MidnightInvincibleChildren

短篇『くすけえ』

 

 

 

 

 

※下記はコンビニプリント用ZINE『Midnight Invincible Children Vol.Ⅳ』(2023.12.29~2024.01.05)に収録されたものです 

 

 

 

 

 

 

比嘉原城跡(ひがばるじょうせき)は、沖縄県本島中部にあったグスク(御城)の城趾。ならびに、城趾を中心とした記念公園の名称。西海岸を一望できる丘上に曲線上の分厚い城壁が築かれている。規模は大きくないながらも、当時の石造建築技術の高さを示す貴重な史跡である。2000年に世界遺産に登録。

 

 

一、比嘉原城跡(ひがばるじょうせき)の噂について

(以下、インターネットの某ブログ記事より抜粋)

【兵隊の霊】…真夜中に城跡内の階段で転倒すると現れるといわれている。

【自殺の木】…城跡内の一角にぽつんと生えた木がある。その木では首吊り自殺が後を絶たないらしい。

【女性のうめき声】…西側広場のトイレから夜な夜な女性のうめき声が聞こえる。

【落ち武者の霊】…詳細は不明だが、敷地内で度々目撃されている。

  記事へのコメント(3件)

  2020/07/01  今度行ってみます!

  2021/04/21  嘘言うな、そんな話地元に全くないぞ。

  2022/08/15  そんなことないだろ

 

 

二、比嘉原城跡(ひがばるじょうせき)での火災について

 8月31日午前0時頃、「比嘉原城跡敷地内から火が上がっている」と119番に通報があった。西側広場にある公衆トイレが激しく燃えており、数時間後に火は消し止められる。放火の疑いがあるとして警察と消防が調査中。けが人などの情報は入っていない。

 

 

三、動画について

 8月30日の午後11時半頃、コミュニケーションアプリ内の地元青年会グループに投稿された音声なしの動画(22秒)。

 激しく動き回る薄暗い画面のなか、比嘉原城跡駐車場近くにある東屋や、白スニーカーを履いた足などが映り込んでいる。火災のあった公衆トイレは映像の場所から目と鼻の先であることから、その関連について様々な憶測を呼んでいる。

※動画の送信者である國吉照尊(くによしてるたけ)は30日の夕方ごろ、自宅で家族に目撃されたのを最後に行方不明。現在も見つかっていない。

 

 

四、動画視聴後に報告された各現象

 頭痛、耳鳴り、眠気、悪寒、顔の火照り、高熱、吐き気、捻挫、金縛り、うなり声、ラップ音、人の気配、犬の無駄吠え、猫の威嚇、香煙の直線化……(現在も動画はSNSを中心に拡散されている)

 

 

五、國吉照尊(くによしてるたけ)の失踪理由について

仮説① 県外不良グループとのトラブル

 昨年より交流があったことを國吉本人が周囲に話しており、何らかのトラブルに巻き込まれた可能性がある。

 

仮説② 米軍関係者とのトラブル

 交通事故を発端とした場合の仮説。失踪当日の夜、比嘉(ひが)原城跡(ばるじょうせき)近くを猛スピードで走り去るYナンバー車が目撃されている(國吉は車に乗って出かけたまま行方がわからなくなったとされている)。

 

仮説③ 神隠

 投稿された動画から、火災当日の夜に國吉が比嘉原城跡を訪れていた可能性が高く、なんらかの事態に遭遇したのではないかという噂が後を絶たない(『一、比嘉原城跡の噂について』も参照)。

 

仮説④

 普段なにをしているかについての質問が嫌いだ。おれはベッドで寝転がっている。八月の下旬、月が出ていて風のないその蒸し暑い夜に、窓から入ってくる高い湿度のにおいを浴びている。虫の声とか、遠くから響いてくる太鼓の音とか、隔てたドアの向こうのくぐもった話し声とかに傾きかける自分の耳を、枕に押しつけ目を閉じている。

 あるいは服を着替えて外に出かける。親の車を借りてイオンタウンまで向かい、駐車場に面したベンチに腰かけている。そこではたいていひとりで過ごしている。ただじっと過ごしている。本を読んだりスマホをいじったり飲み物を飲んだりしている。

 いま挙げたものがおれにとっての普段に他ならない。誰かを満足させるような答えと、事実が異なることなんて全然ある。曖昧に見えたのなら、曖昧なままでいいのではないかと考えることも、ちょっとずつ増えてきた。

 

 

 てーるー先輩はおれの三個上で、青年会のエイサーではチョンダラーを担当していた。深く交流があったわけではないが、どういう人かは知っている。素行はあまりよくなかったみたいだし、たまたま大事にはされなかっただけの噂もよく聞いていた。実際、どれだけ笑っていても声を張っていても、いまいち温度の感じられない人だと思っていた。それでもてーるー先輩は口がうまかったし、大人に気に入られるのも得意だったから、だれにもちゃんと怒られることのないまま大人になってしまったのである。これはかなりの不幸だとおれは思っている。そういう状況が生まれることが。そういう状況によって育まれたものがいまもそこにあることが。

 一度、青年会メンバーであるつねよしにそんな話をした。つねよしはどうもピンときていない様子だったので、ほらみろ、とおれは思う。おまえみたいなのがてーるー先輩のふるまいを生きながらえさせているんだ。つねよしはあろうことか「なにかされたば?」とおれにたずねる始末で、一応笑ったが、笑えなかった。笑わなければよかった。

「いや。別になんも」

「それともあれか? カイトーのせいか?」

「カイトーはいま関係ないだろ」

「でもカイトーだろ」

「ちがう」

「でもよ、あれはあれさ」とつねよしがいうと、違うテーブルのてっちゃんが「こいつアレアレうるさい」と笑う。でもつねよしは続ける。「あいつの彼女が悪いだろ」

 おれは言葉を返さず、テーブルの下でつねよしのすねでも蹴ろうかなと考えていた。おれの返事がワンテンポ遅れた隙を突いて、斜め前に座っていたまーゆーが会話に入ってくる。

「でもわたしはわかるけどね」

「なんか、おまえまで」

「顔でしょ?」

 つねよしが笑い、興味が移ったのがわかった。おれも遅れて笑った。まーゆーはおれのことを見ていたので、イラつかれているのかもしれないと思った。なのでなにも気づいていないふりをした。

 飲みが終わって駐車場に出て、それぞれで呼んだ代行サービスを待っていると、まーゆーがおれの隣にやってくる。彼女は低い声で「あんたさ」といった。

「あんま先輩(しーじゃ)の悪口とかいわんほうがいいんじゃん? つーねーとかはアホだからすぐ忘れるけどさ。万が一だれかに届いたらだるいさ。中にはキレやすい人もいるわけだし」

 まーゆーの香水の匂いに、誰かの吸うタバコのにおいが混じって届いた。

「ああ、ごめん」

「うそだよ」

「は?」

「ビビったでしょ? 田舎者モノマネ」

「ははは」

「ビビってるし」

「ビビってないし。あと普通にここ田舎だし」

「ちなみにだけど、まーゆーもてーるーさんのこと好きじゃないってのはガチだよ」

「それはやっぱあれ?」

「顔もある。でも一番は性癖」

「性癖ってなに?」

「知らん? てーるーさん、外でやるのめっちゃ好きって話」

「知らんよ」

「これマジだから。外ってしかも公園のトイレとかだからや?」

「なんで?」

「なんでだと思う?」

「そんなのクイズにすんな」

「じゃあ答えね。てーるーさんが童貞卒業した場所が公園のトイレだから」まーゆーはいまさら声を潜める。「しかも小学生のとき。キモくない? これ知ったときマジ鳥肌たったからや」

 代行の車が二台、駐車場に入ってくる。誰が先に乗るかでじゃんけんが始まった。

「まあ性癖は百歩譲るとして」

「は? 譲るな」

「問題は見境ないところだと思う。普通に真面目な話でごめんだけど」

「うん」といって、まーゆーは口を結んだ。「そういえばカイトーは元気? 最近会ってる?」

 代行にはつねよしが乗り込んだ。窓を開けてかちゃーしーを踊りながら遠くなっていく。

「このまえごはん行ったけど微妙かも。あんまり食べてなかったし」

「心配だね」

「代わりにおれが食べたけど」

「じゃあこうしよう。今度三人で飲まん?」

「え?」

「で、てーるーさんの悪口大会」

「あーなるほど」

「いつがいい? わたしは次の金曜いける。それ以降はドンキのシフト決めてからだけど」

「ちなみにおれは全然いつでも」

「でしょうね」

「カイトー次第だな。聞いてまた連絡するんでもいい?」

「全然。ごめんだけど、お願いしていい?」

「まあ、あんまり期待は」

「大丈夫。してないからそもそも」

 その日の飲み会にもカイトーは顔を出していなかった。行けたら行くといっていたので、どうせ来ないだろうと思っていた。

 

「いつもなに見てるば?」

 

 イオンタウンのベンチで缶コーヒーを飲んでいると、カイトーが質問してきたことがあった。なにをしているかはよく聞かれていたが、なにを見ているかを聞かれるのは初めてだった。なのでおれは黙る。そういやおれはなにを見ているんだろう。考えるいいきっかけだなとすら思っていた。ベンチに座ったままのおれが駐車場の奥を指さすと、目線を合わせるべく、隣に立ったカイトーが腰を落とす。

「あの奥の方あるだろ」

 おれがいうと、すぐ横の喉奥で「うん」という音がした。

「茂みあるだろ」

「あのお墓の?」

「え、あそこお墓?」

「だろ? じゃないば?」

「指さしちゃった。やば」

「気にすんな。それで?」

「だからあのお墓の茂みと、空の境目」

「うん」

「を、見てる」

「なるほどね」

 詩でも書けば、とカイトーはいった。

 すぐ近くを猫が歩いていた。毛が白黒で、人に近寄るかは日による。その日はおれとカイトーの二人体制で、おしゃべりもしていたから、その猫はこちらを一瞥するだけで悠然と駐車場を歩いていった。触ったことある? とカイトーが聞くので、このまえ撫でたことを話すと、飼えば? とやつはいった。それは無理だな、とおれは答えた。動物を飼ったのはハムスターが最後だった。カイトーがおれにくれたのだ。ジャンガリアンハムスターを二匹もらって、半年ほど経って片方が死んだ。共食いだった。おれたちは小学四年生だった。

「なつ」と歯を見せて笑うカイトーは、Tシャツの胸元をつまんで前後に揺らした。漂っていた柔軟剤の香りがすこしだけ動いた。

「カイトー、いっしょに埋めたの憶えてる? おれがどうしても触れないってなって」

「憶えてるぜ。たしかにあれはビビるや。はじめてだと特に」

「血もすごかったからな」

「いまでも無理か?」

「平気ではないけど、責任があるだろ」

「成長だな」

「あんときはマジでありがとう」

「別にだろ。全然」

「あ、じゃああれは?」とおれが両手を合わせると、カイトーもおれを指さす。

「待って。線香のこと?」

「それ!」

「完全にいま思い出したぜ」

「おまえがもっとちゃんとしたほうがよくない? って急にいいだして、ちゃんとってなに? って思ってたら線香持って登場したよな」

「いっしょに合掌(うーとーとー)したやつだろ?」

「あんときのおまえ、小四にしてはしっかりしてたよな」

「一旦帰って仏壇あさってたらおばーに見つかったんだよな」

「あ、マジで?」

「一瞬焦ったけどよ。事情を説明したらそっこー火つけてからこれ持っていきなさいって」

「ありがたすぎる。そういえばおばあちゃんは元気?」

「元気、元気。脚は悪くなってるけど、めっちゃ肉食う」

「だったらまあ、上等じゃん」

「でもあれ小四? 小五じゃなかった?」

「ん?」

 中学まではいっしょで、高校は別々だった。といっても連絡は取りあっていたし、休みの日に会って遊ぶこともあった。高校を卒業したおれがイオンタウンのベンチで時間を潰すようになってからも、カイトーは定期的に会いに来てくれた。カイトーは高校卒業後、地元の直売場に就職してフォークリフトを操縦していた。イオンタウンのベンチで会うときは決まってベンチのすぐ横にある自販機で飲み物を買い、お互い話すことがあれば話し、話題が尽きると昔の話をし、それすら尽きるとひたすら黙った。お互いがお互いに、そこにいるなと感じているだけの時間も、実際多かったと思う。おれがなにもしたくないような日でもカイトーは基本的にずっとニヤニヤしていて、おれの沈黙に付き合い、ごくまれに彼女の話をした。

 カイトーの彼女である嘉手苅華音(かでかるかのん)とは一度も会ったことがない。それでもいくつかのことは知っていた。カイトーより二つ下で七月生まれ。母親と二人暮らし。教習所の仮免試験に二度落ちている。

 このときはまだ知らなかったのだが、もともとカイトーはおれのことを青年会のエイサー練習に勧誘するべくイオンタウンまで足を運んでいたのだった。そして未だに考えてしまうのは、果たしてどのタイミングでカイトーは勧誘を諦めたのだろう? ということだった。なにも知らないおれがただじっと例の境目を見ている間も、カイトーは汗だくで大太鼓を叩いたり、先輩の呼び出しにかけつけたり、空き缶の上蓋をライターで炙ってくりぬいた即席のコップに、泡盛の水割りをつくって回したりしていた。なにが好きでそんなことを、とカイトー本人にいいかけたことがあったが、おれはいわなかった。いわなくてよかった。カイトーだって別にそういうことが好きでエイサー練習に参加していたわけではなかった。彼女といっしょにいろんなことをしたり、見たり、味わったりすることを、ただただ大切にしていただけなのかもしれない。

 

 

 だからこそカイトーの復讐には賛成だった。やつがてーるー先輩の車のタイヤに突き刺す予定だったアイスピックも、おれがイオンタウンの百円ショップで調達した物だ。

 八月の下旬、月が出ていて風のないその蒸し暑い夜に、おれはカイトーをさがしていた。カイトーはおれからの連絡に返事をしなかった。おれは親に借りた車に乗って、ユーミンのベストアルバムが流れるなか、イオンタウンや与那嶺(よなみね)ストアーのベンチ、公民館、カイトーのアパート前を回った。思えばおれが協力を申し出た際も、やつはなにもいわなかった。それでもおれはカイトーをさがし続けた。どうしたカイトー。やつはおれからの連絡に、すぐには気づかなかったのだった。時を同じくして、カイトーはコンビニでエナジードリンクを買っていた。駐車場でそれを飲んで過ごしていた。カイトーには計画と呼べるものはなにもなかった。先輩の車が庭に停めてあれば実行。なかったら、少しでも厳しそうな気配があったら、すべてを中止する。中止? 中止はあり得ないような気がしていた。中止を検討するほど、明確なビジョンなんてそもそもなかったからだ。アイスピックを受け取った際におれがいっていた「手伝うぜ」という言葉を思い出しながら、空き缶を捨てるため、カイトーはまたコンビニ内に戻った。外に出ると、一台のレンタカーが駐車場に入ってきて、なかから大学生くらいの四人組が降りてきた。カイトーは入り口を出てすぐのところで立ち止まり、店内で買い物をする彼らの様子をしばらく眺めていた。それからようやく夜道を歩き出した。街灯の少ない住宅街を、てーるー先輩の家まで黙々と歩いた。ボディバッグには財布とタオルと、それにくるまれたアイスピックが入っていた。もしも職質されたらどうしよう。なるようになるだろうか? その都度考え、柔軟に動くだけでいい。それができなければ、どうせこの先なにもうまくはやれないんだから。カイトーはほどけたスニーカーの紐を結ぶためにしゃがみこんだ。あたりには誰もいなかった。このまま立ち上がらなかったらどうなるだろう? ふと考えてみたが、なにも浮かばなかった。その可能性になにも興味を持てなかった。八月の下旬、月が出ていて風のないその蒸し暑い夜、てーるー先輩は家にいて、車も庭に停められていた。それですべては決定したのである。カイトーがスマホを取り出すと、おれからの連絡が通知として残っていたが、返事はしなかった。あとでしようとも考えなかった。それから夜がすっかり更けて、おれはサイレンの音を頼りに比嘉(ひが)原城跡(ばるじょうせき)まで向かった。そして木々の茂みからかすかに覗く煌々としたあかりと、立ち上る煙を見た。車は一度も停めなかった。そのまま家に帰って、風呂に入り、スマホの画面をただ眺めてから、すぐに寝た。

 

 

 旧盆とともにエイサー祭りが終わって、夏の夜が静かになってからも、おれはやっぱりイオンタウンのベンチにいた。

 噂では聞いていたし、おれのところにも警察は来たので、嘉手苅華音も行方不明になっていることは知っていた。あの日から一週間があっという間に過ぎて、おれはまーゆーと二人でごはんを食べに行く。おれたちはてーるー先輩と、あとちょっとだけカイトーのことを話し、カイトーの分まで頼んだ料理をぜんぶ食べた。今度はカイトーを探しにいこうと彼女はいった。おれは頷いた。

 夜だとさすがに怖いので、明るいうちに比嘉原城跡に向かったおれは、ブルーシートの張られた公衆トイレの前に立つ。日に照った草のにおいがあたりに満ちていて、時折、風に揺れるシートが音を立てた。おれは自販機で買った缶コーヒーを地面に置くと、一瞬だけ手を合わせる。その短さのなかで祈る。

 どうかうまくいきますように。

 こんな祈りなんて届かないくらいの速度で遠くに行けますように。

 心地のいい場所で、心地のいい時間を、少しでも過ごせますように。

 あたりに気になるものでも落ちていないか探したが、なにも見つけられなかった。おれは少し迷ってから缶コーヒーを回収して、その場を後にした。

 

 

 ベンチの背もたれに押しつけた背中が湿っている。駐車場を出入りする無数の車がライトを点灯しだすなか、おれはいつもの境目を眺めていた。缶コーヒーはぬるくてまずかった。飲みきらずに捨てようか、迷うほどだった。いつのまにか軽さを得た夜風に吹かれ、あるのかもわからない意図を探していていた。

 だから、いつからそこに立っていたのかもわからなかった。

 それが人だと気づいたのは、闇夜に目が慣れてきたからなのか、境目に重なるように、そのふたつの影はならんでいて、直立していて、たぶん、こちらを向いている。そう思って背もたれから身体を起こし、両膝に肘をおいた。目を大きく開けたり、細めたりした。ふと、人影がちょっとだけ動いた気がして、おれは動きを止め、なぜか息も潜め、もっと目が慣れることを期待すると同時に、焦っていた。気のせいなんかじゃなかった。だからなんとなく、本当にろくに考えもせず、おれも片方の手を上げた。

 それっきりだった。

 おれはこのベンチで祈っている。

 それ以外の時間は、とくになにもしていない。