こんにちは(*^^*)v!
早速ですが、誕生日プレゼントとしてS&W社のタクティカルペンをいただきました。
やったー!
タクティカルペンとは
その威力
タクティカルペンとのこれから
こんにちは(*^^*)v!
早速ですが、誕生日プレゼントとしてS&W社のタクティカルペンをいただきました。
やったー!
生理がきて外も雨だから、せっかくの休日がさっさと終わってほしいだけの日曜日。
この先期待することなんてなにひとつないかのように、私は機微のない心をもてあましている。こんな日にふっと生きることやめに走ったりしかねないかもなあ、なんてことを思うのは、元来、この私に宿る自殺願望の露呈なのかしら。どうなのかしら。
お腹いたい。
イライラしてんのかな私。これはイライラか?
やる気のないときのおまえはただの役立たずだ。そこんとこわきまえなさい。わきまえつつ、せいぜい無感動な、限られた機能を果たすだけのモノに甘んじてろ。
ゴッドファーザー、もといゴッドマザーは私だ。おまえはゼラチン。役立たず。返事は要らない。ご機嫌取りもいい。そういうのにうんざりしているからこそ、私はあんたに喋るのだ。
んね。
ゴッドマザーなんて響きはちょっと大仰かもだけど、私はいろいろ名前をつける。ケンちゃんがケンちゃんたる所以は、アルコールに身を任せた私の、ほんのいっときの厚かましさからである。「近所にいる子っぽい名前だからやめてよ」と笑う彼をみて、なんとなくよっしゃと思った。
こいつは落とせる。
で、本当に落ちた。
一緒に暮らしてみてわかったことだが、名づけたことで芽生える感情ってのは確かにある。何割増しかで愛おしく思える。たとえばその人、私の場合でいうケンちゃんが第一印象となんだか違うってときも、まあ、いいかってなる。私は別に意外性とか好きじゃないはずだから、これはやっぱり、私がゴッドマザーであるがゆえなのかもしれない。
そもそもケンちゃん性格がよくないとはいわなくとも、心はだらしなくて、嫌なこととかすぐ顔にでるし、それに対して私が呆れようもんなら、それに傷ついてより一層深刻化するからけっこう面倒くさい。私は面倒なのも嫌いで、なんだよてめーまた塞ぎこんでんじゃねえよとか、人に当たるとかしょーもないことしてんじゃねーとかつい口走っちゃって、自ら正面衝突を臨んだりすることもあり、このあいだなんてついには取っ組み合いにまで発展して頭突きを見舞った。ケンちゃんは信じ難いといった表情でおでこを押さえたあと、「やりすぎ」と笑った。力なく。ああもういま思い出してもそうなのだけど、そのとき私の胸は痛いくらいにしぼんだのだった。私はこれまでもずっとそんな感じだった。けっこう、自分の感情をまっとうできない。肝心なところで、というかスタートの時点で、この感情についていけないなってどこか思いつつも、抗えなかったりする。
私たちは今日も同じ部屋で、ベッドの上で隣り合ってすごせている。不思議なもんだ。今日なんかはもういろいろ不快なことが重なってどこにも出かけられないけど、まあいいかって、ちょっとは思う。
「夕飯どうしようか」
私は彼の目を見ずに聞く。返事がくるまえに、「なんでもいいはナシね」と付け足して。
「あー」と彼。「どうしようかなあ」
「どうしようかねえ」
「本当になんでもいいんだけどなあ」
「はいはい」
「ちがうちがう。いつもなにつくってもおいしいよって意味だよ」
「だからわかったって。じゃあ冷蔵庫に残っているやつでなんかつくるよ」
「ありがたいです、ほんと」
といわれたところですぐには動かず。私はうつぶせになって、湿っぽいシーツに顔をうずめている。
なあゼラチン。
私はこれからも、ある程度大丈夫なんだろう。根拠は全然ないもんだから、時たますごく不安になるけど、そういうネガティブも、なんだかんだで意外と脆い。
私は彼に呼び名をつけたときから、きっとずっと彼のことを好きになるって予感がしていた。で、それ相応の見返りがあって当然だとも。傲慢だよなあ。自分でも思うさ。でも私はそれを疑わずに、そのままいまに至っている。
ゴッドマザーには「後見人」といった意味合いの方が強いみたい。親に次ぐ責任を持った者。
じゃあゼラチンよ。私はおまえの後見人でもあるとするのなら、おまえの面倒もずっと見なくちゃならないの?
うーん。
いいよいいよ。あんたはケンちゃんほど面倒くさくないしね。あはは。
ベッドから起き上がり、窓を開けた。雨は大粒で、でも静かだった。貼りつくような冷気が、その湿った香りが、私の頬を通りすぎ、後ろへと流れていく。
思わず溜息をついた。頼りない私の呼気は一瞬で流れに飲まれ、消えてしまう。なんだか泣いてしまいそうなのは、鈴の音を聞く犬と同じで、べつにきっと意味はない。
これまでがずっとそうだったように、私はいまも相変わらず根拠とかが大好き。欲してる。でもそれってなんかダサいっても思っている。信じるとか。ばかかよ。
綺麗な言葉のその価値を、私は保ち続けていたい。
そういうこったゼラチンちゃん。そんじゃあまたあとでね。私、夕飯つくらなきゃだから。
ベッドから抜けだす際に、私はケンちゃんの日に焼けていないだらんと伸びた青白い足をペチンと叩く。「ん~」なんて眠たい声で、彼はぐいっとパンツを上げる。
窓の外から流れ込んでくる風に、ほんのりシャンプーの香りがまじってて、だれか、どこかに出かけるんだろうか? なんて考える。
まだぜんぜん遅くないしね。
『物静かな男の復讐』(6/16)
Netflixで鑑賞。スペイン版『ブルー・リベンジ』といった感じ。主役の顔が『ザ・ギフト』のときのジョエル・エドガートンに似ていた。復讐のきっかけとなる強盗の防犯カメラの映像に代表されるとても厭な暴力描写が忘れられない。
『かちこみ!ドラゴン・タイガー・ゲート』(6/17)
Netflixで鑑賞。漫画っぽく何でもありにしている映画はそんなに好きではないんだけど、ドニー・イェンのアクションのキレは無視できない。光りすぎ。マジですごい。主要三人に髪を切ればいいのにとも思わなくもないけど、たぶんあれは正装なのだ、この映画において。
『シェアハウス・ウィズ・ヴァンパイア』(6/18)
Netflixで鑑賞。本作の監督が『マイティ・ソー/バトルロイヤル』の監督であると言う前情報から観てみたけど軽妙で楽しかった。あと、人は大勢死ぬけどムードが妙に温かいのもいい。さらに長くない!
『ブラック・ダリア』(6/18)
Netflixで鑑賞。ヒラリー・スワンクが絶世の美女、という設定がいい。ラストの一連の流れは、ちょっと捲くし立てすぎな気もしたけど。
『コードネーム:プリンス』(6/18)
Netflixで鑑賞。薬中になって失踪した大学生の娘を探す冴えないオッサンが実は殺人マシンで……という前半がすごく楽しい。因縁のある犯罪組織のボスの復讐が娘の失踪とそんなに関係のないところから動き出す点など、色々気にはなるところはあれど、まあまあ、心地いい程度には楽しかったです。ブルース・ウィリス、ジョン・キューザック、50セントなどの妙に豪華なキャストも謎だ。主役は『スピード2』のジェイソン・パトリック!という父の日映画でした。
『Mr.ビーン カンヌで大迷惑!?』(6/19)
Netflixで鑑賞。Mr.ビーンはそんなに好きじゃなかったけどラストの『La Mer』で泣いてしまった。『裏切りのサーカス』とはまた違った、すごくいいラストだ。
『ハンニバル』(6/19)
Netflixで鑑賞。初鑑賞時はテレビ放映版で、親の目もあって途中で断念。二度目は高二の夏。『時をかける少女(細田版)』、『ファイト・クラブ』と一緒に借りた。そして三度目が今回。ドラマ版『ハンニバル』を鑑賞した後ということもあってか、とてもテンポが良くてあっという間の2時間だった。まあ、クラリス好きすぎ問題は確かにカリスマ性を持続させる上ではノイズに感じられたけど、やっぱ楽しい。
『ハドソン川の奇跡』(6/25)
Netflixで鑑賞。ここ数日『パトリオット・デイ』、『ハクソー・リッジ』と実話映画ばかり観ていたのでその流れ。すごくよかった。
Twitterでフォローしている方が勧めていたのでAmazonプライムビデオで鑑賞。主人公の少年の脇を固める大人たちのキャストが超豪華。ティルダ・スウィントン、ヴィンセント・ドノフリオ、ヴィンス・ヴォーン、キアヌ・リーヴス。みんながみんな、ちゃんと他人でありちょっとずつ優しい。
『孤高の遠吠』(6/29)
レンタルDVDで鑑賞。ヤンキー大嫌い人間なので、なかなか手が伸びなかった作品だけどめちゃくちゃ面白かった。むしろ「ヤンキーのこういうところが厭だ」をものすごく客観的に見つめて描いているし、手持ちカメラの映像から引きの画になる気持ちよさなど、編集も巧い。リアルヤンキーがキャスティングされているからこその発見もたくさんあってこの企画の意義もばっちり。やっぱりマジで怖い人ほど演技が達者な気がする。ちなみに小林勇貴監督は僕と同い歳。普段ならそういうの知っちゃうとへこむんだけど、今回は素直に最高って気分です。今後も超楽しみ。
『オクジャ/Okja』(6/29)
Netflixで鑑賞。オクジャの実在感。でっぷりとした尻がたまらない。救出作戦の血沸き肉踊るアクションだったり後半の割り切れなさだったりとさすがポン・ジュノ映画って感じ。監督はふと頭に浮かんだひとつのビジョンに物語を肉付けしていく流れで脚本を書き進めたそうで、あの縦横無尽な展開と、辿り着いた先に待つ「この世界で生きる方法のひとつ」から感じる苦さなど、つくづく面白いなあと思った。エンドロール後の映像に関しても、現実の戦い方を経た主人公が大人への第一歩を踏み出した一方で、理想を追い求めている(ガキっぽくもある)やつらの戦いだってちゃんと続いていく、あの開けた感じもとてもいい。
『イット・フォローズ』(6/30)
レンタルDVDで鑑賞。最高。撮影がいいから、画を観ているだけで飽きない。セックス感染ホラーという本筋も楽しんだけど、愛してやまない「青春のたそがれ」映画としても抜群でした。風の匂いも感じられる、という点においてもばっちり。デトロイトの寂れた町並みは青春ホラーの舞台としてもはやクラシックとなりつつあるなあと改めて感じた一作。ソフトを買ったら『マジック・マイク』の隣に並べたい。
以上、16本!今月はたくさん楽しめました。サイコー!
sakamoto-the-barbarian.hatenablog.com
我が文芸部の部室のドアには、星のカービィのシールが貼られている。ボロボロになって腐敗の進んだゾンビみたいなやつで、一年のころに先輩に聞いたところ、先輩の先輩の先輩の代からずっとあったものらしい。毎日のように目にしていたはずなのだ。なのに改めて目の前に立ったとき、僕はそいつと偶然出くわしてしまったような気持ちになった。廊下では吹奏楽部の他に軽音楽部の練習する音が響き渡っていて、立ち止まればビリビリと肌が振動するのがわかるが、その中でまたしても僕はぼーっとしている。なにかを掴みそこねている感覚がずっと付きまとっていて、もどかしい。億劫だった。
不思議。
重いドアなので表面に肩を押し当てながらノブをひねりかけた僕だが、隙間ができるか否かのその瞬間、扉の奥から微かに人の声が聞こえたかと思うと、無意識のうちに身体を硬直させ、耳をすませていた。なんだか盛り上がっている。会話? そう思ったけど違う。なにかを歌っているのだ。僕はその邪魔をしたくなくて、ドアを開ける次のタイミングを待っていて、せっかくだからとドアに両手と耳を当ててみる。この声はなっちゃんのものか? 桐子もいるのかもしれない。手拍子まで聞こえる気がした。なにかの合唱曲か歌謡曲っぽいメロディが続き、やがてわー! と声が沸くので、僕はそのどさくさにまぎれて勢いよくドアを開ける。
八重子教諭が卒倒しそうなほどの熱気が漏れ出てきて、いっきに僕の前半分を湿らせるように撫でていった。
そこでようやく気づいた。
僕はちょっとビビっているのだ。
部室には予想した通りなっちゃんと桐子、その他に久留米と、なんと照本肇までいて、彼は部室に常備してある安物のサングラスをかけ、カーディガンをディレクター巻きしている。坂本の姿はなかった。僕がなにかをしゃべりだすよりも先に「なんだよその格好」と言ってきたのは久留米だった。相も変わらず真っ黒で動きの乏しい目をしている。声の抑揚も乏しいが、合唱の直後だからか、どことなく紅潮しているようにも見える。
照本肇がサングラスを外しながら「まだ見つかってないのか!」と満面の笑みを見せるなか、僕は腰に手を当て、俯き、考える。学ランもない。肝心の坂本もいない。全身に力が入っているので妙に緊張しているような気分だったが、単純に寒いのだった。
「ほらほら、ドア」
桐子に促されるまま扉を閉め、しばらくその場に立ち尽くしていた。じゃあ僕はこれからどうするべきなんだっけ?
「泣けてきた」となっちゃんがなんらかの文脈で突然つぶやいた。奇遇にも僕もまったく同じことを思っていた。彼女はペンをもち、その尻でおでこをかいている。今日はコンタクトの日だ。
横で落ち着きなく腕を組んだりおろしたりしていた照本が、とつぜん「あ、そうだ」と言い、肩にかけていたカーディガンをするりと外す。
「安藤、これを着たらいいよ」
「え?」
「いいから。からから。学ラン見つかったら返してね」
「でも照本、寒いでしょ?」
「いや。おれには学ランあるし」
「あそうか。ありがたいね。いつまで借りてていいの?」
「どうでもいいよ」と言った、照本は妙にゆったりと笑った。ように見えた。それから「あしたでもいいし」と言う。
明日は土曜だな、と思う僕は合掌した。「あたたかい」。ちなみにこれは加藤が貸してくれたんだ。ほら、知ってる? 二組の、とマフラーを直しながら言うと、照本肇はパン! と顔の前で手を叩くのでちょっとびっくりする。
「もしかしてあのハンサム?」
「たぶん」
「あ、加藤くんのなんだ」となっちゃんがパイプ椅子の背にもたれ、ギュイイイ、と鈍い音を立てた。「厳密には、加藤の妹のだけどね」と僕が言うと、「うおーう。いいね」と久留米。スマホを触っている。「そうそう」と答える僕は改めて照本肇にお礼を言い、「二つの意味で恩に着ます!」と言いながらカーディガンを羽織った。意味があまり伝わらなかったようで一瞬固まった照本は「構いません!」と敬礼。そんな僕らを見てなんだそれ、という顔をしていた桐子だったが、「加藤さんって妹いましたっけ?」と机に肘を立てながら訊ねる。
「そうそう、いるね」
「へー」
「美少女だよ」
「えーうそー。でもぽいぽい。加藤さんも女装似合いそうですもんね。だってほら」
「ん?」
「見た目がこう……なんだっけ。フェ……フェフェフェフェフェ」
「どうしたんだよ」
「フェから始まる言葉」
「フェラチオ」
「死ね」
「わかったフェミニン!」となっちゃんが言うと
「それ! フェミニンな感じありますもんね」
「なるほどね」僕はフェミニンの意味をよく知らなかった。
「なんかね、ユニセックスというか」と桐子が続けるので、僕がひとり笑っていると「下ネタじゃねえよ馬鹿」と彼女。馬鹿は響くぜ。
「学ランもないくせに」
「やめてよ」
「でもあんなもん、ふたつもいらないのにな」と言いながらソファーの久留米が脇によってくれるので、僕は敷き詰めるようにその隣に座る。「ていうか盗まれたかどうかも謎なんだよね。謎が謎を呼ぶ状況ですよ」
「坂本に聞けば?」
という久留米の言葉で僕は思い出す。「ああ、そうそう。それなんだけど、あいつ今日きてないの?」
「きてない」
「そうなんだ」
「きてない」
了解。
一息つこうとの思いは満々なのだけど、空のペットボトルや借りっぱなしの本、落書きだらけのルーズリーフやA4サイズのコピー用紙で埋め尽くされた机の上を眺めていると、渡部先生の声が蘇ってくるので僕はちっとも落ち着かない。掃除か~。掃除もしなきゃならないんだったな~。もしこれで坂本が学ラン持ってなかったらどうすんだ、と僕はどんどん心的ぬかるみにはまっていくのだった。
ずっと考えないようにしていたけど、サッカー部でもないのなら、本当にまだ進路が決まっていない誰かが僕を攻撃していることになってしまう。となると容疑者は三年生の半数以上だ。今夜は眠れなくなるだろう。そうなると日中眠くなる。自習時間に僕がウトウトしていようもんなら、あいつは進路が決まってるからいい気なもんだね、死ねばいいのに、とか思われるんだろうし、そういうのって思っている以上に空気にのって肌を刺してくるものだ。でも明日は土曜日で、あ、よかったよかった、と一瞬僕は思うけど、まだ安心に足るほどではないのだ。たとえ明日が土曜日だとしても、土日の夜ふかしはいつものことで、月曜まで寝不足を引きずる可能性は充分にある。
オナ禁しようかな。
なんて自ら不安がることで免罪符を得ようとしているしみったれた逃避に興醒めした僕だが、とはいえこれまでの抑圧からくる反動を理由に最後の最後で仕返しの意味も込めて意図的にはしゃいで見せるんじゃなかった、と心から思い始める。どう考えたって悪手だった。そんな自分の浅ましさにはもう涙すら出ないが、ひどく思いつめてるかといえば実のところそこまで本気にもなれなくて、もうどんな理由で、犯人がだれであろうとかまわないから、学ランさえ返ってくればそれでいいや、なんて僕は思う。神様。
「そうだ安藤、図書館いって『火の鳥』読む?」
唐突に隣の久留米がそう言うが、うっかり聞き落としてしまったのか、どういう流れかまったくわからないうえに気分でもなかったので、「いまからか」と発したっきり黙っていると「そこまで嫌がられると逆に新鮮だな」と隣から小さく聞こえてくる。まってくれ、嫌ではないんだよ。今じゃないだけで。と口に出せばいいのに、僕は笑うだけでなにも言わない。久留米は「おれひとりで行くわ」と独り言を漏らしたが、特に動き出すこともなくスマホを眺めている。照本が笑うのに続いて桐子が「えーそれはない!」と叫んだ。なにがないのか耳を傾けてみると、「そういや桐子ちゃん久々に部室いるね」となっちゃんが言って、結局新しい話に移る。
「あ、そうですね。練習の順番待ってるんですよ。軽音の」
桐子が言うとなっちゃんが「あー。ねー」と首を傾げる。
「ああ、それでか」
僕がなんの気なしにつぶやくも誰も反応しなかったので、ちょっとびっくりして、ついついひとりで喋り続ける。
「いやほら、みんなで歌ってたじゃん。けっこう長く」
「あれ、なんで知ってるんですか?」
「外まで聞こえてたよ」
「えー! ていうかずっと聴いてたんですか?」
「まあ途中からだけど」
「ドアの前で?」
「そう」
「変質者じゃん」
「遠慮だよ」
「入ってこればよかったのに」となっちゃんが本当にそう思っている感じの口調で言うので、桐子が笑う。僕は腰を浮かせると机の上のティッシュを一枚手に取り、鼻をかんだ。
ブ、ズボー!
で、思い出す。
「あ」
「え?」
「そういやなんか桐子さんに言わなきゃならないことがあったような」と僕が言うと「なんすか」と彼女はみんなの顔を見る。みんなも彼女のことを見て僕を見る。
「いやいや、そう構えることじゃないよ」
「はあ」
「そうそう。最後にまた文集つくるんだよね。これはごめん、もう決定事項なんだけど」
「ん?」
「卒業文集ね」
そう口にした瞬間、隣の久留米と目が合った。なぜか久留米も「え?」という顔をしている。
「まあ、わかりますよ。だってもうそういう時期ですもんね」という桐子は、拍子抜けしたように口角だけを持ち上げる。「でも時期って言ってもそういうのはもっと早く言ったりするもんじゃないんですか?」
「ごめん、一昨日くらいに決めたからさ」
「いやいや、例年の流れってやつがあるんじゃないんですか」
「まさにそうなんだけど、それを思い出したのが一昨日で」
「だったらせめて一昨日の時点で連絡するとか」
ぐうの音もでず。
「安藤さんしっかりしてくださいよ」
なんか今日はそんなことばっかり言われるなあと思っていると、隣の久留米が「あ、くそ」と言ってスマホを自分の腿に放り投げる。「電池切れた」
「充電器あるよ」
「おれも持ってるけどつなぎっぱなしにしてないとすぐ切れる」
「じゃあつなぎっぱなしで使えば」
「このソファーコンセントから遠いんだもん」
「機種変、機種変」
「まあ、四月になる前までには」
黙っていた桐子が急に「あ、てことは後藤先輩も書く?」と言う。なっちゃんはしばらくなにかにペンを走らせたあと、「ん?」と顔を上げて辺りを見回した。そういやなっちゃんはさっきからなにを書いているんだろう。スプリングのいかれたこのソファーからじゃ彼女の手元が見えない。
「なにか書くのかって」照本が改めて伝えてやると「ああ、書く書く。え、書くでしょ?」となっちゃんが僕を見るのでびっくりする。
「あ、おねがいします」
「うん」
「おー! 後藤さんの小説また読めるんだ。超いいじゃん」と桐子。
「え、そう? へへへ。そんなに?」とわざとらしいなっちゃんのテンションに桐子はあえて合わせない。
「わたし後藤さんの書くやつが一番好きかも」
ぎこちなく微笑むなっちゃんは目を細めたまま腰をねじりだした。以前にも、照れると体操を始める癖があると本人から聞いたことがある。
「やばい。がんばろ」
「ところでなに書くとかは決まってます?」
「えー。全然」
よし、ここは部長としてひとこと言わなければ、と思った僕が特に考えずに「過去作の続編書けば?」と提案してみる。そのくせ肝心の名前が出てこない。自分のこういうところが嫌いだ。「例えばあれとか。えっとなんだっけ……ちょっと待ってね」
「『毒婦』のこと?」
「そうそう。あと、もうひとつまえの」
「『でかいちわわ』?」
「あーそれ!」
「続編って、でもそんな話じゃなくない?」
「まあ、あくまで提案なんだし、そっちが決めてよ」
「えー適当」
「これ、みんな間に合うか?」と久留米が固い目元をそのままに笑ったので、「そう思うでしょ? 実は浅野はもう書いてるんだよ」と僕はポケットからルーズリーフの筒を取り出してみせる。照本以外のみんなが漏れる声に各々の感情をのせた。
「出たよ、浅野のやろう。手書きだし」
「あははは」
「やめろやめろ、正しい人を責めるな」と言う僕は僕で、部長のくせしてなにも書いていなければ案もない。言わなくてもいいことは言わなくていい。
「だから桐子さんには急で悪いんだけど、もしストックとかあれば出してほしいんだ。もちろんこれから新しいやつ書いてくれても大歓迎だし」
桐子は椅子の背にもたれて腕を組む。それから首をかしげ、自慢のボブヘアーを揺らしてみせた。いちいち溜めるところが面倒なやつだ。
「がんばります」
「さすが」
「ふふふ。わたしも一応部員ですから」
「ありがとう。軽音部もあるのに」
「あ、そうか桐子ちゃん、忙しくない?」となっちゃんが顔を寄せると、桐子は下唇で上唇を覆い隠す。
「いや全然ですって。わたし受験生じゃないですし」
「でも軽音部の練習はあるんでしょ?」
「あるけど家帰ってから書けばいいじゃないですか」
「ええ、マジで? 過労死しないでよ」と僕が言うと久留米も続く。
「思った。おれには無理」
「まあ、つってもわたし、んな大したもの書かないですもん」
おっ、言ってくれるぜ。僕と久留米が肩をすくめると桐子はそっぽを向いてしまう。僕はその他の連絡事項を思いついた順に口に出す。
「ちなみに小説じゃなくて、詩とかでもいいからね。大歓迎だから」
「ならストックあります。超余裕」
「なんなら日記とかでもいいからね」
「それは書いてないです」
「みんなそう言うんだよ、最初はさ」
「なんにせよ過労死はないっすね。八時間寝れます」
桐子渾身のパンチラインでなっちゃんが吹き出し、それを見て照本も笑う。そのままふたりは互いに互いを見て笑い続け、そんな二人を見て久留米も笑った。
「いや~」と深い溜息をついたのは照本が先で、ヤブカラボウにこう言った。
「おれ正直キミらがなにやってるか知らなかったけど、めちゃくちゃ楽しそうだね」
なのでみんなが黙った。褒められた際のリアクションをきちんと用意することなく生きてきた人ばかりだった。照本にそう言ってもらえたその幸甚と、同時に押し寄せてくる「本当にそうだろうか?」という疑念に混乱している。
一足先にまあいいやという脳内麻薬を分泌させたなっちゃんが、照れを滲ませ「ありがとう」と低い声で笑うと、その声に便乗して久留米も笑った。僕も久留米に倣って顔面を弛緩させながら、それでいて妙な焦りを覚えつつ、ソファーから立ち上がる。
「照本くんってなにかつくったりするの、興味ある?」
「いや、どうなんだろ。考えたこともない。でも楽しそうだなとは思う」
「じゃあ、文芸部、入る?」
口に出した瞬間、心臓が大きく脈打つのを感じた。僕の言葉に照本はちょっとだけ固まって、じろりと目を動かす。
「え?」
「どうかな」
「あ、マジで言ってる?」
ここで久留米が「ふきだまりだけどな」などと言い出さないか、僕は内心不安だった。それは桐子が入部する際に発された一言で、「はい、だいじょうぶです」と答えた桐子は、たまたまそういう煽りを楽しめる人間だっただけかもしれないじゃないか。焦りが僕を饒舌にする。
「超、歓迎。卒業まであとちょっとだけど」
「いいじゃん入っちゃいなよ照本さん」と桐子が拍手をする。「歓迎、歓迎」となっちゃんも続く。「去年入ればよかったのに」と久留米も拍手をするので、照本はいきなり天井を仰ぎ見たかと思うと、強く目をつぶる。そして開く。
「なんだよおまえら! おれだってもっと早く仲間になりたかったぜ!」
胸に込み上げるものが、確かにあった。その熱はついには頬を染め、頭頂部からスポン! と抜けていく。僕は腐っても部長なので、照本と熱くハグを交わし握手する。桐子がスマホを構えているので、僕と照本は握手したまま体を斜めにし、シャッター音を待った。画面を確認してうなずく彼女は、ふいに口をひらく。
「ようこそふきだまりへ!」
あ、おまえふざけんなよという目で僕が桐子を見つめていると、照本は軽やかな口調で言う。
「あ、ごめん、ふきだまりってなに?」
彼がそういう言葉と無縁で良かったし、これからもそうあればいいなと思った。
「気にしないでいいよ。ようこそ照本氏!」
「あは、あははは。よろしくお願いしますです」
「残りちょっとだけど思い出たくさんつくろうね」
「つくるぜマジで~。あ、てことはおれもなにか書いたほうがいいのかな?」
真剣な目で尋ねる照本。ああ、この瞳をごらんなさい。僕は久留米にそう言ってやりたかった。
「そうだね。小説に限定せず、エッセイでも詩でもなんでもいいよ。一番大事なことは、照本氏の思いを表現するってことだから。なんにせよ、気を張らず、遣わず、楽しんで書いてよ」
「おお……」
照本は意を決した様子で喉を鳴らしたあと、小さな声を絞り出した。
「実はおれ日記書いてんだよね」
日は暮れかけていた。
あと十分もしないうちに夜に飲まれてしまうそんな気配が窓から忍び込んできている。照本に過去の文集一式を渡していると、不意にドアがノックされる。あれ、いまなんか音した? とみんなで固まっていると、ドアが勝手に開き、その隙間から知らない女子が顔をのぞかせる。
「失礼します。島崎さん、います?」
「あ、はいはい」と桐子が応えると、その女子は「もうちょっとで部室空くよ」と言ったあと、「失礼しました」と静かにドアを閉めた。視線を移せば、桐子がその細い腕に荷物を次々とかけている。
「じゃあわたし行ってきますね。ありがとうございました」
誰もなにも言わなかったが、一人残らず立ち上がっていた。我が校きってのジェントルパーソンたち。桐子は最後のカバンを肩にかけると「先輩たちの新作、楽しみにしてますから」と部室内のみんなに向けて言った。そんなこと言われたのは初めてだった。桐子は人の作品に本気で蹴りを入れられる人間だったし、僕も何度か痛い目を見ていたので、どちらかといえば、みんなを身構えさせることが多かったのだ。
例えば僕が去年の文化祭用の文集に載せた『てんてこ舞のすっとこどっ恋』は、ウラジミール・ソローキンの短編集『愛』の真似をして変なことをやりたい一心で書き殴った魂なき一作で、何行にも渡る単語の羅列や三点リーダの多様を用いて主人公「舞」の恋煩いを描いたのち、脈略のない猟銃自殺で幕を閉じるだけの短編だったのだけど、自分でも三度読み返すのが限界で、普段はもっぱら忘れて過ごしていたというのに、後日部室で鉢合わせた桐子が
「なんか、そう、あれはなんでしょうね。『おふざけ』だけで『遊び』はなかった感じでしたね。いや、わかんないですけど。でもふざけて書くのって正直誰にでもできるじゃないですか。もっと適切に言うと『おどけ』っていうんですか? まあいいんですけど、今度はちゃんと『おどけ』とか『おふざけ』を『遊び』にまで昇華させてるやつか、それかもう本気で、安藤先輩の強く思っていること、感じてることをてらいなく注ぎ込んだ、熱とにおいに溢れたやつを読みたいですよね」
と言ってきて、僕はまずショックで壁まで吹っ飛んだ。というのはもちろん心象表現で、実際はソファーに沈み込んだまま目を伏せて「熱とにおい……なるほどね」とつぶやくことしかできなかったのだけど、それ以来自分の得意技であった「猟銃自殺」を封印せざるをえなくなった。
怖くなったのだ。
桐子の揺れるボブヘアーを眺めながら、だからこそ今回はなにを書こうかな、と僕は考える。これまであまりにもぼーっと過ごしていたが、途端にいま考えなきゃならないことが山ほどあるような気がしてならない。いや、なにも考えなくていいときなんてそもそもあったのか? これはやばい状況なのだ。僕は羅列してみる。
学ランを見つけること。
帰って小説を書くこと。
卒業までのこと。
四月までのこと。
四月からのこと。
……。
「あ、そうだ安藤先輩」
ドアの向こうに消えたはずの桐子が、僅かな隙間から上半身だけを覗かせている。
「なに? あ、締切?」
「そうそう。いつですか?」
「そんなに部数刷るわけじゃないし、二月の中旬なんてどうですか。三年生はもう休み入ってるけど」
僕が視線を向けると久留米も肯く。なっちゃんも。照本は「お~中旬か~」と言いながらひとりはにかんでいる。
「了解です。それじゃあ、近々提出します」
「よろしくお願いします。メールでもいいし、おれに直接持ってきてもいいから」
「了解です」
扉が閉まり、僕はみんなの顔を見回して、「というわけだから、よろしくおねがいします」と言った。
それからついでに渡部先生から掃除を命じられたことも伝えた。
「わたしもしようと思ってたの。月曜くらいから」
と机の上を見つめるなっちゃんの手元に広げられている数枚のはがきが目に入った。よく見るとそれは年賀状で、僕は混乱する。
「え、なっちゃんもしかして年賀状書いてた?」
「うん。お返しのやつを」
「一月終わるけど?」
「ね~。もっとはやく書けたらよかったんだけど。進路のこととかでバタバタしてたし」
ああ、そんな感じね。とりあえず肯くと、なっちゃんも肯いた。
照本は過去の文集を捲っていたし、久留米はようやくソファーから離れ、スマホに充電器を挿している。
そんなみんなを見て、いや、厳密にはさっき桐子が椅子から立ち上がって、みんなも立ち上がったそのときから、僕はかすかな立ちくらみに併せて、まどろみのような、意識の中で曖昧にゆらめく部分が気になり始めていた。
そのときの僕はふと強烈に予感していたのだ。
いずれこの瞬間のことを懐かしむ時が訪れることを。
これまでのあらゆる過去にそうしてきたように。
反射的にその直感を誤魔化そうと、無意識に手を伸ばした先には図書館の本がいくつもあって、その一番上がジョン・ミルトンの『失楽園』で、教養をつけようと借りたままとうとう読破できなかったなと思う僕はその返却日がとっくに過ぎていることにも気づく。ほかに積まれている本も、坂本とか久留米とか浅野とか加藤とかなっちゃんとか桐子とかが適当に借りてきたまま放置しているもので、いい加減返却しなきゃ、図書室の舞先生は絶対僕らのことをブラックリストに入れてるし、なにか言われちゃうんだろうけど、でもこれ以上の先延ばしはもうやめなきゃならない。部室のすみに転がっていたダンボールを手に取った僕は、その中に一冊ずつ本を入れていく。
「あ、返しに行くの?」となっちゃんが言う。僕は彼女の手元に広げられた年賀状のお返しの中に、自分宛てのものがあることがちょっと嬉しい。
「わたしが返しとこうか」
「いいよ。いつもこういうの、なっちゃんやってくれてるじゃん。おれ教室にかばん取りに行くし、ついでだから」
「あ、じゃあおれも途中まで行こうかな」と照本が言った。今日はもうそのまま帰るつもりらしい。照本は僕の抱えるダンボールを指さし、持とうか? と言ってくれる。僕はもちろん遠慮した。久留米は再びソファーに沈んだあと、二人いれば十分でしょ、とつぶやく。いやおまえさっき『火の鳥』読みに行こうとか言ってたじゃねえかよ。でもこういうとき、久留米は本当についてこない。テスト前に「全然勉強してねえわ」と言って、後日赤点をとった問題用紙を堂々掲げるような男なのだ。
「よろしくな」
そんな久留米になっちゃんが笑う。
陽はとっくに沈んでいて、夜を背にした窓に部室の様子が鮮明に映っていた。
浅野の原稿の最後の一枚には「あとがき」と称された文章が載っていた。三年間の活動に対する感慨から始まり、糧となったもの、反省点、今後の目標などが抜かりなく記されていた。それを読み、さすがは読書感想文で外したことのない男だ、と僕は思うのだが、最後の最後で出てくる一文だけはやや趣が違った。
そこにはこう書いてある。
『これからもくだらないこと大袈裟にしながらクソッたれな大人になっていこうぜ』
図書館前まで付き合ってくれた照本に僕は礼を言う。
カーディガンと、部員になってくれたことも含めて。照本は改めて「学ラン見つかるといいな」と言ってくれる。
「見つけてみせるぜ。卒業式で恥かきたくないし」
「あーそうか。卒業式か。ほんとすぐだな」
「はやいよな」
「あ、そういや安藤。今日はもう塾いかないでしょ?」
「あー。うん。でも明日は行こうかな。またマックで……そうだよマックで小説書こうぜ」
「お! おー! それいいな!」
「じゃあ来週はそれだから!」わははと笑う僕と照本のスキンシップはエスカレートする。肩、腕、腰、腿、お尻。
「それじゃあおれは帰るぜ! 今日はマジでありがとう、安藤部長」
「よせやい、こちらこそありがとうだぜ」
気をつけてな、と手を掲げる僕に、照本は角を曲がるまで独特なステップを踏み続けてみせた。
「なにそれ!」
大声でたずねると、角の向こうから「オリジナル!」という彼の声が響いてきた。
僕は足元に置いたダンボールを再び抱えて図書室へと入っていく。
舞先生がカウンターの中でパソコンを打っている。目が合うと、その太めの眉が持ち上がった。
カウンターにダンボールを載せ、すみませんが……と事情を説明する僕に、舞先生は「ちょっと部長さん、頼みますよ」と苦笑してみせ、本を一冊ずつ取り出してはバーコードを読み取っていく。
「あ、『失楽園』ある。これちゃんと読んだ?」
「一応、冒頭くらいは」
「えー? 面白いのに」
「渡辺淳一の方は読みましたけど」
「ははは。どっちも安藤くんくらいじゃない? 借りてるの」
思っていたよりも怒られなかったことに安心している自分がいた。でもこれじゃいかんと最後に改めて「申し訳ありませんでした」と頭を下げる。舞先生は「許しません」と断言した。
「今後はちゃんと返すなり延長手続きするなりしにきなさい」
「はい」
「そんな安藤くんももう卒業か」
「そうなんですよ」
「はやいね」
「そうですね。まだ実感はありません」
「そんなもんだよ。もう文集作んないの?」
「あ、作ります。これからなんですけど」
「えーこれからは遅くない? 間に合う?」
「それはもうご心配なく。みんな優秀なんで」
「ははは。そういや安藤くん、大学決まったんだってね」
「そうですね。おかげさまで」
「おめでとう。大学でも書くの?」
「んー……どうですかね。やるやらないってあんまり考えたことないんで」
「へえ、そうなんだ」
「書きたきゃ勝手に書くって感じで、わかんないですけど」
「そっか。登山家みたいだね」
「あ、山があるからのぼる的な?」
「そうそうそう」
「でも確かに書きたいことがあるからってのが一番の理由でしょうね。口じゃ言えないようなことでも、おおらかなんで。話って。どうせ嘘だし」
「先生もそう思う。ある程度はね」
「ある程度?」
「うん。でもまあ、いずれわかるよ。あ、別に不自由なもののことを言ってるんじゃないから、そう身構えないでね。もしかしたらもうとっくに気づいているのかもしれないし。とにかく安藤くんは、まずは楽しむといいよ」
「あ、はい、ありがとうございます」
舞先生の視線が僕の背後に移り、振り返ると本を手にした一年っぽい男子が立っている。僕は「ありがとうございました。失礼します」と頭を下げ、カウンターを離れたが、出口には向かわなかった。なんとなく図書室内を見て回りたかったからだ。
でもすぐにやめる。
並ぶ長机の一番奥に、町山りおの姿を見つけた。
ピュ~イ
僕がダンボールを抱えたまま振り返ると、出口のところに坂本がいて、なぜか中腰で、こいこいと手招きをしている。数年ぶりに会ったみたいな気分だ。僕が近寄ると、「まったくおまえは捜すと見つからないリモコンのような男だよ」と坂本は言った。やつは僕のスマホに大量のラインを飛ばしてその返信を待っていたのだが、充電の持ちが悪いために諦め、たまたま見かけた町山さんを張ることにしたらしい。
「なんでだよ、普通に部室こいよ。確率的に考えても」
「でも町山さん張ってた方が確実だと思って」
「なんだこいつ、馬鹿にしやがって」
僕らはダンボールをバキバキ潰して購買裏の焼却炉まで持っていく。結局坂本は学ランを持っていなかったし、なくなったことも知らなかった。僕はサッカー部の犯行説を話してはみたがたぶんそれはないみたいだし、消去法でおまえが犯人だと思っていたことを正直に伝える。坂本は、おまえの学ランなんていらねえよ、なっちゃんの制服ならネットで出品できるけど、と言った。オタサーの姫は確立されたひとつのブランドらしい。それいいな。お願いしたら卒業後譲ってくれないかな、でもうちはオタサーじゃなくてふきだまりだからな、そうだな、と話す僕らが中庭を歩いていると、図書室の窓から明かりが漏れていて、ついつい視線が誘われる。町山さんの姿が、まだそこにはあった。
「塾行くまではここで勉強してるんだってよ」
と、僕の隣で同じように腰をかがめる坂本が言った。
「は? なんで知ってるんだよ」
「さっき聞いた」
「話したの?」
「ちょっとだけ。おまえ現れるまで暇だから」
「すごいなおまえ」
「おれはそういうのできるタイプだから」
「そういうタイプだもんな」
僕は膝に手を置いたまましばらく黙って、「なに話したの?」と聞いてみた。本当なら勝手にどんどんしゃべってくれた方がありがたいのだけど、こういうときの坂本は本当に気が利かないのである。
「なにってべつに、世間話。進路の話とか」
「おまえが進路の話って」
「町山さん、東京の女子大いくから一浪覚悟してるみたいなこと言ってたよ」
な、に、そ、れ。
僕はそんなことまったく知らない。妙に親密な会話なのも気になる。打ちひしがれる僕は、坂本をさらに促す。
「ほかには?」
「なんだよ。もうないよ。あ、でも町山さんおまえのこと話してたよ」
「おい、ちょっと! ちょっとまてよ」
「マジで」
「うそだろ」
「うそじゃねえよ。文芸部のみんな、進路決まってるのすごいよねって。おまえも含めて、文芸部のみんな」坂本は円を描くように、人差し指を大きく回した。
「うわなんだそういうことか。いやでもすごいよ。くそーマジかよ」
「話しかけてこいよ」
と坂本が言った。
ん? と思う僕はまた黙り、坂本も黙り、ふたりで暗がりから町山さんの後ろ姿をじっと眺める。
どうしようかな。
僕はこの三年間で総計しても、かれこれ一分程度しか町山さんと言葉を交わしたことがない。「あ」とか「うん」とか「はい」「いいえ」くらいだ。彼女の瞳は色素が薄く、虹彩がくっきり見えることにも最近になって気がついたのだ。なにをどういう風に話していいのかがわからないという点で言えば、町山さんもサッカー部の清なんかと大して変わらないんじゃないかとすら思う。
「いや、やめておこう」
僕は言った。
「そりゃないよ、話しかければ意外としゃべってくれるって」
「そうかもしれないけど」と言う僕の気持は、意外と揺らいだりはしていない。
「ビビるなよ。どうせもう卒業なんだからいくらでも恥かき放題だろ。一組の川谷なんて今年に入って五人に告ってるらしいし、そんなのに比べたら話しかけるくらいなんてことないじゃん」
「え、川谷マジで?」
「マジらしいよ」
「今年に入って?」
「今年に入って」
「やば。まだ一ヶ月も経ってないじゃん。でもそういうことじゃないんだよ。だって、おれなんかが邪魔しちゃダメでしょ」
町山さん相手ならすぐわかることなのになあ、と僕はしみじみ思っていた。
「ああ」とつぶやいた坂本は、しばらくの沈黙をはさんで「なるほどね」と言った。
さっさと教室行こうぜ。そんで部室。僕が促せば坂本もついてきてくれる。
校舎内に入ってすぐに坂本が
「じゃあさっきおまえが言ってたこと、おれが今度町山さんに伝えればいいんじゃない?」
と言った。
「んん? それはどういうこと?」
「だからおまえが人知れずカッコつけてたことを、おれ経由で伝えたら町山さんおまえのこと好きになるかもよ」
「ばか! そんなわけあるか! 絶対やめろよ。言うなよ絶対」
「これもダメなのか」
「ダメだよ」
「もったいない。それくらい別にいいと思うけどな」
「ありがとう。でもそういうんじゃないよ。おれがめちゃくちゃカッコよかったって事実はおまえがずっと覚えておいてくれりゃ、それで充分だよ。それが本物だろ。違うか」
ぴゅ~と口笛を吹きながらウインクをする坂本。すごい生き物がいるもんだ、と僕は思う。
教室に戻って荷物をとる。
山之内の姿はもうないけど、まだ何人かが残って机に向かっている。もう二度と邪魔だけはしないぞ。そう思った直後、参考書から顔を上げた若本紅愛が「あ、安藤くん」と言うのでビビる。
「はい?」
「学ラン見つかった?」
「あー。実はまだなんだ」
すると彼女は立てた指を壁の方に向けながら、「なんかさっきね、安藤くんのこと探している人がいたよ。学ラン持ってた」
「え、うそ、どんな人?」
「誰だっけ。何組の人かは忘れたけど」
「男子?」
「そうそう、色白の」
「色白? もしかしてあの、すごい猫背の?」
「そうそう!」
福地じゃん。
お礼を言う僕に、よかったじゃん、と若本紅愛が表情を大きく崩すことなく小さく呟いてくれた。ひー、やべえ。僕はそのときの若本の遠のく顔、こちらを向く髪を束ねて露出したうなじに対して、体が震えるくらいの勢いで謝りたいと感じていた。「感謝」って字そのままの気持ちだ。若本の器に、僕は完全に飲まれてしまっていた。
「ありがとう」
こういうときの僕の声は小さくていけないのだが、若本紅愛は顔を上げ、ん? という顔をしたあと、ふわっと片手を上げた。とても律儀な感じのする、甲斐甲斐しい所作だったので、僕も同じようにした。
坂本と七組へと向かう。
福地の姿はない。
坂本も自分の荷物をとり、そのまま部室へと向かうことにした。
渡り廊下に出ると、空には月が浮かんでいた。照明塔の明かりに照らされた運動場は、夕日に染められていたときよりもずっと鮮明だ。
さみ~と言い合いながら部室棟へと駆け込む僕らは、卒業文集の話をする。浅野はもう出したぜ、と僕が言うと、坂本は「でしょうね」と言った。
「あとで読んでみ」
「はいはい」
「いや、よかったよ」
これはマジで。
部室の机には、僕の学ランが無造作に置かれていた。
感動から両手を合わせ膝をついていると、脚を組んだなっちゃんが「よかったね」と言った。「みんな優しくて」
ほんとにね。
「これは福地が?」
そう尋ねる僕に「ああ、あいつだよ」と久留米。帰ったのだろうか? 僕は加藤のマフラーと照本のカーディガンを丁寧にたたみ、リュックにしまったあと、久しく会った学ランに袖を通す。ポケットにはスマホがちゃんと入っていて、確認すると坂本の他に、中川からもラインが入っていた。
『見つかった?』
僕は早速返信する。
『お返事遅れました!学ランが無事見つかったことを報告いたします。ご協力ありがとうございました!』
もう後回しにはしない。ぼーっとするのもやめにする。この瞬間をできる限り覚えておかなければならない。
物事は更新されていく。
今日のあれこれも過去になる。
残るものも限られてくる。
みんなにも学ランが見つかった報告を入れていく。ああ、僕はちょっとだけ寂しい。嬉しいはずなのに、それを上回る喪失感に手を伸ばしそうになる。
僕はいまなにを失った? わからない。とにかく今日はもう終わる。終わるに足る理由を、僕は受け止めてしまった。あ、そのせいか?
しまった。
福地はまだそのへんにいるかもしれないとのことで、僕たちはみんなで部室をあとにする。月曜日は掃除しような! と念を押しながら。渡部先生が来るぞ。渡部先生が来る。バリトンボイスは憂鬱の調べだ。僕らはみんなで渡部先生のモノマネをした。久留米が一番うまかった。声の質が似ているのだ。
校舎の静寂を挑発するように、軽音楽部の音だけがはつらつと反響する廊下を歩いていると、なっちゃんが「安藤くん、遅れたけど」と言って、さっきの年賀状をくれる。あ、ありがとう。いま読んだほうがいい? 僕が尋ねると「あ、いや、帰ってから読んで。お互いのためにも」とのこと。
了解。
僕らは階段を降りる。ドアを開ける。強く冷たい風に吹かれ口々にさびーさびー言い合い、ちょっとだけ走ったり、立ち止まって誰かを待ったりする。ピロティーの太い柱を蹴り、白い息をチョップで割る。
「帰ったら書くか」
僕はそう呟くけど、マフラーに顔をうずめたなっちゃんがちらりと一瞥しただけで、坂本も久留米も反応をくれない。え、なんだよ。おまえらだってちゃんと書けよ。最後の文集なんだから、そこんところはよろしく頼むよ。
ポケットの中でスマホが振動する。取り出してみれば戸田セリナからで、『よかったね!』の一言。返信しなきゃ。中川とは違う言葉で。そう考えていると、校門へと続く道にある花壇のそばを歩いていたひとりの男子を見つける。ひどい猫背なのはいつものことだ。僕らに気づいたそいつは、胸の前まで手を挙げてみせる。
「福地!」
僕は声を張る。学ランありがとう! どこにあったの? 向こうはなにかを答えたけど、声量と、あと風のせいで、たったの一文字も届かなかった。それがなんだか楽しいような、名残惜しいような、とにかくじっとしていられない気持ちを喚起するので、僕はやつの声が届く距離まで小走りした。
まあ。
こんなもんでしょう。
それは、僕らが一緒に過ごした最後の金曜日だった。
~18:00
16:00~
ホームルーム終了後、教室の後ろの方で加藤たちとまんこからピーナッツを飛ばすおばさんの話をしていたら、すぐ近くを女子バレー部の若本紅愛が通りかかったので違う話に変えた。
僕の学ランが消えた話だ。
そもそもこっちが本題だった。
学ランが消えたのは全国的にインフルエンザが猛威を振るう真冬のある日のことで、にしてはまあまあ気温が高かった。僕は体育のサッカーでゴール前を守りながら、浅野とふたりでオナニーするときどんなリズムでしごくのかという話をしていて、「COMPLEXの『BE MY BABY』と同じリズムだよ」と僕が言うと、「ビーマイベイベーで一往復?」と浅野はジェスチャー付きで尋ねてきた。
「いや、『ビーマイ』で1。『ベイベー』で2……あ、もうちょっと早いか。ビーマイベイベービーマイベイベー……あ違うな、やっぱビーマイベイベーじゃない」
「ちなみにおまえってどっちの手でしてる? おれ普通に右手なんだけど」
「あ、それはおれ左なんだよね」
「おお。でも右利きだろ?」
「そうそう、でも左」
「やっぱりいいの?」
「ていうか右手でスマホ持ってやるから左手しか空いてない」
「そっちか。おけばよくない?」
「寝そべるのが好きだから」
「なるほど横になるタイプね」
「そうそう。仰臥位」
「ん? なにそれギョウガイって」
「あ、あおむけのこと」
「じゃあそう言えばいいだろ」
「あごめん、たしかに」
「なんでわざわざ難しい言葉使うんだよ」
「そういうとこあるんだよね、おれ」
とそこで不意にボールが転がってきて、反射的に動けた僕は思いきり蹴り返すことに成功した。バツの悪さがそうさせたのかもしれない。
風は肌寒かったが空からは暖かな日が射していて、砂埃とともに宙で軌道を変える頼りないボールを細めた目で追った。ずりーなあと隣で浅野が漏らし、僕は僕のついカッとなって、といった衝動をちょっとだけ誇らしく思った。素早い蹴りとその手応え。及び浅野の羨望も手伝ってか、いつもよりもやや気が大きくなっていた。
僕は最後に学ランを脱いだのがいつどこでどんな状況だったのか、なにも覚えていないのだ。
「がんばれ」
と浅野は言った。なんだよ、捜すの手伝ってくれない感じじゃん、と思う僕にやつは言うのも面倒くさいといった感じ「これから教習所」とつぶやいた。
ピロティーのベンチに腰掛ける僕らは、冷たい風に吹かれながら冷たいエナジードリンクを飲み、さっむ~と繰り返していた。免許どう、取れそう? と尋ねる僕に浅野は「まあまあ。大阪行くまでにはなんとか」と、遠くを眺めながら、下唇をとがらせていた。当然ながら、かわいこぶっているわけではないのだ。一方で寒さに腕を組む僕は、教習所にはいつごろから通おうかなと考えていた。いまから通い始めたところで四月に間に合うかはわからない。それに今はどちらかというと免許よりも遊ぶ時間がほしいので、予定を詰めてまで通うのも気分じゃないのだった。という結論は昨年末から何度も出ているが、同じことをまた一から何度も考えてしまうのだ。
そういう症状ってなにかあったっけ?
「あ、そうだ」と浅野がリュックに手を入れ、筒状に丸められたルーズリーフの束を取り出す。
「書いてきたぜ」
僕は初め、なんだこれは、と思った。受け取って開いてそこにタイトルが記されているのを見てようやく納得する。
それはあまりにも早すぎる提出だった。なぜなら文集用原稿の募集をかけたのは一昨日のことだからだ。
一昨日の放課後、僕は部室で坂本と直立のまま向き合って、その場から一歩も動いてはならないという制限のもと、互いの隙を突いて股間を攻撃し合っていた。隙を突かれて坂本から強烈な一撃をもらった僕が膝をついたその瞬間、ふと例年作成してきた「卒業文集」を今年も作らなければならないことを思い出した。昨年の卒業文集のあまったやつが、ソファーの脇に積まれているのが目に入ったからだ。
「お、これってもしかして戯曲?」
そう聞くと浅野はやや遠慮がちに肯いた。戯曲という言葉にまだ親しみがないからだろう。僕も一年のころまではそもそも戯曲という言葉を知らなかったし、いまでも油断すると「コント」と呼んでしまうのだが、それだとぜんぜん厳密じゃないし、そもそもカッコがつかない。まずはカッコから入ろうと、戯曲、随筆、小説と大まかに分けて呼ぶように決めていた。
僕がこの作品が一番乗りであることを伝えると、「おまえこそ真っ先に書いてなきゃダメだろ」と浅野は笑う。僕には、バツが悪いときには決まって「たしかに」と答えてしまう癖がある。
「一応渡しといたから。誤字脱字ないかとかも、チェック頼むわ。まさかとは思うけどこれもなくすなよ」
はははまさか、もう脱ぐものないし、と答えると、浅野は深い疲労の滲む苦みばしった表情で小さく笑った。もともとの顔がそうで、ただ息を吐いただけなのかもしれない。
「もし免許取れたらドライブ行こうぜ」
冒頭部に軽く目を通していると、ふいに浅野はそんなことを言った。いつもならだれかから一方的に誘われて嫌々言いつつも、みたいなことが多い浅野なので、そのらしくなさを笑おうかとも思ったけど、ここで茶化すのはなしだなと思った僕は「いいね」とだけ言った。動揺なんて察されてはならない。
「それよりもはやく学ラン捜せや。いまはだいじょうぶてもすぐ寒くなるだろ」
「すでにじゅうぶん寒いんだぜ」
「うるせ。夕日ももう沈むよ。あっという間だから。高校の三年目と同じで」と急に浅野が言いだすので困る。
「なにそれ。先生たちのマネじゃん。一月は行く。二月は逃げる。三月は去る的な」
「違う。本当にそう思ったからそう言っただけ」
「ああ。ならごめん」
「謝られることでもない気がする」
「まあね」
「いいから早く捜せって」
「……冷たくしないでよう」と僕は細い声でひっそりつぶやいた。これは、中学のときに浅野と一週間だけ付き合っていたソフトテニス部の畠中さんが、最初で最後のデートの帰り道に呟いたといわれる伝説的な一言の真似だった。浅野の表情をチラリとうかがうと、陰のせいかみょうに黒みを帯びた浅野が、「おい」と言って表情を変えることなく僕の胸のあたりをグーでパンチした。目が真っ黒で鮫みたいに見えるので、僕はへこへこしながらやつの空き缶を受け取る。
「これ、捨てとくんで」
「あ。おねがい」と浅野はちょっとだけその場でモタモタして、それから「じゃあ行くよ。また」と校門に向かう。その背中を見送る僕は、とりあえずルーズリーフをズボンのポケットに押し込み、それからちょっとだけぼーっとしたあと、のっそり記憶をたどってみることにした。学ランについて。
いや、そもそも僕はスマホを捜していたのだ。普段からズボンの左ポケットに入れていた僕だったが、基本的にイヤホンをつけていることが多いため、冬場はもっぱら幅の広い学ランのポケットに入れていた。なのでスマホがないことをきっかけに学ランがないことにも気づき、教室にいた人たちにも尋ねてみたものの出てこず、じゃあラインでみんなに呼びかけようかとまたスマホを捜した。
この体たらくの理由として、ひとつに僕がここのところ、ただでさえすぐ腰を下ろしがちなこの脳みそを放任していたせいもある。もちろん卒業間近という環境に甘えることなく、最低限、授業はまじめに聞いているつもりだったのに、自習時間というものが圧倒的に増え、いままで読もうと思っていた小説なんかを消化していると、学校にいながらにして日曜の午後みたいな気分になってくるのだ。日曜の午後といえばオナニーなので、このままじゃ僕は休み時間にトイレでオナニーでもしてしまうんじゃないか? そんな懸念なのか欲望なのかもよくわからないものを感知して、苛まれる中、僕はついに学ランをなくすまでに落ちぶれてしまったらしい。
寒っ。
ひねり潰した空き缶をゴミ箱に投げ入れた。歩きながら胸を反らすと肩から乾いた音がする。校舎内に戻った僕は、いつもより遅めに歩きながら、自らの過失のほかにもいくつか想定してみる。例えばここんとこの僕がずっと「こんな感じ」であることを快く思っていない人がいて、例えばそれはサッカー部の清とかその下っ端の池田とか永野のことなんだけど、そういう人が僕の脱いだ学ランを持ち去った可能性だってゼロじゃない。僕だって疑いたくはない。しかしどうも清は僕のことを殺そうとしているらしかった。つってもそれは坂本から聞いた話でしかないし、信憑性で言えば一笑に付すことだってできないわけじゃないが、ひとつだけ心当たりのようなものがあるにはある。僕はこのまえ体育館のギャラリーにて女子バレー部の練習をみんなで眺めていたとき、文化祭における三組の劇の話になってつい
「でもあれは超きつかったな~」
「そう?」
「うん」
「え、どこが?」
「だってサッカー部が前に出たいだけの茶番だったから」
「ひで~」
「茶番だし、主役張るくせに声張らねえし。なんであそこでちょっとだけカッコつけんだよ。変だろ」
「ひで~」
「いいよもう、知らないよ、クソだよ! クソクソクソ! サッカー部はクソ!」
と発言してしまい、それを坂本が別の場所でだれかに話し、三組の劇こと『MC HUJIKIYOと愉快な仲間たち』の主演を張った清の耳に届いてしまったらしかった。僕は別にあの劇に携わった人たちを不快にさせたくて発言したわけじゃないし、本当に思っていたことをその場の空気とかでやや露悪的に盛って喋っただけなのでこれは完全に吹聴した坂本が悪いと思っているのだが、とはいえ怒りの種を蒔いたことは事実なので、ああやだなあ、面倒くさいなあと思うのだった。
サッカー部が犯人じゃありませんように。僕はそう願うのは、もし仮に本当にそうだった場合、こちらにできることなんてなにもないからだし、実際その可能性がすこぶる高いことも承知の上だからだ。清に限らず、ここんとこのサッカー部は本当に僕のことを殺そうとしている節があった。つい最近だって放課後の廊下を一人で歩いていると、サッカー部の永野が通せんぼするように立ちはだかったかと思うと、挨拶のように足で僕の足元を小突きながら、ぶつぶつ低い声でなにかを言い始めた。僕のハートはその状況に耐えうる強度を持っていなかった。趣旨がまったくつかめいので、僕も終わりを想像できない。僕より身長の低い永野相手に、その身長差を埋める配慮も含め、文字通り萎縮しながら少しずつ後退するほかなかった。
「おいコラ安藤」
「はい」
「おい、なあ、おいコラ安藤」
「はい、はい」
永野も永野で、絡みはしたもののオチを用意している様子がなく、同じ言葉をイントネーションを変えながら連呼しているだけだ。二人組の女子が僕らを避けるように通り過ぎ、「え、え?」と声を潜めながら笑い合っていた。
「またな」
満足気に立ち去る永野の後ろ姿を睨みつけながら考える。僕を見かけたらとりあえず襲撃する、というお達しのようなものが、知らないあいだにサッカー部内に流されているのだろうか? 僕自身の普段の行いが悪いせいもあるんだろうけども、とは思う。でもそれが暴力を肯定する理由足り得るかといえば違うでしょう? 彼らの野蛮な血の疼きをどうやれば鎮められるのか、その方法を僕は知らなかった。そもそも僕は清なんかとはあまり喋ったことがない。もし清が僕の発言に怒っているとして、それが実際どの程度なのか、どういう姿勢で臨めば許してくれるのかがまったく見当もつかないし、いたずらに不安だけが膨れ上がってしまう。いやでもやっぱり一番おかしいのは坂本あの野郎。なに勝手に喋ってんだよ。
僕はだんだん腹が立ってきて、まずは七組へと向かう。あのインターネット野郎に学ラン捜索への協力を強制しようと思ったのだ。七組の黒板の前には福地がいた。
「福地くん、坂本のやつ見なかったかい?」
黒板前にいた福地はピアノの発表会に嫌々立たされた少年のような、右肩が脱臼しているのではないかと思えるいびつな立ち姿で首を振った。部室かな? 僕は学ランがなくなった旨を福地に、まあでもたかが学ランがなくなっただけだ、と半ば自分に言い聞かせるようにして伝えた。
なくなった、というか見失った?
そんな気もするんだよなあ。
そもそも学ランなんてものは学校にいる間ずっと目に入るようなものだし、家ですぐそこにあるリモコンを見つけられないとか、メガネを額にかけたままメガネメガネつぶやくような、後者はちょっと違う気もするけど、そんな感じで日常に訪れる魔の瞬間に飲まれただけなのかもしれないじゃん。それに学ランなんてものは拾ったところでラッキーとなる代物でもないので、たぶんふつうに返ってくるだろう。ポケットの中がコンビニのレシートだらけの他人の学ランなんて僕ならほしくない。最悪今日が無理でも明日、明日が無理でも明後日、明後日が無理でも……ってな感じで、譲歩に次ぐ譲歩で心に余裕ができた僕は、再び廊下をあてもなく進む。
職員室前の廊下には掲示コーナーがあって、そこには先週催された球技大会a.k.a.三年生を追い出す会の写真が貼り出されている。まったく活躍しなかったどころか途中から部室のソファーで漫画を読んでいた僕だけど、だれか知ってる人の写真ないかなと探し始めたら止まらない。例えば町山さん。彼女は……いた。僕は町山さんを見つける能力に長けている。全校集会解散時の人混みの中でも僕はわりとすぐ町山さんを見つけることができる。彼女の容姿に関する多角的なデータが脳にインプットされているからだろう。すでに三枚ほど町山さんの写り込んでいる写真を発見した僕は、流れで浅野も見つける。後藤のなっちゃんのもあった。そんで中川とエルヒガンテのニコイチ・ビッチーズの写真を見つける。中川がその白くて長い腕を高く突き上げなにかを叫び、その隣でエルヒガンテがギュッと圧縮したようなその体躯を地上十センチほどのところで滞空させている写真だった。ふたりの日に焼けた赤い髪の毛まで、空気に押し上げられて蛸の足みたいに波打っている。
最高じゃん、と僕は思った。こういう写真こそ、卒業アルバムに載っているべきなのだ。被写体である意識を持たず地面を蹴って跳ね上がっている、そんな一瞬を切り取られたという痛快さと、その痛快さにも勝る瑞々しさが交互に押し寄せ、僕はなんとも耐え難い気持ちからこのうえない無表情となった。
「おい」
とつぜん声がして僕が表情そのままに振り返ると、呆れや蔑みの混じる鈍い色をその顔に浮かべた中川とエルヒガンテが背後に立っていた。僕は気づかれないようひっそりと表情を取り戻す。
「もしかしてだけど、心霊写真とかさがしてる?」
「暇やな~」
その態度の一方で、僕の周囲は一気に甘い香りに包まれた。部活をやっているがゆえに高い意識を持っている女子特有の、シーブリーズっぽい香りだった。僕は彼女たちから距離を取るように、一歩脇に寄る。「まさか」
「あ、そこに立たないで。並んでるの見られたら恥ずかしいから」と後から来たくせに中川が言う。冬場に学ランを着ていないからバカ、ということになったのだろうか? 一応、彼女たちにも事情を説明すると、
「じゃあ早くさがせよ」
「見てて寒いんだよ」
「二つの意味で」
「やば。ほんと二つの意味で」
とか言って自分らでニヤニヤしたかと思えば
「てかさ、たぶんあんたさ、やっぱ頭ちょっと変になってんじゃない?」
とくる。懸念を突かれた動揺を隠しながら、やっぱってなんだよ、と僕が尋ねると、
「だってあんたここんとこずっと遊んでるでしょ」と中川は続ける。
「まだ進路決まってない人の気持ちとか考えたほうがよくない?」よくない? が語気もそのまま僕の中でリフレインする。
「だね。マジでそれ」とエルヒガンテ。
「あ、思い出した。そうそう、このまえこいつさ」
「うん」
「ベルトの後ろの方にトイレットペーパー挟んで廊下走ってた」
「は? きも、え、どういうこと?」
「やばいよね、わかんない……」
「きも……」
「しかもいつもの雑魚軍団とだし」
「ふきだまりの」
「安藤、ほんとなにしてんの?」
僕は頭いっぱいに溜まった反論を整理する。まず、なにしてんの? に関して応えるとするのなら、僕は坂本たちとタグラグビーをしていたのだ。タグ代わりにトイレットペーパーをベルトに挟んでいただけで。あとそもそも、なにしてんの? じゃねえんだよ、と僕が思うのは、彼女らだって進路が決定して放課後を悠々過ごしている側だからだ。自分らのことは棚上げして説教垂れんじゃねえよと思う僕だが、これは売り言葉に買い言葉、言われていることの正しさは痛感しているし、胃も痛くなってきた。
仮に僕が進路未定組だったとしよう。不安と焦りで鬱々としているところで、廊下をバカが全力疾走しているのを見たら何を思うだろう? 殺したくなるのかもしれないし、さすがにそれは実行できなくとも、そいつの持ち物くらいなら燃やしてやるかもしれない。僕は一年ほど前に軽音楽部との関係が悪化した際、文芸部の特攻部隊で大事な機材の破壊を試みかけたことがあった。実際は弁償のこととかを考えて二の足を踏んだ末に白けちゃったのだけど、学ランくらいならほどほど高くて、ほどほど弁償できる感じがある。だから学ランを盗むくらい誰にだってやれそうだ。そしてそうなると、容疑者は三年生全員、いや全校生徒ということにもなりかねないので、僕の胸はゴリゴリと摩耗し、ついには呼吸さえ忘れかける。
そんなふうに鬱々としている間にも、ふたりは写真を眺めている。それから「あんたのはないね」と、練習した台詞のように勢いよく言い切った。いやなんでだよ、この後頭部は僕だろ。指差す僕を無視し、冗談はさておき、みたいな抑揚のない声で中川が言った。
「でも安藤あんたさ」
「なに」
「学ランはないとヤバくない? 卒業式とか」
「なんで?」
「だってそうでしょ。一人だけシャツで出席ってたぶん無理だよ」
「バカっぽいから?」
「いや、式だもん」とエルヒガンテ。
「最悪帰されると思う」
え、急になんだよ。彼女らの説得力にたじろぐ僕は手脚になぞの倦怠感を覚えるが、それを察したのか、エルヒガンテがあごをしゃくる。
「だからいまちゃんと探しとけって」
たしかにそうだ。
「ありがとう。事の重大さにいま気づいた」
「今でよかったじゃん」と中川。
「たしかに」
「もしうちらもそれっぽいの見つけたら教えるわ」とエルヒガンテ。
え。僕は彼女の炊飯ジャーのような顔と向き合い「戸田さん」と言った。彼女の名前は、戸田セリナといったし、当然のように、エルヒガンテという呼称は本人に面と向かって放ったことなどない。
彼女は「ん?」と下唇を突き出し、わずかな隙間からやけに細かい下の前歯をのぞかせた。
「ありがとう」
「うん」
「中川も」
「わたしは教えないよ」
「教えろよ」
ということで僕は自分のラインIDを伝えようとする。すると中川が「そんなの知ってるわ」と制するので、まあそうかと思う。この三年間、同じ学び舎で過ごしてきたのだ。僕らの間には、ちゃんとそれだけの時間が流れている。
僕はもう一度言う。
「ありがとう」
そういえばスマホも一緒になくしたんだということは、あとになって思い出した。
式に参加できないのはまずかった。後々話のネタにできるとか、そういう風に思えないのは僕が今を生きているからにほかならない。後々のことは後々の僕のものでしかない。よって、いまは学ランの捜索に心血を注がなければならない。
ということで職員室にて現文の渡部先生に学ランの落し物はありませんでしたかと馬鹿正直に聞いてしまった僕は、ここでもまた気のゆるみをブスブス突かれたあと、部室の掃除もちゃんとしろとバリトンボイスで命じられ、いそいそおいとまする羽目となった。どうも学ランの話は渡部先生には残らなかったみたいで、結果として説教を受けただけで終わってしまったわけだ。僕が腑に落ちなさを噛み締めながら職員室を出ると、そこで野球部の照本肇と鉢合わせた。その小脇には大学ノートが挟まれていて、話を聞くと、提出物を遅れて出しにきた、と照本は敬礼した。僕もほぼ同じタイミングで敬礼していた。
照本肇と僕はニ年の後半から同じ予備校に通っていて、授業をサボって同じファストフード店に入り浸っているうちに仲良くなった。なので言葉を交わすようになったのもここ半年くらいの話なのだけど、
「学ランなくすやつ初めて見た!」
と体をくの字に折って膝に手を付く照本を見ていると、僕はこの悲壮感のなさが好きなんだな、としみじみ思う。
「そうはいっても、ことは結構深刻なんだよ照本氏」
「あ! そうかそうか! ごめんごめん!」
「いやぜんぜん。でもどっかで怪しい学ラン見つけたら教えてよ。といってもスマホも一緒になくしたんだけどさ」
「やば。じゃあどうやって教えりゃいいの?」
「おれの教室に持ってきてくれるとか、あと文芸部の部室に届けるとかしてくれたらありがたいけど、まあそこまでしなくてもいいや。したいようにしてよ」
「なんだそれ。でも了解!」
「よろしくお願いします!」
執拗な敬礼の応酬をへて一通り満足したあと、僕は「それじゃまた」とあてもなく歩き出す。が、間髪入れず背後からは照本の声。
「そういえば、安藤! 坂本が探してたぜ!」
物事がようやく動き始めた気がした。
僕は早速自分のクラスに戻ってみる。そこには加藤と野球部の山之内がまだいて、僕の机でオセロをしていた。
「まだ見つからない?」と加藤が言うので僕は自分の白いシャツを指差す。
「だるいな」
誰よりも僕がそう思っていることを山之内が言ってくれる。坂本がおれのことさがしてるって聞いたんだけど……そう言うと加藤は「そうなんだ」と言った。
うん、そうらしいよ。
スマホがないだけでこんなに不便なのかと思う僕は、加藤にお願いして坂本に連絡をとってもらうことにした。電話をかけても出ないらしいので、ラインでメッセージを残してもらう。あとは部室で待機してりゃあやつはくるだろう。ちょっとした安堵からすぐさま動く気にもなれずにいた僕が、ゴリラのように隆起した山之内の肩を揉んでいると
「あ、そうだ」
加藤がかばんに手を入れ
「気休めかもだけど、これ使う?」
差し出されたのは紺色のマフラーだった。
「え、いいの? ほんとに?」と受け取ったマフラーを首に巻くと、柔軟剤のいい香りが顔のまわりに広がったので「ありがとう。これいいマフラーだね。なんか女子っぽい匂いがするところとか」とふざけて言うと、「それ妹のだから」と冗談ともつかない態度で加藤が答える。ははは。え? まじ? え? え? ほんと? あの? 加藤の妹といえば、妙に大人びた顔立ちをしていることから、坂本にジュニアアイドル呼ばわりされている美少女だった。加藤に似て目が大きく、やや浅黒かったが、鼻が高かった。ということはあの妹ちゃんと間接首タッチになるわけか。それがどう色っぽいのかはよくわからないけど、加藤のことをお義兄さんとふざけて呼ぼうか迷って、やめた。加藤の気持ちを想像してみたのだ。
「恩に着ます」
「いいって」
「妹さんにも、ありがとうと」
「オッケー」
そんじゃちょっとだけ使わせて、と踵を返し廊下に出ようとすると、教室に入ってこようとする国生まりえと鉢合わせた。
「わっ」
「すみません!」
「安藤くんじゃん~ふふふ」
と体をくねらせる彼女を間近にしていると、僕はその色香にむせ返りそうになる。
「どうしたの国生さん」
「そっちこそどうしたのそれ」と僕に向けた人差し指を上下に動かす彼女は帰り支度を済ませた格好で、暖かそうなカーディガンを着ているが、これまた妙にシルエットが浮き立つカッティングのもので、なぜそれを買ったのか、色っぽいことにためらいを持つのは、やはり西洋から持ち込まれた価値観なのか、と僕はつい考えてしまう。
「もしかしていじめられてる?」
冗談っぽく声を潜めた国生さんの言葉に、一瞬だけ清の顔が脳裏をかすめる。わかんないけど、学ランはたぶん自分でなくしたと思うから、いじめではないよ。たぶん。いや、たぶんだけど。
「冗談だよ。てかなくしたんだ。えー寒そう」
「寒いね」
「だよね。いっしょに捜してあげようか? ちなみに安藤くんの学ランってどんなやつ?」
どんなやつってああいう学ランだよ、と周囲の男子を示しながら答えると、国生さんは「そりゃそうか」と一人で五秒くらい笑った。もし見つけたら教えてよと頼みかけた僕だったが、あれ? もしかして加藤? と後ろを指させば
「そう、ごめん。いまからいっしょに帰るんだ」
そうなんだ。
「加藤~」と僕が呼べば、わかってるといった態度で加藤が手を挙げ、その向いに座る山之内が勢いよく盤をひっくり返すのが見えた。
やたらと換気をうたう社会科の八重子教諭の手によって、廊下の窓は一枚間隔で全開にされているのだが、マフラーによって首の動脈が守られたことにより、先程までの凍えは感じない。その温もりからも改めて考えるに、当たり前のように優しいところが加藤のすごいところだと思う。山之内に盤をひっくり返されても、一番楽しそうに笑っているのが加藤だった。カラっとしている。たぶんみんな彼のそういうところが好きだと思う。そもそも顔がいい。それも人のよさが前に出ているタイプのイケメンで、どこかぼんやりした印象があって、一緒にいてもそれほど割を食うことがなかったし、普段は大人しいくせに口を開けば大好きなルパン三世の同人誌のラストシーン(銭形がルパンの後追い自殺をするやつ)とか、サッカー部のキーパーを務める「タートルズの豚」こと森永拓司の言動についての話しか飛び出さないので、積極的にモテることもなかった。たしかに色っぽくはなりにくい感じはある。とはいえ、加藤のそういう、顔のよさにかこつけて甘い汁を吸っていないところも僕らからすれば気持ちのいい男なのだ。たぶんこのマフラーに関してもそうなのだけど、異性のきょうだいがいる人特有の余裕なのかもしれない、なんて僕らは普段から分析しているが、本当のところはわからない。
国生まりえとは昨年末から付き合っている。
「このあとデート?」と僕が聞けば、目を細めた国生さんは左右に首を振る。
「いっしょに帰るだけだよ」
「でもそれはデートじゃないの?」
「安藤くん、デートはまた別なんだよ」
むず。
ちょっと前までの加藤は、放課後になると僕や山之内なんかと一緒に無人の教室に忍び込んではみんなの体育館シューズを片方ずつシャッフルしたり、黒板に好きなアニソンの歌詞を書いては消したりを繰り返していたのだが、その一部始終をたまたま見ていた国生まりえはどういうわけか恋をした。そんで加藤もその想いに応えた。加藤に聞いてみたところ、国生まりえは「話しやすい」とのことだった。彼女は理数系クラスの数少ない女子のひとりであり、普段の言動がややがさつなせいで一見スルーされがちだったが、よくみりゃ眠そうな目をした色っぽい顔をしていると一部の男子の間では評判だった。その一方で、面食いなことでも有名だった。加藤はカッチリしていないところがあるとはいえ、告白したのが国生さんの方からだということは、たぶん卒業後も関係を継続しようとの目論見があったのではないかと有識者の間では囁かれていた。加藤みたいな男はどうせ卒業したあとこそどんどん垢抜けていくのだから、先見の明がある人間からすればどうみたって逸材のはずだ。たぶん。僕らにそう説いたのはなっちゃんだった。「女ってそういうとこクソだよな」と坂本が言っていたのを覚えている。
「マフラーは借りてていいよ」
僕は加藤が最初からそう言ってくれることをあてにしていたものの、え! いいの? と大きな声で言った。加藤にはバレてた。並んで廊下を歩いていくふたりの後ろ姿を手を振って見送っていると、ふいに一人残された山之内が僕のすぐそばまで来て、「あのふたりもうやったのかな」と言った。やったってなにを? あ、セックスのことか。僕は想像しかけてすぐやめて、まだだろ、と答えはしたものの、もちろん根拠なんてなく、やってたらどうしようとちょっとだけ胸が騒いだ。やってても別にいいんだけど、妙な割り切れなさが残るのも確かで、この感情の名前を僕は知らない。
「ちなみに焼肉にいっしょにいくカップルはもう絶対やってるらしいよ」
と前にも何度か聞いたことのある話を山之内がする。
「じゃあ今度あのふたりに焼肉行ったか聞くしかないじゃん」と僕は答えた。
山之内と硬い握手を交わして別れたあと、部室棟へとつづく二階渡り廊下でたまたますれ違ったサッカー部の池田に腹を殴られた僕は、いろいろ考えた末にサッカー部の犯行説を取り消すことにした。というのも池田は、シャツにマフラー姿の僕を見てただのおどけたバカだと認識したっぽかったし、立ち去り際に「見つかるといいな」なんて舐めたこと言っていたからだ。
「なんならいっしょに捜すか?」
「いや、いいです」
「捜すわけねえだろザコ! 殺すぞ!」
ギャハハ! と立ち去る池田の背中を睨みつけるのにはいくつかの理由がある。もちろん単純にされたことへの嫌悪憎悪殺意はもちろんとして、そのときの僕がなにより困ったのは、池田に絡まれへらへらやり過ごそうとするその様をあの町山りおに見られてしまったということだ。それこそ僕は犬のようにクンクン言いながらあの池田なんぞに愛想笑いをふりまき、あろうことか、歯茎から血の出る思いだが、何度も頭を下げたのだ。それは最も客観視したくない自分だった。
町山さんは渡り廊下の手すりに両腕をのせながら運動場を眺めていたらしくて、茜色の空からは吹奏楽部の演奏音が降り注いでいた。殴られた際の僕のうめき声は誰にも届かずかき消された点は幸いだったものの、結局池田は馬鹿なので声量が異常で、それが届いたのか、耳のイヤホンを外してコードを畳みながらゆっくり歩いてくる彼女を見た僕は、いや、ああいうコミュニケーションだから、しょっちゅうやられてるぶん腹筋鍛えられてるし……という異様な態度で目を伏せ背筋を伸ばしてみせた。馬鹿らしすぎるが、切実なのだ。彼女のほうも、やや俯きながら僕のすぐそばを通り過ぎた。小さく会釈された気もしたけど、僕は振り返ることすらできずそのまま歩き続けた。
この風はきっと北からのものだ。
目を細めながら、さっきまで町山さんがいたあたりの手すりに両腕をのせて運動場を見やる。夕暮れどきの運動場を眺める時間は最高だと思う。特にこの部室棟から伸びる渡り廊下は吹奏楽部によるBGMつきということ、かつ部室からすぐの場所ということもあって、煮詰まった……じゃなくて行き詰まったときなんかは、僕もよく運動場を眺めたりしていた。風に目を細めながら思うのは、町山さんはなにをしていたのだろうか? ということだった。もしかして、彼女もなにかに行き詰まったりしていたのだろうか?
マフラーを巻き直し、乱れたシャツの裾をベルトの内側に押し込んだ僕は、ポケットのなかでぐしゃぐしゃになった浅野の原稿に気づいて慌てて取り出した。風に飛ばされないよう、その場にしゃがみこんでしわを伸ばし、なんとなく目に入った冒頭から再度通読する。文字を目で追っていると、目薬をさしたときのように脳みそが艶を帯びていく感覚になって、深い鼻息が漏れた。
sakamoto-the-barbarian.hatenablog.com
2年前に書いた『X-MEN』シリーズ(F&Pまで)の感想です ↓
sakamoto-the-barbarian.hatenablog.com
『X-MEN:アポカリプス』の感想です ↓
sakamoto-the-barbarian.hatenablog.com
『復讐 消えない傷痕』(5/16)
村上春樹を読み始めた。
これまで村上といえば龍だと思っていた僕は半ばネタ化した村上春樹像にしか触れてこなかったので、ほんとうにスパゲティを茹でながら射精するようなキザな話ばかり書いている人なのだろう、と思っていた。いざ読んでみるとまあそんなに違わないけど、さすがにそこまででもなかったので安心した。
彼のデビュー作である『風の歌を聴け』は「大学生帰省もの」だ。大学生が長期休みに地元に帰って、人に会ったり街を歩いたりする、そんな話はもともと大好きなので、個人的な入口としても最適な1冊だったように思う。「Chill out」なムードが、そこにはあった。
久しぶりにiTunesを開いた。愛用のノートパソコンが今年で8年目に突入。大学時代から溜め込んだ音楽がぜんぶ入っている。村上春樹っぽい曲を探そうと思った僕は、ビートルズの『ラバー・ソウル』を再生した。奇しくも村上春樹の2作目『1973年のピンボール』にも登場するアルバムだ。かつて聴いていた音楽を久々に流してみると、その当時の記憶と匂いがおぼろげに蘇ってくる。
大学生のころ、僕はアパートで一人暮らしをしていた。大家さんが1階に居を構え、2階・3階が賃貸となっているタイプのアパートで、住人のほとんどが同じ大学の人間だった。大家さんは面倒見のいい人で、もらいものだからと鮮魚をくれたり、一年に二度くらいの頻度で手作りカレーをご馳走してくれた。入居時にご挨拶として紅いもタルトを持参したのは正解だったのだ。
大学1年のある夜、自室でひとり過ごしているとインターホンが鳴った。おそるおそる覗き穴を覗いてみると、そこにはお隣さんである大学院生と、知らないメガネの女が立っていた。
僕はお隣の大学院生にも入居時に紅いもタルトを渡していた。そのお返しとして塩コショウ(「いまこれしかないんだけど」と言って渡してきた)を受け取っていたので、その後も部屋に招いてもらったり、漫画の貸し借りをしたりするような仲になっていたのだが、その隣に立ってニコニコしている女のことはなにも知らない。警戒心の強かった当時の僕は、ドアをほんの少しだけ開け、「どうしました?」と蚊の鳴くような声で聞いた。僕が自閉傾向の強い人間であることを知っていた大学院生は「寝てた?」と確認を取ったあとでこう続けた。
「大家さんがカレーつくったけど、どうかって。〇〇ちゃん(僕のことです)もうご飯食べた?」
「あ、まだ食べてないです」
「食べに行こうよ」
「いいですね」
「こんばんは」
女が会話に入ってきた。
「こんばんは」
大学院生の話では、その女は下の階に住んでおり、僕と同じ大学の1年生だった。大学に友達がひとりもいなかった当時の僕は、もちろんその女子とも面識がなく、はじめましてと挨拶を交わした。それから三人で大家さんの部屋に行き、カレーを食べた(この夜、おかわりをどうしても断りきれずに大盛り3杯を胃に詰め込んだ僕は、大家さんちのトイレで盛大に吐いた)。
その日を機に、大学構内で彼女と会えば挨拶をするようになった。同じアパートのよしみ、という概念がちょっと楽しかった。専攻は違ったけれどどちらも1年生だったため、でかい講義室で受けるような講義がいくつか被っていた。
その子はメガネで、色が白く、背が高く、めちゃくちゃおしゃべりだった。高田純次似のお父さんが大好きだと言っていたし、姉妹の中では自分が一番巨乳だとも話していた。たしかにおっぱいがでかかった。目を合わせて話すことが苦手なのに、おっぱいが大きい人が相手となると視線を下げることも憚られる。迷いに迷った末に、僕は彼女の目とおっぱいを4:6の割合で交互に見ることに決めた。二つ並んでいる、という点では大差ない。
しばらくして彼女は、僕の部屋にも遊びに来るようになった。「私は基本人と話してないとダメだから」というエクスキューズが向こうから提示されていたので、じゃあいいかと僕も思った。しまいには、女友達と連れ立って僕の部屋に来たこともある。その日はふたりの「同じ専攻のバカ女子軍団がガキ過ぎてつらい」という話を夜の十二時くらいまで聞いて帰したあと、頭の中でリフレインする「高校生かっつーの!」というパンチラインをノートの端にメモして寝た。
2年の夏のことだった。
真夜中、部屋で提出期限ギリギリのレポートをまとめていた僕の携帯に通話が入る。下の階の彼女だ。無視しようか迷って、電話に出た。
「飲みすぎて動けないから迎えに来てほしい」
なんじゃそりゃ!と思いはしたが、僕はビニール傘を武器がわりに夜の街へと飛び出した。このまえ彼女と話した時に、夜道を歩いていたら不審なワゴン車に横付けされ、ヤンキーっぽい男に声をかけられたという話を教えてもらったばかりだった。大学1年の前期、講義にも出席せず部屋で筋トレと読書と嗚咽を繰り返していたあの日々の成果が問われるときが、ついに訪れたのかもしれない。
指定された居酒屋の前に行くと、彼女と知らない女子が二人で待っていた。見た感じ、介抱役を任された友達らしかった。当の本人はほんとうにベロベロに酔っていてちょっとだけ引いた。友達から介抱を引き継ぎ、アパートまでの道を並んで歩く。ジョギングをしているおじさんが横を通り過ぎるだけで彼女は肩をこわばらせ、嘲るように笑った。
彼女は「最近ちょっとだけ痩せた」という話をした。7キロ痩せたらしかった。それってちょっとか?と思った僕は雑談の端々に見え隠れする彼女の不調に気づいた。大学がつらいらしい。厳密に言えば、専攻内での人間関係で気を揉んでいるらしかった。大学がつらい、という話なら得意分野だったので、ひたすら同意を繰り返しているうちにアパートに到着。
階段を上がって部屋のまえまで送ると、彼女は「今日、〇〇ちゃん(僕です)の部屋泊まっていい?」と言った。最近眠れないので、部屋にいさせてもらうだけでいいとのことだった。よく意味がわからなかったが、当時童貞だった僕は人間がどんなふうに距離を詰めてくるものなのかまったく見当がつかなかったので、とりあえず承諾した。大家さんの出してくれるカレーを吐くまで断れないような人間であることも、理由の一つだった。
僕はタオルケットとクッションを彼女に渡し、自分はちゃっかりとベッドで爆睡した。
翌朝を迎えれば早々に彼女を起こし、二、三会話したあとで帰ってもらった。
いまでもたまにあの日のことを思い出す。
もしその気になれば絶対に抱けていただろう。
とはいえあの日、僕が自分のベッドで先に寝入ってしまったことは決して間違ったことではなかった。その一件を彼女が友達に話したところ、誰もが「めっちゃ紳士」と感動してくれ、たいへんな評判を呼んだらしいのだ。僕はめっちゃ紳士なのだ。
村上春樹をきっかけに、そんなことを思い出した。ちなみに彼女はその後、一学年上の先輩と付き合う。その先輩は回らない寿司屋でアルバイトしていて、卒論に集中すべく後釜を探していた。そこで彼女に相談する。彼女はある紳士を思い出す。僕の携帯が振動する。
僕は大家さんの3杯目のカレーも、女の子の申し出も断れない。
彼女はとんでもないファムファタールだったわけだ。
僕のイングロリアス・マザーファッカーとしての日々の始まり。そのきっかけをつくった張本人だ。
ふざけやがって。
泣きながらシコる日々。
(now playing くるり-『リバー』)
僕はジェームズ・ガン監督が2010年に撮った『SUPER!』という映画が大好き。オールタイムベストを聞かれるとまずこの映画が浮かんでくる。
「人生で完璧だった瞬間が2つある」という冴えない中年男が、そのうちの1つである最愛の妻を地元のドラッグディーラーに寝取られたことから自警行為(という名の暴力行為)に乗り出すというヒーロー映画だ。この作品から、「完璧な瞬間」というのは漫画における「コマとコマの間」にだって山ほど詰まっているというメッセージを受け取った当時大学生の僕は、三日三晩泣き続け、バイトを辞めた。バイトを辞めたのはかねてからの予定通りだったけど、この映画のことを思い出すとき、決まってバイトのことが脳裏をよぎる。当時の一番の悩みだったからだ。あらゆることに見て見ぬふりを続けるあのころの僕の痛みに、この映画は寄り添ってくれた。
そんな『SUPER!』を撮ったジェームズ・ガン監督が、あのMCUに参加するというニュースを耳にしたときは、もう飛び上がるくらい嬉しかった。MCUはリアルタイムで追っていたし、そこにあのジェームズ・ガンが!彼の出世が嬉しくて仕方がない。ということで2014年に『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』が公開。映画は見事大ヒットを収めた。僕はサントラも買って毎日聴いていた。どうしても働きたくなかった当時の僕が重い足を引きずりながら派遣アルバイトに行ったり行かなかったりをしていた時期だ。『Awesome Mix vol.1』を聴きながら集合場所である知らない街の駅前に向かい、挨拶もそこそこに距離をとり合うバイト・スクワッドたちと一緒にいると、「まるで銀河のならず者集団だな」と思えた。
そしてその続編である『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』がついに公開された。今回もオープニングが最高で泣いてしまった。でもなにより、ジェームズ・ガンは今作でもやっぱり優しかった。その優しさに触れ、泣いて、僕は劇場を後にした。
今作はべらぼうにいい。ジェームズ・ガン監督の、孤独や傷を負った者たちに対する優しい目線が満ちていた。本当に欲しかったものは、とっくに手に入れていたなにかかもしれない。痛みの先を一緒に眺めてくれる、そんな確かな温度がこの映画にはあった。
悩みも欲望も尽きない、なんでもない人間のひとりとして、僕はこの映画を愛するし、引いてはこの映画を作り、発信したジェームズ・ガン監督に感謝してやまない。ほんとうにありがとう。どうせこれからも最低な気分に何度も沈むであろうこの僕を、また助けてください。どんどん遠慮なく助けてください。助けられ慣れてますので、どうぞまたよろしくお願いいたします。
HOP!
STEP!