうすでに感想は書いたのですが、ぼくがイオンシネマ無料券という魔法のチケットを持っていたこともあって贅沢にも二度目の鑑賞をしてきました。

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「これが魔法のチケットじゃ」

改めて鑑賞してこの映画、最高!そう思ったぼくは『ワイルド・スピード SKY MISSION』のいいところを記録しておかなければと思いました。自分の記憶力を憎んでいるぼくは、いまのこの興奮を必ず風化させる未来の自分への脅迫状としてもここに記しておかなければならないのです。とにもかくにも今作はいいところだらけの映画なので、興味があればぜひ観てほしいと思います。この前書いた感想も一応貼っておきますのでどうぞよろしくお願いいたします。

sakamoto-the-barbarian.hatenablog.com

 

そもそも『ワイルド・スピード』シリーズはどうしてこんなことになってしまったのか。元々は地元でたむろして車いじってばっかりのローカルヤンキー界でポール・ウォーカーが潜入捜査する話だったのに……いまならEXILE主演でドラマ化されて「やっぱりヤンキーは人間性が良い」みたいなことになりそうな話だったはずなのに……。ヤンキーいいやつテイストはこのシリーズにもしっかりありますけど、気が付けば『GTA』感覚で車を運転し、どれだけ派手にモノを壊せるか勝負みたいな映画になっていて、車への思いやりとは対照的にスクラップ台数が増え、筋肉が増え、ハゲも増え、火薬と被害総額も膨れ上がるゴキゲンなシリーズになっていました。そして今作『SKY MISSION』は、『GTA』でチートを乱用したときのような、狂気にも似た高揚感に満ちるモンスター映画となっていたのでした。

GTAⅤ】

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【SKY MISSION】

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 【GTAⅤ】

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 【SKY MISSION】

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GTAⅤ】

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【SKY MISSION】 

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 もう区別がつかん。

 

今作でとにかく最高なのが、最強の敵としてファミリー(マフィアのことではありません)の前に現れたジェイソン・ステイサム。彼が登場する冒頭シーンは本当に素晴らしく最高なので、ここだけでも100回は観たいくらい興奮しました。ステイサムが登場するといちいち流れ出す重低音も超ゴキゲン。この映画は全編トゥーマッチに彩られているので、冒頭でそのことを観客にハッキリと示しておかなくてはなりません。それらも含めて100億点の冒頭と言えましょう。

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よぉ、オレはデッカード・ショウ。プロの殺し屋だ。弟を昏睡状態にまで追い込んだアメリカの走り屋どもを抹殺すべく追跡を開始したぜ。手始めに捜査官のホブスをぶっ飛ばし、トーキョーでドリフトしていたアジア人を始末した。残るメンバーのもとにも爆弾を送ったり、葬式を覗いたりしていたら、連中にも火が付いちまったようだ。オレを探すべく「神の目」と呼ばれるハッキング装置を欲しがりやがった。探さなくともオレの方から現れてやるって言ってんだろ!言ってもわからねえチンピラどもには行動で示すしかねえ。連中が「神の目」奪還に躍起になっているその現場に車で乗り付けてやったぜ。なんだかんだで結局逃げられちまったから、続いてアブダビまで追いかけてやったというのに、なんとアイツら、車で飛んで行きやがった。フザケンナ!最後は連中のホームであるLAのストリートに誘われたわけだが、地元を戦場にするとはどういう神経をしているんだ。全く理解はできないが、とにかく全員ぶっ殺す。ただそれだけさ。最強のハゲはオレ一人で充分だ!

 

 

 

敵味方関係なくトゥーマッチな今作は、とにかく画をキメまくり。場面が変わり車でどこかに乗り付けるたびにヤンキーソングがガンガン流れ、ジェイソン・ステイサムが登場するたび重低音がガンガン流れ、衣装替えすれば横並びになった登場人物たちがスローで登場しその前をスタイルのいいプリケツ女たちが横切る。クネクネ踊る女の躰を舐めるようなスローで映し、劇場内の小学生たちが総勃起。名だたるアクションスターを次々と呼び寄せては過剰なテンションでぶつけ合わせ、「車に乗ってりゃ基本死なない」というGTAルールのもと繰り広げられる狂ったスタントの応酬。この映画のリアリティラインだと『テルマ&ルイーズ』のラストはまた違った意味を持ってしまうなあと思いながら感動しました。

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※『テルマ&ルイーズ』より。

 

なにより今作を語る上で外せないのが主演のひとりである俳優ポール・ウォーカーの件。今作には、撮影中に交通事故で亡くなった彼に対する今シリーズからのお別れがしっかりと描かれているのですが、そこはもはやこの映画でしか表現できない愛が溢れており、劇場で号泣。あのヴィン・ディーゼルが信じられないくらい穏やかな、でもどこか寂しげな表情で微笑むあたりから顔面大洪水。CG貼り付け顔のポール・ウォーカーを観ていると、彼がもう本当にこの世にはいないのだという事実に改めて直面させられ、熱い感情が胸に迫ります。「家族家族うるさいのが玉に瑕」とか思っていたぼくですが、こればかりは完敗。撮影中に亡くなった俳優(と演じていたキャラクター)へのはなむけとして、最高の演出だと思います。ジェームズ・ワンは最高、偉い、イイヤツ……。

 

それにしても次回作の制作も決定しているそうなのですが、どうなるのでしょうか。キャスト、ストーリーと今作以上のレベルが求められているわけで……とはいえ同じことを前作でも思ったので大丈夫なのかもしれません。とりあえず今作の衝撃はこうやって記録しておきましたので、次回作を観た未来のぼくは何を思うのか、今から楽しみです。とにもかくにも、ポール・ウォーカーさんお疲れ様でした。安らかにお眠りください。

 

 

 

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