MidnightInvincibleChildren

なにかいいことありますようにと毎日思う

 

今日は朝起きてクリームパンをコーヒーといっしょに食べたら胃が気持ち悪くなって二度寝して気がついたら午後だった。こういう日を許容できない生き方は絶対にしたくない。本当は『イニシェリン島の精霊』を観に行こうかなと思っていたけどやめた。やってもいいしやらなくてもいい。すべてに対してそのスタンスを確立。

 

去る土日に大阪に行った。一泊二日の弾丸だったけど、楽しかった。人生初が十個くらいある二日間だったような気がする。思えば大阪に行ったのだって大学一年の春休み、友達の家に遊びに行きがてら『涼宮ハルヒの消失』を観に行ったとき以来だ。ほぼ十三年ぶり? 金さえかければ、距離は縮められる。これは大人になって良かったと思えることのひとつだ。

 

ラランドがYouTubeチャンネルで「お母さんヒス構文」という企画をやっており、それがSNSでちょっと話題になっていた。

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お母さんがヒステリックになった際に発する言葉の暴力を、構文として解説してみせることで相対化させるようなネタだ。コメント欄を覗くと、家族との関係に悩みを抱える方々がいくらか楽になったみたいなことを書いていて、それはよかったなと思った。実際、ラランドサーヤさんのお母さんがよく使う言い回しと、それを受けてのストレスをネタとして昇華したことが誕生のきっかけっぽいので、セルフセラピー的な側面もあったりなかったり……みたいなことを勝手に考えたりもした。その一方で、このネタに「お母さん」と冠したことによる危険性も無視できない。案の定、このネタを悪い方向で利用しようとするミソジニストも見受けられて気持ちが塞いだ。そもそも、あの構文のような言い回しを使う「母」以外の人間だって大勢いる。もっとも前提として、我々が「母」に背負わせている役割の多さが問題の根源だろうし、「ヒス構文」を使っている側もケアの必要な人たちだったりするのだと思います。


その流れでラランドニシダさんの個人チャンネルの存在を知った。ラランドニシダさんといえば、大学を二度辞めていたり、親にお金を無心したりといういエピソードがよく挙げられる、いわゆる「クズ芸人」的な扱われ方の人という認識だった。上智に通っていたことや、かなりの読書家らしいというのもなんとなく知っていたけど、そこまで興味も抱いていなかった。が、そんなニシダさんのYouTubeがとにかく良かった。本当に良くてびっくりした。まず両親との不仲についてしゃべっている動画を観た。ニシダさんは両親との不仲を堂々と語っている。スタンスとしてドシッとしているので、動画内で嫌いな理由すら述べていない。そこには誇張も卑下もなく、ただ「嫌っている」という事実を述べるだけ。まずそこが頼もしい。「一般論」的窮屈さも顔を覗かせない。

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続いて、視聴者から送られてきたメールを読んで、ニシダさんが「人生終わっているか」を判断するという企画の動画も観た。この動画で僕は何回か泣きそうになった。たぶんこれからも何回も観ることになるような動画な気がした。本当に素晴らしいので、「人生詰んだ」と思っている人や、他人からそういう類の言葉をいわれたことのある人は是非観てほしい。

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ちなみに人の人生に対して「詰んでいる」などと実際にいえてしまうような人は、浅薄で恥知らずなみっともない人間です。母親に連れられていったマルチのセミナーで講師の詐欺師がいっていたので、これは間違いないです。なので「ヒス構文」でなんだか救われたという人には、ぜひニシダさんのチャンネルもチェックしてみてほしい。余計なお世話だと笑ってぜひ。

 

乗代雄介の『ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ』を読んでいる。著者が何年も続けているというブログがあり、そこに掲載されている掌編などが大量に収録された鈍器のような一冊。これが予想をはるかに超えて面白い。文章を読んで声を出して笑うなんてそうそうないのに、ある掌編で三回くらい笑った。かなり刺激的な一冊なので、僕もモーニングページをもりもり書いていこうと思った。いきなり真似しても頓挫は目に見えているので、朝起きたら欲望を羅列していくという簡易なルールを設定して、モーニングページを続けていきたいと思った。創作も結局のところ欲望の一種だろうし。あと一日一万字は書きたい。一万歩歩くか、一万字書くか。ノルマがあると日々にハリが出ると思う。ハリなんてなくたっていいのですが。いまは少しでも楽しいほうがいいなと思っている。

 

また。