※下記はコンビニプリント用ZINE『Midnight Invincible Children Vol.Ⅲ』(2022.06.13~2023.06.21)に収録されたものです
埼玉県北部を中心にして起こっている連続殺人事件の四件目の現場を再検証している最中、犯人が出頭してきたとの連絡が入ったので帰ることになった。
「すみません、遠方からわざわざ来ていただいたのに」
ハンドルを握る町村がようやく聞きとれるレベルの声量でつぶやいた。続いて助手席の今田も振り返って頭を下げる。
「いやいや。まだわかりませんけど、一応ね、出頭したんなら」
「しかしこのタイミングで出頭とは、いろいろ気になりますが、ひとまず」
「まあそうですね。まだなんともですが」
疲労の滲む沈黙が続いた。畑と工場が交互に現れる風景を眺めていた俺が「昔の話とか興味ありますか?」というと、助手席の今田が頭をわずかに傾けた。
「え、ぜひ」
俺がまだ現役だった二年前。
最後に担当したある事件について。
民家に押し入って面識のない三人を次々に襲って殺害した小林和真は、犯行後に一度帰宅してシャワーを浴び、バターロールを二個食べたと供述した。それ以外はすべて黙秘した。小林は押し入った民家にいた須永國男(七十二)と須永美智恵(六十八)、ならびに物音を聞いて一階に降りてきた高校生の須永潤(十八)を持参したモンキーレンチで何度も殴打し殺害。買い物から帰宅したばかりだった須永みゆ(四十三)は廊下で小林と鉢合わせているが、小林がそのまま立ち去ったため怪我などはなかった。
犯行当日の小林の行動を裏取りしていく中で、俺は犯行直前にスーパーで買い物をする彼の様子に着目した。そこには夕食の買い出しに出た須永みゆの姿もあり、小林の背後からカートを押して近づき、追い抜く姿が記録されている。彼女が小林を追い抜くほんの一瞬、小林はなにかに驚くかのように素早い動きで振り返った。俺はその箇所を何度も繰り返し確認する。追い抜かれる瞬間というより、その手前で小林は反応を見せている。そして通り過ぎていく須永みゆの後ろ姿を、立ち止まったままじっと見つめているのだ。小林との面識はまったくないと須永みゆは証言していた。これは嘘ではないだろう。同じ生活圏内におり、同じ時間帯に同じスーパーで買い物をしていただけだ。少なくともこの一瞬で小林は須永家との接点を得たものと思われる。
「カートが身体に当たったかららしいです」
俺がそう言うと、助手席の今田ははっきりと俺のほうを見た。
「なんだかサイコパス診断みたいですね」
俺が小さく笑うと、「すみません」と今田は心から申し訳なさそうにいった。
「ああいうの好きですか?」
俺は質問する。
「いや、そんなことはないんですが。まあたまに。友人とかで好きな人は多いかもしれません」
「まあわかりますよ」
「ええ、はい」
「たまにどれだけ飛躍させられるか勝負みたいなのもありますけど」
「ええ。そうですね。気をつけます」と今田。なにをだ、と俺は思うが、頭を押しつけた車窓からの振動に身を任せる。
「カートをぶつけてきた本人を、とはならないんですね」
ハンドルを静かに繰っていた町村がつぶやいて、今田が「それは」と漏らした。
「サイコパス診断的にいうと……てのもなんですが、カートをぶつけてきた本人を一番苦しめるため、じゃないですか」今田の言葉に、町村は「しょうもね」とつぶやいた。
「たまったもんじゃねえよ」
「なんにせよひどい話です」
そうしてまた、車内に沈黙が戻った。
そのときだった。
「止まれ止まれ!」
右側から凄まじい衝撃を受け、俺の頭は慣性に振り回される。砕け散ったガラス片を大量に浴びながら二の腕を強く打ち、頬の内側が切れて口腔内に血が広がった。車は激しくアスファルトの上を滑り続けている。別方向からの衝撃が加わって、俺は勢いよくシートに倒れ込んだ。車は動きを止めていた。頭の中には依然として揺れの感覚が残っている。吐きそうだった。目を開けるのも苦しかったが、俺はなんとか上体を起こす。ゴムの焼けた臭いが漂っていた。すぐ目の前にはくすんだ色のコンクリートの塊。こちらに迫るようにしてドアにめり込んだ電柱だった。
「無事ですか」
前の二人に声をかけるが、返事はなかった。電柱とは反対側の窓から車外に脱出した俺は、十メートルほど離れた位置に停まるゴミ収集車、そしてそこから降りてくる二人組を確認する。グレーの作業着。不織布マスクで顔を隠し、それぞれの手には刃物が握られている。どこにでも売っていそうなただの包丁だ。切り替えろ。俺は血を吐き捨てると、着ていたブルゾンを右腕に巻く。一人はすでに目の前まで迫っていた。振り下ろされる包丁を天に向かって弾き返し、左手で男の喉元を殴った。続けて内膝を外向きに踏みつけ、股間を蹴り上げ、両耳を平手で打って頭を地面に叩きつけ側頭部を踏みつけてつま先で顔面を蹴った。この間、完全に呼吸を忘れていたので、あやうく気絶するところだった。
地面でCの字になって小さないびきをかき始めた相棒を前に、二人目の男は動けなくなる。俺が転がった包丁を拾うと、そいつは踵を返すので、十メートルほど追いかける。ズボンのベルトを背後から掴むと手前に引きずり倒した。肺が爆発しそうだった。パンチやキックはもううんざりなので、男のもも裏に包丁を突き刺して捻った。ちょうど鍵をかけるイメージだ。これで男は逃げられまい。どんなもんだい。俺は呟いていた。
埼玉県北部を中心にして起こった連続殺人事件は単独犯のものではなく、リーダー格の男を中心にした「クラブ活動」でしかない、というのが俺のプロファイルだ。車内でも話題に上げた小林和真を始めとして、ここ数年で起こったいくつかの事件からは同じ「におい」がする。真ん中に空いた穴。無数の糸が集中するコルクボードの余白。先程連絡のあった出頭男も計画の駒かもしれない。いまは説明できるほどの根拠はないが、そんな気がしている。「そんな気がする」を無視せず、かといって中心にも据えない。無意識に知覚している情報というものもある。より真実に近い文脈を掴み取ってたぐりよせる。出頭と同時刻に捜査関係者を襲撃することもなんらかの計画だと仮定しておく。Kの字で地面に横たわる男がどこまで把握しているかは定かではないが、もっと多くの情報が必要だ。俺は救急車を呼ぶ。俺のこの行動が、くだらない活動の番狂わせになることを願う。ひしゃげた車に戻って運転席の町村に声をかけた。町村の顔中にガラスの破片がめり込んでいた。助手席の今田からは締め切っていない蛇口のように鼻血が流れ続けている。
「聞こえますか。町村さん。今田さん」
ふたりとも、目を閉じたまま小さな唸り声を漏らす。息はあるが、急いだほうがいいだろう。がんばってください。死ねない理由をイメージしてください。かといって力まないでください。踏ん張りつつ、前向きでいてください。あ。そうだ、まだ途中でしたね。さっきの小林和真の話ですが、続きがあるんですよ。
被害者は三人。
で、その年齢をすべて足したら一五八。
一+五+八=十四。
俺の誕生日、三月十四日なんです。
縁起でもないでしょ? だからこの仕事を辞めました。