MidnightInvincibleChildren

短篇『気持ちだけとっとけ』



※下記はコンビニプリント用ZINE『Midnight Invincible Children Vol.Ⅳ』(2023.12.29~2024.01.05)に収録されたものです 

 

 

 

 

 

 

 混雑が嫌いなのに年末の池袋にいる。

 忘年会のお誘いは毎年のように島袋から来ていたが、ここ数年は断り続けていた。年末も繁忙期に含まれる仕事だったので参加する余裕がなかったのだ。今回は新しい上司の意向から、全員が分散して二日以上のまとまった休みをもらえることになった。そして島袋から指定された日がちょうどおれの休みの一日目だった。二日目とかぶっていたら断っていただろう。おれは東口へと出る階段をかけあがる。

 かれこれ四年ぶりだな、みたいな話はすぐに終わった。

 その居酒屋は雑居ビルの四階にあって、よくあるチェーン店ではなかった。料理が適当でしょぼい割に値段設定が強気の、一年で別の店に変わっているような、そういう場所っぽいなと思った。上京したてのころはそういう店でよく飲んでいた気がする。例によってメンバーは聞かされていなかったが、島袋のほかに前田と新垣がいた。全員高校がいっしょで、学生時代はそこまで交流があったわけではなかったものの、数少ない上京組として、何回か飲んだことがあった。

「おーす久しぶり。元気だった?」

「元気元気。いつぶり?」

「たぶん、四年ぶり」

「そんなにたつ? やばいな」

「島袋とは三年かな。ふたりでもんじゃ食べに行ったよな」

「あのときも池袋じゃなかった? 西口の」

「そう。そういえばあれも年末だったっけ」

「そうだっけ?」

「ところで飲み物はどうする?」

「じゃあごめん、おれもビールで」

「おっけ。飯は?」

 メニューを開くと案の定強気な値段が並んでいた。バイトはどう見ても全員学生で、料理も大衆向けの居酒屋メニューだ。一方で内装には妙に力が入っていて、床のくりぬかれた部分に白い石とか敷き詰められており、その上に謎の壺が置かれ、本物かどうかもわからない竹が挿してある。

 四年前。島袋は役者を目指しながらアルバイトをしていた。いまはなにをしているのかわからない。直接聞く気はないので、会話の端々から読み取ろうと思った。

 四年前。前田は起業した会社の経営をやっていた。おそらくいまもその会社を経営しているのだろう。三年ほど前にラインで結婚式に招待されたが、ご祝儀の相場をネットで調べ、あり得ない金額が出てきたのでそのまま断った。

 四年前。新垣はなにをやっていたか覚えていない。みんなの会話からスポーツ関係の仕事だということだけ思い出す。マッサージ。整体? スポーツ整体師? そんな感じだった気がする。

「しかしあれだな、久しぶりだな」

 そういや東恩納はまだなのか、と新垣がいった。島袋はスマホを眺めながら、返事が来ない、とだけいった。

「東恩納もくるんだ。久しぶりだなあ」

「東恩納? 久しぶりだよな?」

「おう」

「いや~」

 東恩納は高校卒業後に大阪で養成所に入り、卒業後数年を経て上京した。ずっと芸人をやっている。今日会うとすれば四年ぶりになる。

「まあでも」前田がいった。「あいつ大丈夫? メンタルの調子崩してんでしょ?」

 おれはほかの二人の顔を見た。島袋は「あれ? もう大丈夫なんじゃなかった?」といった。

「え、だいじょうぶなの?」

「二年くらい前でしょ。いっても一時期よ」

「へえ」

「でも今日は正直厳しそうだな。まあ、いいよ」

 ビールを二杯飲んだタイミングで、これ以上人数増えないんであれば店かえてもよくない? と前田がいった。さすが経営者というべきか、状況を見て判断するまでの流れが迅速だ。だれもこれといった意見がなかったので、会計をお願いし、想像よりもやや高めの金額をいったん前田が立て替えてくれ、ちかくの焼き鳥屋に移動することになった。

「さむ」

 どの通りも人で賑わっている。焼き鳥屋も人であふれていた。カウンター内にいる大将に人数を告げれば、二階を案内してもらえる。店内は狭く、おれたちはカウンターに座る人々のお尻にお尻をこすりつけながら奥へと進み、急勾配の階段をのぼる。

「とりあえず盛り合わせでいい? 塩か?」

「んー。塩」

「あとすみません、生ビール四で」

 東恩納からの連絡はない? みたいな話がまた出てくる。ないねえ、と島袋が答える。新垣が三年付き合った彼女に結婚の話を出されて断って別れた話になる。島袋が新垣を必要以上になじって、なんとなく笑って終わる。

「もう四年ってマジかあ」

「早いよな」

「早いって」

「光陰矢の如しだな」

「おい、下ネタやめろよ。もう大人だぞおれら」

 串の盛り合わせとビールがそろった段階で、新垣がスマホで面々とテーブルがすべておさまるよう写真を撮る。

「インスタにあげるわ」

 インスタにあげるんだ、とおれは思う。焼き鳥はおいしかった。値段も安く、今度個人的にまた来ようかなと密かに考えるほどだ。

「お。早速ゆーたろからコメント」

 新垣がいう。「外れだなって。え? なにこいつ……どういう意味?」と新垣がみんなにスマホの画面を向けた。正式には「はずれだな(笑)」だった。そのままの意味だと思った。わざわざみんなに見せないほうがよかったコメントだとも思う。みんなもなにもいわなかった。地元で学校に通っていた当時の居心地を思い出しながら、食欲だけを満たしていく。

「次どこいく? 予約するけど」と島袋。

「もう? はやいだろ」と前田がいう。

「このまえ近くのバーで飲んだからそこいこうぜ」と本当に島袋が電話をかけ出す。予約をする。このあと9時から四名いけるって。

 なんだか懐かしい感じがしないのはなぜだろう。ずっと考えていたが、それはみんなのテンションが残業時のそれに似通っていたからだと気づいた。

 バーに移動する。そのお店は焼き鳥屋から二十メートルほど離れた雑居ビルの地下にあった。狭くて、人でごった返していた。小さなテーブルに椅子を無理矢理四つ用意して座ったが、人が横を通るたびに誰かが椅子を降りて壁際の人間にギュッとくっつかなければならなかった。それと同様に、トイレに向かうにはドアの前で飲んでいる人にどいてもらわなくてはならなかった。

 トイレは全体的にびしょびしょだった。

「解散しよう」

 前田が前置きもなくいって、新垣も、昨日まで連勤だったので疲れているといった。なのでおれも明日は仕事があると嘘をついた。島袋だけは「え!」と大きい声でいったまま固まったが、ほかのみんなはそういうギャグなのだと考えることにした。

 

 帰り際、ホームで電車を待ちながら東恩納に「無理せず、また今度飲もう」とだけメッセージを送った。それからふと気になって、東恩納のSNSアカウントを検索した。最新の投稿が一時間前だった。普通に仕事の先輩と飲んでいた。

 家について、手洗いうがいを済ませて、すぐにシャワーを浴びた。シャワーを浴びながら、同時に歯も磨いた。頭を拭いた時点でタオルが生乾きくさかったので、新しいタオルに替えた。寝間着のスウェットを着てたくさん水を飲み、先ほどのタオルを我が家にある一番大きな鍋に突っ込んで、水で浸し、煮沸した。立ちのぼる蒸気を顔に浴びながらスマホを確認したが、返事はなかった。おれは火を止めると、右手に鍋掴み、左手に食器用布巾を備えて鍋を掴みあげると、洗濯機まで向かった。洗濯機の蓋は開いていたので、鍋を傾け中身をすべて放り込んだ。激しいしぶきの中央で濡れたタオルがドチャッと音を立てた。洗濯機の湿ったボタンを指で拭き、風乾燥モードで十五分稼働させた。

 今日あの場に東恩納がいたらどうなっていただろう。

 だれもが気づいていた。それでいて無視を決め込んだあの茫漠に対して、衒いなく不遜をあらわにしたかもしれない。いちはやく言及し、狼狽するおれたちに、苦み走った相貌で舌を打ったかもしれない。やがて掘りごたつが揺れ、地震か? と思ったかもしれない。掘りごたつの下を覗くと、東恩納が目を疑う勢いで貧乏ゆすりしていたかもしれない。それは片足ではすまなかったかもしれない。テーブルが共振してグラスまでカタカタ鳴り、それを東恩納が乱暴に手で押さえつけたかもしれない。みんな同時に肩を強ばらせたかもしれない。恐怖による沈黙が流れたかもしれない。なので新垣が写真を撮る隙すら与えなかったかもしれない。万が一その隙があったとして、インスタにはアップさせなかったかもしれない。万が一その隙があったとして、ゆーたろーのコメントは読み上げさせなかったかもしれない。万が一その隙があったとして、新垣のスマホを奪い取ったかもしれない。新垣のアカウントのまま、ゆーたろーに返信したかもしれない。「死ねよ」。それからスマホSIMカードを抜き取ったかもしれない。串入れに溜まった束をひとまとめに握るかもしれない。テーブルに置いたSIMカード目がけて串の束を振り下ろしたかもしれない。ついでに新垣のスマホも叩き潰したかもしれない。止めに入った新垣を滅多刺しにしたかもしれない。飛び散る血が料理を汚したかもしれない。誰もが自分の番だと覚悟を決めたかもしれない。そこで走馬灯を見るかもしれない。それは東恩納が放課後の廊下で披露した古典落語の『死神』かもしれない。時が止まったように感じるかもしれない。不意に前田が「なんで式に来なかった?」とおれに聞いてくるかもしれない。おれは目を白黒させるかもしれない。それから「一般的とされる額のご祝儀を渡せるほど、生活に余裕がないから」と答えるかもしれない。答えてすぐに、不安に襲われるかもしれない。ちゃんと伝えるということは、そういうことなのかもしれない。それで前田は「そうか」とつぶやくかもしれない。意外にも、それだけかもしれない。次の瞬間、東恩納の影がさし、前田を滅多刺しにするかもしれない。その血を顔に浴びるかもしれない。そういえば島袋のことを完全に忘れていたかもしれない。思い出したついでに島袋が滅多刺しにされるかもしれない。残ったおれは東恩納にいうかもしれない。おまえが今日こないと知って、少し安心したかもしれない。そうしておれも滅多刺しにされるかもしれない。いや、そうじゃないかもしれない。やっぱりされないかもしれない。すでに斃(たお)れたみんなの流れから、パターンを掴んだかもしれない。左手を犠牲にして串の束を受け止めるかもしれない。右手に握ったグラスをテーブルの角で叩き割るかもしれない。鋭く尖ったグラスの断面を東恩納の喉元にたたき込むかもしれない。「自己の権利を防衛するためやむを得ずにした行為は罰しない」というかもしれない。それは早口かもしれない。東恩納の喉にめり込んだグラスの内側で何らかの音がこだまするかもしれない。その音を聞きたくてグラスの底に耳を当てるかもしれない。「ゼーボーゴポポ?」と聞こえるかもしれない。東恩納は「正当防衛?」といっているのかもしれない。おれは頷くと同時に、原初的な喜びに打ち震え、すこしだけ微笑むかもしれない。意外や意外、東恩納も微笑むかもしれない。そのときになっておれはようやく、自分の心の声に耳を傾けるコツを掴むかもしれない。しかしもうなにもかもが手遅れで、左手も使い物にならず、なのにそれが哀しいことだとあまり思えないのは、おれのなかにまたひとつ健全への道を歩んだ感覚があるからかもしれない。

 これが生きるということなのかもしれない。

 おれはもう恐れていないかもしれない。

 そこから先は瞬く間、東恩納の喉に突き刺さったグラスがポンッ、とひとりでに飛び出してテーブルの上をはねて転がり、それに目を奪われていた隙に東恩納は膨張を始め、皮膚の限界を迎え飛散、おれは衝撃で壁まで吹き飛び背中を強打、咳き込みながら体を起こすと、東恩納が朝露のような光の粒となって店内を優しく舞っていて、ゆっくりと落ちていき、めいめいの亡骸を包みこんで、その内側に広がる空洞に問いかける。

 おまえはどうしたい?

 すると【時間】がこたえる。

「たまには違うことでも」 

 その瞬間『手遅れ』が死語となる。轟音とともにすべてが巻き戻り、店内に充満していた東恩納の粒子が空間の一点に向けて集約しはじめたかと思うとまた肉塊としての東恩納を成す。おれはギュンと背後の壁に吸い込まれて背中を強打したあとまた前方に引き寄せられるように宙を舞い東恩納の目の前に着地する。床に転がっていた割れグラスが東恩納の喉元にスポンと収まる。おれはすかさず耳を当てる。逆再生される声。ああ。おれたちの会話もなかったことになるのだろう。そうしておれの予感は当たるが、めそめそする頭のなかの、忙しない思考や記憶は、この状況に干渉されていないことに気づく。

 色々あってみんなも生き返る。

 さっきまでズタズタだった島袋が、砕けていないグラスを手にいった。

「四年ぶりか?」

 そんなことどうだっていいんだよ。

 いまこの瞬間。

 それがすべてだろ。