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股間に凄テクいいあんべえ

日記

 

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いいあんべえ(いいやんべえ)

意味:(沖縄の方言で)いい按配。きもちいい。心地いい。調子がいい。

 

 

 

 

 

 

春の匂いがする。

 

日曜日。窓から入りこんでくる風にコーヒーの湯気が踊る。僕はスマホとパソコンの両方でTwitterを開いている。ぼろを纏えど心は錦。今朝みた夢で女を刺した。

 

知らない女だった。いきなり部屋に現れ、両親の腹部をプラスドライバーで突き刺していくので、やむを得ず台所の包丁を手に致命傷にならないところを切りつけた。何度も何度も。痛覚がないのか、女はまったく痛がらない。恐怖に全身が強ばりながら、それでも女を切り続けた。やがて救急隊員が到着。女を拘束し、両親を治療してくれる。あなたも服を脱いでくださいと言われ、血に濡れたTシャツを脱いだ。姿見に映る自分が目に入る。腹筋がバキバキに割れていた。『アジョシ』のウォン・ビンかと見紛うほどの美しき上半身。そこで目が覚めた。爽やかな朝にも関わらず、全身がブルブル震えていた。夢の中で上着を脱ぐからだ。そう思って二度寝した。今日は本当にいい天気だ。

 

昼間から飲む酒は最高である。昨日も天気が良かった。春のような浮つきをおぼえた僕は、昼間からドン・キホーテへと向かい、氷結ストロングと惣菜を買い込んで近くの公園へ。ベンチに座ってすっぽんぽんの樹を眺めながら飲食を楽しんだ。暖かな陽光に当てられ酔いが回る。人が花見を愛する理由を、ここ数年で理解できるようになってきた。

 

去年も花見をした。関東に十数名いる高校時代の友人のグループラインで呼びかけ、上野恩賜公園に当日集まったのは僕を含めて三人だった。仕方がないので明るいうちから居酒屋に入り、他愛のない話をする。それはそれで楽しかったのだけど、夜になってさらにひとり減り、僕は残った友人と二人、途方に暮れた。途方に暮れた人間が向かうのは決まって新宿だ。僕は友人と沖縄出身のママが営んでいる二丁目のバーに入り、全島エイサー祭りの映像を見ながら歓談。勢いのついた僕らはそのまま二軒目へ。僕はそこでチンチンを触られ、見送りに出てくれたママには胸を揉まれた。今となっては、あれはあれでいい花見だったと思う。

 

チンチンを触られる、で思い出したが、最近AVの『凄テク』シリーズをよく観ている。『凄テク』シリーズとは『〇〇の凄テクを我慢できたら生★中出しセックス!』のことである。AV女優が素人に声をかけ、あの手この手で射精を促すのだが、それを十分間堪えられると生中出しセックスしなくちゃならない、というクレイジーな企画だ。僕は企画物があまり好きじゃなくて、どれだけ安っぽくてもドラマ仕立てにして欲しいという「うるさ型」なのだけど、この企画に関しては面白いので大好きだ。何が面白いのかというと、女優の様々な表情を見ることが出来るからだ。ある女優はなかなか射精させることができない焦りから次第に不機嫌になっていく。つばがもう出ないからローションをよこせ、とスタッフに言ったり、一言も喋らず無表情のまま単調な動きで萎縮したポコチンをシゴき始めてしまうなど、なかなかにスリリングだ。こうした女性側の焦りがチンチンをいじけさせるという悲しいすれ違いが、ありのまま記録されていているので胸を打つ。その一方で、最後まで余裕を絶やさず、エロくあろうと努めるプロフェッショナル型の女優は、次々と男どもを射精させていくので、それもまた興味深い。「どう触れるかではなく、どうムードをつくるか」という真髄が拝め、非常に学びがある。

 

そんなこんなで昨日は悪酔いをしてしまい、夜はずっと気持ちが悪かった。もう酒は飲みたくないと思った。それでも、半ば無理をして向かったサイゼリヤでクラムチャウダーをふた皿平らげたら治った。この世界にはもっと温かいスープが必要なのだ。だから僕らは春を待つ。今月中に『アシュラ』と『クーリンチェ少年殺人事件』と『哭声/コクソン』と『キングコング:髑髏島の巨神』を観る。桜が咲けば花を見る。気分が乗れば酒を飲む。ネガティブに構う時間を蹂躙しよう。違うか相棒。

 

 

P.S.

『凄テク』シリーズで「最後に抜いたのはいつか?」と聞かれた男どもの言う「3日前」は絶対嘘

 

 

 

 

自宅鑑賞映画(2017年2月編)

特集

 

マップ・トゥ・ザ・スターズ』(2/2)

Twitterでフォローしている人のその年のベスト1だったので鑑賞。

 

座頭市物語』(2/2)

Amazonプライムビデオにて、なんとなく目に入ったので鑑賞。

 

『Mr.タスク』(2/3)

前々から気になっていたので鑑賞。冒頭の『キル・ビル・キッド』、結構ドキッとした。

 

ジョン・ウィック』(2/3)

Netflixにて再鑑賞。ジョン・ウィックをヨイショするシーンのせいか、意外とテンポが独特。 

 

ジュラシック・ワールド』(2/4)

 『マグニフィセント・セブン』でクリス・プラットにハートを奪われたので鑑賞。身体の分厚さがたまらない。 『ジョン・ウィック』との共通点として、主人公が腕時計を文字盤が手首の内側に来るようにつけている。クリプラは海軍出身、ジョン・ウィック海兵隊上がりという設定なので、そういう文化があるのかも(銃を構えていても確認しやすいから?)。

 

『死霊高校』(2/7)

面白い!!!上手いホラーはカッコイイ。

 

メメント』(2/7)

映画飲みでノーランの話になり、近作にあまりのれなかった方々がこれは面白いと言っていたので鑑賞。

 

『灼熱の魂』(2/8)

ヴェルヌーヴにハマった二年前ぶりの鑑賞。初鑑賞時は「長い映画」だという印象を受けたけど、改めて筋を知った上で観ると、画面から片時も目が離せない。

 

JSA』(2/10)

パク・チャヌクの作品、そういえばこれ観てなかったなと思い鑑賞。最高。こんなにも切ない仕事サボリ映画があるか。

 

GANTZ:O』(2/24)

Netflixの配信が早かったので鑑賞。『GANTZ』のいいところが詰まった90分。芸人の声優もことごとく良かった。

 

トリプルX ネクスト・レベル』(2/24)

トリプルX:再起動』というめちゃくちゃ面白そうな映画が公開するということで、肝心の二作目未見じゃ挑めないだろうとレンタル。アイス・キューブ主演で監督はリー・タマホリ。最高。僕の好きだった時代のアクション映画って感じ。マズルフラッシュと弾着がCGじゃないだけで嬉しい。なにげにロジカルなアクションでやりあうのも良い。話はここ最近の『ワイスピ』。いいとこばっかり。

 

雨に唄えば』(2/26)

『ラ・ラ・ランド』があまりにも退屈で、ミュージカル映画リテラシーがないからでは?と思っての鑑賞。めちゃくちゃ楽しい。大好きなジャッキー映画のルーツを見た気分。急に歌って踊り出すってのは「作劇上の大きな嘘」であって、だからこそこれだけ華やかに派手にかっちりとしたやつこそ観たい。初めて『マトリックス』のカンフーシーンを観たときのヌルっとした感じ、それこそが『ラ・ラ・ランド』への感触に近いかも。ジーン・ケリーの動きはさすがにすごすぎる。

 

 『ジャージー・ボーイズ』(2/26)

『ラ・ラ・ランド』へのリベンジ二本目。鑑賞は二度目。ミュージカル映画ではない。が、カーテンコールの至福は相変わらず。話の筋が一通り分かった上だったのか、今回は初回よりも楽しかった。ラッキーピエロハンバーガーが食べたくなる。あと『ラ・ラ・ランド』、たぶんミュージカルリテラシーの問題じゃないと思う。ただの好き嫌い。

 

 

 

 

計13本!

 

 

 

 

殺人鬼+殺人マシン/『クリミナル 2人の記憶を持つ男』

映画

 

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『クリミナル 2人の記憶を持つ男』を観た。監督は『THE ICEMAN/氷の処刑人』のアリエル・ヴロメン。脚本は『ザ・ロック』のデヴィッド・ワイズバーグ&ダグラス・S・クック。僕はとても勘がいいのでしょうか。この時点でなんだかゴキゲンな気がしていたのです。

 

あらすじ

ロンドンでCIAエージェント(ライアン・レイノルズ)が殺害される。彼はテロリスト(ジョルディ・モリャ)に追われるハッカーマイケル・ピット)を保護しており、その隠れ家を知る唯一の存在だった。テロリストの狙いは、ハッカーが開発した核ミサイルを遠隔操作できるシステム。一刻を争うCIA(ゲイリー・オールドマン一同)は、記憶移植手術を研究する博士(トミー・リー・ジョーンズ)を呼び出し、凶悪な死刑囚ジェリコケビン・コスナー)にその記憶を移植する人体実験を実行させる。エージェントの記憶が保たれる48時間以内にハッカーを捜すよう命じられるジェリコだったが、あまりにも性格が凶暴だったため、護送中に逃亡、シャバでの自由を謳歌するのであった……

 

ジェリコという男

ケビン・コスナーが凶悪な男を演じる映画といえばあの『スコーピオン』が思い起こされます。エルビス・プレスリーを愛してやまない異常者がカジノを襲撃するも、仲間に金を持ち逃げされたのでひたすら暴れ回るというゴキゲンな映画。ということで今作でケビンコスナーが演じるのは死刑囚、その名もジェリコ。なにをしてきたのかはぼんやりと語られる程度ですが、話を聞く限り大勢の人間を殺してきたらしい。その凶悪さを買って勧誘に来たギャングまで惨殺しているとのことなので、その見境のなさたるや、超危険人物であることは確かです。彼は激情型のサイコパスで、善悪の区別がつかないばかりか、自らの行動の結果を予想することもできない。いくら死刑囚とは言えそんな男に大事な記憶を移すなよ!と一瞬思いますが、彼は幼少期に父親からの虐待で頭部に怪我 → その後遺症で前頭葉が未発達 → 他者の記憶を植え付けるための余地が残っている、という物語上のロジックがあるので一安心。こういう一言があるのとないとじゃ没入度も変わってくるので嬉しい限りです。

 

今作においてジェリコはまさに「獣」。街に繰り出せばろくなコミュニケーションも取らずに暴力と略奪を繰り返すのみ。しかしそんな彼の脳内では移植されたCIAエージェントの記憶が徐々に蘇り始め、いままで感じたことのない感情の芽生えさせるのでした。暴言を吐いた直後に謝罪の言葉が口をついて出るなど、野蛮な行為にも歯止めがかかってしまう。しまいには一度も会ったことのない「妻」や「娘」に対する愛情まで芽生えるのだから、サイコパス的には大混乱。こういった「怪物に人間性が宿る」という普遍的なコンセプトが、ケビン・コスナーの疲弊の滲む顔にはよく似合っています。厚手の服を重ね着しているので、どことなくひょうきんな熊さんのようにも見えてきますね。

 

でもちょっと待った。せっかく野蛮なサイコパスだったのに、優しい心を手に入れたら面白みに欠けるのでは?そんな懸念が浮かんできたかと思います。でもだいじょうぶ!移植された心優しい記憶の持ち主は、とはいえCIAのエージェントなのです。言うなれば訓練を受けた殺人マシン。ジェリコの戦闘力はむしろ向上し、持ち前のバーバリズムと移植された戦闘スキルの合わせ技で大暴れを見せてくれます。手にとった家具や手斧で敵を滅多打ちにするそのファイトスタイルは、近年の韓国映画に見られるバイオレンス描写を彷彿とさせるほどリズミカルで重く、それがまた心地いい。ほとんどミョン社長(『哀しき獣』)です。殺したばかりの死体に向かって「ウアー!!!」と叫んで見せるところも最高。銃を手にすればテキパキした動きで発砲。お得なキャラクターだなあ。

 

作り手の真摯さ

キャラクターだけではありません。この映画は、エンターテイメントを丁寧に作り上げようという真摯な思いに溢れています。まず銃声がでかい!銃が怖くないと盛り上がりませんからね。さらに弾着効果も妙にこだわっていて、頭を撃たれたキャラクターの後頭部からビロビロの塊がぶら下がるのが一瞬見える。そんな細かい描写はなくても支障はないはずのに、それでも入れてくれる優しさ。さらに魅力的な女殺し屋も登場。丁寧な演出の中にケレン味も忘れない、その精神が実に大人です。銃とか弾着効果とか殺し屋とかそんな話ばかりしてますが、そういった点に目を向けられるほど大枠の物語に身を委ねられる土壌がある。そんなところが胸中を温かくしてくれます。

 

豪華キャストの共通項

ということでたいへん楽しい映画だったのですが、さらに重要なポイントがあります。ここからが本題といっても過言ではありません。というのもこの映画、キャストがとても豪華で、「知ってる!」顔が勢ぞろいしているのです。それもそのはず、ここ十年で大変な盛り上がりを見せているヒーロー映画出演者たちが、これでもか!と出演しているのです。以下、一覧!

 

ケビン・コスナージェリコ

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『マン・オブ・スティール』の父親(地球での)

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ライアン・レイノルズ(殺されたエージェント)

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デッドプール』のデッドプール

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ガル・ガドッド(エージェントの妻)

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ワンダーウーマン』のワンダーウーマン

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ゲイリー・オールドマン(CIAロンドン支局長)

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ダークナイト』シリーズのゴードン

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トミー・リー・ジョーンズ(博士)

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キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー』の大佐

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ジョルディ・モリャ(無政府主義者

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アントマン』でプレゼンを聞いていた人

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アンチュ・トラウェ(ドイツ軍出身の殺し屋)

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『マン・オブ・スティール』のファオラ

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スコット・アドキンス(CIAエージェント)

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ドクター・ストレンジ』のカエシリウスの部下

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詳しく探せばもっと出てくるかもしれません。それだけ現在の映画業界におけるヒーロー映画が利かせる幅が広いということでしょう。

 

 

ということで『クリミナル 2人の記憶を持つ男』は、見所多い快作でした。唯一言いたいことを挙げるとするならば、スコット・アドキンスのアクションシーンが一切なかったところでしょうか。とはいえ、物語上その必要性を感じる場面は特になかったので、ストレスになるというわけでもないと思います。本作の脚本を担当したダグラス・S・クックさんは2015年に亡くなられています。エンドロールでは本作が追悼の意とともに捧げられていました。面白い映画をありがとうございます。R.I.P.

 

 

 

歌と踊りと覚めない夢と

日記 映画
 

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『ラ・ラ・ランド』を観た。IMAXで。思いのほか心踊らない。スクリーンじゃみんな踊ってるのに。勃起しないおチンチンに、泣きながら「おい!」と怒鳴りつけた夜のことが蘇る。ミュージカル映画との相性が悪いのかもしれない、という疑念に沈痛しつつ帰宅。
 
ミュージカル映画に明るくないため、「これまでのハリウッド(ミュージカル)史に捧げる」という視点が持てない僕は、この映画を「夢を見る二人」の物語として鑑賞することにした。ここでいう「夢」とは、ざっくり言うとハリウッドでの成功のことだ。でもあのエンディングを見る限りでは、これは違う視点の話のように思えた。あの2人の愛の物語なのだ。彼らの間には覚めない夢のような愛があって、それはラストのあるシークエンスで彩り豊かに描かれている。あそこは演出として大好きなタイプのものだったので、うるっとはきた。でも全体的に、よくわからない映画だった。本当にわからない。どうしよう。感情がポンと抜けるような瞬間に、ついには出会えなかった。
 
歌って踊り出す、というのは僕にとっては「作劇上の大きな嘘の一つ」という認識なので、変に文脈に沿ったりせず、空気が渦を巻くくらい盛大にやってもらった方が楽しいはず、と思う。どうせ歌って踊るのであれば、文脈を蹴散らすくらいにやってほしい。今回、それを感じられたのはそれこそ冒頭のハイウェイでのシーン。あそこは、そういう意味でワクワクした。
 
こうなったらミュージカルリテラシーを向上させてみるぞ!ということで、『ラ・ラ・ランド』鑑賞翌日に『雨に唄えば』を借りてきた。めちゃくちゃ面白い。ジーン・ケリーの歌唱力、及びダンスのスキルに愕然した。演舞であり、演武でもあった。ファンの女の子から逃げるために車を台にして路面電車の屋根に飛び乗り、そこから反対車線の走るオープンカーに飛び移るシーンなんて、それこそ個人的な映画の原初的な喜びであるジャッキー映画そのものだ。なるほど、ジャッキー・チェンジーン・ケリーが好きだったんだろうな。自分の愛するもののルーツを目にした僕は感動した。『シャンハイ・ナイト』のマーケットでのシーンなんて、ジャッキーからジーン・ケリーへのリスペクト溢れるオマージュじゃん、と遅ればせながら気づくこともできた。なるほどなるほど。ミュージカルリテラシー……アップ!!!!!
 
続いて『ジャージー・ボーイズ』を観た。ミュージカル映画、というわけではなかったけど、あの最高のカーテンコールシーン。ああ、なんて幸せなんだ。みんなが歌って踊っている。感情が昂ぶる至福のシークエンスだ。幸せ。そう思う僕は、同時にほかの映画のことも思い出していた。『ハッピーボイス・キラー』だ。
 
『ハッピーボイス・キラー』のアレをミュージカルと呼んでいいかに関しては判断しかねるんだけど、一応歌って踊っていたのでここに挙げておく。それこそ先述していたように、文脈を超えた形で歌って踊っていた。あの飛躍によってしかもたらせられなかった幸せな光景には号泣した。また観たいな。大好きな映画だ。
 
『ラ・ラ・ランド』に戻ろう。オマージュ元も、すべてではないが「なるほどね」と思える部分も出てきた。とはいえジーン・ケリーを観たあとだと、どうしても『ラ・ラ・ランド』の動きは『マトリックス』のカンフーシーンみたいに感じられてしまう。なにかが飲み下せたような気がした。なるほど、『ラ・ラ・ランド』はミュージカル版『マトリックス』なのかもしれない。
 

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みんなが踊っている。
力がみなぎってくる。
 
 

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なにはともあれ、またいつか機会を見て『ラ・ラ・ランド』を鑑賞したいと思う。待ってろ!『ラ・ラ・ランド』!その日を迎えた俺の、ミュージカルリテラシーを舐めるなよ!!!
 
 
P.S.
あと『ラ・ラ・ランド』、アカデミー作曲賞美術賞、撮影賞、歌曲賞、監督賞、主演女優賞受賞おめでとうございます!!!ステージの端の方に立っていたゴズリングが最高でした!
 
 
 
 

見たい夢を見る(長門有希編)

日記

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夢をみていた

『ラ・ラ・ランド』日本版キャッチコピー

 

 

一度だけ、 見たい夢を見たことがある。

 

大学一年の頃、『涼宮ハルヒ』シリーズにどハマリした僕は、その中でも特に対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェース(これを早口で諳んじるレベルでハマっていた)の「長門有希」にお熱。彼女は読書家という設定で、アニメ版では毎回長門有希が実在の本を読んでいることも見所の一つだった。中でも一期の実質最終回に位置するアニメオリジナル回『サムデイ・イン・ザ・レイン』において、彼女は阿部和重の『グランド・フィナーレ』と綿矢りさの『蹴りたい背中』を読んでいる。どちらも芥川賞受賞作ということで、この時期の長門有希ちゃんは芥川賞受賞作の消化期間中だったのかな?と推理した僕は、その日のうちに『蹴りたい背中』を購入。「にな川」というキモいアイドルオタクのことがどうしても気になってしまう主人公「ハツ」は、そんな彼の背中を見て「蹴りを入れたい」と思う。久々に読んだ『蹴りたい背中』は、そんな物語だった。その内容がどうしても長門有希ちゃんの心を代弁するかのようないじらしいものに思えて仕方がなくなった僕は、興奮の坩堝にダイブ、休憩を挟むことなく一気読みした。最高の小説だった。これを読んで、棚に戻すことなく部室の机に置いておくばかりか、居眠りをするキョンの「背中」にカーディガンをかけて去っていく長門有希やん。破顔する僕はベッドに寝そべりながら「ちくしょうマジか~」と漏らし、後頭部をかきむしっていた。窓からは初夏のさわやかな風が入り込んできた。

 

そして夢を見たのである。僕は青々とした芝生生い茂る知らない民家の庭にいた。そこにはビニールプールがあって、SOS団のメンバーが水浴びをしている。ホースからほとばしる水が陽光をキラキラと反射させている。最高の、夏の景色。その中で長門有希は、いつも変わらぬ無表情とアニメでも着ていた水着姿で、他の面々と水を浴びている。僕は彼女を性的な目で見ているわけではないので、その姿にやや気恥ずかしさを覚えるものの、僕はその夢の中において、恐らく登場人物の一人ではない感じだった。そんな実体のない、幽霊のように彷徨うだけの視点として目の前の光景を慈しんでいた自分だったが、不意に長門有希がこちらに向かって近づいてくる。彼女には僕が見えているのかな、やっぱり宇宙人だしそういうのもアリなんだろうな、と思う僕の腕を取った長門有希は、そのまま膝を付けと指示するように、腕を引いてきた。僕は当然のように芝生の上に膝をつくのだが、すると彼女は、どういうことか僕の背後に回り込むと、バン!と勢いよく蹴りを入れてきたのだ。前のめりに手をつく僕は、「これは『蹴りたい背中』だ」と思った。

 

目を覚ました僕は、冷めやらぬ興奮と同時に、どこか割り切れない想いを抱いていた。あまりにも直截的すぎて、夢の中ですら「そのまんまじゃん」と思っていた気がする。芸がなさすぎるあまり、貧しい気持ちになってきた。本当に欲しいもの、でも得難いものというのは、こんなふうに手に入れちゃダメなんだと思った。僕は人生における大事なことを、長門有希からの背中への蹴りで学んだ。

 

 好きなものを大事にしていきたい。僕は自分の好きなものをちゃんととっておき、ふとした瞬間に引き出しては、その色香に想起される記憶に触れたい。長門有希への好意にめまいを覚えていたあのころの僕は、函館の夏の匂いにつつまれていた。熱されたアスファルトの香り、釣具屋の磯臭さ、ひんやりとした夜気の爽やかな肌触り。僕はいつだって見たい夢を見ている。

 

 

 

 

過去にも 「夢」の話が出てくる日記を書いていたので貼ります ↓

『ぼくは勉強ができない』じゃございません

日記

 

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Sweet - Fox On The Run - Promo Clip (OFFICIAL)

 

 

全然勉強ができない。そのことについてここ数年、考えたり考えなかったりしている。おそらく僕の知能レベルもさる事ながら、性格にこそ大きく起因する話なんじゃないかと最近になってようやく思い至るようになってきた。僕にはすぐ人に話を合わせてしまう癖があって、それはかなりの悪癖で、いろいろな弊害が後になって一気に押し寄せ、曖昧な笑みや過剰な謝罪で対応するしかなくなる。そういう場面はこれまでにも何度もあった。わかったふりをしてしまうのだ。会話の全貌をいち早くつかみたいがために、多少の疑問や謎を流してしまう。全貌にたどり着いたところで、要点をスルーしているので結果「は?」となることが多く、相手も「は?」となる。そうなるともう殺し合いだ。そのせいもあって殺伐とした日々を送っているが、殺伐ついでに勉強もできないとなると、それはやっぱり嫌だ。ぜんぶナシはおかしいでしょ、ちょっとくらい与えてくれ、という思いが尽きることはない。

 

なぜ話を合わせる癖があると、勉強ができないのか、というと、もうそのまんまなんだけど、言葉や文章に対してもテンションだけを合わせてしまうのだ。ふんふん、なるほどなるほど、と頭では思ってはいても、それはいつもの癖からくるリアクションというだけで、なにも頭に残りやしないのだ。そういうことから、資格の勉強などをしようにも、いざ本番を迎えたところで「は?」となる。そんなこんなであらゆる試験には落ちてきたし、「成功体験の乏しい自分」だけが月日とともに強化されていくだけ。もう疲れました。『ぼくは勉強ができない』という小説でも書こうかな。

 

な~~~にが『ぼくは勉強ができない』だ、と大学時代、『ぼくは勉強ができない』 を読んだ僕は思った。函館にある、函館山が望める日当たりのいい部屋のベッドの上に寝そべる僕は、村上龍『69 sixty nine』 の方が断然好きだったのだ。『ぼくは~』の方は、山田詠美の「私の理想のイケてるナマイキボーイ」感に、他の軟弱な男どもも見習いたまえ、という当てつけ臭さを感じ取ってしまい、鬱陶しくてたまらなかった。軟弱な男どもだからだ。一方で『69 sixty nine』の主人公だが、嘘つきで卑怯で軽薄ではあるものの、結局最後まで好きな女の子にキスひとつもできなかった。その一点だけとっても『エクスペンダブルズ2』の冒頭に登場する改造トラックくらい「なんだか」愛おしい。自分の感じた「なんだか」は蔑ろにしたくない。その感情こそ僕だけのものだからだ。当時の僕は、過ぎ去ったばかりの高校時代を振り返りながら、最高の男子高校生を描けるのはいったい誰なのかばかり考えていた。その一環として手にとった『ぼくは~』は苦手だった。主人公はぜんぜん馬鹿じゃなく、むしろ大人さえたじろがせるほど聡明なくせに、それなのになお、みんなに勝とうとばかりしている。端的に言えば全然ダサくないのだ。親父の金玉に帰れ。みんな慎ましくあるべき、だとは思わないので好き勝手やってもらって構わないけど、僕はちょっと遠くに離れておくね、ば~い。そんな小説だった。

 

そもそも男子高校生という生き物がダサくないはずがない。ブームを測る尺度としてすぐ登場させられる天下の女子高生がそもそも絶望的にダサいんだから、男子がダサくないはずがない。女子高生はダサい。おしゃれな服を着ていてもダサいし、髪を巻いてもすね毛剃っていてもダサい。男子はおしゃれしないし髪も巻かないしすね毛も生やしっぱなしなので言わずもがなダサい。極めつけは、ダサいダサくないに必死なところが一番ダサい。これがいわゆる「ダサイクル」というやつだ。石黒正数先生が『ネムルバカ』でそう描いておられた(いま調べたら「駄サイクル」でした)。

 

石黒正数先生といえば代表作である『それでも町は廻っている』 が最終回を迎えた。最終巻である16巻を読んだ僕はしんみり。ほとりちゃんの「夢への第一歩」を描くエピローグの加減が絶妙でとても良かった。あくまで「高校生活3年間」の話なので、大団円!!!すぎないあのラストもちょうど良かったと思います。だって人生はこれからも続くんだもの。

 

人生は続く。僕は勉強ができないし、往年のアイドルは線路に立ち入り、若手女優は出家、工作員が正男を暗殺する。余生にしがみつく生臭いクソジジイどもは、「かつての苦労」を盾に呪いの壁を築き続ける。レッドカーペットの染料はやつらの血で決まり。ニヒリズムを滅多刺しにしよう。僕はもう話を合わせるのをやめる。人との会話では否定から入るし、水だって差せば腰も折る。力ずくで自分の話題に持っていく。自分だけずっと喋る。そんな人間になるくらいなら、真面目に勉強したほうがマシ。

 

 

 

 

 

 

(*^^*) (*^^*) 

 

(ಠ_ಠ)

 

 

 

 

 

血にまみれたテメエ

日記

 

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気分が沈んだときはどうしたらいいんだろうと毎回気分が沈むたびに考えている。元気なときには実行できるようなことさえままならない。昨日は特にひどくて、とにかく何もしたくなかった。布団の上に横になっている時が唯一まあちょっとマシかなといった程度で、あとはずーっと得体の知れない倦怠感に支配されていた。いままでなら本や映画などに触れて気分の切り替えを図れたところだけど、昨日に関してはそれすらもできず、唸り声を上げながら本を開くも文字が像を結ばない。ページにぎっしり詰められた何百字もの記号をただ眺めているような茫漠たる心地。じゃあ運動だ。そう思い立ち上がって数分ぼーっとしていた。それからまた横になった。やっぱりいま最もしっくりくるのはこの体勢だな、と思ってひたすら臥褥。神経症に対する治療に森田療法なるものがあって、症状への囚われから脱してあるがままの境地を手に入れるため、ひたすら横になる、という治療段階が設けられているのだけど、なるほどこれは効果てきめん。なにもしたくなければなにもしなければいいのだ。変に細かい義務感を積み上げることで手に負えなくなっているのなら放り投げてしまえ。そう思っていたはずなのに、気がつくと寝相の問題か、腰などの骨ばった部分が痛いような気がしてきてもう無理。僕はその場で横になったまま「ふざけんじゃねえクソッタレ!」と叫んで、両足をピンと伸ばした。それから立ち上がり、焼きそばをつくった。焼きそばを炒めながらも、「バカ、この……バカが」と乏しい語彙力で罵倒を続け、不謹慎な行動が授ける高揚を借りて元気になれることを期待していたというのにどんどん胸が悪くなっていった。こんなふうにつくった焼きそばなんて食えるか!そう思って味見をしたら美味しかった。僕はお腹が空いていたのでしょうか。

 

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ところで今日はバレンタインデー。バレンタインデーといえば学生時代のエピソードトークだけど、僕自身これといった思い出はない。というのも、部活に入っていない人間は問答無用で弱者扱いされるド田舎で育ったので、意識すらせずに済むほどなにもなかったのだ。しかし兄がサッカー部だったこともあり、兄のもらったチョコレートを弟と一緒に頬張った経験は何度かあった。その当時から僕は思っていた。所詮、女に見る目などないと。

 

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土曜日、午前中に起床した僕は天気がいいので外出でもするか~と思いながらテレビをつけた。すると「王様のブランチ」がやっていた。相変わらず洒落臭いテンションだけど、それが妙に心地いい朝だってあるのも事実。白湯を飲みながら着替えることもせずのんびりテレビを眺めていた。すると、バレンタインデー前ということもあり、チョコレートのCMに出ている三人娘(広瀬すず土屋太鳳松井愛莉)へのブランチ・インタビューが始まる。うひょ~、こりゃいいぞ、と僕は思った。可愛い女の子が大好きだからだ。すると、ブランチのインタビュアーが、三人にそれぞれの名の書かれた札を持たせて「この中で一番モテるのは?」という質問をした。結果は以下のとおり。

 

広瀬すず → 【土屋太鳳

土屋太鳳 → 【広瀬すず

松井愛莉 → 【広瀬すず

 

これは穏やかじゃないぞ、と思った。僕は女の子同士が仲良くしている雰囲気は大好きだけど、垣間見える歪みは苦手だ。やっぱり嘘じゃん!という気持ちになるからだ。ここでインタビュアーは、広瀬すずに【土屋太鳳】と挙げた理由を聞いた。広瀬すずは「なんかもう、守りたいオーラ全開じゃないですか」と答えた。うるせえ。続いてインタビュアーはほかのふたりに対し、【広瀬すず】を挙げた理由を聞いた。まずは土屋太鳳が答える。「すずちゃんはメールがすごく可愛い」。インタビュアーはすかさず、それはどんな内容だったのか、と質問を重ねる。これには送り主である広瀬すずが答える。「お肉食べに行こうね、とか」。広瀬すず土屋太鳳両名爆笑。そのまま抱き合う。間髪入れずに番組は「ピコ太郎がジャスティン・ビーバーと共演を果たした」という内容のトピックへと移る。

 

本当にいいのかそれで。

 

松井愛莉が一言も喋ってなかった。すず&太鳳が盛り上がっていたメールの話題、それってもしかして、松井愛莉にはぜんぜん関係のない話だったのかもしれない。心なしか、表情も暗かった。土屋太鳳広瀬すずが仲良さげなのは誰の目にも明らかだが、その影に隠れてしまっていた松井愛莉の姿を見ていると、気が気じゃなくなってくる。僕は知っている。三人でいるときの、一人でいるとき以上の孤独を。「あ、ふたりは頻繁にメールし合う仲なんだ……」、「お肉食べに行く約束とかしてるんだ……」などと、あの場にまったく関係のないはずの僕は胸を痛めていた。広瀬すずのような人間は、確かにいる。言葉にはしないが、態度などによるあたりが強いA行動パターンの人間は確かに多い(A=aggressiveness)。しかしその一方で「無邪気さ」に身を委ねることで、周囲に対する配慮を欠く自分から目を背ける人間も許せない。僕はチャーハンのグリーンピースや酢豚のパイナップルに一度も怒ったことはないが、無神経な言動にあぐらをかいて気持ちのいい思いばかりしている奴を見ると、なんとかして邪魔をしてやりたくなる。いつかの自分を重ねているから……。土曜の朝から嫌な気分になった。その後外出した僕は缶チューハイを手に入れ、GUで790円の紺のスウェットを買った。バカ野郎が。気分は晴れなかった。

 

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じゃあ三人の中で誰が一番タイプなのか?と聞かれれば、広瀬すずと答えるだろう。それとこれとは話が別だからだ。広瀬すずは可愛い。生意気そうなところも魅力に転じている。出演作にも恵まれている。土屋太鳳はこのまま『まれ』とかいう最低な朝ドラで主演を張ったという過去だけを錦の御旗にしている場合ではないと思う。あ、でも『鈴木先生』があったか。ごめん。松井愛莉に関しちゃ、もっとごめん。『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』のドラマ版であなるを演じていたのは覚えている。でもいまとなっては飯豊まりえのほうが露出多いよね。ごめんなさい。本当にこんな話するつもりじゃなかったんだ。みんなに幸せになってほしい。

 

気分が上がらないときは雑誌などに乗っている有名人の対談を立ち読みすると元気が出る、ということに最近気がついた。たまたまそれで元気になれるってだけの日だったのかもしれないが、対談を読んでいると、自分もその中にまじって一緒に会話しているような気分になり、脳内で「人と会話」という実績が解除されるからだと思う。『文學界』2017年3月号に載っている羽田圭介村田沙耶香の対談が今月のオススメです。朝井リョウとは違い、村田沙耶香さんの発言に対して真摯な返答をする羽田さんが見所です。

 

 広瀬すず土屋太鳳のあの姿を、僕は忘れない。

 

 

 

 

書き下ろし短編:『白濁を耳に』

創作

 

「う、ゥウッ……グッ……アッ……!」

 

 その少年の放った声は、講義室の静寂にいとも簡単に飲み込まれてしまった。おれはすぐさま言葉を添えることはせず、肌を刺すようなこの沈黙をもって、彼自身に感じてもらうことにする。少年はひどい猫背姿で立ち尽くしたまま、浅い呼吸を繰り返しているが……。

「うん、ありがとう。みんなはどうだったかな? いまの彼の演技を聞いて、どう感じた?」

 いくつも並ぶ白の長机には、大勢の生徒が敷き詰めるように座っている。みながみな、自らの中にある感想を咀嚼するように口をつぐんだり、俯いたりしていた。中にはまじまじとおれの顔を見つめる者もいる。いい顔だ。おれはさりげない微笑みでもって応える。

「そこの君」

 鳴らした指でそのまま指し示すと、その女生徒は小さな声で「ふぇ……」と漏らし、横断歩道を渡る前のように、左右を確認してみせる。

「そう、そこの君です。ポニーテールでメガネの君。お名前は?」

「ひゃ、ひゃい、あのう……渡辺美莉亜と言います。あ! わ、わたし宮崎先生の大ファンで! 大宮ソニックシティのライブにも行って……」

 先程までとは打って変わって、生徒たちからはあたたかな笑い声が沸き起こった。少女は饒舌になっている自分から、はたと我に返り、頬を赤らめ俯いてしまった。

「ありがとう美莉亜ちゃん。とても光栄です。そんな美莉亜ちゃんに質問をひとついいかな。緊張しないでね? いまの彼の演技を聞いて、どんな状況が頭に浮かんだかな?」

「うう……じょうきょう……ですか?」

「うん。なんでもいいんだ。自由に、感じたままを答えてほしいんです」

 彼女はあごの先に指を当て、天井を仰ぐ。伸びた前髪の隙間から覗く眼鏡のレンズが、鈍い光を放った。

「ええっと……えー、なんだろ……戦場?」

 再びあたたかな笑いが起こる。どうやら美莉亜ちゃんは、このクラスの人気者のようだ。おれはついつい、この空間にいるかつての自分を想像してみた。

「なるほど! いいですよいいですよ。戦場?」

「は、はい……若い兵士がいて……そこは戦場で……お腹を怪我してる? そんな姿が浮かびました……」

「あ~。なるほどなるほど。彼は若い兵士で、お腹を負傷している。それで漏れた声がさっきの田中くんの演技、ということだね?」

「は、はい……!」

 おれは手に持っていたメモ【勝気なヒロインに論破され、たじろぐ主人公】を教卓の上にそっと伏せる。

「いいですね~美莉亜ちゃん。まずね、想像力が豊か! これはとっても大切なことでね、豊かな想像力というものは演技にも活きてきます。いいですよ、ありがとう! じゃあ他には? 他にこんな情景が浮かんできたよ~というひと、いたら挙手をお願いします!」

 互いに顔を見合わせ、はにかむ生徒たち。その中の数名が遠慮がちに手を挙げる。素晴らしい。おれは長机の間を縫って歩きながら、「いいですね~いいですよ~、先生とてもやりがいがあります」と笑いを誘った。「じゃあそこの君! お名前と、浮かんだ情景!」

 

「えーと、花村拓人です。浮かんだ情景は……学園ですね。高校というか、そういう感じの。それで制服はブレザーで……あ、これも浮かんで……そのキャラの髪は黒でツンツンしていて、たぶんヒロインからはウニとかそんな感じのあだ名で呼ばれているキャラで――」

 

「石田輝留と申します。わたしも学園が浮かんできました。あとはそうですね、わたしの場合この主人公にはドSな親友がいてたぶん小学校のときからの関係で、あ、関係っていっても変な意味じゃなくいや変な意味でもいいんですけど――」

 

「リドル昌也っす~。あ、そうっす、一応ハーフっす~。自分の場合はアレっすね~。一応最初は学園ものなんすけど、一応ヒロインをかばって事故で死んで異世界に転生したばかりの一応主人公なんすけど、実は意外と一応適応力のあるキャラで――」

 

 気がつくと浮かんだ情景ではなくキャラ設定の妄想を発表する時間となっていた。おそらく一人目の渡辺美莉亜を褒める際に「想像力」というワードを意識して使用したがために、その言葉がみんなの頭の中でひとり歩きしてしまったのだろう。

 未だ教卓の横で猫背のまま立ち尽くし、自分の演技への感想はおろか、各々の勝手な妄想を聞かされている田中くんの気持ちを思うと、不憫で仕方がない。ここで一旦空気をリセットしなければ。特別講師としての腕が試されるときだと思った。

「はい! みんなありがとう! 今年の新入生は想像力が豊かな人ばかりなんだね。はっきり言って先生、驚いてます。先生が通っていた時よりもすごいです。はい。それはそうと! 先ほど田中くんに演じてもらった演技のお題なんですが、ここで改めてね、答えを発表しようと思います。じゃあここは田中くん本人の口から、与えられていたお題の発表、お願いできるかな?」

「え……あ、はい! お題? は、はい!」

「じゃあ……お願いします!」

「う、ゥウッ……グッ……アッ……?」

 再び静まり返る講義室の中心で、おれはかつて監督に何度もリテイクを求められた在りし日を思い出していた。

 

 

 

『劣悪少女隊ぱぴぷ@ぺぽ』の主人公・道明寺タカシ役での大ブレイクをきっかけに業界のメインストリームに躍り出たおれは、その後も勢いを落とすことなく若手声優界を牽引した。声優雑誌の表紙を飾り、メインパーソナリティーを務めたラジオ番組も大好評。デビュー当時からお世話になっていた先輩声優、冨樫桃華に気に入られていたこともあって、声優同士の交流を深める飲みの席にもよく呼んでもらっていた。

「ほんと、優翔くん、大物になったよねえ」

 ピクサー映画のメインキャラクターを演じることが決まった冨樫桃華が銀座のバーで開いた祝いの席にて、おれは彼女からそう言われた。周りにいる誰もが彼女の言葉に賛同し、おれの謙遜は瞬く間にかき消される。

「そんなことないですよ桃華さん。桃華さんの足元にも及びません」

「また~。前もそんなこと言ってたけど、すごいんでしょう? 若手男性声優と言ったら、いまや誰もが優翔くんの名前を口にする時代だもんねえ」

「いやいやいやいや。そうは言いますけどね桃華さん。今度のピクサーだって、メインどころはどうせ芸能人枠だからって誰もが思っていたところの大抜擢じゃないですか。天下のピクサーですよ。ぼく大好きですもん。『シュレック』とか」

「あはは~ほら~! すっかり口も上手くなってるし~! そりゃラジオも人気でるよね、わたしも大好きだもん」

「え! 桃華さん、ラジオ聴いてくださってるんですか?」

「実はヘビーリスナーなんです。うふふ。ラジオネーム【処女膜からやまびこ】。あれはわたしなんだよ」

「ま、マジで……え! うっわ、ちょ、待ってくださいよ、本当ですか桃華さん! まいったなあ……今後メール読むとき緊張しちゃいますよ~ははは」

「ねえ」

「あ、はい」

「桃華って呼んでよ」

「え?」

「桃華」

「…………桃華」

 その晩、おれと桃華はキスをした。

 だがそれっきりだった。

 その数日後、彼女のニャンニャン写真が流出したのだ。相手は、どっかのバンドのベーシストだった。

 

 おれは何日も酒に溺れた。あのキスは一体なんだったんだ。

 女とは。

 頭の中で渦巻く疑問の答えがそれであるかのように酒を煽り、店のトイレを汚し、ほかの客から顰蹙を買った。己の傷を見つめれば見つめるほど、自分がどれだけ冨樫桃華を尊敬していたのかを痛感した。たった一度のキス……その先に待っていたはずの……。おれは彼女相手なら、喉を生業道具とする声優にとって禁忌であるはずのオーラル・セックスだってしたはずだった。喜んでしたに違いない。いまだってしたい。したくてたまらない。オーラル・セックスがしたい。オーラル・セックスをすると、きっと楽しい。オーラル・セックスという救い。オーラル・セックスという秩序。オーラル・セックスという倫理。オーラル・セックスという茫漠。オーラル・セックスというなにがし。オーラル・セックスという……オーラル・セックスとは? スマホで調べてみる。「性器接吻」。オーラル・セックスとは性器接吻。オーラル・セックスこそ性器接吻。オーラル・セックスという性器接吻。

 性器オーラル・接吻セックス……。

 死すら覚悟していた。そんなおれを支えてくれたのは、同じラジオ番組でパーソナリティを務める新垣大輔だった。おれより五年ほど後輩だが、歳は三つしか違わず、人当たりのいい好青年。一人っ子のおれは、彼のことをまるで弟のように思い、接した。彼もまたこんなおれを慕ってくれた。

「宮崎さん、元気出してくださいよ」

 まだ出禁を食らっていない新宿のバーで彼と飲む。こんな場末で、ふたりの人気声優が酒を飲んでいるとは誰も思うまい。思う存分語らった。

「写真が流出……おれはね、大輔くん。この件に関してひとつ思うところがあるんだ」

「なんです?」

「なんでそんなものを撮るのだろう?」

「わかりますよ。ああいう人らは結局見てほしいんすよ。普通出て困るもの撮らないっすもん」

「やっぱり? まさか新垣くんも、撮ったりしてないよな?」

「撮るわけないです」

「彼女はいるの?」

「彼女はいます。これですけど」

 口の前で両手の人差し指を交差させる新垣大輔。なにはともあれ、人と会話をするだけでも、心の風通しは良くなった。

「大輔くん、ありがとう。乱暴に酒を飲むのも、今日で最後にする」

 しかしそうはならなかった。

 おれがやけ酒に溺れている間にも、着実に仕事をこなし、きちんと成果を出していた新垣大輔の人気は、瞬く間に手の届かない高みへとのぼってしまっていたのだ。

 

 

 

「みんな、実は先生、今日のために用意してきたものがあります」

 田中くんを席に戻したおれは一枚のCDをカバンから取り出す。

 みんながおれを見ている。

 おれも生徒ひとりひとりの顔を見つめ返した。

 呼吸は浅い。緊張している? この宮崎優翔が? 

 面白い。

 おれのすべてをかけたプロジェクト。

 その狼煙は、今日この場所で上がるのだ。

 

 

 

 新垣大輔の人気に疑問はない。甘いルックス。芯のある声。表現力豊かな演技。軽妙なトークに、時折出る地元関西の訛り。実際会って接していても、清潔感があり、いつもいい香りがする。肌だって綺麗だ。ヒゲなんて月に数回剃る程度なのだろう。ラジオの収録中に、トークのノリに乗じて抱きついたことがあるが……おっ勃った。男のおれでそうなのだ。彼と絡んだ女性声優に、女性ファンからの殺害予告が届くのも仕方がないと思えよう。それくらい、新垣大輔の人気に疑問はない。でも不満はある。おれだって人間なのだ。並べられた事実を、常に飲み下せるわけではない。そんな不満はラジオ番組中の態度に露骨に現れてしまった。ネットやSNSではおれの不機嫌そうな声色への批判が溢れ、大して年齢も離れていないというのに「老害」とまで言われる始末。

「おれが……老害……?」

 再び酒に溺れた。もうなにもかもをかなぐり捨てたくなった。

 そんなときだった。

 

「君、このまえもここで飲んでいたよね。オーラルセックスがどうのってずっとぶつぶつと言っていたから覚えているよ。悪い酒の飲み方をしている若者がいるな。そう思ったもんでね。いやなに、怪しい者じゃない。いまから名刺を渡すよ、ちょっとまってね、あれどこにやったかな、あったあった、ははは、しまった場所を忘れるとは……私はこういう者だ。話を聞いておいても損はないと思うよ」

 

 その初老の男は、栗原哲哉といった。プロデュースをしている、と言った。ぜひ仕事の話がしたい。栗原は微笑んだ。

「どうだい、宮崎くん。興味はあるかい」

 おれはバーボンを一気に飲み下し、グラスをカウンターに叩きつけるのと寸分違わぬ動きで首肯した。

 

 数ヶ月ぶりに、実家の両親へ電話。

「優翔? 元気かい? すごく活躍してるそうじゃない。母さん、もう年寄りだからさあ、あなたが出てる漫画とか……あ、ごめんなさい、アニメって言うのよね。ほんとうに疎くてねえ。でも頑張ってるんだってねえ。お隣のけっちゃん、もう高校生なんだけどね? あなたの活躍知ってるって。すごい人だって言ってたわよも~泣いちゃって私。あんたが定期預金を勝手に解約したときから母さん思ってたわよ。この子は大物になるって」

 母さん……。

「ほら、お父さんもちょっとは話しなさい。せっかく優翔が忙しい中電話くれてるんだから」

「ああ、はいはい。もしもし……優翔か? 母さんはああ言ってるけどな、父さんはあの日、お前のことぶん殴ってやろうかとも思ったんだ。ははは。でも父さんあまりにもショックでな、動けなくなったんだぞ。ははは。しかしそれがいまや……ああ、そうそう。この前のハワイな……良かったよ。ありゃいい場所だ」

 親父……。

 

 久しぶりに声優専門学校時代の友人、出川との食事。

「おれらの中じゃ、優翔が一番の出世頭だな。アニメも吹き替えも全部チェックしているぜ」

 出川は現在、製薬会社の営業をしているという。

「ところで覚えてるか、優翔。島崎純恋。いたろ、あのヤリマンだよ。あいつ結婚したらしいぜ。相手は戸塚だよ。講師の戸塚。子供が出来たんだってさ」

 おれは言葉を失った。

 今度、そこで特別講師をするよ。力なくそう伝えると、出川は自分のことのように喜んだ。

 

 真夜中にふと目を覚ますと、傍らには愛犬のアチャモがいた。

「あちゃもたん、パパですよ~。パパにちゅーは? ちゅー」

 普段からハウスキーパーに世話を任せっぱなしだったためか、顔のすぐ近くで激しく吠えられてしまう。なんて畜生だ。小型犬の鳴き声は、神経に障る。

「おまえだけは味方でいてくれよ!」

 ウィスキーグラスをフローリングの上に叩きつける。意外と頑丈なもので、割れやしない。ベッドから抜け出したおれは再びウィスキーグラスを手に取ると、改めてフローリングの上に叩きつける。ウィスキーグラスは甲高い音を立てながらフローリングの上を滑り、部屋の隅にそっと盛られてあった、出したてと思しきアチャモの柔らかな糞便にめり込んで音もなく止まった。おれはトランクス姿のままその場に崩れ落ちた。冷たいフローリング。言葉がない。漏れる嗚咽。

「ウッ……グウウ、クッ……ハッ……、ヌッ、グググ……ギイ……アッ、ンンッ……スウウウウウ、ヌハァ……アッ、ヌウウオッ、カッ……ハッ……ウッ……グウウ、クッ……ハッ……、ヌッ、グググ……ギイ……アッ、ンンッ……スウウウウウ、ヌハァ……アッ、ヌウウオッ、カッ……ハッ……ウッ……グウウ、クッ……ハッ……、ヌッ、グググ……ギイ……アッ、ンンッ……スウウウウウ、ヌハァ……アッ、ヌウウオッ、カッ……ハッ……ウッ……グウウ、クッ……ハッ……、ヌッ、グググ……ギイ……アッ、ンンッ……スウウウウウ、ヌハァ……アッ、ヌウウオッ、カッ……ハッ……ウッ……グウウ、クッ……ハッ……、ヌッ、グググ……ギイ……アッ、ンンッ……スウウウウウ、ヌハァ……アッ、ヌウウオッ、カッ……ハッ……ウッ……グウウ、クッ……ハッ……、ヌッ、グググ……ギイ……アッ、ンンッ……スウウウウウ、ヌハァ……アッ、ヌウウオッ、カッ……ハッ……ウッ……グウウ、クッ……ハッ……、ヌッ、グググ……ギイ……アッ、ンンッ……スウウウウウ、ヌハァ……アッ、ヌウウオッ、カッ……ハッ……ウッ……グウウ、クッ……ハッ……、ヌッ、グググ……ギイ……アッ、ンンッ……スウウウウウ、ヌハァ……アッ、ヌウウオッ、カッ……ハッ……ウッ……グウウ、クッ……ハッ……、ヌッ、グググ……ギイ……アッ、ンンッ……スウウウウウ、ヌハァ……アッ、ヌウウオッ、カッ……ハッ……」

 ふと、自らの嗚咽がある一定のリズムでもって繰り返されていることに気がついた。これも職業病というやつだろうか。悲しむことさえ演じてしまっているとでもいうのか。おれは自らの首を両手で掴むと、渾身の力で握り締めた。やめろ。やめてくれ。おれの本当の悲しみを返してくれ。おれはおれの悲しみを悲しみたいだけなんだ。

 気がつくと、ハウスキーパーのジョイさんがすぐそばにしゃがみこみ、その豊満な肉体で小さくなったおれの身体を包み込んでいた。

「Easy……easy……」

 耳元で囁かれる聖母のアンセムにおれは声を上げて泣き、やがて気を失った。

 気がつくと、閉め忘れていたカーテンの隙間から朝日が入り込み、泣き濡れた顔を照らしていた。

 おれはすぐさま栗原プロデューサーに電話をかける。

 

「ひとつ、企画案があるんですが」

 

 おれの反撃が始まる。

 

 

 

 

 

 

 学務担当者が用意してくれたラジカセに焼きたてのCDをセットする。

「これ、実はまだどこでもかけてないやつなんです。本邦初公開、ってやつですね」

 講義室内にどよめきが起こった。生徒たちは隣同士で顔を見合わせ、その興奮を共有している。

「といってもですね、これは曲――というわけではありません。みなさんがこれから学んでいく、プロの声優としての演技。その参考になるいわば教材というか、力になれるようなものを真剣に考えて作られたものなんです。ぼく自身、この専門学校であらゆることを学びました。当時の講師に言われたことは、今でもはっきりと覚えています。そんなぼくから、当時の自分に伝えたいこと。それを念頭において作りました」

 おれは再生ボタンに指をのせる。

 この音源の制作は難航した。自分にウソをつかない。それがなによりも譲れないルールだった。栗原プロデューサーとは何度も話し合った。時には衝突することもあったが、おれのこの熱意でもって納得させた。

「顔つきが変わったよ」

 徹夜続きの栗原プロデューサーは、濃いブラックコーヒーを飲みながらそう言った。

 過去の自分に戻れるうちは、人は変われない。

 

 そう信じてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 宮崎優翔の! 

『かんたんな感嘆』! 

 みなさんこんにちは。声優の、宮崎優翔です。今日は私宮崎が、声優を志す皆さんのために、様々な感情表現、いわゆる感嘆――の技術を、かんたんに紹介していきたいと思います(笑)。キャラクターに命を吹き込むのがぼくたち声優の、なによりの役割です。様々な感情を理解して、それを表現する術を身につけることで、アニメや映画、ナレーションなど、声優としてのお仕事で活躍することができるようになる……のかも(笑)?

 明日の主人公はテメエ自身!(©『劣悪少女隊ぱぴぷ@ぺぽ』)

  ってなわけで(笑)

 早速いってみましょう!

 

 

 生徒たちからは、自然と拍手が沸き起こった。

 

 

レッスン1 《基礎編》

 【驚き】

  「ンッなァ……?」

 【悲しみ】

  「グッ、うう、つうう……!」

 【喜び】

  「ンッフッ……」

 【怒り】

  「ックゥ……!」

 【後悔】

  「アッ……」

 

 

 みな、息を呑むように音声に聴き入っていた。おれは腕を組み、いまの地位に身を置いてもなお学びに貪欲であるかのような体で、音声が流れるラジカセを細めた目で見つめ続ける。

 

 

レッスン2 《応用編》

 【ヒロインが急に着替え出したとき】

  「なッ……!」

 【屋上から望む街並みが燃え盛っていたとき】

  「な……ッ!」

 【父親が黒幕だったとき】

  「ナッ……!」

 【通学途中に見かけた美少女が転校生として教室に現れたとき】

  「ンッ……ぁ……?」

 【背後の写真立てが突然倒れたとき】

  「ンッ……?」

 【犬の糞を踏んだとき】

  「ヌぅッ……?」

 【腹を殴られたとき】

  「カッ……アハァッ、ハァ……!」

 【顔を蹴られたとき】

  「ヌハアッ! ッカァ……!」

 【腹部への攻撃で吐血したとき】

  「ッ……ポゥあ……カァッ!」

 【惨劇を目の当たりにして嘔吐するとき】

  「んグゥッ……ボロロロロロロロロロロ!」

 【拷問されているとき(我慢編)】

  「グッ……ウウウウッ! ヌウゥウッ!」

 【拷問されているとき(絶叫編)】

  「グァ、がああああああああああああああああああああああああああ!」

 【そのまま覚醒したとき】

  「あああああああああぁぁぁァァァアアアアアアアアアアアアアアア!」

 

 

 誰かが唾を飲み下す音が聞こえた気がした。いや、幻聴などではない。おれのプロとしての技術――そのレパートリーの豊富さや繊細な表現力に、誰もが荒肝を抜かれたような顔をしていた。

 そして内容はいよいよ、おれが最後まで決して譲らなかった、執念の賜物とでも言うべき領域へと突入しようとしていた。

 

 

レッスン3 《成人向け編》

 

 

 ざわめきが起こった。

「すげえ」

 誰かの漏らす声が聞こえる。

 

 

 【乳首を責められているとき】

  「ハッ……なアァ……!」

 【局部を触れられたとき】

  「クゥッ……!」

 【オーラル・セックスをされているとき】

  「アァッ……! アア! ハアッ……!」

 【オーラル・セックスをしているとき】

  「じゅるるるるるるるるるるるる!」

 【オーラル・セックスをしぶられたとき】

  「ンッ! ンーッ!」

 【初めての挿入】

  「アッ……ハァ……ァッタ……カイ……!」

 【ピストン中】

  「んはァ! んはァ! んはあッ……ウウウギモチィッ!」

 【絶頂

  「あ、やばい! やばいやばいやばい!」

 【絶頂

  「ゴメンナサッ……ッッッ……!」

 【絶頂③】

  「スッ、スゴィうわっ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ」

 

 収録した内容とは異なる音声に、おれは我が耳を疑った。たいへんだ。CDにキズが入っている? あるいはこのラジカセが古いのか。おれは平静を装いながら、しかし迅速にラジカセを小突いた。

 

「ワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッワッ」

 

 音の細かな反復はさらなる加速を見せる。今更ながら、なぜ用意できるものがラジカセだったのか、データファイルではなくCDなのかという疑問が噴出する。しかしここで焦りを見せれば、この状況が招かれざるものであることが生徒たちに周知されてしまう。彼らの神聖な学びの場において、その熱意に水を差す真似は許されるはずもない。

 再度、小突いた。

 

「ワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワア、ア、ア、ア、ア、ア、ウワウワウワウワウワウワウワウワウワウワウワウワWOWOWWOWOWWOWOWWOWOWWOWOWWOWOWWOWOWWOWOWワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワワウワウワウワウワウワウワウワウワウワウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ、ウ、ウ、ウ、ウ、ウワウワウワワワウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウワウワ…………

 

 

 講義室は、幾重もの声に包まれた。

 椅子から転げ落ちる男子。出口に向かって走っていた女生徒が彼にぶつかって転倒した。耳を押さえ悲鳴を上げる女生徒もいる。かばうようにして抱きしめる男子の姿も。絶頂時に漏れる声の断片が木霊するこの空間において、もはや平静を保てる者などだれもいなかった。まるで永遠に続くかのような……煉獄。そのリズムは限界まで加速していく。

 だが不思議なことに、おれの心は落ち着いていた。

 平穏、そのものだった。

 混沌に喘ぐ生徒たちのなか、自らの席に着いたまま、力強い眼差しでおれの顔を見つめている生徒がいた。その目には、うっすらと涙が浮かんでいるようにも見える。おれも彼の目を、その魂を見つめ返す。

 田中くんだった。

 おれは鳴らした指でそのまま彼を指し示す。

 彼は喉を隆起させたあと、迷いなく口を開いた。

  

 始めよう。

 おれたちの反撃を。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自宅鑑賞映画(2017年1月編)

特集

 

『続・男はつらいよ』(1/1)

 

仁義なき戦い』(1/1)

 

進撃の巨人 ATTACK ON TITAN』(1/1)

 

進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンド オブ ザ ワールド』(1/1)

 

スカイライン‐征服‐』(1/2)

 

イコライザー』(1/3)

 

ミスター・ノーバディ』(1/10)

 

『葛城事件』(1/11)

 

『白鯨との戦い』(1/14)

 

宇宙戦争』(1/14)

 

『ハイヒールの男』(1/15)

 

『スノーピアサー』(1/17)

 

江ノ島プリズム』(1/20)

 

ちはやふる 上の句』(1/21)

 

ちはやふる 下の句』(1/21)

 

県警対組織暴力』(1/31)

 

 

 計16本!

側臥位Netflix鑑賞期(森田療法)

日記

 

 

2017年となってはや1ヶ月が過ぎようとしています。むしゃくしゃはおさまるところを知りません。報われない努力。水泡に帰す時間。回らない頭。膨張する憂鬱。噛み合わない会話。潤わない財布。上がらないうだつ。殴りたいあいつ。殴れないあいつ。蓄積する殺意。いかない納得。半端な勃起。生半可な射精。無駄な責任。空回る正義。読めない文章。知らない制度。納める税金。バカの花金。わかない欲求。もたない集中。寄り添うスマホ。途切れるWi-Fi。床の陰毛。変わらぬ景色。無視せよ幸福。後悔は共有。下手くそ営業。似合わぬカラコンバカリズムの真顔。アイドルのリスカ。大学生。狂ったリーマン。朝井リョウ。生乾きのタオル。合わないシャンプー。生臭いリンス。濡れた靴下。顎関節の歪み。慢性的倦怠。無限のささくれ。動かぬ身体。聞き取れない台詞。不必要な考証。穴の空いた靴。したくない努力。水泡にキス。空っぽな頭。寄り添い型の鬱。すれ違う未来像。潤わない肌。増えない貯蓄。殴るべきあいつ。殴られるべきあいつ。ちょい漏れ殺意。いらない納得。軟派な勃起。断続的射精。無視しろ責任。下卑た正当性。下手くそ文章。ウザい制度。ほっとけ税金。バカのタマキン。くたばれ欲求。さよなら集中。ベタつくスマホ。途切れるやる気。国家の陰謀。体調の悪化。無視こそ幸せ。箱入り後悔。もういい営業。若さの前借り。バカリズムの笑顔。色白アイドル、虚弱商法。梅毒学生。頑張れリーマン。朝井の悪ノリ。捨てるべきタオル。新しいシャンプー。甘いリンス。臭わない靴下。歯列矯正。枯れない性欲。春の訪れ。軽い身体。胸打つ台詞。正確かつ物語を停滞させない考証。新しいスニーカー。2017の幸先。

 

 

 

 

 

 

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阿ッッッ!

 

 

 

 

 

 

ベストノーマライゼーションムービー/『ザ・コンサルタント』

映画

 

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あらすじ

天才的頭脳を持つ会計士のクリスチャン・ウルフは、依頼を受けた大企業の会計監査で重大な不正を発見するが、直後、仕事を打ち切られ、命を狙われる。だが、クリスチャン・ウルフは最強の殺人マシンでもあった(ので安心)。

 

 

自閉症スペクトラム障害とは

主人公のクリスチャン・ウルフは自閉症スペクトラム障害アスペルガー症候群であったり、高機能自閉症などと呼ばれているものなどを統合した概念として「自閉症スペクトラム障害」というものがあるのだと思ってください。簡単に言うと「知的発達の遅れを伴わない自閉症」といったところでしょうか。「高機能」な自閉症ということなので、その言葉のニュアンスに関しては色々な議論がなされていますが、本来、自閉症知的障害を伴う確率が高いものとされているため、便宜上そう呼ばれているのだと思います。主な特徴として、コミュニケーションにおいて相手の気持ちを想像することが苦手だったり、同一性や反復する行動への強いこだわりなどが挙げられます。 程度の差はあれ、僕らの身の回りにも割といます。僕自身、自分がそうじゃないとも言い切れない、くらいのありふれたものだと思っています。

 

www.mhlw.go.jp

 

 

そんなクリスチャン・ウルフは、ジグソーパズルを絵柄のない背面だけを見て完成させたり、大きな数字の暗算を一瞬で行ったりと、天才的な頭脳を持つ反面、コミュニケーション能力に大きな問題を抱えていました。一度始めたことを完遂できないとパニックに陥り、パニックに陥ると周囲のものを破壊。彼を理由とした夫婦間の不和から母は家を出ていき、軍人である厳格な父からは「厳しい環境でも生きていけるように」と、虐待レベルの教育を受けて育つこととなります。ここのところは『キック・アス』のヒット・ガールですね。顎の割れた巨漢のヒット・ガールです。

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今年の暫定ベスト1!

劇場鑑賞はじめとして選んだ今作ですが、結論としてとても面白かったです。まだこれしか観てないんですけど、すでに今年ベストな気持ちですらいます。ものすごく完成度の高い映画、とは別に思っていませんが、胸中に明かりが灯るような、そんな優しさにあふれた映画だったように感じました。

 

合わせられない目線、指先に息を吹きかける癖、3つずつで構成された食事、噛み合わなくなると「冗談だ」で誤魔化す会話術、ぎこちないつくり笑い、「挙手」での挨拶。目の前に転がる生きづらさへの対処法を丸暗記して乗り越えようとしている主人公の描写の数々は、観ていてたまらないものがあります。そんな彼が毎晩振り返るのは幼少期の思い出。主人公の声紋を調査したFBIの分析官が「トラウマのある子供に見られる特徴」みたいなことを言うシーンがありましたけど、自閉症スペクトラム障害の子供は周囲とのズレから生じるストレスの影響からトラウマを抱えることがとても多いと言われています。これはそんな男の物語なのです。

 

幼少期に叩き込まれた武術がシラットというところも良かったと思います。監督のギャヴィン・オコナーのインタビューによれば、「効率的であり華やかでもある」ことが主人公のキャラクターに合うと思ったそうで、なるほど。ああいう父親が息子を連れてアジアに向かう感じも、なかなかリアルな気がしました。ヨーロッパ圏よりも、断然アジアに行きそうですよね。偏見ですけどね。

 

ガンアクションも良かったです。テキパキした正確な動きで確実に息の根を止めていくスタイル。数字に強い男らしくスライドストップ前にマガジンをこまめにチェンジするなど、キャラクターらしい戦い方の演出もされていたと思います。これ見よがしには描いていませんでしたが、相手が撃っている最中などにも残弾をカウントしているような「待ち」を見せていたように思います。心憎い。

 

 

 

着地点について

なかなか目まぐるしい展開の物語ではありますが、その着地点に関しては意見が分かれるだろうなという気配は感じました。僕はあの意表を突かれる感じがかなり好きです。物語的にシビアに落とすことだってできただろうし、それを望む声だってわからいじゃない一方で、あの展開には強く胸を打たれました。「ありがとう」という気持ちでいっぱいです。さらに最後の最後にも、この物語がどれくらいの「規模」で進んでいたのかが判明するある展開が待ち受けているのですが、そこでまた「ありがとうございます」という気持ちがこみ上げてきました。なんてノーマライゼーション精神溢れる映画なのでしょうか。また、ギャヴィン・オコナー監督の前作でも描かれていたような、「母の不在」を前提とした「父との関係」も顕著に現れていたと思います。本筋には大きく関わってはきませんが、障害者自立支援施設のあの人もまた「父」であると同時に、その奥さんの姿は最後まで現れません。鑑賞後に振り返ってみると、あの人の過去に関しても想像が膨らみます。

 

僕は物語における温度の高い部分に共鳴できたとき、その作品が愛おしいものになると思っています。『ザ・コンサルタント』は作り手が見せた登場人物たちへの眼差しに打ち震えたという点でも大好きな作品です。

 

彼はなぜ世界の不正と戦うのか。主人公は一度始めたことを中断できない性格なのです。そんな彼の「道の途中」を描いた今作、僕は断然支持したいと思います。そもそもアクションがかっこいいし、ベルト使うとこなんて最高〜。

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 ↓ 監督へのインタビューです。

www.gizmodo.jp

 

↓ アメコミになったそうです。翻訳版がこちらで読めます

www.gizmodo.jp

 

 ↓ 日本プンチャック・シラット協会会長のコメントがあります。トレーニングって脛ゴリゴリのことかな

wwws.warnerbros.co.jp

 

 

 

 

書き下ろし短編:『蓬ヶ丘殺人事件』【後編】

創作

 

 蓬ヶ丘近辺で立て続けに三人の児童が行方不明となり、街が一気に騒がしくなる。各小学校では集団下校が実施され、いたるところで張り紙を見かけるようになるが誰ひとりとして見つからない。噂によると身代金の要求もないらしい。
 じゃあみんななんで消えたんだ。
 渡辺大地くんに続いていなくなったのは五十嵐輝介くん八歳で、自宅の庭で遊んでいたはずが忽然と姿を消してしまった。三人目の松本來未ちゃん七歳は、通っていた水泳教室の帰りにいなくなっている。貼り紙の種類が増えるたびに報道も加熱していき、ぼくたちはこのニュースの続報を待つようになるけど大きな進展は見られない。たぶん次もあるんだろうなと、なんとなく思う。
 いや、それってかなりやばいけど。
 亜矢子は立てた膝に口を押し付けながらニュースを眺め
「こんなんばっかりだね」
 そんなことを言ったりする。
 もしかして晴空くんのことを言っているのかなと思うぼくは「うん」としか言えない。別に同意しているわけじゃないけど、それ以外なにも浮かばない、というよりも、意味のあることを口にするのがちょっと怖い。
「わたしの親のこともそうだけど」と言う彼女は訥々と、しかししっかりと言葉を選んでいる。
「晴空のこととか、中学でのこととか、話したよね」
「うん」
「小六のときも……これは初めて人に言うのかな」
 あ、マジか。ぼくは伸ばしていた脚を折り曲げて抱いた。
「学校からの帰り道、声かけられたの。高校生だと思う」
「男?」
「うん。抱きつかれてさ」
「やばいね」
「うん。でも逃げられたんだ。声は出なかったけど暴れたら大丈夫で」
「そいつはどうなったの」
「しばらく走って振り返ったら、まだ同じところにいるの。ただ立ってこっちを見てるんだけど、わたしがまた走り出したらそいつも反対側に走ってった」
 ぼくはついどうでもいいことを口走ってしまう。
「死んでたらいいね」
「え?」
「そいつ」
 亜矢子はちょっとだけ黙ったあと首をかしげてはは、と笑う。
「で、ほかにも色々あるんだよね、こういうことって。なんかわたし、そういう経験多いの。だからなんか、またかって思う」
 ふたりして黙る。
 日が暮れてぼくは彼女の家からお暇する。玄関先まで出てきてくれる亜矢子は、「明日体育あったっけ」と言う。
「あさってじゃない?」
「そうだった」
「うん、また明日」
 亜矢子は明かりの中へ消えていく。ぼくは彼女の話を思い出しながら、ちょっとだけ薄ら寒くなり、小走りで帰ることにした。呪われた呪われた言っているぼくだったが、本当に呪われているのは彼女の方なのかもしれない、なんて勝手なことを思うぼくは高校一年生で、頭の回転が死ぬほど悪く、どうしようもなく無知だった。
 ちょっと死にたい。

 翌日の学校で藤田から隣町で中学生が逮捕されたという話を聞く。公園でホームレスを襲い、意識不明の重体にまで追い込んだのだ。なんでまたそんな物騒な真似を! と思うぼくに藤田は続ける。
「そいつ中学の後輩なんだよね。そいつも野球部なの」
「知ってる人ってこと?」
「うん。そういうやつじゃないんだけど、ただちょっと心当たりもあるっちゃある」
「なに」
「五十嵐輝介って知ってるだろ?」と当たり前のように言われてぼくは困る。
「いや……」
 藤田が溜息をついたその瞬間ぼくはあ、と思う。
「いなくなった子?」
 逮捕された中学生の名前は五十嵐竜輝で、輝介くんのお兄ちゃんだった。五十嵐竜輝は弟を誘拐した犯人を捜し、弟がよく遊んでいた公園で休むホームレスを金属バットで襲ったのだ。
 嫌な流れが生まれている気がした。でも、そう考えること自体不吉な感じもあって、一刻も早くすべてを忘れたい気分にもなる。
 その日亜矢子は学校を休んだ。
 期末テストが近いということもあり、ぼくは藤田と一緒に図書館で勉強をする。図書館の表にある掲示板にも、行方不明になった三人の貼り紙が貼ってある。やっぱり誘拐なのだろうか? 街にはもう夏の匂いが充満していて、ぼくは久々に詰め込んだ知識を漏らさないよう足取りを慎重に家まで歩くことにする。帰る方向が反対の藤田は「誘拐されんなよ!」と言って手を振った。
「笑えねえよ」
「笑ってるじゃん」
「うるせえ、また明日」
 亜矢子はまた休む。
 送ったメールにも返事がない。
 唐突に人から嫌われるってことも、これからの人生で何度か経験することなのかも知れない、みたいな感じでまあ気にならない。といえば嘘にはなるけど、気にするのもなんだか癪で、ぼくはまた藤田を誘って図書館で勉強する。ほかのことを考えるよう専念するにはテスト期間もちょうどいい。とはいえ、なにか亜矢子に余計なこと言ったっけなあと考えてみるに、ぼくは基本余計なことしか言っていない気もするし、溜まりに溜まった不満が決壊でもしたのかもしれない。いや、違うかもしれない。もうわからん。ぼくはそもそも亜矢子の考えていることを上手に察せたことが、いままであったのかって話だ。
 で、噂をすればほにゃらららといった感じで、その夜彼女から返事が来る。
 ぼくは吐きそうになる。

 ああ、しまったと思った。なんでもっと一連のあれこれにムキにならなかったのか。心の距離を保ったのか。そしてぼくがそんなこと思ったところでなんの意味もないことも同時に思う。晴空くんがいなくなったその日、亜矢子は一日中晴空くんを捜して街中を回った。その翌日も。晴空くんが行きそうな場所、蓬ヶ丘の公園や、一度連れて行っただけのバッティングセンター、住宅街の暗渠をどこまでも進んで、とうとう亜矢子は晴空くんを見つけることができなかった。そしてぼくのメールに返事をし、事の経緯を大まかに教えてくれる。彼女のおばあちゃんは強いショックを受けていて、まともに動ける状態じゃないっぽいし、ぼくは学校が終わると速攻で彼女の家へと向かう。短パンにTシャツ姿の亜矢子が出てくる。
「ちょっと待ってね」
 ぼくはどうしてすぐに教えてくれなかったんだということを、どういうわけか聞けずにいる。その時間さえもったいないという気持ちがあるからかもしれない。
 これは誘拐だろうか?
 たぶんそうなんだろう。近い年齢の子供ばかり立て続けにいなくなっている。とはいえ身代金の要求は亜矢子たちの元へも一切ないらしいので、目的はもっと別なところにある。
 とにもかくにも早く見つけなきゃならない。
 二人で手分けして街を回る。なにか見つけたら携帯で連絡する。ずっと一緒に過ごしてきた亜矢子が手当たり次第捜索して見つけられないので、ぼくはもう心当たりゼロのまま直感に従って捜して回る。
 途方もない。
 ふと思いついたぼくは蓬ヶ丘団地に向かい、いつかのフェンス越しに双眼鏡を覗きこむ。ここからなら亜矢子の家周辺を一望することができる。無数の家、無数の家庭、無数の人。子供。
 亜矢子から電話が来る。
「いまどこ?」
「蓬ヶ丘団地にいるけど」
「そっか。もう遅くなるから、宮本くんは帰ってもいいよ」
「え、大丈夫だよ」
「ううん。警察も捜してくれているし、本当にありがとう」
 有無を言わせない感じの謝辞だった。ぼくはそのまましばらくベンチに腰掛けたまま夜に染まる街並を見つめ、家まで歩いた。長い坂道を下りながらふと後ろを振り返り、そびえ並ぶ蓬ヶ丘団地を見る。転々と灯る明かりのどれかから、誰かがこちらを見ているような気がして、ぼくはとにかく睨み返す。

 晴空くんは見つからない。

 大橋亜矢子の弟がいなくなったという話が学校でも広まり出し、藤田がぼくのところにくる。
「大橋のこと、おまえ知ってたか」
「おととい知った」
 藤田は「ああ」と言ってぼくの机に指先をのせながら目を伏せている。
「おまえも一緒に捜したりしてんの?」
「え?」
「大橋の弟のこと」
「なんでおれが」
「大橋は捜してるのかな」
「わからないけど、たぶん」
 藤田は指先で机をトントン叩き、「見つかるといいな」と言った。
「うん」
 亜矢子はまだ休んでいる。
 その日の放課後もぼくは晴空くんの捜索を行うが、行動もワンパターン化していき、空回っていることに自覚的になるのでつらい。どうすればいい? 改めてぼくは、もし仮に自分が犯人だとして、子供を誘拐するなら? と考えてみる。人目につかないところでサッと誘拐するなら、車があったほうがいい。誘拐するにあたってクロロホルムとかを使う場面を漫画なんかでよく目にするけど、実際どれくらいの効果があるのかわからないし、そういう薬品って手に入れるのもそれなりの手続きがいるんだろうし、犯人が仮にそういった記録の残る方法を選んでいたとしたら、それこそ警察がとっくに調べて犯人の目星をつけているはずだ。ぼくらには伝わってこないだけで、もう何人かに絞られているのかもしれない。それをただじっと待つのは苦しいから動いているわけで、本当に誘拐された子供たちとか犯人を見つけられるという気は正直あまりしない。いや、ほとんどしない。でもなにもしないでいるのも怖い。ぼくは晴空くんの声や動き、誰にどれだけ愛されているかを知っている。
 ぼくは今日も今日とて蓬ヶ丘団地を訪れる。長い坂を登ってたどり着くそこはすべてを俯瞰するにはうってつけの場所なのだ。
 それは捜す側のぼくだけじゃなく、誘拐する側だって同じはずだ。ぼくは蓬ヶ丘周辺の地図を広げ、誘拐された四人の子供たちが住んでいた家の位置に印をつけてみた。そして、警察はそう遠くないうちに犯人を逮捕するんだろうなと思う。これだけのペースで動いているんだから、誰にも見られていないってこともないんだろう。この風景の中にも、山ほど痕跡が隠れているはずなのだ。
 翌日、亜矢子は四日ぶりに登校し、数名の女子に囲まれる。彼女は眠そうな顔で、力ない愛想笑いを浮かべながら「うん、ありがとう」と繰り返している。
 ぼくはテスト勉強に集中するふりをしている。朝のホームルームが終わると、先生が亜矢子を廊下に呼ぶ。なにかを話している。やがて彼女は教室に戻ってくるが、自分の席には向かわずぼくの方に来る。
「もしよければなんだけど」
「え、うん」
「数学のノートかしてほしい」
 ぼくは亜矢子に緊張する。
「ああ、いいけど」机の中を漁りながら「ほかにもなにかいる?」と聞いた。
「ううん、ありがとう」
 学校であまり話したことがなかったからなのかと思っていたけど、それもちょっと違うような気がする。なんというか、亜矢子の表情や仕草というか、まとう空気というか、なにかが明らかに変わってしまっているような、そんな違和感をぼくは覚えている。
「大橋」
 と声がしてぼくと亜矢子が同時に顔を上げると、そこには藤田が立っていた。亜矢子はちょっとだけ目を細めながら「なに」と言った。
「おれの知り合いもさ、弟がいなくなったんだ。知らない?」
「同じ中学だった子だよね」
「そうそう。野球部の後輩だったやつ。捕まったんだけどね。公園でホームレス襲って」
 ぼくはふたりに挟まれ、それぞれの顔を見過ぎないよう、机の上のシャーペンを手に取ってノックする。芯の先を紙に当てるがなにも書かない。
「みたいだね」という亜矢子はぼくのノートを胸の前で掲げ、
「じゃあこれ、あとで返します」
 そう言い残し、自分の席へと去っていく。藤田があとを追う。あ、おいおいと思うぼくはちょっとだけ椅子をずらし、机から脚を出すけど立ち上がったりはしない。藤田は椅子に座った亜矢子の正面に回り、「なんであいつが襲ったかわかる?」と言った。
「ホームレスを誘拐犯だと思ったんだよ」
 シャーペンを制服の胸ポケットに入れたぼくはついに立ち上がる。なに言うつもりかわかんないけど落ち着けよ藤田。
「ごめんな急に。うざいし大橋も大変なときにこんな話して悪いとは思ってる。でもああいうことって意味ないし、まあ、あいつの場合はさらに人違いだったってこともあるしみんなを余計に悲しませることになったから、だから、ああいうことはやめてほしいって言いたかったんだよね。それだけだから。とにかく無事見つかるといいな、大橋の弟」
 そう言って藤田は亜矢子の机を指でトトトン叩いて踵を返す。
 その背中に向かって亜矢子が言う。
「意味はあるかもよ」
「え?」
「藤田くんの後輩がしたことは間違いだったけど、意味はあったかもしれないよ。警察がより警戒を強めるし、犯人側への牽制にもなったかも」
 藤田がなに言ってんの? という顔をしている。ぼくもしている。
「誘拐した人があの事件のこと知って、誰かがすごく怒っていることをようやく理解したかもしれない」
「いやそれは」
「そういう気持ちもちゃんと伝えなきゃ、だれもほかの人のことなんて想像してくれないかもしれない」
 空気の変化に気づいたみんなが亜矢子のことを遠巻きに見る。黙っていた藤田が言う。「でも、実際に意味なかったじゃん」
 それって結局晴空くんは誘拐されただろって意味? 売り言葉に買い言葉だ。空気の流れが早まる。
「藤田」ぼくは小声で言った。「もういいって」
 一時間目、現代文の先生が入ってきて、みんなが席へと戻る中、亜矢子はぼくのノートをめくり始める。あ、変な落書きとかしてなきゃいいなと思うぼくは、まだ心臓が痛いほど鼓動している。

 その日の放課後、よせばいいのに藤田が亜矢子に再度話しかけ、彼女がついに怒る。亜矢子に突き飛ばされた藤田は机と一緒に転倒し、止めに入ったぼくは彼女の二の腕を押すように蹴った。その日はずっと息苦しかったし、それは亜矢子を蹴ったところで変わるものでもなかった。
 飲み込まれてしまう。
 いや、もうとっくに手遅れなのか?
 ぼくは立ち上がった亜矢子とまた教室で取っ組み合う。まーたこれかよと思う。ぼくはもうなにもしたくない。亜矢子のことも殴りたくない。新しい呪いを受けとりたくない。藤田が謝りながらぼくたちふたりの間に入ろうとするが、亜矢子はもう誰の声も聞かない。ずっとずっと怒りを抱えてきた彼女が、とりつくろうことをやめってしまった感じがあって、じゃあぼくはどうすればいい?
 どうすれば。
 ついには涙をポロポロ流す亜矢子に対して、ぼくと藤田になにができたと言うんだ。馬鹿であることに半ば甘んじる幼稚なぼくたちは、はなから彼女にできることなんて何一つ持ち合わせていなかったんだよとネタばらしをされた気分になる。最低だよ。いやいや、気づかないふりをしていた自分たちがなによりも悪いのだ。あとこれはずっとそうだが、目の前で女の子が泣くともうそれだけでパニックになってしまう。亜矢子の笑顔はいつだって嘘っぽいのに、このとめどない涙は疑いようもない感じにしか見えなくて、ぼくはどんどん力が抜けていく。そのくせ胸の奥は固くなる一方だ。
 なにか言いたげな藤田を先に帰らせた。「ほんとうにごめん」と半べそのまま繰り返す様も見ていられなくて、ぼくは無根拠な「だいじょうぶ」を繰り返してしまう。「だいじょうぶなわけねえだろ」と言う藤田に、まあそうなんだけど、と思う。ぼくもめちゃくちゃ泣きそうだ。
 でも泣かない。ここで泣くのは空気を読む、みたいなものでそこに意味など微塵も含まれていないからだ。なにも言わずに出ていった亜矢子のあとを追いたかったけど、誰かが教室を片付けなくちゃならない。机を起こし、椅子をしまいながら、ぼくはほんの少しだけ呼吸が楽になった気がした。それからトイレによって手と顔を洗い、西日の眩しい校庭を抜けて正門へと向かうと、亜矢子がぼくのことを待っている。
 もう二度と話せない気がしていたのに。
 いや、二度と話さないほうがいいと思ってたのに。
 彼女は鼻をすすりながら「ごめんなさい」と言うが、それほんとうに意味のない謝罪だからやめたほうがいいよと、でもぼくは言えない。意味をなくすも与えるもぼく次第なのだ。ちゃんとこの「ごめんなさい」を受け止めなければならないんだ。
 並んで歩きながらも亜矢子の呼吸は乱れていて、たまに立ち止まっては声を漏らして泣いたりする。なのにぼくは彼女がなんで泣いているのか正直よくわからなくなっている。ていうか、これまでだってわかっていた瞬間なんてなかったのかもしれない。ああ、だめだ。ぼくも彼女に「ごめんなさい」と言う。彼女が首を振るので泣きそうだけど、でもだめなんだ。彼女の嘘のない涙に水を差すような真似はしたくない。
 公園で亜矢子を休ませる。じっとうずくまる彼女の隣で同じように腰を落とすと、彼女はぼくに殴られたあの日の話を始めた。思えばぼくの前で言及するのは初めてかもしれない。
「これまえにも言ったかな」と言う彼女から飛び出した話をぼくは知らない。
「小学六年生のとき、担任の先生がわたしを教室に残るように言ったんだよね。あれもいまくらいの時期で、夏休みが近くて、一学期最後のお楽しみ会をする予定だったの。その準備を手伝ってほしいって」
 帰りが遅くなり、先生は彼女を送っていくと言った。車で向かった先は担任の自宅で、亜矢子はそこで服の中に手を入れられ、お腹を撫でられたと言う。初めて聞くけど、何度も聞いたような話でもある。
 そんなやつばかりで嫌になる。
 亜矢子は担任の指の爪を剥がし、左目に親指を入れた。それから台所へ向かうと包丁を取り出し、刃先を向けたまま荷物を持つと家まで歩いて帰ったのだという。その後も学校には休まず通い続け、担任はやがて辞職したそうだが、それって亜矢子の勝ちとしていいのだろうか。だって、結局そいつはまた別な場所で同じことをやるんじゃいないのか? ぼくはそう思うけど、彼女の言葉の続きを待つ。
「宮本くんに殴られたあのとき、わたしは色んな日のことを思い出した」
 全身をこわばらせて唸りながら小さくなる亜矢子のとなりで、ぼくは一言も発さずに地面を見つめている。考えている。逃げないように踏ん張っている。
「だから」
 と絞るような声で亜矢子は続ける。
「怖いから、離れられない」

 

 四人の児童を誘拐して強姦してバラバラにしたあと石灰をふりかけて自宅の離れの床下に遺棄していた鶴谷陽司は、五人目の誘拐も計画していた本物のクソ野郎だった。通っていた大学を休学中の鶴谷は、そういうことにずっと興味があって、慎重に事を為せばすべてうまくいくものだと思っていたらしい。正真正銘のアホだ。そもそも行動の理由が性欲である時点でこいつに慎重な行動なんてできるわけがなかったのだけど、逮捕に至るまでに結局四人の子供が陵辱され殺されたのだ。お母さんの肩を揉むことが大好きだった渡辺大地くんや、絵を描くことが得意だった五十嵐輝介くんの小さな手は、胴体から切り離され五つに分けられたあとだった。松本來未ちゃんは愛犬クウの頭を二度と撫でることができないし、晴空くんはもうサッカーボールを蹴ることができない。亜矢子の撫でる、柔らかい髪の毛に覆われたあの小さな頭も、もうない。
 ぼくは大橋晴空くんの通夜に参列する。亜矢子のおばあちゃんは一気に老け込んだように見えた。挙動の一つ一つが苦しそうで、ぼくは声をかけることができなかった。
 事件は連日ニュースを賑わせた。ぼくたちは期末テストを受け、すべてが片付くころには事件の熱も冷めている。もちろんテレビやネットではってことだけど。
 犯人の家は蓬ヶ丘から街を二つ越えたところにあって、ぼくは自分の読みが外れたことを知る。まあそうだよな、くらいにしか思わないけど。
 とはいえもうしばらくこの息苦しさは続きそうだった。どこへ行ってもそれはついて回った。蓬ヶ丘全体が巨大なドーム状のもやに包まれ、ぼくたちはすこしずつこの街で疲弊していくのだ。それがいつまで続くかなんてわからない。
 でも、ただただ終りを待ち続けるのもなんだか癪じゃないか。
 鶴谷陽司逮捕から二週間ほど経ち、ぼくは久しぶりに亜矢子と一緒に帰る。彼女は事件後も毎日登校している。亜矢子のおばあちゃんはしばらくの間、親戚のおじさんの家で休養をとるとのことだった。彼女も一緒にと誘われたが、いまは一人であの家にいるらしい。晴空くんを一人にできないと彼女は言った。
 亜矢子はまた、いつかと同じ空気を孕むようになった。この街を覆う重たさは、彼女自身も覆って離さない。それは隙あらばぼくにも伝達する。
 ぼくはいつだって隙だらけなのだ。
 彼女の部屋で漫画を読んでいたぼくはいつのまにか寝てしまっていた。彼女のベッドに背中と頭をあずけて、大口開けて三十分ほど。目を覚ますと部屋には誰もいなくて、膝の上にページの閉じられた『はちみつとクローバー』の二巻がおいてあった。顎を鳴らしていると部屋に亜矢子が入ってきて、「おはよう」と言いながら制服をハンガーにかけている。ぼくは妙にホッとして、それから急に寂しくもなる。そのことを亜矢子が察したら嫌だなとも思う。彼女は部屋着に着替えていて、これから夕飯を作るけど食べてく? と言った。まだ五時ではあったけど、お腹は結構空いていた。
「手伝っていい?」
 なにを作るのかと思ったら、インスタントラーメンに野菜炒めを盛ったもので、ぼくは麺を茹でる係、彼女が野菜を炒めていく。
「包丁使うのうまいね」とぼくが言うと「そう?」と彼女は囁くように言ったきり黙る。ぼくはまたどうでもいいことを探して口に出す。
「そういや見せたいものがあるんだけど」
「なに」
「夕飯食べてからでいいや。別に面白いものじゃないけど」
 テーブルについてラーメンを食べるぼくに、亜矢子が「なにか見る?」と言ってリモコンを差し出してきた。
「普段はテレビ見るの?」
「ご飯のときは見ないかな」
「じゃあ別にいいよ」
「ほんと?」
 使った食器を洗っている間、亜矢子はテレビをつけてせわしなくチャンネルを変え続けていた。手を拭いて、さあ帰ろうかなと思うぼくに彼女が「見せたいものって?」と声をかける。
「ああ、そうだった」
 亜矢子の部屋の床に蓬ヶ丘周辺の地図を広げる。彼女は立ったままそれを見下ろしていた。
「これ」点在する四つの丸の内一つを彼女が指差す。
「ここ。うちだよね」
「うん」
「ていうかこれぜんぶ子供たちの家か」
「そう。で、ちょうど真ん中に蓬ヶ丘団地がある」
「うん」
「たぶん、いや、わかんないんだけど」
 相槌が消える。
「蓬ヶ丘団地から捜していたんだと思う」
 亜矢子はなにも言わない。どんな顔をしているのかなとちょっとだけ気にはなるけど見上げたりはしない。例えばの話、ここで彼女がぼくのすぐ後ろで凶器を手にしていても構わない。
「犯人はもうひとりいるのかもしれない」
 呪いは未だに解けていないし解ける見込みも特にない。ぼくは亜矢子と一緒にいる。亜矢子は離れられないと泣く。本当に呪われているのは亜矢子で、彼女はそれらを解く方法をひとつしか持ち合わせていない。
「知ってる」と亜矢子が言った。
 ああそうかしまった、とぼくは思う。時間がない。
 伝えなければならない。
「おれも蓬ヶ丘団地から大橋の家見てたんだ」
 喋りながらも、まだ振り返らない。
「大橋のこと殴った日あったでしょ。あの日からおれおかしいんだよね。確実に変なんだ。それでずっと大橋のこと考えてた。そうだ、これ言ってなかったけど、おれも大橋のことが怖かったよ。たぶん、殴るずっと前から」
 振り返らない。音もない。
「まあ別にいいよそんなこと。蓬ヶ丘団地って眺めいいよね。昔住んでたんだっけ。あそこからならなんでも見える気がする。フェンス越しでそうなんだから、団地の上からだともっとよく見えるんだろうな。ああ。もしかしたらおれ、犯人と何度かすれ違ってるのかも。わかんないけど。犯人と同じ景色は見てたのかも。少なくともこの家を見てたし」
 殺せ。
 早く。
 お願い。
「そのとき気づけなくてごめん」
 殺してくれ。
「晴空くん助けられなくてごめん」
 亜矢子の歴史が更新される。両親のもとで弟が虐待されていたとき、彼女は近所の人にすべてを話し、助けを求めた。禁止されていたのに、親の言うことを初めて破った。彼女は強い罪悪感に苛まれていたし、誰もそのことには気づかなかった。彼女はこれだけ苦しい思いをしなければ大切な人や物を守れないと思うようになったし、それは自分に力がないからだとも思った。救急車のサイレンが聞こえるたびにそんな気持ちを喚起された。環境は変わっても、揺蕩う暴力は彼女をすぐに見つけた。彼女は図らずしてそういうことをしてしまっていて、そしてそのことだって誰にも気づいてもらえなかった。
 ロリコン教師に連れ込まれたときも、知らない高校生に抱きつかれたときも、同級生の女子を殴ったときも、その復讐に遭ったときも、彼女がまだ一度も他人に話していない様々なときだって、亜矢子はそいつらに見つかったことに辟易し、追い払うことに傷ついてきた。それでも彼女が逃げなかったのは、逃げることで一生ついて回る恐怖をすでに知っていたからだ。
 犬小屋の中にいる晴空くんを覚えているからだ。
 綺麗な服を着ている自分を覚えているからだ。
 ぼくが亜矢子のそういった覚悟と疲弊をあやふやな形で感知し、恐れ、盛大に間違えたあの日だってそれは同じだった。亜矢子はぼくから逃げるべきだった。違う違う。ぼくが亜矢子に興味を持つべきじゃなかった。目を凝らすべきじゃなかった。まだまだあまりに未熟すぎることを自覚するべきだった。
 もっともっと深く考えるべきだった。
 亜矢子。
 やっぱぼくなんか殺すな。
 彼女がぼくのすぐ横に膝をつくのが分かる。彼女の気配が充満している。ぼくは彼女の顔を見る。
「わたしのこと怖いの」
 わからない。
「怖いなら離れちゃだめだよ」
 だからわからないっつの。
 聞いてみる。
「怖くなくなったあとはどうしたらいい」
「怖くなくなったとき?」
「離れられるもんなの」
 亜矢子は力なく笑った。あ。嘘をついてないなとぼくは思った。
 わかる。
「そんなの知らないよ」

 亜矢子に抱きしめられて彼女の髪が鼻の頭をこすったとき、ぼくは呪いが強まるのを感じる。
 ああしまった。彼女の体温に乗って舞い上がる香りをたくさん吸い込む。
 このままじゃダメだ。でもじっとしていたかった。終わりがあるならとっとと終わってしまいたかった。いますぐ走り出したい気持ちの一方、まだまだ時間をかけるべきだとも感じていた。
 彼女の腕から離れて、亜矢子の顔を見る。真正面から。世界一綺麗で気を失いそうになる。ふざけんじゃねえっての。ぼくは彼女の顔を手のひらで打つ。ぼくが打てば、彼女も打ち返す。突き飛ばせば、彼女はすぐに起き上がって、ぼくのことを突き返す。あ~嫌。亜矢子はまた泣いてるし、笑っているし、ぼくはそのどちらもできないままだし、あ、でもちょっとだけ、彼女に信じてほしい気がしている。
 どうか。
 どうか。

 鶴谷陽司と同じ自動車教習所に通っていた中嶋豊は、蓬ヶ丘団地の五号棟四〇一号室に家族と共に住んでおり、買ってもらった中古の軽を使って四人の子供を誘拐した。すべては鶴谷陽司の提案だったが、協力しているうちに「さらなる深い仲」を得るため、中嶋も鶴谷と同じことをすることになった。
 三番目の被害者、松本未来ちゃんだけ女の子なのは、中嶋豊の性的趣向に関係していたってだけの話だ。
 ぼくと亜矢子は夏休みに入って三日目で中嶋豊を殺して蓬ヶ丘団地裏の茂みに捨てる。見つけ出すまでに多少の時間はかかったけど、二人で必死に頑張ればまあこんなもんだ。警察より早く動けたことを亜矢子は喜んでいた。一瞬でも、いつか見た大きな力を手に入れた気分になったのかもしれない。
 そもそも警察は中嶋豊の存在を認知していたのだろうか? 鶴谷陽司がこいつの名前を出していないっぽいのは、中嶋の言った「深い仲」の証左なのだろうか?
 まあなんだっていい。
 クソ野郎は死ぬだけだ。
 中嶋の車のダッシュボードからは、松本未来ちゃんの髪の毛でつくられたミサンガや晴空くんのサッカーボールを裂いて刺繍のように貼り付けたエコバッグなんかが見つかった。ぼくと亜矢子はドン引きしたし、心からの怒りを覚えたが、もしかすると中嶋豊もまた、恐怖の対象から離れられなかっただけなのかもしれない。
 ぼくと亜矢子は服を着替えたあと、蓬ヶ丘団地にある滑り台の上から街並みを眺める。
 大きな入道雲が盛り上がっている。あれがそのまま倒れてきて、この風景すべてを潰してしまえばと考えるぼくはまだまだ覚悟が足りていない。そういうものは焦って備わるものではないってことも、ぼんやりながらわかっているので、ぼくはなにも口に出さないし傷ついたりもしない。隣に立っていた亜矢子が、不意にぼくの肩に鼻を近づけてくる。
「え、なに?」
「ううん」
「臭い?」
「ちがう。いま一瞬いい香りがして」
「そうなんだ。わかんない。どんな匂い?」
「懐かしい匂い」
 ぼくらは使ったバットをバッティングセンター脇の草の茂った暗渠に捨てたあと、スーパーでカレーの材料や花火なんかを買う。亜矢子の家でじゃがいもを洗っていると、扇風機の角度を変えた亜矢子がおばあちゃんはもうしばらくかかりそうだと言った。時間でしか解決しようのないものだってある。それは亜矢子が未だ抱えている諸々にだって言えることかもしれない。
 できあがったカレーをお皿に盛って、晴空くんの遺影の前に置くぼくらは手を合わせて祈る。
 晴空くんが安らかに眠れますように。
 この祈りがどうか届きますように。
 できることはなんでもしてやりたいと思う。できないことまでやろうとする。そのせいでより相手を不幸にするなんて話は、結局のところありふれている話なのかもしれない。
 縁側で花火をしながら、晴空くんと初めて会った日のことを思い出していた。なにかを斬るように立てた指を振り下ろす晴空くんは、たぶんきっと、お姉ちゃんを守ろうとしていたんじゃないだろうか。亜矢子にまとわりつく不吉なものを断とうと、たった一人で頑張っていたのかもしれない。
 お疲れ様ですと思う。ぼくはまた苦しくなりかけるが、落ち着いている。
 花火をする亜矢子の、眩い光に照らされた青白い顔は特別楽しそうといった感じではないけれど、夏の夜の湿った風が吹いていて、空には青白い月と雲と星々が揺らめいていて、どことなく悪くないなと思えるこの瞬間と、ちょっと先の未来と、もっとずっと未来のことを考えるには、ちょうどいい夜かもしれない。